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友宮の守護者編

天坂千夏

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千夏に案内されて辿り着いた場所は、境内と垣根で隔てられた家一軒分の敷地を持つ広場だった。特に普段使う場所でもないのか、石畳も玉砂利も敷かれていない。
 硬く固められた土の地面の真ん中に、黒い台座らしきものが置かれている。直径1メートルの円柱の側面に、なぜか壷にでも付いていそうな取っ手が二つ生えている。
 事情を知らない人間が見れば、何かしらの美術品を安置する変わった台座と見るかもしれないが、結城から見れば、それはシンプル過ぎてむしろ呆れかえるほどの代物だった。
「どうだぁ、いいだろぉ? 一本ダタラに頼んで特別に作ってもらった、金床ならぬ腕床ってもんだ。これならこの前の手水石みたいに簡単に砕けたりしないぜ!」
 腕床と紹介された金属製の台座を指して、千夏は八重歯を剥きだして得意満面な表情を見せた。
「ニホンにも腕の良い鍛冶神がいるようですね。確かに、これなら一切の憂い無く勝敗を決めることができそうです」
 腕床を撫でて感触を確かめたアテナは、静かに目を細めた。
 千夏はゆっくりと腕床に歩み寄り、アテナと向かい合う位置で足を止めた。
 腕床を挟んで見つめ合う二人の間には、互いの闘気がぶつかり、凄まじい圧力が周囲に放たれる。それがピークへと達した時、ついに勝負の火蓋が切って落とされた。
「行きますよ!」
 アテナは作業着の上着を脱ぎ捨て、黒のタンクトップ姿になった。下着は付けていない。
「上等だ! ゴラァ!」
 千夏も丈長を引き千切り、白衣をはだけさせて腕を動かしやすい姿となる。上半身が下着代わりのさらしのみである。
「はうわあぁ!」
 そして美人二人のそんな姿をいきなり見てしまい、顔を真っ赤にして目を覆う結城。
 彼の反応などお構いなしに、アテナと千夏は腕床の上で右手同士を組み、左手は側面の取っ手をしっかりと握りこんだ。
「レディ……」
 二人の目がさらに鋭く細められ、来るべきスタートに備える。
「ゴー!!」
 互いに揃えた掛け声を聞くや否や、アテナと千夏はそれぞれの右手の甲を腕床に押し付けようと、あらん限りの力を片腕に込める。その拮抗する剛力によって、腕床の底が土の地面に轟音を立ててめり込んだ。
 端的に言って、人知を越えた者同士の腕相撲である。
(何でこんなことに……)
 常人が見れば気迫を当てられただけで気絶しそうなこの一番勝負を、結城は呆れ半分嘆き半分な気持ちで見守っていた。
 天坂千夏と結城たちは以前、金毛稲荷神宮からの依頼で知り合った。彼女は純粋な人間ではなく、古い時代の日本で大暴れした鬼の子孫ということだった。どこの鬼なのかは千夏自身も古すぎて分からないらしいが、鬼の子孫として既に齢四百年は過ぎていると言っていた。先祖だった鬼が人間に退治され、その子孫たちは野に下ったが、さすがに数百年も過ぎれば人間の血の方が濃くなって先祖と同様の悪行を働こうとする者はいなくなったという。今では天坂家の者たちは人間社会の中で普通に生活し、見た目もほとんど人間と変わらないので鬼の子孫と気付く者は滅多にいない。千夏にしても、金毛稲荷神宮に勤続三百年という超ベテラン巫女である。同じ人間が姿を変えずに巫女を続けているというのは怪しいので、色々ごまかすのが大変だとも言っていたが。
 基本的には人当たりも良く、気の良い人物なのだが、千夏は少々鬼の気性の荒さが目立つタイプらしく、それが原因で結城の目の前の状況が作られてしまった。
 きっかけはちょっとした腕力自慢だった。鬼の血を継ぐ天坂の一族は、人間を遥かに超えた膂力を持っている。本気を出せばショベルカーやブルドーザーも目ではないらしい。
