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ヒュドラの首

祝宴……

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「いやー、うまくいったなー!」
「まったくだ! まさかわれもここまで事が運ぶとは思わなんだ!」
「うまくいき過ぎてオレはちょっと恐くなってるけどな……」
 ヒュドラが縄張りにしていたミケナイ国の果ての荒野。エスカトンの町からそれほど離れていないところで、エーラ、ヒュドラ、勇男いさおの三名はちょっとした酒宴を開いていた。
 勇男がエウリュステスから三つの褒美を約束された後、勇男とエーラは荷車を全速力で引いて首都タウマストンを去り、再び荒野へと戻ってきた。途中、エスカトンの町で飲料と食料も調達して。
「イサオの考えてたことが見事的中したよな~。でもってその時のために用意した作戦も大成功~」
 エーラはブドウ酒の入ったボトル陶器瓶を片手に勇男の肩を組んだ。
「あの策を聞いたおりは我も少々不安だったが、本当に成し遂げてしまうとはな」
 ヒュドラの方は大樽に鼻先を突っ込こみ、上機嫌で中身をガブガブと飲んでいる。
「考えたオレが言うのも何だけど、オレが一番驚いてるよ。三つとも要求が通るかどうかってモンだったし、正直その前に首をねられるんじゃないかってトコだったしな」
 勇男はブドウジュースをチビチビ飲みながら、三日前のことを思い出していた。

「! そうだ! ヒュドラ、ちょっと聞くけど、血はまだ残ってんのか?」
「血? 我の血のことか?」
「そう! 触れるだけでもヤバいっていう猛毒の血! まだ残ってるか?」
「……期待に沿えんで申し訳ないが、我にはもう血は残っておらん」
「残って……ない?」
「左様。岩の下で封印されている間に毒抜きされてしまったようでな。我にはもう血は一滴も残っておらん。我がこうして生きているのは、不死の力でこの世に留まれておるに過ぎん」
「そっか~…………いや、待てよ。脅しの材料に使えればいいだけだから、何もマジの本物じゃなくても……」
「イ、イサオ?」
 一人で何かを納得している勇男の顔に、エーラは少し怪訝けげんな表情で覗き込んだ。
「実際に首はあるわけだから、説得力はあるよな。あとは……」
「お、おい、イサオ?」
「エーラ!」
「ひゃ、ひゃい!」
 不意に大声で名前を呼ばれたエーラは、驚いて変な声で応えてしまった。
「と、ヒュドラ!」
如何いかがした?」
「これからオレの考えた作戦を話す」
 勇男は『もしエーラのクエスト達成が認められなかった場合』を想定して、それを覆すための作戦の全容を話した。
「……それ、うまくいくのか? 下手すると城の兵士たちに囲まれて終わりだぞ」
「もしも王様が難癖なんくせつけて、クエスト失敗だって言ってきたらって話さ。何もなければこの作戦はなしでいい」
「どうであれ我は死骸のフリをしておれば良いのだな?」
「ああ。まだ生きてることがバレたら、それこそホントにクエスト失敗にされるからな」
「了承した」
「それで、エーラ」
「ん?」
「例のアレ、できる?」

「…………すっげ」
 30メートルほど先に置かれた拳ほどの大きさの石。そのすぐ右横に小さなクレーター状のくぼみができていた。
「ん~、石を狙ったんだけど……こうか?」
 エーラは右手を伸ばし、人差し指の第二関節に乗せた小石を親指で弾いた。
 一秒もしない間に小石は荒野の地面に窪みを作った。今度は的代わりの石の左横だった。
 勇男が立てた作戦のかなめは、偽のヒュドラの血―――野菜と果物と動物の血で着色したもの―――が入った容器を、誰にも気付かれず、つ確実に王様にかかるように破壊すること。それも故意ではなく事故で壊れたように見せかけなければならない。
 それができそうなのはエーラであり、決行するのであれば、エーラが指弾で百発百中に近い命中率を出すことが重要――――だったのだが、
「あと少しか。コツが分かってきたぞ」
 エーラの指弾は威力は有り余るほどであり、命中率も少し練習すれば問題ないほどに水準が高かった。
(ヘラクレスは弓が得意だったって聞いてたけど、エーラも飛び道具系はいけるってこと?)
「よし! 当たった!」
 勇男がそう考えているうちに、エーラは三発目で石に的中させた。
「イサオ、これでいいのか?」
「あ、ああ。あとはもうちょっと距離を取ったり、高低差があっても当てられれば……」
「分かった。これぐらいなら今日一日でどんな的にも当てられるようになってみせるから、待ってろよ」
「お、おう。お願い」
 妙に張り切っているエーラに、当の発案者である勇男の方がなぜか気後きおくれしてしまっていた。
 こんな規格外なところを見せられれば、改めてエーラは英雄の娘であると自覚せざるを得ない。
 
