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麗奈、目を覚ます
しおりを挟む「お目覚めになられたのですね、レーナ様!」
目を開けて部屋を観察していると、すぐに声をかけられた。
ベッドサイドに目を向けると、茶色の髪に薄青の目をした若いメイドさんらしき人が、安堵したような表情で私を見ている。
神様に頼まれた王妃様か神官長さんが、いつ目を覚ますのかもわからない私のために、ずっと人をつけていてくれたのだろうか。
「すぐに勇者様をお呼びしますか? 主神様に守られていたとはいえ、ずっと寝たきりだったのですから喉が乾いているのではありませんか? 今、果実水をご用意いたしますね」
私の意見を聞かずに勝手に勇翔に知らせるのではなく、まずは私に確認してくれることに好感を持った。
親身になって世話をしてくれていたのだろう。その証拠に寝たきりだった割に体はさっぱりとしていて、生活魔法で清めてくれたのだとわかった。
「……お世話をしてくださって、ありがとうございます。勇翔には、まだ知らせなくていいです」
勇翔に会う前に、まずは状況確認をしたい。
メイドさんの手を借りて体を起こし、冷たい果実水の注がれたグラスを受け取った。
背中にいくつものクッションをあててくれたので、楽に座っていられる。
どれくらい意識のない状態だったのかわからないけど、体に特に異常はないようだった。
レモンのような爽やかな風味の果実水を口にすると、寝起きの頭がすっきりとした。
時間をかけてゆっくり果実水を飲む間に、メイドさんはてきぱきと仕事をこなしている。
窓を開けられると、涼しく心地よい風が入ってきて、とても気持ちよかった。
日本はまだ残暑の厳しい名ばかりの秋だったけれど、こちらの季節も今は秋のようだ。ただ、日本とは違って、日差しが柔らかく過ごしやすい気候だ。
大陸のほぼ中心部にあるフルクバルト神聖国は、割とわかりやすい四季がある国だと、神様にもらった知識が教えてくれた。
日本と違うのは、一月が30日で、一年が360日しかないことと、一週間が6日なことくらいだ。
だから曜日の数え方は、一の日二の日と、数字で数えている。
週末という概念は勇者が持ち込んだようで、五の日と六の日が週末になるけれど、週末だから仕事が休みになるということはほとんどなく、交代で休みを取るのが普通のことのようだ。
一日の長さも24時間で、日の高さから、今はまだお昼過ぎくらいの時間だろうと察せられた。
「一週間も意識がないままでしたので、心配いたしました。湯浴みの支度もすぐに整いますが、先にお食事になさいますか? 王妃様から、一国の姫とも思いお世話するようにと言われております。遠慮なくお申し付けくださいませ」
言葉や表情から、親身になってくれるのが伝わってくる。
今までは、よくて遠慮がち、そうでなければ最初から敵対意識を向けられることが多くて、好意的に接してもらえることはあまりなかったから、簡単に心を許しそうになってしまう。
我ながら単純だとは思うけど、優しく接してもらえるのはやはり嬉しいものだ。
お風呂に入れるのなら入りたい。
一週間も寝たきりだったようだけど、不思議とお腹は空いていなかった。
「先にお風呂に入りたいです。食事はその後で、スープか何か軽いものをいただけますか?」
「かしこまりました。少し、失礼いたしますね」
果実水のグラスをサイドテーブルにおいて、メイドさんはベッドに座ったままの私を軽々と抱き上げた。
私よりも背が低くて、鍛えているようには見えないメイドさんに突然お姫様抱っこされて驚いてしまう。
「足がなえているかもしれませんので、湯殿までお運びします。こう見えても護衛も兼ねた侍女ですので、レーナ様のように華奢なお方を運ぶのは楽なものです。ご安心ください」
言葉通り、揺ぎ無い足取りで侍女さんが歩いていく。
神様の知識によると、侍女とは、この国では貴族階級の出身の女性のはず。
護衛もできる侍女となると数も少ないらしいから、かなり有能な人を私につけていてくれたようだ。
「私、王妃様付きの侍女でサーシャと申します。ここは王妃様の宮で、王妃様の許可なき者は入ってこられませんので、とても安全です。王妃様の母国では魔道具の生産が盛んなのですが、この宮には、許可したものしか入れないように、魔道具で結界が張られているのです」
宮というからには、ここは王妃様専用の宮殿なのだろう。
どうやら私は、セキュリティが一番しっかりとした場所で保護されていたようだ。
神様の話を聞いて、王や王女たちの計画の邪魔にしかならない私は排除されるかもしれないと思っていたから、意識のない間ずっと守られていたことに感謝した。
「魔道具って便利なんですね。サーシャさん、王妃様に伝言をお願いできますか? 意識のない間、ずっと守ってくださったこと、心より感謝しますと伝えていただけると嬉しいです」
