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豪宴客船編
梟雄
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「ぐああああ――――――はあ……はあ……」
巨大な媛寿の口に入れられようとした瞬間、覚獲は精神世界から引き戻された。
現実世界では一秒も経過していない。だが、覚獲の意識には被捕食者となった時の、生物の根源的な恐怖がありありと刻みつけられていた。
「はあ……はあ……な、何で……」
覚獲は妖力を解く前に、媛寿に捕獲され、危うく捕食の憂き目に遭うところだった。それがなぜ、寸前で現実世界に帰還できたのか、理由が思い当たらなかった。
「はっ」
覚獲が距離を取ったことで、結城もまた意識が戻った。
「? いま……何が起こって―――」
結城の前には、脂汗をかき、息せき切っている覚獲。そして、その足元には、
「っ!? 媛寿!?」
座り込んでいた結城のすぐ脇に、媛寿が力なく倒れていた。その体には、先端に小さな錘が付いた鎖が巻きついている。
「媛寿! 一体どうし―――」
「君も少し眠っているといい」
「!?」
声が聞こえた方へ向き直る前に、結城はこめかみに受けた強力な回し蹴りで意識を失った。
「オ、オ、オスタケリオン様……」
まだ恐怖が抜けきっていない覚獲の元に、その男は歩み寄ってきた。
首元まで伸ばされた黒髪は、時折紫色の光を照り返し、屈強だが絞り込まれた肉体は、クラヴァットをなびかせた上質なスーツで固めている。そして何より目を引くのは、右手にのみはめられた黒い籠手と、爬虫類を思わせる瞳孔。
その眼で見据えられただけで、覚獲は媛寿に味わわされた恐怖も、別の恐ろしさに塗り替えられていた。
「随分派手にやったようだな」
オスタケリオンは周囲を見回して何気なく呟いたが、それは覚獲にとって心臓を鷲掴みにされる一言だった。
散乱し焼け焦げた書類。粉々に割れたいくつもの水槽。破損した数々の薬瓶。
媛寿が階下から放った一撃によって、研究室は大半が破壊され、見る影もなくなっていた。
「あ……こ……これは……」
覚獲は言い訳しようとするも、緊張で口がうまく動かなかった。
格闘大会で審判を務めていた野摩は、勝手にプログラムを変更しただけで、屍狂魚の餌になることが決まったと覚獲も聞いていた。
オスタケリオンがそれだけ冷酷な決断をする男だと知っていれば、船内の警戒どころか研究室の破壊を許した暁には、どんな処罰が下るか想像に難くない。
野摩ともども屍狂魚の餌になるのかと震えていた覚獲だったが、
「まぁ、よかろう」
オスタケリオンはその一言だけで済ませた。
「は? え?」
どんな恐ろしい罰が待っているかと思っていたところ、お咎めなしとなって拍子抜けしている覚獲をよそに、オスタケリオンは破壊された研究室を冷静に見回していた。
(下階の旧世代兵器の保管庫から対戦車兵器を撃ちこんだか。そろそろレストアした兵器を売るのも潮時ではあるな。研究データや各種サンプルにしてもすでに送ってある。クイーン・アグリッピーナ号 を失ったとて、それほど痛みはせんな)
「覚獲」
「は、はい!」
「研究室ことを不問にする代わりに、一仕事してもらうぞ」
「は、はい! 何なりと!」
覚獲は土下座に近くなるほど深々と頭を下げた。相手の精神に干渉する『覚』の妖力をもってすら、オスタケリオンの心は読めない。それどころか、巨大な獣の骨が垣間見える覚獲は、底知れない実力にひれ伏すしかなかった。
(さて、最後の実験にご協力願おうか)
床に倒れたままの結城と媛寿を見つめ、オスタケリオンは薄笑いを浮かべた。
「ぐ……」
「ぎ……」
瓦礫の山と化した超級異種格闘大会の会場、もといセントラルパークの中心で、アテナと楠二郎は互いの頬に拳を当てたクロスカウンターの状態にあった。
「く―――ああ!」
先に動いたのはアテナだった。交差した腕をより強く固め、楠二郎の体を引き倒した。
「がっ!」
投げ技に近い引き倒しを受け、背を地面に打ちつけられる楠二郎。
仰向けになった楠二郎の上に、すかさず馬乗りになるアテナ。
「っ――――――」
アテナは一瞬、小さく息を吸い込むと、
「はあああ!」
固く握った両拳を楠二郎の顔面へ嵐のように振り下ろし続けた。
「はあああ!」
間断なく降り注ぐマウントパンチが、楠二郎の頭蓋だけでなく、地面を震わせ、亀裂を生じさせていく。
もはやセントラルパークには他に誰もいない。気絶から目を覚ました観客たちは、パークの出口や窓ガラスの割れた部屋など、とにかく脱出口を求めて退避してしまった。
今頃船内はアテナたちの戦いに慄いた乗客たちでパニックになっていることだろう。
会場に残ったのは、戦いを継続しているアテナと楠二郎、そして座り込んだまま失神している野摩の三人のみだった。
