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竜の恩讐編

鬼と姫と女神と・・・ その8

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「えぇやあああ!」
 千春ちはるの気合とともに振りぬかれる祢々切丸ねねきりまる
 2メートルを超える刀身は、その切れ味と千春自身の膂力りょりょくによって、木々の障害物をものともしない。
 振りぬかれる面の範囲に入れば、大抵の者は切り落とされた枝や幹のごとく両断されるだろう。
 その剛剣による斬撃の数々を、アテナは切っ先一寸のところでかわしていた。
 一度でも刃長はわたりを目にすれば、知覚不可能な速さでない限りは、アテナは紙一重でけられる。
 回避にてっすれば、千春の斬撃をかわし続けるのは、アテナにとって難しいことではない。
 しかし、問題は攻めに移る時だった。
 アテナの槍の全長は約2メートル。はしを持ったとしても2メートル弱の距離リーチが限界であり、両手持ちとなればなお短くなる。
 対する千春の祢々切丸は刃長だけで2メートルを超え、つかも合わせれば3メートルを超える。
 間合いの差は非常に大きく、神盾アイギスを捨てて機動力を上げたとはいえ、千春の猛攻にアテナは迂闊うかつに攻め入れない。
 無理に攻めようと踏み込めば、千春も卓越した剣技の使い手。返し技を打たれるのは目に見えている。
 そして、それはアテナだけでなく、千春もまた既知の事実だった。
 だからこそぎ払いの攻撃を主体とし、アテナに攻め入るすきを与えずに追い込んでいく。
 効果範囲の広い薙ぎ払いの連続切り返しは、アテナが攻める間を与えない。
 仮に跳躍ちょうやくからの空中攻撃を仕掛しかけようものなら、渾身こんしんの切り上げで迎え撃つ。
 アテナが避けきれなくなるか、あるいはれて宙空に躍り出るか、千春はどちらかの瞬間を待ち構えていた。
(さぁ来い! 来い女神サマ! どっちに出たって真っ二つにしてあげるから!)
 戦いの女神を両断する瞬間に昂揚こうようしながら、千春は刀を返して右薙ぎに振るう。
 と、そこでアテナの姿が消えた。
 千春は笑みを浮かべると上方を見上げた。
 アテナは右薙ぎの攻撃を、宙空にんで回避していた。
(待ってた……待ってたああぁ!)
 千春は右薙ぎに振り抜く瞬間、刀をたくみに操り、斬撃を止めることなく切り上げに変化させた。
 驚くべき妙技で軌道を変えた刀身が、空中にいるアテナ目がけて襲いかかる。
 胴鎧どうがいまとっているとはいえ、千春の斬撃を直接受ければ、アテナでも無傷でむとは限らない。
「とぉあああ!」
 猛獣すら遁走とんそうするであろう気合を発しながら、千春の祢々切丸がアテナにせまる。
「たあああ!」
 だが、鋭く追撃してくるそのやいばを、アテナは左足で踏むようにり込んだ。
「うわっ!?」
「くっ!」
 祢々切丸の刃とアテナの脚甲きゃっこうが衝突し、反発で双方がはじかれる。
 千春はややるだけだったが、アテナは違っていた。
 アテナは祢々切丸の刀身を踏み台にし、空中で身体を回転させた。
 それによって生まれた遠心力を、にぎめた槍に全て乗せ、
「はあああ!」
 穂先の腹で千春の頭頂とうちょうしたたかに打ち据えた。
「ぐあっ!」
 アテナの膂力と空中回転によって生じた遠心力、そして槍の頑強がんきょうさが加算プラスされた強烈な打撃を叩き込まれ、千春はうめき声とともにひざをついた。
「はあ……はあ…」
 距離を取って槍を構え直したアテナは、息を整えながら様子をうかがう。
 一連の戦法は、アテナにとってもけに等しかった。
 千春の猛攻と祢々切丸の刃長は、槍一本で戦うアテナには相当な難関だった。
 それを千春も理解し、最終的に空中に誘い出そうとしていることも、アテナは読んでいた。
 他に攻め入る隙がないならば、あえてその誘いに乗り、アテナは祢々切丸を踏み台にした強力な打撃を見舞うことに成功した。
 しかし、足もろとも斬り飛ばされる可能性もまた大きかった。
 これまでの膨大ぼうだいな戦闘経験による見切りを最大限に使い、アテナは賭けに勝つことができたのだった。
「……く……くく……」
 膝立ちになっていた千春から、唐突に笑い声が聞こえてきた。
「はははは! あはははは!」
 千春は立ち上がると、天をあおいで高笑いを響かせる。
「面白い! 面白いことするねぇ! まさかそんなことするとは思わなかった!」
 笑いながら顔に流れた鮮血をそでぬぐう千春。
 そこにはアテナにしてやられた悔しさなど微塵みじんもなく、むしろ心底戦いをたのしんでいる凶悪な笑みがあった。
「反撃の方法もそうだけど、まさか外国の女神サマが日本の槍術を使うとはビックリしたわ。それも読書の賜物たまもの?」
「いかにも。ニホンの戦国時代は大変興味深い」
 甲冑かっちゅうを着込んだ相手に対して、単に正面から槍で突くのは思いのほか効果が薄い。
 ゆえに戦国時代において、槍は振り下ろして叩きつけ、打撃による損傷ダメージを狙う戦法が取られた。
「くくく、けど刃を立てなかったのは失敗だったね。そうしてたらかぶとなんて付けてないあたしは、頭を割られてお陀仏だぶつだったのに」
「私は、殺しを好みません」
「あれ? あなた戦いの女神サマって言わなかった?」
「私は守るために戦うのです。血と殺戮さつりくを求めて戦ってなどいません」
「ふ~ん……でも、その足じゃもう同じことはできないと思うけど?」
「っ!」
 千春の指摘に、アテナはわずかにまゆを動かした。
 言われるまでもなく、アテナ本人が充分に分かっていた。
 先程、祢々切丸の刃を蹴った際、アテナは左足をいためてしまっている。
 賭けに勝ったとはいえ、千春の斬撃を完全に制することはかなわなかった。
「守るために戦う、ねぇ。じゃ、あたしがあの小林結城おとこを見事に殺したら―――」
 千春は祢々切丸を肩にかつぐようにかまえた。
「看板ろしてあたしたちのところに来てもらおっかな」
「いいえ―――」
 アテナは再び槍を左前半身に構えた。
「私はユウキを、守ることができなかった。そして、そのせきは負っても、あなたたちに組するつもりはありません」
「結構。じゃあしいけど、ここでつぶれてもらうわ!」
あなどるな! 易々やすやすとこの道、明け渡しはしません!」
 二人は同時に地を蹴り、それぞれの得物えものを打ち放った。
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