上 下
321 / 404
竜の恩讐編

頼るもの その2

しおりを挟む
 結城ゆうき金毛稲荷神宮こんもういなりじんぐうの客間に運び込まれ、かれた布団の上に仰向けに寝かされていた。
 肌蹴はだけられた胸元、ラナン・キュラスに刺された傷に、キュウが神妙な面持ちで右掌をかざしていた。
 手は淡い光を発し、その下にある結城の傷は、わずかではあるがふさがっていっている。
(もう少し……もう少し……)
 マスクマン、シロガネ、千夏ちなつ、そして抜けがらのようになった媛寿えんじゅが見守る中、結城の治療は続けられる。
 しかし、キュウの妖力は本来、傷を開いたり悪化させたりすることが得意な反面、治癒させるという方面には向いていない。
 以前、カメーリアが作った回復薬は、真逆の性質にあるキュウの妖力を、カメーリアの持つ魔法技術で完全反転させることでかなった代物だった。
 ゆえに、キュウは直接妖力を使っての回復よりも、結城自身の治癒力を高める間接的な処置を行っていた。
 人間の認識を偏向する妖力、端的に言えば、『人をかす力』を全開にし、結城の細胞に干渉して肉体の自己治癒力を高水準に引き上げる。
 言うなれば、細胞を勘違いさせて治癒力を高める、強力な思い込みプラシーボ効果を与えていた。
 その甲斐かいあって、結城の傷は表皮、筋肉、内臓、血管、神経に至るまで、同時並行で元の状態へ戻ろうとしていた。
(出血自体はそれほど多くない……いえ、むしろ少なすぎる!? わざと急所にならないところを狙った!?)
 治療しながら、キュウは傷の違和感に気付き始めていた。
 胸を刺すという凶行に及んでいながら、相手は結城が致命傷を負わないよう、的確に急所を避けていた。
 そもそも本当に命を奪うつもりで一突きにしたならば、金毛稲荷神宮ここに運ばれてきて、治療が間に合うことがそもそもおかしいのだ。
 まだ媛寿たちから事情は聞けていない―――媛寿自身は話ができる状態ではない―――が、キュウは結城たちが、いや、結城が恐ろしいものに狙われていることを予見していた。
 そして、こういう場合、からんでくるものの正体も、キュウはそれとなく感じていた。
 人外の存在など及びもつかないほど厄介で禍々まがまがしい、人間の心の裏側に潜む負の感情だと。

