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竜の恩讐編
雷光
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結城が寝かされている客間に通されたアテナは、結城が眠る布団の横に正座し、静かに様子を見守っていた。
その背中を、障子を隔てた廊下から、キュウと建御雷神が無言で窺っていた。
アテナと建御雷神が金毛稲荷神宮の境内に現れた後、キュウは建御雷神から簡単に事情を説明された。
出雲大社で開かれている神々の一年の方策を決める本会議において、アテナが急に立ち上がり、谷崎町への帰還を願い出たというのだ。
神無月に出雲から神が帰るなど、滅多なことで起こることではなく、会議場全体が騒然となった。
かたやアテナの意思を尊重しようという勢力や、慣例を無視することを頑なに否定する勢力、さらには前代未聞の事態に恐慌を起こす神々で、会議場は一時、阿鼻叫喚になりかかった。
その状況を制したのは、会議場の一番高い位置に座る、最高神天照の、『静まりなさい!』の一喝だった。
その後、アテナと天照の二柱だけで少し会話があり、特例としてアテナの帰還が認められることとなった。
アテナを送る役目は建御雷神が任された。
建御雷神は雷が起こりうる場所であるならば、どこであっても文字通り雷光の速さでの移動が可能な力を持っていた。
古屋敷がある谷崎町では雷雲の気配はなかったが、『九尾の狐がいる社』までなら移動が適うと言われ、アテナはそこまでの移動を頼った。
到着した直後、金毛稲荷神宮に媛寿たちがいたことは予想外だったが、そのこともあってアテナは事情を早く知ることができた。
結城が依頼者に刺されたということを。
「……」
結城の傍らに座るアテナは、一言も発することはなかった。
怒るわけでもなく、涙を流すでもなく、いつもの凛とした表情と佇まいのまま、麻酔で眠る結城を見つめていた。
ただ、目に見えるだけなら変わらないようでも、常にアテナの中にある燃えるような闘気が、今は鳴りを潜めている。
そのことを、キュウと建御雷神は確かに感じ取っていた。
「アテナ殿、随分と気を落としておられるようだな」
「お分かりになりますか?」
「惚れた女子の気を察せぬようでは、男子として求愛するに値せぬ」
アテナの様子を見ていた建御雷神とキュウが、客間の中に聞こえない程度の声で話した。
「時に」
建御雷神は室内からキュウの方へ向きを変えた。
「其方が稲荷神の言っていた―――」
「建御雷神様におかせられましては、この度はお初にお目通りいたします。稲荷神様よりこの金毛稲荷神宮を任されております、白面金毛九尾の狐にございます」
建御雷神が指摘し終わる前に、キュウは深々と頭を下げて挨拶した。
「聞き及んでいる。面を上げよ。我は心にもない敬意を払われても喜ばん」
「……バレてしまいましたか」
顔を上げたキュウは、バツが悪そうな笑みを浮かべていたが、そこにいつもの軽さはなく、本当にバツが悪そうな雰囲気があった。
「其方は何者が相手であろうと、心根から恭順することも、従属することもない。そういう妖だ。わずかでも殊勝な心あらば、とうに神側に昇っているはずであろうからな」
「……」
少し辛辣さの混じる建御雷神の言葉を、キュウは作り笑顔で受け流している。
「しかしながら、そこは我が嘴を挟むところではない。それよりも……」
建御雷神はキュウから客間に向き直り、眠っている結城に対して目を細めた。
「あれがアテナ殿が肩入れしている男子か」
傷を負って床に伏す結城の後に、建御雷神は再びアテナの背を見た。
アテナが来日してから計三回会っている建御雷神だが、やはりこれほど気が落ちた姿を見たことはなかった。
出雲大社にいた時でさえ、その危機を察知したところから、アテナが結城に対して相当に入れ込んでいることが分かる、
