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20話 メリエルの職場
しおりを挟む別邸に戻ったシオンは、ソファーで体を休めていた。
動きづらい足で歩くのは思いの外疲れるもので、しかも普通に歩いているように見せかけるのには色んな所の筋力を使う。
体力的にもそうだが、今日は精神的にも疲れた。
リュシアンの傍にいると思うだけでも早鐘のように心臓が高鳴るし、呼吸もままならなかった。
それでも、あのひと時に想いを馳せるとシオンの心は満たされていくのだ。心地いい疲れを堪能するようにソファーに身を委ねていると、扉がノックされる。
「はじめまして、シオン・ルストスレーム様。私は侍女長のノエルと申します。この度ルストスレーム嬢様に侍女をつける事となりましたので連れて参りました」
「ここに来て暫く経つのにはじめましてとは……侍女長の名が聞いて呆れる」
「ジョエル……」
「は、はじめてお目にかかります。メリエル・アイブラーと申します。その……よろしくお願い致します……」
「……メリエル……と言うのね。私はシオンよ。そう呼んでね。こちらこそよろしくお願いするわね」
メリエルはリュシアンの時のように元気に挨拶は出来なかった。シオンの噂を知っていて、これから悪女に何をされるのか気になって仕方がなかったのだ。
モリエール公爵家で働く事は嬉しいが、シオン付きになるのは嫌だと思っていた。だが今回の募集がそうだったから仕方なく了承したに過ぎなかった。
でなければモリエール家で働ける事は無かっただろうから。
そしてシオンはメリエルを見て、前世の自分に面影が似ていると感じた。あのまま死なずに成長したのなら、自分はこんなふうになったのではないだろうかと思える程に、メリエルはノアと雰囲気も似ているように感じたのだ。
侍女長ノエルはメリエルを置いてすぐに本邸へと戻って行った。ここに連れて来られたメリエルは何も聞いていなかったのだろう。どうすれば良いのか分からずに、辺りをキョロキョロ見渡しながらシオンの指示を待っていた。
その様子を見たジョエルは溜息をつく。
「今からお茶の用意をしようと思っていたところです。メリエル嬢、厨房へ案内するので、一緒にお茶の用意をお願いできますか」
「あ、はい! えっと、貴方は……」
「私はジョエルです。シオンお嬢様の侍従です」
「また侍従だなんて……でもそうね。ジョエル、メリエルに色々教えてあげてね」
「はい」
そうしてジョエルとメリエルは厨房へと向かった。メリエルはシオンから離れられてやっとひと息つけるように感じホッとした。
そしてチラリとジョエルを見た。
金の長い髪を低い位置で後ろで一纏めにした青い瞳のジョエルはとても整った顔をしていて、メリエルは思わず見惚れてしまった。
リュシアンは凛々しくて所作も造形も全てが美しいが、ジョエルは中性的でまた違った魅力がある。こんな人達の中で働けるのは滅多に無いことだと、メリエルはさっきシオンに感じた恐怖に打ち勝とうと思い込むように頭を巡らせる。
シオンも美しい人だった。珍しい銀の髪は陽に反射してキラキラ光って見えたし、紫の瞳は宝石のように澄んでいた。
あの人が悪女だなんて、人は見かけによらないなとメリエルは思った。
「あ、あの、ジョエル、様」
「私に『様』は必要ありません。ジョエルと呼んでください」
「ではジョエルさん。その……ルスト……シオンお嬢様の好みのお茶等はありますか? それと、好みのお菓子や食事とかも教えて頂けると助かるのですが……」
「好みの物……」
「はい。それと何が嫌いなのか、どうしたらご機嫌よくいて頂けるのか等も教えて欲しいです」
「……そんなもの、ありませんよ」
「えっ?」
そう言うとジョエルは茶葉を棚から取り出した。
これはジョエルが本邸へ行って、セヴランに願って貰ってきた物だった。あまりにシオンへの対応が悪すぎて、だけどここの人達と仲良く出来る事を望んでいるシオンの願いを無下にできないジョエルが頭を下げて入手したものだった。
シオンには朝、昼、晩と、質素であるが三食キチンと食事は出される。しかし、お茶や茶請け等は一向に持ってきて貰えなかった。
その事にシオンは何も感じていなかったが、ジョエルはこの対応に納得していなかった。
ルストスレーム家であれば息を潜めて、何も強請らずに生きてこれたのだが、リュシアンはシオンのお陰で不死身と言われ『澆薄の鳳凰』と二つ名まで付いたのだ。
だからシオンにはここでは、少しでも貴族らしく過ごして欲しいとジョエルは考えていた。
「あの、ここにはジョエルさんとシオンお嬢様のお二人だけしかいないのですか?」
「そうです。他には誰もいませんよ」
「ですが伯爵令嬢ですよね? 普通はもっと専属の侍女や執事がいるんじゃないですか?」
「普通なら、ね……」
普通じゃない。シオンが普通じゃないからそうなのかとメリエルは悟った。だからやっぱりシオンは悪女なんだろうと考えを巡らせたのだった。
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