 それに反応したのがアテナだった。『私も全盛期には島を一つ投げることができました。今でもイタリアの端にありますよ』と、鼻を高くして語った。
 これがいけなかったのかもしれない。アテナの自慢を対抗意識が湧いた千夏が、『でも今はそんな腕力無いんだろ?神様だって堕ちるっていうイイ例だよなぁ』と言い返してしまった。
 女神アテナは侮辱や挑発には過敏に反応する。千夏の挑発でアテナは完全に火が着いてしまった。
 そのまま二人は近くにあった手水石をテーブル代わりにして、腕相撲で決着を付けようと言い出した。本気になった戦女神と鬼の子孫を止められる者などいなかったので、勢いのままに豪腕対決が勃発した。
 勝負は五分五分の展開だった。かたや戦いを司る女神。かたや日本を席巻した鬼の末裔。どちらも一歩も譲ることなく、組まれた右手は一時間以上は宙にあり続けた。
 結果として、先に音を上げたのはアテナでも千夏でもなく、彼女らにテーブル代わりにされた手水石だった。二人の膂力の前に、巨大な手水石の方が耐えられずに砕けてしまった。残ったのは腕を組んだまま目を丸くするアテナと千夏、あまりの結果に顎が外れそうになっている結城だけだった。
 決着がつかなかったわだかまりも手伝って、それ以来、アテナと千夏は何かと力比べについて張り合う仲になっていた。なので金毛稲荷神宮を避けていたわけだが、案の定、来てしまったら人ならざる者同士の力比べが勃発してしまうのである。
 互いに退くことも圧すこともなく、組まれた右手は開始点から動かない。力が拮抗し、相手の隙ができる瞬間を見逃さないよう、全ての感覚を動員してつぶさに観察する二人。そんな中、腕床と二人の足だけが、力のはけ口として地面に強くめり込んでいる。
 ここまで来るとバトル漫画で出てきそうな光景だが、結城はこういう状況に慣れているので、むしろ二人の露出の高い格好の方が刺激が強い。なるべく顔を覆った指の隙間から、組まれた手と足元だけを見るようにしていた。
 二人とも見た目は細腕だが、尋常ではない腕力の持ち主である。アテナは重たいアイギスを軽々と持ち運んでいるし、千夏にしても以前、鉄骨をバトンのようにヒョイヒョイと回していたのを結城は目撃している。そんな二人の腕相撲は、工事現場の重機同士が相撲を取っている時のパワーを軽く凌駕する。
 そのせいか、腕床から耳障りな金属音が聞こえていた。アテナも千夏も勝負に集中していて、その音に気付いていないが、結城だけはその不快音が徐々に大きくなっていくのを捉えていた。
 声をかけて注意しようとしたが、両者とも勝負の最中に水を差されることを極端に嫌うため、結城は口を閉ざさざるを得なかった。
 そして、ついにその時が来てしまった。二人が左手を固定していた取っ手が同時に引き千切れた。
「わっ!」
「うおっ!」
 取っ手の破損によって左手の支えが失われ、バランスを持ち崩すアテナと千夏。
 だが、どのような隙であろうと見逃すアテナではない。
「いただきました!」
 互いの姿勢が崩れた瞬間に、足で地面を蹴り、身体全体を回転させることで千夏の腕を捻り上げた。このまま倒れれば、千夏の右手甲が土に叩きつけられるは必至。
「しゃらくせぇ!」
 しかし千夏も勝負勘は負けていない。強引にアテナの回転方向に乗り、そのまま一回転して元の姿勢で着地した。互いに右手を組んだ体勢に戻った。
「随分おもしれぇことしてくれんじゃねぇか、女神様」
「それはこちらの台詞ですよ、オニの子孫」
 不敵な笑みを浮かべ合い、腕を組んだままでいる戦女神と鬼の末裔。そこはもう腕床の上ではなくなっているので、それぞれの闘争心は次の勝負方法を選択した。まったく同じ方法を。
「ユウキ!」
「結城!」
「は、はいっ!」
 ほぼ同時に名指しされ、思わず気を付けの姿勢で応える結城。
「ゴングを鳴らしなさい!」
「ゴングを鳴らせ!」
 結城はポケットから急いでスマートフォンを取り出し、着信音設定の項目を開いた。このまま止めなければどうなるかは分かっているものの、絶対に逆らってはいけない二人に命じられてはどうしようもない。
