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その腕輪は
しおりを挟む今更ながら自分の気持ちに気づいてしまった。
聖女と言葉を交わしたのは、捕らえられていた村から見つけ出した時だけだ。
時折見かけるようになったその姿も遠目で表情がなんとか分かるくらいで、顔がどんなのかも朧気でちゃんと分かっている訳じゃない。
なのに、俺はそんな聖女に心を奪われてしまっていたのか? 自分のせいで人生を可笑しくさせてしまったから、その償いとして頼まれてもいないのに奪われた物を探し出す事にしているが、それも聖女に心を寄せているからだったのか?
自分の事なのにそんな事も気づかなかった事に笑うしか出来なかった。こんなに鈍感だったとは……
聖女の恩恵であるこの環境に身を任せつつ、ふとそんな事を考えながら誘導されるがままに腕輪が保管されている場所まで進んでいく。
そこは厳重に結界が張られてあり、神官が何人もその周りを取り囲むように警備していて、それがなんとも物々しい雰囲気を醸し出している。
それでもここの空気はこの街の何処よりも綺麗で澄んでいて、それが結界に守られた腕輪から放たれているのが分かる程だった。
他には何もない薄暗い空間に、一際輝く一つの光。それがこの部屋を仄かに明るくさせている。 それは金色に輝いていて、宝石が鏤められた一品で、神々しく光放っていた。
近寄る事はできなかったが、遠目でその存在を確認する。
誰もがこの場の空気に、そして腕輪から放たれる光にうっとりしていた。
幸せに身を寄せるように腕輪に近づこうとするがそれを神官に止められ、仕方なくその場で佇むのみの状態の人達。
もちろん俺も例に漏れず、同じようにしてその場で動けずにただ腕輪を見続けていた。
しかしあれは違う。
聖女が幼い頃に身に付けていた腕輪はもっと質素な物で、動物の革に一つだけ鉱石らしき石が付いているだけだった。その鉱石も宝石と言われる程の物ではなく、何か歪な魔力は感じたが、高価な物と言える物ではなかった。
それでもこれだけの魔力を帯びた腕輪は、聖女の物で間違いないのだろうと思われる。ただあの時の、幼かった聖女が嬉しそうに母親から貰った物だと教えてくれた腕輪では無かっただけなのだ。
その場から離れる事が名残惜しく、けれど次から次へと参拝者がやって来る為、すぐにこの場を離れなければならなくなり、皆が仕方なくその場を後にする、といった感じだった。
俺もそうだった。確認したらすぐに宿屋へ帰ろうと思っていたのに、動きたくなかった。ずっとここにいたいと思った。
だからこの神殿で働こうとする者が後を絶たないのだそうだ。神官になりたい者も多いのだとか。それには納得できてしまう。腕輪のそばに居続けられるのなら、聖女に少しでも近づける存在になれるのならと、そんな気持ちになるのがよく分かるのだ。
腕輪から離れていくと、段々と現実が見えてくる。あぁ、そうだ。俺は早く宿屋へ帰ってジルの様子を見ようと思っていたのだ。
神殿を出てからは後ろを振り返る事をせずに小走りで宿屋へ向かう。すぐにジルの部屋へ行き扉をノックすると、少ししてからジルが扉を開けて中へ入れてくれた。
「ジル、どうだ? 風邪か?」
「んーん、大丈夫」
「無理はしなくていい。今日はゆっくりしよう。な?」
「えっと、聖女様、の、腕輪は?」
「あぁ……あれは違うかった」
「違う?」
「確かに聖女の身に付けた腕輪だったのだろうな。でも、あれは彼女の母親から貰った腕輪ではなかった」
「やっぱり……」
「え?」
「んーん、なんでも、ない」
「あ、ほら、横になっておけよ。なんか欲しい物はないか?」
「リーン、優しい」
「病人を気遣うのは当然だろ?」
「病人、違う」
「そうか? でも、今日はゆっくりした方が良いだろ? それとも何かしたい事とかあるか?」
「えっと……早く、旅に行き、たい」
「え?」
「早く、行きたい」
「そうなのか? 何故だ?」
「何故……は、ない」
「……そう、か……」
「ん……」
「分かった。じゃあ食料の買い出しをするか。今日中に出れるようにしよう」
「ん……」
なんかジルの様子が変な気がする。この場所が嫌なのか?
買い出しに行くのも、一緒に行かずに部屋にいると言う。こんな事はあまり無かった事だから、本当に体調は大丈夫なのだろうかと思ってしまう。
急ぎ足で足らない物を購入し、すぐにまた宿屋へ帰る。何故かジルがいなくなりそうで気になったからだ。
宿屋へ戻りジルの部屋を訪ねると、ジルはちゃんと部屋にいて俺の帰りを待っていてくれた。それだけの事に凄く安心してしまう。
昼食を一階の食堂で摂ってから、チェックアウトして街を出た。
一番早くに出る乗り合い馬車に乗り込む。街が遠ざかって行く程に、ジルは安心したのか表情は穏やかになっていった。
何かこの街で嫌な事でもあったのだろうか……
気にはなったが、何も聞かない事にした。これだけの魔力持ちだ。聖女の魔力にあてられる、なんて事があったのかも知れない。俺位の僅かな魔力じゃ分からない事もあるのだろう。
どこに行くともなく乗った馬車は、北へと向かって走っている。遠ざかる程に徐々に空気が澱んでいく。
そんな状態であっても、ジルはホッとした感じだ。
あの澄んだ空気が溢れる街から遠ざかる事は名残惜しいが、それよりもジルの穏やかで落ち着いた顔を見られる方が良いと、俺は思ったんだ。
そういう思いに至ってから、また俺は気づいた事があった。
俺は自分は思うよりも、愛情に飢えていたのかも知れないという事に。
8歳の頃に家族と引き離されてからの日々では、身を置くことは出来ても心を置くことは出来なかった。
それは侯爵家にある自室であっても、騎士団にある騎士舎であってもだ。
入団したのが9歳の頃だったから、同期と呼べる人達は皆が年上だったし、後から入団してくる者も皆が年上だから、誰もが年下の俺を甘く見ていたし疎ましく思っていたのだ。だから気を許せる友人と呼べる奴は誰もいなかった。貴族のお坊ちゃんだらけの騎士が元平民と仲良くしよう等と思わないだろうし、俺もそうしようと思わなかった。
こんな環境だから仕方がない。そんなものだと思っていた。自分には必要ないと。それでもやってこれたのだから、問題なかったのだと。
だが違ったのか。心の何処かで心を許せる存在を、寄り添える存在を求めていたのだろうか。その事に今更ながらに気づいてしまって、自分でも可笑しくなってくる。
俺は自分が思うよりも、弱くて情けない男だったのだと。
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