神様に頼まれたといっても、神殿任せにすることもできたはずだ。
過去の勇者の話や神託から、神の存在は信じられていても、今の時代、この世界の人々にとって神は遠い存在らしい。
神が降臨することなど滅多にないし、前回の勇者召喚からは300年以上もの長い時が過ぎていることもあって、信仰心は次第に薄くなりつつあるようだ。
神託があったとはいえ、召喚に巻き込まれただけの小娘を保護することに利はない。
だからこの待遇は、王妃様の好意によるものだ。
ただ保護するだけではなく、心を尽くして世話をしてくれることに深く感謝しなければ。
「必ず伝えますわ! でも、レーナ様が直接お伝えする機会がすぐにあると思います。王妃様は此度の神託を大変お喜びになっていて、レーナ様のことを娘とも思いお世話いたしますと、主神様にお返事されたそうです。昼間は執務がありますので表の本宮殿におられますが、夜には必ずレーナ様の様子を見にいらしてました」
想像以上に大事にしていただいているようだ。
話に聞くだけでも多忙な王妃様なのに、わざわざ足を運んで様子を見に来てくれていたなんて。
実の母にさえ、そこまで気遣われたことはないから、王妃様に対する感謝の気持ちが強くなるばかりだ。
サーシャさんに運ばれて辿り着いたのは、マッサージ専用のベッドや、体を休めるためのソファなどが置かれた部屋だった。
ここで湯上りに身支度を整えられるようにか、大きな姿見なども置いてあって、かなり広い部屋だ。
「レーナ様、お召し物を脱がせてもよろしいでしょうか? 召喚されたときのお姿では寝苦しいのではないかと思いまして、寝衣に着替えさせていただいたのですけれど、勇者様の不興を買ってしまいまして……。勇者様は、レーナ様のお世話は婚約者である自分の役目だと仰せだったのですけど、例え婚約者だとしても、意識のない女性の体に勝手に触れるのはよくないことだと、王妃様がお諫めになって、私たちでお世話させたいただいていたのです」
遠慮がちに問われて不思議に思ったけれど、続けられた言葉には驚きを通り越して寒気がした。
意識のない状態で勇翔に着替えをさせられていたらと、想像するだけで気持ち悪い。
予想通り、婚約者だと勝手に言って、周囲の思惑など気にもせずに振舞っているのだとわかって、頭痛もしてきた。
「王妃様にお礼を伝えることが、もう一つ増えました……。勇翔は幼馴染だけど、婚約者ではないんです。私の母は、私が勇翔と結婚することを熱望していましたが、私はできるなら勇翔とは縁を切りたいと思っています。勇翔は私を婚約者だと言って所有物のように扱うけれど、勇翔のことを好きな女性に私が嫌がらせをされていても、苛められていても、全く気が付きません。それどころか、私の態度にも問題があるんじゃないかと、相手の女性の味方をすることすらあります。だから、そんな人を好きになることは、絶対にないんです」
思い出しただけでも悲しくなってきた。
勇翔の前では猫を被る人達に結託されて、今までどれだけ悪者にされてきたことか……。
やってもいないことをやったと詰られ、謝るように強要されて、それを拒否すれば、我が強くて可愛げがないと蔑まれた。
勇翔は他人のことは簡単に信用するくせに、私のことは信じてくれない。
だから、複数の人が結託して私を悪く言えば、それを素直に信じ込んでしまう。
人目のあるところで繰り返された断罪劇のおかげで、私の評判は落ちるばかりだった。
通いたくもない高校に通い、悪い噂のせいでまともに友達を作ることもできず、私は孤立していた。
思い出すだけで涙が溢れそうになってしまう。
「女の本性を見抜けない鈍感男によくあるパターンですね。わざとなのかと疑いたくなるくらい、肝心な時だけ鈍感力を発揮するのですよね」
サーシャさんは、今まで私が勇翔のことを愚痴った相手のように私の言葉を否定することもなく、普通に受け入れてくれた。
それが嬉しくて、思わず涙が零れる。
過去を思い出して悲しみで満たされていた心が、癒されたような思いだった。
「レーナ様っ! 申し訳ありません、私、何か気に障ることをしてしまったのでしょうか?」
私の涙を見たサーシャさんが、慌てて謝ってくる。
言葉にならないまま、頭を振って否定しながら溢れる涙を拭いた。
「……嬉しくてっ……今まで、誰もわかってくれなかった。みんな、勇翔ほどの人に好かれているのだから、少しくらいの嫌がらせは仕方がないとか、優しい勇翔のことを悪く言うなんて、性格が悪いとか、だから苛められるんだって言われることもあって……」
もしかしたら、日本にもサーシャさんのような人がいたのかもしれない。
だけど、そういった存在に巡り合う前に私は心を閉ざしていた。
まだ、少しだけど私にも友達がいた小学生の頃、私と親しくしていたせいでその子たちは勇翔に毛嫌いされていた。
隠していてもそういった感情は伝わるもので、私の友達だからという理由だけで苛められるようになるのに時間はかからなかった。
