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化生の群編

稔丸の従者たち

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一懇楼いっこんろうの部屋に戻ってきた稔丸ねんまるは、村長宅での戦闘で負った傷の治療を受けていた。それほど深刻な負傷はなかったものの、打撲、擦過、切傷と、傷の種類と数だけは多かったため、その全てを手当てすることだけが難儀だった。
「いっ! たたた~」
「あっ、ごめんなさい。痛かったですか?」
 小柄で黒髪を肩まで伸ばした市松人形のような少女が、軟膏に似た薬を傷に塗るが、擦過傷と切り傷の箇所だけは薬が沁みるので、稔丸は思わず声を出してしまった。
「いや大丈夫だよ、雪花せっか。ほら、いい薬は傷に沁みるって言うし」
「それを言うなら『リョウヤクハクチニニガシ』というのではないカ?」
 包帯を持ってきた長身の少女が、稔丸の言い回しを訂正した。
「あはは、それそれ。ていうか日本のことわざいつおぼえたの、シトローネ?」
 照れ笑いをしながら稔丸が頭をポリポリかいていると、
「これでお終いです」
 小柄な少女、雪花がそう告げて軟膏の入った瓶を片付け始めた。
「うん、ありがと」
「では包帯を巻ク。少しじっとしていロ」
「よろしくね~」
 雪花と交代で稔丸の傍らに座ったシトローネが、薬を塗り終わった箇所に丁寧に包帯を巻いていく。
 二人の少女の首元には、金属製の輪のような器具があった。
 それは妖怪・妖精の類を奴隷として繋ぎとめておくための呪符。当人の名を奪い、命令遵守と逃亡抑止の効果を持つ首輪。雪花もシトローネも、闇マーケットに『出品』されていた奴隷だった。
 雪花は稔丸の腰にようやく届くほどの背丈だが、実際にはすでに成人を迎えている。かつて北の大地を住処とし、『ふきの葉の下にいる者』と呼ばれていた小人族、コロポックルの末裔だ。第一次、第二次大戦を経て、北方の島々が住みにくくなり、コロポックルたちは日本列島へ密かに渡り、散り散りに生活していた。雪花もまた本州へと移り住み、人の立ち寄らぬ山林で集落を作って暮らしていた一族の一人だったが、どこで嗅ぎつけたのかブローカーの手に堕ち、マーケットに流されてしまった。
 シトローネは北欧の森の奥深くで暮らすエルフ族の娘だった。近代に生まれたエルフであるシトローネは、人間世界の環境や金属類に対する耐性を持っており、現代人との交流が比較的容易なタイプだった。シトローネ自身も知的好奇心から現代社会について調べたり、時には身分を偽って人里に降りていくことも多かった。そうしているうちに、森から出てくるエルフの存在を知ったブローカーに目をつけられた。エルフ族は姿が美しく、近年では純粋なエルフは環境変化のせいで個体数が減少傾向にある。そのため、ブローカーの間では希少価値の高い『商品』だった。
 稔丸は時折、自身の情報網とコネクションを駆使して、闇マーケットで開かれるオークションへ足を運んでいた。そこで希少な妖怪や妖精が売りに出されていれば、可能な限りの財力を以って競り落とした。
 それほど大層な理由があったわけではない。きっかけと言えば、当人の意思に関係なく鎖に繋がれ、狭苦しい檻に容れられているのが、少々不憫に思った程度の心情だった。自分が同じ立場なら、良い気分はしないだろうと。
 稔丸が競り落とした奴隷は、伝手を頼って元いた場所に還した。大抵は稔丸の心情を理解できず、訝しげな目を向けたまま去る者ばかりだが、中には留まる物好きな者もいた。
 その者たちは隷属の輪にかけられたしゅで元の名前を失うことも省みず、稔丸の傍に仕える意思を示した。雪花とツィトローネもその一人であり、多珂倉たかくらの本拠には稔丸とともにいることを決めた奴隷たちがまだ十数名いる。稔丸が裏で奴隷を買い付け、囲っているという噂はここから来ていた。
