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竜の恩讐編
蝕み その2
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「これは!?」
カメーリアに連れられて入った、金毛稲荷神宮の空き部屋。
そこは家具も調度品も何もなく、無理に付け加えるように置かれた小さな机の上に、カメーリアが用意してきた道具がずらりと並べられていた。
その中の一つ、顕微鏡の接眼レンズを覗いたアテナは、目にしたものに声を荒げた。
「それが今、小林くんの体に起こっていることですわ」
諦念に満ちた力のない声で、カメーリアはアテナの背中に言う。
「こんなことが!?」
「私も信じられませんでしたわ。けれど、同時に納得しました。小林くんの、あの状態に」
接眼レンズから眼を離したアテナは、カメーリアに向き直り、急ぐような歩調で近付いていった。
「カメーリア、嘘偽りなく答えなさい」
アテナはカメーリアの両肩を掴んだ。口調こそ震えも乱れもしていないが、その態度には明らかな焦燥が見え隠れしていた。
「あなたはユウキを治せるのですか?」
そう問い質してくるアテナの目を、カメーリアは目を逸らすことなく、静かに見返した。
どちらも何も言わず、雨音だけが室内を包み込む。
どのくらい時間が経ったか、やがてカメーリアは口を開いた。
拝殿の廊下を、媛寿は一歩一歩、静かな足取りで進んでいく。
まだ完全に立ち直れたわけではないが、その目には一つの迷いを振り切った、覚悟の光が宿っていた。
拝殿の中を歩きながら、媛寿は結城と話したことを思い出していた。
「媛……寿……」
「ゆうき!?」
意識を取り戻した結城を見て、媛寿は両目に大粒の涙を浮かべた。
「ゆうき! ゆうき! めぇさめた!? けがいたくない!? だいじょぶ!?」
媛寿は結城に飛びつきたい衝動を抑え、必死になって結城の状態を確認しようとした。
「か、かめーりあ! かめーりあつれてこないと――――――」
「媛寿、待って」
カメーリアを呼ぶべく客間を出ようとした媛寿を、結城は語気を強めて呼び止めた。
「ごほっ! がはっ!」
「ゆうき!?」
傷を負った身で声を荒げたせいか、結城は激しく咳きこみ、媛寿は慌てて傍に戻った。
「媛寿……聞かせて……ほしいんだ……」
「なに? ゆうき」
結城は呼吸が落ち着くのを待ってから、媛寿の目を真っ直ぐに見て聞いた。
「ピオニーアさんは……どうして亡くなったの? あの時……いったい何があったの?」
そう聞かれた媛寿の心は、その場から逃げ出したいほどに慄いていたが、その感情は不思議なくらいに顔に出なかった。
なので、努めて冷静に答えを返すことができた。
「………………いえない」
「………………そう」
媛寿の答えに、結城は抗議するでもなく、落胆するでもなく、それだけを口にした。
「媛寿、ラナンさんはピオニーアさんの――――――――――」
不意に結城が語りだした言葉を聞き、媛寿はこれまでと同等か、それ以上に動揺した。今度は顔に出ていた。
媛寿の様子を見て取った結城は、もう一度、別の問いを媛寿に投げかけた。
「媛寿、これだけは答えてほしい……」
「……」
媛寿はまだ動揺してまともに答えられないが、それでも結城は続ける。
「ピオニーアさんが亡くなったのは……僕のせいなの?」
その質問は大きな衝撃となって媛寿を襲い、三年前の記憶を強制的に思い起こさせた。
血まみれになって倒れる結城と、同じく血まみれになって倒れ、媛寿を見つめてくるピオニーア。
そして、息を引き取る前にピオニーアが口にした言葉と、その後の死に顔を。
媛寿は意識が押し潰されそうになりながらも、結城の問いに答えようと何とか踏みとどまった。
全てを答えることはできないとしても、結城が切実に知りたいと思っているならば、それも無碍にすることはできなかったからだ。
媛寿がいま答えられるだけのことを、媛寿は結城に対して示した。
首を縦に振ることで。
「……そう……なんだ……」
媛寿からの答えを得た結城は、嘆くでもなく、絶望するでもなく、ただ遠い目をして宙を眺めた。
媛寿は両目を固く閉じて顔を伏せ、両手の拳を強く握り締めていた。
結城に答えたことが、やはり結城を傷つけてしまったのではないかと焦燥が湧き立ち、両拳が震え始める。
結城が何も言わぬまま、媛寿も押し黙ったまま、どれくらいの時間が経ったか。不意に、
「媛寿」
結城の口が開き、媛寿を呼んだ。
「な、なに?」
そう言った媛寿は、結城の次の言葉を待った。
それが嘆きの言葉となるのか、非難の言葉となるのか、心臓が凍える思いだったが、結城は穏やかな口調で話し始めた。
「媛寿……僕は――――――――――」
結城の思いを聞き届けた媛寿は、拝殿の中にいるであろうある人物を探し、廊下を歩く。
どうしても、その人物の力を借りなければいけないからだ。
結城の望みを叶えるためには。
「小林くんはもう……助かる見込みはありませんわ」
廊下を行く媛寿の耳に、空き部屋から発せられたカメーリアの言葉が届く。