(あの者にそれ程の価値あり、ということか……)
しばらく客間の中を見つめ、建御雷神は拝殿の廊下を歩き出した。
「どちらに?」
「出雲へ戻る。我はアテナ殿を送る任を受けただけである故な」
廊下を通って境内に向かっていく建御雷神を、キュウは少し睨むような目で見つめていた。
(結城さんを助けるつもりはない、ということですね)
拝殿の階段に座ったまま、媛寿は未だどこを見るでもなく、雨が降り続く暗い境内を眺めていた。
茫然自失、というわけではない。
意識は保っているが、媛寿の脳裏ではある光景がフラッシュバックし続け、それを自分で遠ざけることができなくなっていた。
雨の中、血溜まりに倒れる結城を見た時、三年前の記憶と寸分違わず重なってしまった。
決定打になってのは、結城が呟いていた名前だった。
それが媛寿の記憶を引きずり出してしまった。できることなら永遠に胸のうちに仕舞いこんでいたかった、三年前の出来事を。
「う……うぅ……」
媛寿は両手で頭を押さえた。
全てを話してしまうか、それともこのまま全てを秘匿してしまうか。
どちらも媛寿にとっては身を裂かれるより辛い選択だった。
そうして苦悩する媛寿の横を、雨音とは違う音が横切っていく。
媛寿が座っている階段を通り、境内へと降りていく誰かの足音。
それに気付いてはいても、媛寿にはそれが誰なのか、なぜ境内に降りていくのか、気にする余裕はなかった。
「惚れた男子が床に伏せっているならば、せめて傍らで快気を祈ってやるべきではないか? アテナ殿を見習って。なあ、小さき家神よ」
頭の中で思考が氾濫する中、その声だけは不思議と媛寿の耳を通って心にまで届いてきた。
「っ!」
媛寿が顔を上げた時には、そこには誰もおらず、ただ雨の降る夜の境内だけが広がっていた。
誰がいたのかは分からずじまいだったが、媛寿にはその言葉が、まるで一筋の雷のように意識を照らし、強い刺激を与えてきたようだった。
少しだけ思考が晴れた気になった媛寿は、境内の階段からすっと立ち上がった。
その背中を、障子を隔てた廊下から、キュウと建御雷神が無言で窺っていた。
アテナと建御雷神が金毛稲荷神宮の境内に現れた後、キュウは建御雷神から簡単に事情を説明された。
出雲大社で開かれている神々の一年の方策を決める本会議において、アテナが急に立ち上がり、谷崎町への帰還を願い出たというのだ。
神無月に出雲から神が帰るなど、滅多なことで起こることではなく、会議場全体が騒然となった。
かたやアテナの意思を尊重しようという勢力や、慣例を無視することを頑なに否定する勢力、さらには前代未聞の事態に恐慌を起こす神々で、会議場は一時、阿鼻叫喚になりかかった。
その状況を制したのは、会議場の一番高い位置に座る、最高神天照の、『静まりなさい!』の一喝だった。
その後、アテナと天照の二柱だけで少し会話があり、特例としてアテナの帰還が認められることとなった。
アテナを送る役目は建御雷神が任された。
建御雷神は雷が起こりうる場所であるならば、どこであっても文字通り雷光の速さでの移動が可能な力を持っていた。
古屋敷がある谷崎町では雷雲の気配はなかったが、『九尾の狐がいる社』までなら移動が適うと言われ、アテナはそこまでの移動を頼った。
到着した直後、金毛稲荷神宮に媛寿たちがいたことは予想外だったが、そのこともあってアテナは事情を早く知ることができた。
結城が依頼者に刺されたということを。
「……」
結城の傍らに座るアテナは、一言も発することはなかった。
怒るわけでもなく、涙を流すでもなく、いつもの凛とした表情と佇まいのまま、麻酔で眠る結城を見つめていた。
ただ、目に見えるだけなら変わらないようでも、常にアテナの中にある燃えるような闘気が、今は鳴りを潜めている。
そのことを、キュウと建御雷神は確かに感じ取っていた。