むしろ、アテナにとっては好都合である。
楠二郎という強敵を倒すには、もはや周りの環境に配慮している余裕などない。セントラルパークもろともに破壊するつもりで臨まねば、眼前の戦鬼を沈めるに至らない。
「はああああ!」
誰も観る者のいない闘技場の中心で、アテナは拳打の嵐を吹き荒れさせた。
「はあっ!」
一際大きい打ち下ろしの拳撃を見舞い、アテナは拳を止めた。セントラルパークの地面は、アテナの拳によって端々に亀裂が走っている。
「はあ……はあ……」
さすがのアテナも、乱打の連撃に少し息を切らせる。その連撃に曝されていた楠二郎の顔は、原型が残らないほどに潰れきっていた。
普通なら試合の継続どころか、命の有無が危ぶまれるところだ。が、
「っ!?」
楠二郎の右手が不意に動き、アテナの左手首をがっしりと掴んだ。
「こういう体勢は交合の時にお願いしたいもんだぜ」
アテナの手首を抑える楠二郎は、何事もなかったように軽口を開く。
「しゃっ!」
「くっ!」
楠二郎は仰向けの状態から掌打を放つ。動きを封じられているアテナは、右手で掌打を受ける。
だが、楠二郎はそのタイミングを狙って右腕を引いた。
「あっ!」
右腕の引く力と左腕の突き上げる力が重なり、アテナは完全に体勢を崩された。
そのままアテナと楠二郎の位置は入れ替わり、今度はアテナが組み伏せられる側になってしまった。その時には、もう楠二郎の顔は元に戻っていた。
「あんたも甘いよな。本気で殺そうと思ってたら、今ので俺はくたばってたろうに」
「殺しは好みません。私自身も、そしてユウキのためにも」
アテナの言葉に、楠二郎は明らかに不機嫌な表情を取った。
「……そのユウキってのは、あんたの男か?」
「違います」
楠二郎からの質問を即答で否定するアテナだったが、楠二郎は依然として不機嫌なままだった。
「気に入らねぇな。ここで他の男の名前出されるってのは」
アテナの両腕を抑えたまま、楠二郎はアテナの眼前に顔を近づけた。
「これだけ追い込まれたんだ。もう負けを認めてもいいんじゃねぇのか? 俺もこれ以上お預け食らうのは御免なんだよ」
アテナの腕を掴む手に強く力が込められる。しかし、アテナは眉一つ動かすことなく、楠二郎を見据え返す。
「お断りします。それに、言ったはずですよ。バラキモト・クスジロウ」
アテナは両拳を握り、楠二郎を上回る力を腕に込めた。
「私を完膚なきまでに倒すことが、私を伴侶とする条件だと!」
巨大な媛寿の口に入れられようとした瞬間、覚獲は精神世界から引き戻された。
現実世界では一秒も経過していない。だが、覚獲の意識には被捕食者となった時の、生物の根源的な恐怖がありありと刻みつけられていた。
「はあ……はあ……な、何で……」
覚獲は妖力を解く前に、媛寿に捕獲され、危うく捕食の憂き目に遭うところだった。それがなぜ、寸前で現実世界に帰還できたのか、理由が思い当たらなかった。
「はっ」
覚獲が距離を取ったことで、結城もまた意識が戻った。
「? いま……何が起こって―――」
結城の前には、脂汗をかき、息せき切っている覚獲。そして、その足元には、
「っ!? 媛寿!?」
座り込んでいた結城のすぐ脇に、媛寿が力なく倒れていた。その体には、先端に小さな錘が付いた鎖が巻きついている。
「媛寿! 一体どうし―――」
「君も少し眠っているといい」
「!?」
声が聞こえた方へ向き直る前に、結城はこめかみに受けた強力な回し蹴りで意識を失った。
「オ、オ、オスタケリオン様……」
まだ恐怖が抜けきっていない覚獲の元に、その男は歩み寄ってきた。
首元まで伸ばされた黒髪は、時折紫色の光を照り返し、屈強だが絞り込まれた肉体は、クラヴァットをなびかせた上質なスーツで固めている。そして何より目を引くのは、右手にのみはめられた黒い籠手と、爬虫類を思わせる瞳孔。
その眼で見据えられただけで、覚獲は媛寿に味わわされた恐怖も、別の恐ろしさに塗り替えられていた。
「随分派手にやったようだな」
オスタケリオンは周囲を見回して何気なく呟いたが、それは覚獲にとって心臓を鷲掴みにされる一言だった。
散乱し焼け焦げた書類。粉々に割れたいくつもの水槽。破損した数々の薬瓶。
媛寿が階下から放った一撃によって、研究室は大半が破壊され、見る影もなくなっていた。
「あ……こ……これは……」
覚獲は言い訳しようとするも、緊張で口がうまく動かなかった。
格闘大会で審判を務めていた野摩は、勝手にプログラムを変更しただけで、屍狂魚の餌になることが決まったと覚獲も聞いていた。
オスタケリオンがそれだけ冷酷な決断をする男だと知っていれば、船内の警戒どころか研究室の破壊を許した暁には、どんな処罰が下るか想像に難くない。
野摩ともども屍狂魚の餌になるのかと震えていた覚獲だったが、
