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竜の恩讐編
追憶の追跡
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「くんくん……くんくん……」
街の歩道の上を、身を伏せたクロランが鼻を小さく鳴らしている。
「むっ! こっち、媛寿」
そして何かに気付いたと思えば、即座に立ち上がって走りだした。
その後を媛寿も追って走っていく。
古屋敷がある山の麓まで戻ってきた媛寿とクロランは、そこから結城がどの方向に行ったのか、においを辿って追跡していた。
フェンリル狼とカメーリアの媚薬が作用したせいか、クロランは獣人が本来持っていた身体能力と超感覚を取り戻しつつあった。
ただクロラン自身が元々おとなしい性格であるため――結城と媛寿が絡まなければだが――蘇った能力を暴走させることも悪用することもなく、ごく普通に日常生活を送っていた。
今回、媛寿からの頼みで結城の足取りを追うために、その超人的な嗅覚をもって結城のにおいを探索しているのである。
端から見れば、ウェイトレス姿の少女が四つん這いになって地面のにおいを嗅ぎ、その後を着物姿の少女が追っているという何とも異様な光景が誕生してしまうところだが、そこは媛寿が座敷童子の力でカバーしている。
なので、媛寿とクロランの姿は周りの人間には気に留められず、二人は天下の往来を堂々と、結城のにおいを追えるということだ。
(ゆうき、どこいってるんだろ。えんじゅにもないしょにして……)
クロランとともに結城を追跡する一方で、媛寿は行き先と目的について案じていた。
結城は媛寿をはじめとした神霊たちに、ほとんど隠し事――ちょっとオトナな本やDVDは除く――をすることはない。
大抵は媛寿やアテナと行動をともにしているので、何も隠す必要がなく、今回のように媛寿にすら行き先を告げずに出かけるのは非常に珍しいケースだった。
結城が時期的にナイーブになっているのは媛寿も承知しているが、それでも黙って外出することはほとんどなかった。
それほどのレアケースなだけに、媛寿はなおのこと不安になってしまっていた。
「くんくん……今度はこっち――――媛寿、大丈夫?」
「うん?」
「媛寿、さっきから何だか元気ない。クロラン、心配」
「だいじょうぶ」
「ホントに?」
「えんじゅはだいじょうぶ。でもひょっとしたら、ゆうきのほうがげんきないかもしれない。えんじゅはそっちがしんぱい……」
「うぅ……」
媛寿の言葉を聞いて、クロランも少し表情が曇ってしまった。
クロランを不安がらせてしまったと思ったのか、媛寿はクロランの頭にそっと手を置くと、ゆっくりと撫で擦った。
「ごめんね、くろらん。えんじゅがわがままいっちゃって……」
「ううん。クロラン、結城と媛寿に助けてもらった。だからクロラン、結城と媛寿が大好き」
媛寿に撫でてもらえたのが嬉しかったらしく、クロランの顔からは不安が消え、穏やかなものへと変わった。
クロランの頭を撫でつつ、媛寿は周りの景色をちらりと窺った。
古屋敷の麓から始まり、電車の駅、そこから鈍行で数駅、下車から徒歩でここまで来たが、行き着いたのは見覚えのある街だった。
ここまで来れば、媛寿にも結城がどこへ向かったか何となく察しがつくが、献花した日以外で結城が『その場所』に行くことは、三年の間で一度もなかったはずだった。ましてや通っているのも考えられない。
結城はもちろんのこと、媛寿にとっても忘れるには難しく、思い出すと辛くなる場所が、その近くにあるのだ。
そう思っていた時、媛寿とクロランの横を緩やかな風が吹きぬけた。
「っ!」
その風に何かを感じ取ったのか、クロランは気持ち良さそうに細めていた目をかっと見開いた。
「結城のにおい。こっち!」
「くろらん!?」
クロランは風が吹いてきた方向へとダッシュした。媛寿もその後を追って駆け出す。
角を曲がり、路地を抜け、壁を飛び越え、茂みに分け入り、ようやくクロランが止まったところで、媛寿もゆっくりとクロランが見つめる先を見た。
隠れている茂みの隙間から見えたのは、
「っ!?」
一瞬、媛寿は目を疑った。
映ったのは三年前の光景。三人でベンチに座っていた時の記憶だった。
慌てて目を擦り、もう一度見直してみる。