 しかし、稔丸としては心苦しさ半分、助けられている感謝半分という複雑な心境だった。
「あっ、そーだ。シトローネ、これが終わったらちょ~っとお遣いを頼みたいんだけど」
「お遣イ? どこにダ?」
蓮吏れんりくんのトコまで。あれを持って行ってほしいんだ」
 稔丸が指したのは、座卓に置いてあるクーラーボックスに似た金属製のケースだった。
「できれば朝には届けてほしいんだけど……」
「ずいぶん急だナ。普通に送るのではダメなのカ?」
「調べるのに時間がかかるかもしれないからさ、その分速く送っちゃいたいんだ」
「分かっタ。朝までには届けられると思う。ただ……」
「んぅ?」
 シトローネは言いよどみながら、やや癖のある金髪の一房をつまみ、エルフ特有の長耳を数回ピクピクと動かした。
「今夜の伽はどうするんダ?」
「ああ~、それなら……雪花に頼んじゃおっかな~」
「ひゃい!?」
 稔丸のその一言を聞き、雪花は顔を真っ赤にして薬瓶を取り落とした。幸い畳みの上だったので、瓶は割れることはなかった。
「ね、ね、稔丸さん! そ、そそそ、それは―――」
「じょ~だんだよ、冗談。雪花に手を出しちゃったら年齢的にはセーフでも、的で完璧にアウトになるからね~。今日は伽はなしで―――いぎゃっ!」
 そう言いかけた稔丸の額に、陶製の薬瓶が良い音を立ててヒットした。
「うぅ~、痛いじゃん雪花~。タンコブが一つ増えちゃったよ~」
「ふん! です!」
 すっかり機嫌を損ねた雪花は、額を押さえて唸る稔丸からそっぽを向いてしまった。これではタンコブの治療はもう期待できなさそうだ。
「手をどけロ、稔丸」
 シトローネが身を乗り出し、稔丸の額のコブに指で記号のようなものを書いた。指がなぞったところが薄く光ったと思うと、それまで涙目になっていた稔丸の顔があっさりと平常に戻った。
「おお、痛くなくなった」
「痛みを和らげただけダ。私は治療のルーンは得意ではなイ」
 稔丸にそう告げると、シトローネは雪花のいる方に首を巡らせた。
「雪花、そんなに怒るナ。こういう冗談はいつものことだロ?」
「シトローネさんは週二で『お呼ばれ』してるからそんなことが言えるんです」
 それから雪花は『私なんて一度も呼ばれたことないのに』、と小声で付け加える。
「稔丸、『クチハワザワイノモト』ダ。気をつけロ」
「あはは、そだね。てかホントにどこで諺おぼえてくるの?」
 稔丸を嗜めながら、包帯を巻いていくツィトローネ。
 その間、稔丸は雛祈ひなぎから聞いたことを頭の中で反芻していた。
 高位の座敷童子ざしきわらし、ギリシャ最強の戦女神、天地創造の精霊、数百年を生き延びた九十九神つくもがみ。それらをたった一人で従え、この世ならざる者たちが関わる事件に介入する青年。そして螺久道村らくどうむらの事件を雛祈が先に解決できれば、戦女神の恩恵が手に入るという賭け。
 村長宅での一件の後、稔丸は雛祈から一通りの事情を聞き出した。
 雛祈にしてみれば、その辺りの事情を他家の人間に知られるのは避けたかったことだが、結城ゆうき媛寿えんじゅが堂々と稔丸の前に現れてしまった以上、話さないわけにはいかなかった。雛祈は渋々ながら語っていなかった部分を打ち明け、稔丸はそれを聞いてどう利益に変換しようかと思案する。
 『二十八家にじゅうはっけ』の者でも滅多にお目にかかれない座敷童子の所在を知ったことで、美味しい話に繋げられるのではないかと思い、考えを巡らせるが、
(こりゃ~……危ないよね~)
 稔丸の判断力と分析力は、利益よりも危険性に重きを置いていた。
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