「アテナ殿、随分と気を落としておられるようだな」
「お分かりになりますか?」
「惚れた女子の気を察せぬようでは、男子として求愛するに値せぬ」
アテナの様子を見ていた建御雷神とキュウが、客間の中に聞こえない程度の声で話した。
「時に」
建御雷神は室内からキュウの方へ向きを変えた。
「其方が稲荷神の言っていた―――」
「建御雷神様におかせられましては、この度はお初にお目通りいたします。稲荷神様よりこの金毛稲荷神宮を任されております、白面金毛九尾の狐にございます」
建御雷神が指摘し終わる前に、キュウは深々と頭を下げて挨拶した。
「聞き及んでいる。面を上げよ。我は心にもない敬意を払われても喜ばん」
「……バレてしまいましたか」
顔を上げたキュウは、バツが悪そうな笑みを浮かべていたが、そこにいつもの軽さはなく、本当にバツが悪そうな雰囲気があった。
「其方は何者が相手であろうと、心根から恭順することも、従属することもない。そういう妖だ。わずかでも殊勝な心あらば、とうに神側に昇っているはずであろうからな」
「……」
少し辛辣さの混じる建御雷神の言葉を、キュウは作り笑顔で受け流している。
「しかしながら、そこは我が嘴を挟むところではない。それよりも……」
建御雷神はキュウから客間に向き直り、眠っている結城に対して目を細めた。
「あれがアテナ殿が肩入れしている男子か」
傷を負って床に伏す結城の後に、建御雷神は再びアテナの背を見た。
アテナが来日してから計三回会っている建御雷神だが、やはりこれほど気が落ちた姿を見たことはなかった。
出雲大社にいた時でさえ、その危機を察知したところから、アテナが結城に対して相当に入れ込んでいることが分かる、
(あの者にそれ程の価値あり、ということか……)
しばらく客間の中を見つめ、建御雷神は拝殿の廊下を歩き出した。
「どちらに?」
「出雲へ戻る。我はアテナ殿を送る任を受けただけである故な」
廊下を通って境内に向かっていく建御雷神を、キュウは少し睨むような目で見つめていた。
(結城さんを助けるつもりはない、ということですね)
拝殿の階段に座ったまま、媛寿は未だどこを見るでもなく、雨が降り続く暗い境内を眺めていた。
茫然自失、というわけではない。
意識は保っているが、媛寿の脳裏ではある光景がフラッシュバックし続け、それを自分で遠ざけることができなくなっていた。
雨の中、血溜まりに倒れる結城を見た時、三年前の記憶と寸分違わず重なってしまった。
決定打になってのは、結城が呟いていた名前だった。
それが媛寿の記憶を引きずり出してしまった。できることなら永遠に胸のうちに仕舞いこんでいたかった、三年前の出来事を。
「う……うぅ……」
媛寿は両手で頭を押さえた。
全てを話してしまうか、それともこのまま全てを秘匿してしまうか。
どちらも媛寿にとっては身を裂かれるより辛い選択だった。
そうして苦悩する媛寿の横を、雨音とは違う音が横切っていく。
媛寿が座っている階段を通り、境内へと降りていく誰かの足音。
それに気付いてはいても、媛寿にはそれが誰なのか、なぜ境内に降りていくのか、気にする余裕はなかった。
「惚れた男子が床に伏せっているならば、せめて傍らで快気を祈ってやるべきではないか? アテナ殿を見習って。なあ、小さき家神よ」
頭の中で思考が氾濫する中、その声だけは不思議と媛寿の耳を通って心にまで届いてきた。
「っ!」
媛寿が顔を上げた時には、そこには誰もおらず、ただ雨の降る夜の境内だけが広がっていた。
誰がいたのかは分からずじまいだったが、媛寿にはその言葉が、まるで一筋の雷のように意識を照らし、強い刺激を与えてきたようだった。
少しだけ思考が晴れた気になった媛寿は、境内の階段からすっと立ち上がった。
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