「雨がみませんわね」
 『喫茶・砂の魔女』の店内から窓の外を見つめ、店主カメーリアはぽつりとつぶやいた。
 天気予報ではこれだけの雨が降るとは言われておらず、予報計―――カメーリアが百年ほど前に作った五割の確率で天気を当てる魔法具―――でも降るとは出ていなかった。
 その日は喫茶店への客も多くなく、裏稼業のアポイントも特に入っていないので、
(この雨では客足も遠のきそうですし、早めにお店を閉めてしまいましょうか)
 カメーリアは退屈さからそんなことを考える始末だった。
「カメーリアさん、洗濯物の片付け終わった」
 雨音以外は何も聞こえない店内に、店の奥から出てきたクロランがそうしらせてきた。
「ご苦労様です、クロラン。けれど雨が降ったとはいえ、そんなに慌てなくとも、わたくしも手伝いましたのに」
 カメーリアの申し出に、クロランは一瞬肩を強張こわばらせた。
「ク、クロランお洗濯するのも片付けするのも好きだし! カ、カメーリアさんのトコでお世話になってるし! これぐらい当然!」
「そうですか? 大丈夫ですか?」
「だいじょーぶ! あっ、そうだ! 切れてたブルーマウンテンの袋持ってこよ~!」
 早めに話題を切り上げて、クロランは店の奥の商品倉庫に小走りで向かっていった。
 クロランが引っ込んでいった通路を、カメーリアはカウンターに頬杖をついてぼんやりと見つめる。
 カメーリアは知っていた。
 クロランが最近、率先して洗濯物をしているのは、自室のベッドシーツをまぎれ込ませて洗っていることを。そして最近は、以前にも増して夜遅くまで、結城ゆうき媛寿えんじゅの名前を呼びながらのあえぎ声が聞こえていることを。
 獣人兵器としての呪縛をくために使用した、カメーリア謹製の媚薬が抜け切るまでは、結城たちの元へ帰すのはある意味で危険と考えていたカメーリアだが、
(もう媚薬びやくの効果は抜けてきてもよいはずなのですが……獣人では効果の持続時間が違っていたのでしょうか)
 クロランの様子を見ていると、それはまだまだ先の話になりそうだった。
 備品を確認したら、いよいよ早めの店閉まいをしようかと立ち上がったカメーリアの耳に、黒電話のけたたましいベルが届いた。
 電源さえつないでおけば電話線を必要としない―――逆に言えばそれ以上は何もない魔法具―――黒電話の受話器を取り、カメーリアは顔の横に持っていった。
「お待たせしました。『喫茶・砂の魔女』ですわ」
『カメーリア、すぐにこちらに来れますか?』
 受話器からすぐに聞こえてきたのは、日本に来てから旧知の仲である大妖狐、キュウの声だった。
「キュウ? いかがしました?」
 カメーリアとキュウはそれなりにやり取りする間柄ではあったが、普通に電話で連絡を入れてくるのは非常に珍しく、カメーリアは少し違和感を感じた。いつもはもっとった演出をしてくるはずだった。
「単刀直入に伝えます。結城さんが――――――」
 受話器の向こうのキュウから伝えられたことに対し、カメーリアはしばらく返事をすることができなかった。
「……何かの冗談ですの?」
「こちらも逼迫ひっぱくしています。そんな余裕はありません」
 よく聞けば、キュウはいつもの間延びした口調をしていない。カメーリアはそれでキュウが、もとい結城が本当に緊迫した状況にあるとわかったが、
「そうだとしても、ただの傷であるならあなただけでも事足ことたりるのでは?」
「ただの傷ではありませんでした。ですからあなたにてもらいたいんです」
 キュウの妖力が治癒に向かないとしても、多少の傷病なら問題ないことを、カメーリアも知っている。
 そのキュウがこうして頼ってきたというなら、大妖狐をおしても手に負えない何かがあったということだ。
「分かりましたわ。すぐに……」
「? どうしました?」
「いえ、すぐに向かいますわ」
 あまり時間がない中、受話器を置いたカメーリアは悩むように眉根まゆねを寄せた。
「カメーリアさん、ブルーマウンテンの袋持って来たよ」
 ちょうどその時、コーヒー豆の袋を抱えたクロランが戻ってきた。
 クロランの声を聞き、カメーリアの表情はわずかに険しくなった。
 今しがたキュウから伝え聞いたことを、クロランに話してしまうべきか。
 カメーリアはその決断を迫られていた。
「カメーリアさん? どうしたの?」
 沈黙しているカメーリアの顔を、クロランが横からのぞき込んでくる。
 その無垢むくな獣人の少女が視界に入ると、カメーリアはさらに胸をめ付けられた気がした。
 結城が何者かに刺された事実を、クロランに伝えてしまってよいものか。
 あるいは伝えなかった場合、後でどうなってしまうのか。
 一刻を争う状況において、思考を巡らせたカメーリアは、少し震える唇を開いた。
「クロラン、実は――――――」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

幼馴染の彼女と妹が寝取られて、死刑になる話

島風
ファンタジー
幼馴染が俺を裏切った。そして、妹も......固い絆で結ばれていた筈の俺はほんの僅かの間に邪魔な存在になったらしい。だから、奴隷として売られた。幸い、命があったが、彼女達と俺では身分が違うらしい。 俺は二人を忘れて生きる事にした。そして細々と新しい生活を始める。だが、二人を寝とった勇者エリアスと裏切り者の幼馴染と妹は俺の前に再び現れた。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない

一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。 クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。 さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。 両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。 ……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。 それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。 皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。 ※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

『王家の面汚し』と呼ばれ帝国へ売られた王女ですが、普通に歓迎されました……

Ryo-k
ファンタジー
王宮で開かれた側妃主催のパーティーで婚約破棄を告げられたのは、アシュリー・クローネ第一王女。 優秀と言われているラビニア・クローネ第二王女と常に比較され続け、彼女は貴族たちからは『王家の面汚し』と呼ばれ疎まれていた。 そんな彼女は、帝国との交易の条件として、帝国に送られることになる。 しかしこの時は誰も予想していなかった。 この出来事が、王国の滅亡へのカウントダウンの始まりであることを…… アシュリーが帝国で、秘められていた才能を開花するのを…… ※この作品は「小説家になろう」でも掲載しています。

処理中です...