 カーン、とゴングの軽快な金属音の着信モデルが鳴る。試合開始の合図だった。
 二人が取った行動は全く同じだった。腕床から千切った取っ手を持った左手を、互いの顔面に叩き込もうとした。完全に同じ位置を狙ったため、取っ手同士がぶつかり、重厚な金属音が鳴り響く。
 初手の一撃が失敗したと見るや、二人は両腕を振り払い、改めて腕を組み直した。レスリングの基本姿勢で組み合い、相手を押し潰そうと目一杯の力を込める。それだけで足が地面に一気にめり込んだ。
「あわわわ」
 いよいよ心配事が現実になってしまい、結城は全身に鳥肌が立ってきた。こうなってしまえば、もう腕相撲の勝負ではない。人間以上の力を持った者同士の純粋な取っ組み合いである。
 まず動いたのは千夏だった。圧してくるアテナの力を不意に受け流し、前のめりにバランスを崩したところ、右手首を捻る。それを背中側に持って行き、右肩を軸に反り投げる。
「おおりゃぁ!」
 小手返しによる投げが決まり、アテナの身体が宙に舞う。
「この程度で!」
 空中に持ち上げられたアテナだが、長身をバネにして体を入れ替え、千夏に背を向ける形で着地する。だが、その際に投げ技を放った千夏の左腕を掴んでいた。背中に千夏の左半身を乗せ、掴んだ腕を強く引いて左一本背負いを放つ。
「コンチクショウ!」
 これを千夏も体を強引に捻り、間一髪、足から地面に着地する。その衝撃で地面の一部が陶器のように割れてしまったが。
 すかさず千夏はアテナの背後に回り込み、腰にがっしりと両腕を回す。
「くらえぇ!」
 アテナの身体を持ち上げ、バックドロップの要領で頭から地面に落としにかかる。
「まだです!」
 アテナは持ち上げられながらも、踵落としの予備動作の如く右足を高く上げ、勢いを付けて振り落とした。その力が千夏の膂力を上回り、バックドロップは不発に終わる。代わりに振り落とされたアテナの足が、地面にクレーターを穿つ。
 腰にしがみついた千夏を撥ね退けるべく、アテナは回転エルボーを千夏の顔面に見舞う。とっさに腕を外した千夏の頬を肘が掠め、初めてアテナとの間合いが開けた。
「ただのヨーカイの子孫にしては、中々どうして心得があるではありませんか」
「へっ! 力が衰えても戦いの神ってか。あたしの戦場仕込みの喧嘩殺法にここまで追いてこれるなんてね」
 互いの顔を見ながら、戦いの歓喜に破顔する二人。力と技を以ってここまで拮抗するが、やはり決着をつけないわけにはいかない。アテナも千夏も、指と手首の間接を鳴らし、次の一撃に勝負をかける。
「そんじゃまぁ」
「行きますよ」
 示し合わせたわけでもなく、右拳を握り込む二人。たった一撃。それで決めるつもりでいいる。
「はああああぁ!」
「うおおおおぉ!」
 握った拳の腕を大きく振りかぶり、最大限の力を乗せる。全身のバネ、膂力、振りかぶった距離による加速。それらが繰り出される拳に山をも砕く力を与える。
 渾身の右ストレート。相手の顔面に向けて放たれる、純粋にして最古の攻撃方法。これに耐え切った者が勝者となる。
 いざ、閉幕の拳が放たれる――――――――――――はずだった。
 腕を突き出そうとした刹那、なぜか二人ともバランスを崩し、前のめりに倒れこんだ。
「ごっ!」
「あぎっ!」
 右ストレートを撃とうとした勢いがそのまま残ってしまったため、アテナと千夏は拳ではなく額同士をぶつけ合う羽目になってしまった。
 骨と骨が衝突する痛そうな音が響き渡り、戦女神と鬼の子孫は目を回してその場に倒れ伏した。
 意外すぎる幕切れに結城が目を丸くしていると、
「何を騒いでいらっしゃいますか。これではせっかくの朝寝坊が捗りませんわ」
 背後からおっとりした口調で目を擦りながら近付いてくる者がいた。
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