ベンチに座っているのは二人。一人は探していた結城で、もう一人には見覚えがなかった。
入院着を着て女性であるのは同じでも、
(ちがう。かみのけはくろくなかった……)
媛寿の記憶にあるその人物とは、髪の色が違っていた。
「結城見つけた。でも隣にいるの誰? 媛寿」
「えんじゅもしらない。だれだろ」
結城の隣に座っている女性を凝視するが、媛寿の記憶にない人物だった。
もっとも、無造作に伸ばされた長い黒髪のせいで、顔がほとんど確認できないのだが。
「なにはなしてるんだろ。くろらん、きこえる?」
「ん~、ちょっと待って」
クロランは頭に付けていたフリルのカチューシャを取り、獣人特有の獣耳を立てた。獣耳に意識を集中し、少し離れた位置の結城たちの会話を拾おうとする。
「『じゃあ退院する日に家までボディガードするってことで』、『ええ、まだ一人で帰るのは恐くて』、『分かりました。それで退院する日はいつですか?』」
聴覚から得た会話の内容を、クロランは小声で読み上げる。
しかし、内容を聞く限りではボディガードの依頼を受けていて、その確認をしているらしく、特に男女の会話らしい会話はない。
(なんだ。ただのいらいか)
媛寿は拍子抜けして軽く溜め息を吐いた。偶然出会った相手から、流れで頼まれ事をされて引き受けてしまうのは、結城によくあることだったので今回もその類だったのだと悟ったからだ。
「くろらん、もういいよ」
「いいの?」
「うん。かえろ」
クロランの肩を叩き、媛寿は盗聴を中断させる。蓋を開けてみれば、不安がっていたことは何でもないことだったので、急に情けない気持ちになってしまった。
(ゆうきがえんじゅにもないしょでなにかするって、あるわけなかった)
安心したといえば安心したが、結城を疑った上に追跡までした後ろめたさが募る媛寿。
浮かない顔をして壁の上に飛び乗ると、媛寿は少しだけ後ろを振り返った。
「媛寿、どしたの?」
「なんでもない」
顔を覗きこんできたクロランを振り切るように、媛寿は壁の上から跳び、路地に着地した。
クロランが着地してくるのを待ってから、表通りへとぼとぼ歩き出す。
(ごめんね、ゆうき、―――)
小さな歩幅で歩いていく中、媛寿は結城と、今は亡きある人物に対して謝罪した。
街の歩道の上を、身を伏せたクロランが鼻を小さく鳴らしている。
「むっ! こっち、媛寿」
そして何かに気付いたと思えば、即座に立ち上がって走りだした。
その後を媛寿も追って走っていく。
古屋敷がある山の麓まで戻ってきた媛寿とクロランは、そこから結城がどの方向に行ったのか、においを辿って追跡していた。
フェンリル狼とカメーリアの媚薬が作用したせいか、クロランは獣人が本来持っていた身体能力と超感覚を取り戻しつつあった。
ただクロラン自身が元々おとなしい性格であるため――結城と媛寿が絡まなければだが――蘇った能力を暴走させることも悪用することもなく、ごく普通に日常生活を送っていた。
今回、媛寿からの頼みで結城の足取りを追うために、その超人的な嗅覚をもって結城のにおいを探索しているのである。
端から見れば、ウェイトレス姿の少女が四つん這いになって地面のにおいを嗅ぎ、その後を着物姿の少女が追っているという何とも異様な光景が誕生してしまうところだが、そこは媛寿が座敷童子の力でカバーしている。
なので、媛寿とクロランの姿は周りの人間には気に留められず、二人は天下の往来を堂々と、結城のにおいを追えるということだ。
(ゆうき、どこいってるんだろ。えんじゅにもないしょにして……)
クロランとともに結城を追跡する一方で、媛寿は行き先と目的について案じていた。
結城は媛寿をはじめとした神霊たちに、ほとんど隠し事――ちょっとオトナな本やDVDは除く――をすることはない。
大抵は媛寿やアテナと行動をともにしているので、何も隠す必要がなく、今回のように媛寿にすら行き先を告げずに出かけるのは非常に珍しいケースだった。
結城が時期的にナイーブになっているのは媛寿も承知しているが、それでも黙って外出することはほとんどなかった。
それほどのレアケースなだけに、媛寿はなおのこと不安になってしまっていた。
「くんくん……今度はこっち――――媛寿、大丈夫?」
「うん?」
「媛寿、さっきから何だか元気ない。クロラン、心配」
「だいじょうぶ」
「ホントに?」
