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化生の群編

一と八

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 中部地方の某県。北アルプスを覗くことができる山間の麓に、その村は静かに佇んでいた。
 螺久道村らくどうむら。総人口千九百ほどのこの村は、澄んだ山水を利用した広大な田園地帯に、民家や商店が点在する穏やかな土地だった。最近では交通網も再整備され、自動車でも鉄道でも、大都市への行き来は難しくない。
 緑豊かな山々と清涼な空気を求めて訪れる者も少なからずおり、知る人ぞ知る田舎のリゾート地といった趣だった。
 その清閑な土地において、少々血なまぐさい事件が起こったのは人々の記憶に新しい。
 一週間ほど前、森の奥で八名の男女の遺体が発見された。いずれも螺久道村の若者たちで、普段から素行に問題があるとされている者ばかりだった。
 各々が手に凶器を所持しており、その形状がそれぞれ致命傷となった傷口に一致した。
 警察はこれを、何らかのトラブルによる仲間割れ、もしくは薬物による心身喪失状態から殺傷に及んだということで処理した。痛ましい事件ではあったが、螺久道村がまだそれほど知名度が高いわけではなく、日々新たな事件が報道される情報社会において、人々の記憶から霞んでいく途上にあった。
 だが、それを単なる事件として捨て置かなかった者がいた。
 佐権院蓮吏さげんいんれんり。平安期より国を人ならざる者、またはそれらを悪用する不心得者から守護する役を代々受け継ぐ家系の一つ。その現当主にして優れた霊能力者、警察組織内においても警視という立場にある佐権院は、この事件をただの集団死傷事件として処理するつもりはなかった。
 捜査資料と司法解剖の結果を見た佐権院は、一つの疑問を持った。あくまで小さな引っ掛かりだったが、こういう小さな見逃しが、後に大きな奔流に繋がってしまう場合も往々にしてある。
 手遅れになる前に深掘りしておきたいところだったが、別件で大きな捜査も担当しているため、現地に赴くことはできなかった。
 そこで同じく国の守護を目的とする、祀凰寺家しおうじけの古くからの知り合いに頼ることにした。
ちょうど会食の約束を反故にされたという建前もできたので、佐権院はその知己に『警察組織とは別』の捜査を任せたのだった。
「……」
 その白羽の矢が立った祀凰寺家の次期当主、祀凰寺雛祈ひなぎは旅館『一懇楼いっこんろう』に滞在し、座卓の上にある資料と睨み合いをしていた。広げられているのは、事件が報道された当時の新聞、週刊誌、ネット上に投稿されたコメントのコピーなどなど。そして佐権院から密かに預かっていた警察関係の事件調書だった。
 内容は事件が起こった状況や関係者について、淡々と紹介しているものから、根も葉もない憶測を恥ずかしげもなく書き綴っているものまで様々だった。これだけ見れば、歴史の中で時折起こる凶悪事件の一つとして数えられそうなものだが、読み比べていくうちに雛祈もまた、その裏に潜む何かを感じ取っていた。
「佐権院家の当主が言うように、この事件は人ではないものが関わっているのか、お嬢?」
 部屋に備え付けの給湯ポットを使い、梅昆布茶を淹れた桜一郎おういちろうは、それを雛祈の手元に差し出しながら聞いた。
「蓮吏や私じゃなかったら、確かにこれは見逃してたかもって思えるわ」
 梅昆布茶を啜りながら、雛祈は司法解剖の結果の一つ、『垣野充也かきのみつや』という青年の診断書を手に取った。死因は背後から刃物による刺突が原因の失血死とある。
「桜一郎。これ、どう思う?」
「後ろから一突き。少し躊躇ったのか、急所から僅かにズレている。だが心臓を掠めたせいで結果として血が大量に噴出している。この形状は……槍の穂先か?」
「そう。たぶん古い和槍を使ったんでしょうね」
 添付されていた写真と、記入されている傷口の形状から、雛祈は垣野充也を殺害した凶器が槍であると推測していた。
「被害者が持ってた凶器は、全部調理道具や日用品ばかり。槍なんて持ってる奴はいないわ。包丁に形状が似てるし、その場にいた全員が死んだと思われたからかも知れないけど、あなたの鑑定で確証が取れた。この現場には事件当時、もう一人いた」
「は、八人じゃなくて、きゅ、九人いたってことですか?」
 雛祈の入浴の用意をしていた千冬が、二人の会話を聞いて思わず声を漏らした。
「そうよ」
「だが九人か。『九』は『苦』を連想させる忌み数とは言われるが、それがこの事件に格別の意味をもたらすのか?」
「きゅ、九は、い、一に戻るという意味にも、と、取れるので、ま、また事件が起こるということでは?」
「また何かが起こるっていうのはあるかもしれないけど、私が気になったのは『九』じゃなくて『八』の方よ。たぶん、蓮吏が気になったのもそっちだと思う」
 雛祈はそう言いながら、深刻な表情で目を閉じた。まるで、これから起こる何かに対して、方策を苦慮しているように。
「『八』? あっ」
「あっ!」
 雛祈の言葉を聞いて、桜一郎と千冬も何かに気付き声を上げた。
「『八』という数字は日本において、『非常に数が多い』という意味を持っている。八百万やおよろずとか八百八町はっぴゃくやちょうとか。九人いて八人が死んだ。これはたった一人が大勢を殺したという事実の表現。つまり何かしらの儀式だった可能性がある」
 室内に不気味な静寂が拡がった。明らかになった仮説は、凄惨な事件に輪をかけて陰惨な思惑が潜んでいることを示している。まだ全容は見えないにしても、それは世の人々が与り知らぬところで進行し、確かな足音となって近付いていた。
「こ、怖いですよ、お嬢様~。ど、どうなっちゃうんですか、こ、これから~」
「見当が付かないわけじゃないけど、その九人目がどうなったのか見てみないと何とも言えないわね。桜一郎、千冬、明日からは現場周辺を探るわよ。武器を携帯して常に周りを警戒して」
「分かった、お嬢」
「わ、分かりました~」
「じゃ、今日はもう温泉に入って、お夕飯を食べて、さっさと寝るわよ。千冬、お風呂の用意を」
「こ、こちらです」
「ありがと。桜一郎、その資料片付けておいて」
「分かった。のぼせるなよ、お嬢」
「そんなになるまで入らないわよ。楽しんではくるけどね」
 千冬から風呂の用意を受け取った雛祈は、夕食前の入浴を楽しむべく、小躍りしながら部屋を後にした。
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