勇翔に心酔している生徒だけでなく、教え導く立場の教師さえも、私の友達に厳しく当たったりした。
その結果、私と仲の良かった人達は離れていき、中には転校してしまった子もいた。
今思うと、勇翔の機嫌を取るためだけに大人でさえも嫌がらせをするなんて、おかしすぎる話だ。
日本にいた頃の私は、そのおかしさに気づくことがなかった。
きっと、勇翔が神に愛されているというのが、その原因なのだろう。
私の友達だったから、そのせいで辛い目に遭わせてしまった、そう思うと私の心は折れてしまって、友達を作るのが怖くなった。
誰とも親しくなれず、当たり障りのない付き合いしかできなくなっていった。
「何て酷い! 苛められる方が悪いだなんて、そんなことは絶対にありませんわ。勇者様も婚約者だと言い張るのなら、誰よりもレーナ様のことを信じて、レーナ様の一番の味方であるべきです!」
憤りを隠さずに強く言い切って、サーシャさんが真剣な目で私を見つめる。
「私が必ずお守りします、レーナ様。勇者様からも、絶対に。だからここでは、心安らかにお過ごしください。王宮に勤めるものには守秘義務がございます。ですから、みんな口にはしませんが、今回の召喚が必要のない召喚だったことはわかっています。レーナ様が、それに巻き込まれた被害者だということも」
勇者と違って、巻き込まれた私は元の世界に帰れないと知っているのだろう。サーシャさんは痛ましげな表情で目を伏せた。
「神様に説明されたので、巻き込まれた私だけが元の世界に帰れないことは知っています。何とか帰すことはできても、時間や場所の指定ができないとおっしゃっていました。でも、あちらでは辛いことばかりでしたから、戻りたいとは思いません。勇翔以外、誰も知る人のいない世界ですから、サーシャさんのお気持ちは、とても嬉しいです。神様に少しは知識をいただいたのですけど、まだまだ足りないことばかりですから、いろいろと教えていただけると助かります」
サーシャさんが必要以上に気に病まないように、できるだけ明るく言い切った。
悪いのは召喚を強行した王や、どんな目に合うかわからなかったのに私を巻き込んだ勇翔だ。
あの時、私の手を掴んで、決して離そうとしなかった勇翔の愛情を私は信じない。
例えどんなことが起こったとしても、私を守る自信があったから巻き込んだのかもしれないけど、もしそうだとしたら勇翔は自信過剰すぎると思う。
幸いにして神様が介入してくれて、この国ではまともな王妃様たちに神託をしてくれた。
巻き込まれて二度と元の世界に戻ることができない私のために、たくさんの恩恵を与えてくれた。
だから、絶望せずに生きていられる。
この世界には奴隷制度もあるのだ。神様が介入していなければ、最悪の場合、私は奴隷として秘密裏に売り払われたかもしれなかった。
邪魔な私を排除するために、勇翔の知らないところで命を狙われてもおかしくない。
勇翔のことだから、私が勝手に出ていったと言われれば、すんなりそれを信じてしまっただろう。
勇翔が私を守ってくれるなんて、絶対に思えない。
サーシャさんの守るという言葉は信じられるけど、勇翔は信じられない。
私にとって、出会ったばかりのサーシャさんのほうが、よほど信じられる相手だった。
「主神様の力をもってしても、帰せないのですね。私はこの国で生まれ育ちましたから、過去に魔王を封印するための勇者召喚が行われていたのは、学園で学びました。主神様は異世界の勇者様のお力を借りなければ魔王を封印できないことに心を痛めて、せめて勇者様が元の生活を失わずに済むよう、召喚されたときと同じ場所、同じ時間に帰せるように条件を付けた魔法陣を作ったというのは有名な話です」
勇者について、学校でも習うのか。
この世界のどこの国でも貴族の通う学校は必ずあって、大体どの国でも10歳から18歳まで通うことになるようだ。
過去の勇者が大学を作ったので、更に専門的に学びたい人は大学に進学するらしい。
成人は18歳で、学校を卒業した貴族女性は、見習いとして働き始めたり嫁入りの準備をする人が多い。
大学に進学する貴族女性となるとかなり珍しいけれど、いないわけではないようだ。
貴族の女性は、侍女として勤めるか実家で花嫁修業をするかのどちらかがほとんどで、二十歳までに婚約することが多いみたいだ。
魔力の多い貴族は寿命が長いみたいなのに、25を過ぎたら行き遅れなのだから、貴族女性は生きづらい世界だなと感じる。
召喚陣の条件については初めて知ったけど、あの優しい神様のことだから、勇者の条件も細かく指定しているような気がする。
力はあっても世界の害にしかならない人を召喚してしまったら、大変なことになってしまうから。
「レーナ様、失礼しますね。一人で入浴なさりたいかもしれませんが、今日は起きたばかりですので、介助させてくださいませ」
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