 そうして勇男が見守り、ヒュドラが泉を泳いでいるうちに、エーラは一日でライフル弾なみの指弾を修得した。

「あの作戦がうまくいったのは、王様が曲がりなりにもキッチリ王様やってたからだろうな。もしも『口に出したことなんかどうでもいい。自分が決めたことが絶対だ』みたいなタイプだったら、いくら命の恩人だからって突っぱねられていたかもしんない」
 エウリュステス3世から言質げんちが取れたのは本当に幸運だった。
 そしてエウリュステスが言葉をひるがえさなかったことは、勇男もそれなりに評価していた。
 何しろそこがご破算になっていれば、作戦の全てが破綻していたわけだから。
(でもコレ、ほとんど詐欺だよな。エーラを自由にさせるためとはいえ悪いことしたよなぁ。いや、王様の方が元々詐欺ったようなモンか……)
「何はともあれ大成功には違いないんだ! お前ももっと喜べよ、イサオ! お前のおかげなんだからな!」
「わっ! ちょっ! エーラ!」
 エーラは勇男を抱きかかえると、その場で踊るようにグルグルと回転した。
 高速のメリーゴーランドに乗ってる感覚を味わいながら、勇男はエーラの喜びはしゃぐ顔を見つめていた。
 英雄ヘラクレスの娘を助けるため、命を張り、知恵を巡らし、長きに渡った奴隷の立場から解放できた。
 『お前のおかげだ』と感謝されれば、勇男もここまでの奔走の甲斐もあったと思える。
(あ――――)
「? どうしたイサオ?」
 勇男の雰囲気の変化を察してか、エーラは回転を止めて勇男を降ろした。
「あ、その、エーラ――――――」
「ヌシよ」
 勇男がエーラに何か言おうとした寸前、ヒュドラが唐突に話しかけてきた。
「へ? な、何?」
「我からも礼を言わせてもらうぞ。これで不死の力を返すまでの五十年、この荒野で平穏に過ごせることだろう」
「あ、ああ。そうだな」
 ヒュドラがエーラのクエスト達成に協力する代わりに要求したのは、月に一回でいいので酒を持ってきてほしいというものだった。
 首だけになってしまったヒュドラは食事はできなくなってしまったが、酒をたしなむことはできた。
 そのおかげで食欲の暴走から解放され、本来の意識を取り戻すことができたので、今後とも荒野で静かに暮らすために酒が欲しいとのことだった。
 ヒュドラが酒によって理性を保てるなら、荒野を騒がすヒュドラはもう現れず、エーラのクエスト条件にも合致しそうだったので、勇男はその要求を飲むことにした。
 むしろ大変だったのはそこからの交渉で、ヒュドラは最初、二百年を提示してきた。
 さすがにそれは長すぎると思ったので、勇男とヒュドラの値引き合戦が始まった。
 最終的にエウリュステス3世の存命中に決着がつくようにということで、五十年に落ち着いた。
 六百杯目の酒を飲んだ後には、ヒュドラは不死の力を天に返し、改めてこの世を去ると約束した。
「くれぐれも見つからないようにしてくれよ」
「心得ておる。我はもうおおやけには死した身であるゆえな。これよりは月一の酒を楽しみつつ、この荒野で静かに余生を過ごそう」
「五十年に値切って悪かったな。さすがに不死のあんたと人間じゃ、ちょっとな」
「得意の擬死を披露して酒を飲むことができるのだ。我も良い買い物をさせてもらった」
「そうか」
「では我もそろそろ行くとしよう」
 そういってヒュドラはのそのそと荒野の奥へ方向転換を始めた。
「もう行くのか?」
「死した身である我が生きていると知れてはヌシらも困ろう。充分に酒も馳走になった。我はこれにて失礼するとしよう」
「ヒュドラ!」
 きびすを返そうとしていたヒュドラをエーラが呼び止めた。
 エーラはしばらく迷うように口ごもっていたが、やがて、
「協力してくれたこと、感謝する!」
 そう言ってわずかに頭を下げた。
「我もまた救われたことを感謝しよう。さらばだ。英雄の娘とそれを救った者よ」
 ヒュドラも感謝の言葉を述べると、荒野の地面を掘り進み、その奥へと消えていった。
 エーラはヒュドラが帰ったであろう荒野の地平を見つめていたが、
「さっ、あたしたちも町に戻るか」
 ニカッと歯を見せて笑い、勇男に手を差し伸べた。
「あ、ああ。もうそろそろ夕暮れになりそうだしな」
 エーラの笑顔に後ろめたさを感じながら、勇男は手を取って立ち上がった。
「あ~、ここ何日かはゴタゴタしてて風呂にも入れてなかったな。そうだイサオ。町に戻ったらまず風呂に行こう。今日日きょうびどこの町にも一つは風呂屋があるもんだからな」
「そ、そうだな。確かに風呂は入りたいな」
 荷物を片付けたエーラはウキウキとした足取りで歩いていくが、勇男はその背中を悲しい目で見ながら付いていった。
 勇男は気付いてしまった。自分が考えた作戦の、最大の失点を。
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