だが、媛寿は表情一つ変えることなく、雨音が満ちる廊下を進んでいった。
カメーリアに連れられて入った、金毛稲荷神宮の空き部屋。
そこは家具も調度品も何もなく、無理に付け加えるように置かれた小さな机の上に、カメーリアが用意してきた道具がずらりと並べられていた。
その中の一つ、顕微鏡の接眼レンズを覗いたアテナは、目にしたものに声を荒げた。
「それが今、小林くんの体に起こっていることですわ」
諦念に満ちた力のない声で、カメーリアはアテナの背中に言う。
「こんなことが!?」
「私も信じられませんでしたわ。けれど、同時に納得しました。小林くんの、あの状態に」
接眼レンズから眼を離したアテナは、カメーリアに向き直り、急ぐような歩調で近付いていった。
「カメーリア、嘘偽りなく答えなさい」
アテナはカメーリアの両肩を掴んだ。口調こそ震えも乱れもしていないが、その態度には明らかな焦燥が見え隠れしていた。
「あなたはユウキを治せるのですか?」
そう問い質してくるアテナの目を、カメーリアは目を逸らすことなく、静かに見返した。
どちらも何も言わず、雨音だけが室内を包み込む。
どのくらい時間が経ったか、やがてカメーリアは口を開いた。
拝殿の廊下を、媛寿は一歩一歩、静かな足取りで進んでいく。
まだ完全に立ち直れたわけではないが、その目には一つの迷いを振り切った、覚悟の光が宿っていた。
拝殿の中を歩きながら、媛寿は結城と話したことを思い出していた。
「媛……寿……」
「ゆうき!?」
意識を取り戻した結城を見て、媛寿は両目に大粒の涙を浮かべた。
「ゆうき! ゆうき! めぇさめた!? けがいたくない!? だいじょぶ!?」
媛寿は結城に飛びつきたい衝動を抑え、必死になって結城の状態を確認しようとした。
「か、かめーりあ! かめーりあつれてこないと――――――」
「媛寿、待って」
カメーリアを呼ぶべく客間を出ようとした媛寿を、結城は語気を強めて呼び止めた。
「ごほっ! がはっ!」
「ゆうき!?」
傷を負った身で声を荒げたせいか、結城は激しく咳きこみ、媛寿は慌てて傍に戻った。
「媛寿……聞かせて……ほしいんだ……」
「なに? ゆうき」
結城は呼吸が落ち着くのを待ってから、媛寿の目を真っ直ぐに見て聞いた。
「ピオニーアさんは……どうして亡くなったの? あの時……いったい何があったの?」
そう聞かれた媛寿の心は、その場から逃げ出したいほどに慄いていたが、その感情は不思議なくらいに顔に出なかった。
なので、努めて冷静に答えを返すことができた。
「………………いえない」
「………………そう」
媛寿の答えに、結城は抗議するでもなく、落胆するでもなく、それだけを口にした。
「媛寿、ラナンさんはピオニーアさんの――――――――――」
不意に結城が語りだした言葉を聞き、媛寿はこれまでと同等か、それ以上に動揺した。今度は顔に出ていた。
媛寿の様子を見て取った結城は、もう一度、別の問いを媛寿に投げかけた。
「媛寿、これだけは答えてほしい……」
「……」
媛寿はまだ動揺してまともに答えられないが、それでも結城は続ける。
「ピオニーアさんが亡くなったのは……僕のせいなの?」
その質問は大きな衝撃となって媛寿を襲い、三年前の記憶を強制的に思い起こさせた。
血まみれになって倒れる結城と、同じく血まみれになって倒れ、媛寿を見つめてくるピオニーア。
そして、息を引き取る前にピオニーアが口にした言葉と、その後の死に顔を。
媛寿は意識が押し潰されそうになりながらも、結城の問いに答えようと何とか踏みとどまった。
全てを答えることはできないとしても、結城が切実に知りたいと思っているならば、それも無碍にすることはできなかったからだ。
媛寿がいま答えられるだけのことを、媛寿は結城に対して示した。
首を縦に振ることで。
「……そう……なんだ……」
媛寿からの答えを得た結城は、嘆くでもなく、絶望するでもなく、ただ遠い目をして宙を眺めた。
媛寿は両目を固く閉じて顔を伏せ、両手の拳を強く握り締めていた。
結城に答えたことが、やはり結城を傷つけてしまったのではないかと焦燥が湧き立ち、両拳が震え始める。
結城が何も言わぬまま、媛寿も押し黙ったまま、どれくらいの時間が経ったか。不意に、
「媛寿」
結城の口が開き、媛寿を呼んだ。
「な、なに?」
そう言った媛寿は、結城の次の言葉を待った。
それが嘆きの言葉となるのか、非難の言葉となるのか、心臓が凍える思いだったが、結城は穏やかな口調で話し始めた。
「媛寿……僕は――――――――――」
結城の思いを聞き届けた媛寿は、拝殿の中にいるであろうある人物を探し、廊下を歩く。
どうしても、その人物の力を借りなければいけないからだ。
結城の望みを叶えるためには。
「小林くんはもう……助かる見込みはありませんわ」
廊下を行く媛寿の耳に、空き部屋から発せられたカメーリアの言葉が届く。
だが、媛寿は表情一つ変えることなく、雨音が満ちる廊下を進んでいった。
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