「えんじゅはだいじょうぶ。でもひょっとしたら、ゆうきのほうがげんきないかもしれない。えんじゅはそっちがしんぱい……」
「うぅ……」
媛寿の言葉を聞いて、クロランも少し表情が曇ってしまった。
クロランを不安がらせてしまったと思ったのか、媛寿はクロランの頭にそっと手を置くと、ゆっくりと撫で擦った。
「ごめんね、くろらん。えんじゅがわがままいっちゃって……」
「ううん。クロラン、結城と媛寿に助けてもらった。だからクロラン、結城と媛寿が大好き」
媛寿に撫でてもらえたのが嬉しかったらしく、クロランの顔からは不安が消え、穏やかなものへと変わった。
クロランの頭を撫でつつ、媛寿は周りの景色をちらりと窺った。
古屋敷の麓から始まり、電車の駅、そこから鈍行で数駅、下車から徒歩でここまで来たが、行き着いたのは見覚えのある街だった。
ここまで来れば、媛寿にも結城がどこへ向かったか何となく察しがつくが、献花した日以外で結城が『その場所』に行くことは、三年の間で一度もなかったはずだった。ましてや通っているのも考えられない。
結城はもちろんのこと、媛寿にとっても忘れるには難しく、思い出すと辛くなる場所が、その近くにあるのだ。
そう思っていた時、媛寿とクロランの横を緩やかな風が吹きぬけた。
「っ!」
その風に何かを感じ取ったのか、クロランは気持ち良さそうに細めていた目をかっと見開いた。
「結城のにおい。こっち!」
「くろらん!?」
クロランは風が吹いてきた方向へとダッシュした。媛寿もその後を追って駆け出す。
角を曲がり、路地を抜け、壁を飛び越え、茂みに分け入り、ようやくクロランが止まったところで、媛寿もゆっくりとクロランが見つめる先を見た。
隠れている茂みの隙間から見えたのは、
「っ!?」
一瞬、媛寿は目を疑った。
映ったのは三年前の光景。三人でベンチに座っていた時の記憶だった。
慌てて目を擦り、もう一度見直してみる。
ベンチに座っているのは二人。一人は探していた結城で、もう一人には見覚えがなかった。
入院着を着て女性であるのは同じでも、
(ちがう。かみのけはくろくなかった……)
媛寿の記憶にあるその人物とは、髪の色が違っていた。
「結城見つけた。でも隣にいるの誰? 媛寿」
「えんじゅもしらない。だれだろ」
結城の隣に座っている女性を凝視するが、媛寿の記憶にない人物だった。
もっとも、無造作に伸ばされた長い黒髪のせいで、顔がほとんど確認できないのだが。
「なにはなしてるんだろ。くろらん、きこえる?」
「ん~、ちょっと待って」
クロランは頭に付けていたフリルのカチューシャを取り、獣人特有の獣耳を立てた。獣耳に意識を集中し、少し離れた位置の結城たちの会話を拾おうとする。
「『じゃあ退院する日に家までボディガードするってことで』、『ええ、まだ一人で帰るのは恐くて』、『分かりました。それで退院する日はいつですか?』」
聴覚から得た会話の内容を、クロランは小声で読み上げる。
しかし、内容を聞く限りではボディガードの依頼を受けていて、その確認をしているらしく、特に男女の会話らしい会話はない。
(なんだ。ただのいらいか)
媛寿は拍子抜けして軽く溜め息を吐いた。偶然出会った相手から、流れで頼まれ事をされて引き受けてしまうのは、結城によくあることだったので今回もその類だったのだと悟ったからだ。
「くろらん、もういいよ」
「いいの?」
「うん。かえろ」
クロランの肩を叩き、媛寿は盗聴を中断させる。蓋を開けてみれば、不安がっていたことは何でもないことだったので、急に情けない気持ちになってしまった。
(ゆうきがえんじゅにもないしょでなにかするって、あるわけなかった)
安心したといえば安心したが、結城を疑った上に追跡までした後ろめたさが募る媛寿。
浮かない顔をして壁の上に飛び乗ると、媛寿は少しだけ後ろを振り返った。
「媛寿、どしたの?」
「なんでもない」
顔を覗きこんできたクロランを振り切るように、媛寿は壁の上から跳び、路地に着地した。
クロランが着地してくるのを待ってから、表通りへとぼとぼ歩き出す。
(ごめんね、ゆうき、―――)
小さな歩幅で歩いていく中、媛寿は結城と、今は亡きある人物に対して謝罪した。
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