「まぁ、よかろう」
オスタケリオンはその一言だけで済ませた。
「は? え?」
どんな恐ろしい罰が待っているかと思っていたところ、お咎めなしとなって拍子抜けしている覚獲をよそに、オスタケリオンは破壊された研究室を冷静に見回していた。
(下階の旧世代兵器の保管庫から対戦車兵器を撃ちこんだか。そろそろレストアした兵器を売るのも潮時ではあるな。研究データや各種サンプルにしてもすでに送ってある。クイーン・アグリッピーナ号 を失ったとて、それほど痛みはせんな)
「覚獲」
「は、はい!」
「研究室ことを不問にする代わりに、一仕事してもらうぞ」
「は、はい! 何なりと!」
覚獲は土下座に近くなるほど深々と頭を下げた。相手の精神に干渉する『覚』の妖力をもってすら、オスタケリオンの心は読めない。それどころか、巨大な獣の骨が垣間見える覚獲は、底知れない実力にひれ伏すしかなかった。
(さて、最後の実験にご協力願おうか)
床に倒れたままの結城と媛寿を見つめ、オスタケリオンは薄笑いを浮かべた。
「ぐ……」
「ぎ……」
瓦礫の山と化した超級異種格闘大会の会場、もといセントラルパークの中心で、アテナと楠二郎は互いの頬に拳を当てたクロスカウンターの状態にあった。
「く―――ああ!」
先に動いたのはアテナだった。交差した腕をより強く固め、楠二郎の体を引き倒した。
「がっ!」
投げ技に近い引き倒しを受け、背を地面に打ちつけられる楠二郎。
仰向けになった楠二郎の上に、すかさず馬乗りになるアテナ。
「っ――――――」
アテナは一瞬、小さく息を吸い込むと、
「はあああ!」
固く握った両拳を楠二郎の顔面へ嵐のように振り下ろし続けた。
「はあああ!」
間断なく降り注ぐマウントパンチが、楠二郎の頭蓋だけでなく、地面を震わせ、亀裂を生じさせていく。
もはやセントラルパークには他に誰もいない。気絶から目を覚ました観客たちは、パークの出口や窓ガラスの割れた部屋など、とにかく脱出口を求めて退避してしまった。
今頃船内はアテナたちの戦いに慄いた乗客たちでパニックになっていることだろう。
会場に残ったのは、戦いを継続しているアテナと楠二郎、そして座り込んだまま失神している野摩の三人のみだった。
むしろ、アテナにとっては好都合である。
楠二郎という強敵を倒すには、もはや周りの環境に配慮している余裕などない。セントラルパークもろともに破壊するつもりで臨まねば、眼前の戦鬼を沈めるに至らない。
「はああああ!」
誰も観る者のいない闘技場の中心で、アテナは拳打の嵐を吹き荒れさせた。
「はあっ!」
一際大きい打ち下ろしの拳撃を見舞い、アテナは拳を止めた。セントラルパークの地面は、アテナの拳によって端々に亀裂が走っている。
「はあ……はあ……」
さすがのアテナも、乱打の連撃に少し息を切らせる。その連撃に曝されていた楠二郎の顔は、原型が残らないほどに潰れきっていた。
普通なら試合の継続どころか、命の有無が危ぶまれるところだ。が、
「っ!?」
楠二郎の右手が不意に動き、アテナの左手首をがっしりと掴んだ。
「こういう体勢は交合の時にお願いしたいもんだぜ」
アテナの手首を抑える楠二郎は、何事もなかったように軽口を開く。
「しゃっ!」
「くっ!」
楠二郎は仰向けの状態から掌打を放つ。動きを封じられているアテナは、右手で掌打を受ける。
だが、楠二郎はそのタイミングを狙って右腕を引いた。
「あっ!」
右腕の引く力と左腕の突き上げる力が重なり、アテナは完全に体勢を崩された。
そのままアテナと楠二郎の位置は入れ替わり、今度はアテナが組み伏せられる側になってしまった。その時には、もう楠二郎の顔は元に戻っていた。
「あんたも甘いよな。本気で殺そうと思ってたら、今ので俺はくたばってたろうに」
「殺しは好みません。私自身も、そしてユウキのためにも」
アテナの言葉に、楠二郎は明らかに不機嫌な表情を取った。
「……そのユウキってのは、あんたの男か?」
「違います」
楠二郎からの質問を即答で否定するアテナだったが、楠二郎は依然として不機嫌なままだった。
「気に入らねぇな。ここで他の男の名前出されるってのは」
アテナの両腕を抑えたまま、楠二郎はアテナの眼前に顔を近づけた。
「これだけ追い込まれたんだ。もう負けを認めてもいいんじゃねぇのか? 俺もこれ以上お預け食らうのは御免なんだよ」
アテナの腕を掴む手に強く力が込められる。しかし、アテナは眉一つ動かすことなく、楠二郎を見据え返す。
「お断りします。それに、言ったはずですよ。バラキモト・クスジロウ」
アテナは両拳を握り、楠二郎を上回る力を腕に込めた。
「私を完膚なきまでに倒すことが、私を伴侶とする条件だと!」
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