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友宮の守護者編

九木洸一の災難

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アテナが九木に要請した物は最低でも一日かかるということだったので、結城たちは準備が整うまで情報整理に専念した。
 ここで役に立ったのがマスクマンの能力だった。彼は限定的だが動物と会話することができた。肉食動物に近い種であるほど意思の疎通が強くできるらしく、本人に言わせれば『狩人としての素質が濃い者』ほど通じるのだという。これによりマスクマンは知り合った動物との取引も可能にしていた。狩りの際に獲物の位置情報を知らせてもらう代わりに、取れた獲物を少しお裾分けするという按配だ。
 マスクマンが声をかけた動物たちからある程度の情報が得られ、九木からも頼まれた物が揃ったと連絡が入ったので、情報交換も兼ねて結城は刺松市のファミレスで待機していた。
「よぉ、小林くん。お待たせ」
「どうも、九木刑事」
 店内のボックス席に座る結城を見つけた九木は、いそいそと対面の席に着いた。
「ところで今日はあの二人はいないんだろうね?」
 九木は探るような目で辺りを見回し、結城にある人物たちのことを聞いた。
「ええ、言われたとおり家で待ってもらうようにお願いしてきましたけど……」
「そっか~、よかった~。最近あの二人、オレへの風当たりキツいんだよ~」
「……」
 九木の言う『あの二人』とは媛寿とアテナのことだった。結城からすれば、二人はちょっと無茶な部分はあるが気分よく接してくれるので、大切な仲間のような存在だった。
 ただ、九木に関して言えば、二人は割りと当たり方が厳しい。媛寿にしてもアテナにしても、好きなものはとにかく大好きと評する一方で、嫌いなものはハッキリ嫌いと断ずるところがあった。特に二人は人間の心の動きに敏感なので、負の感情に抱いている人間は一番嫌いだった。
(九木刑事、別に悪い人には見えないんだけどなぁ)
 九木に対して媛寿とアテナの風当たりが強いのは、結城も前から知っていた。そのことで二人に聞いてみたことはあったが、『心が微妙に不潔』と口を揃えて言われてしまった。そう答えられても結城はあまり理解できず、今もよく分かっていない。
「あっ、ところでさ、この前そこの通りを行った先にある銀行で強盗事件があったんだけど―――」
「ブッ!」
「うぉっ!」
 九木が切り出した話題に、結城は思わず飲みかけていたオレンジソーダを吹き出した。
「ゴホッ! グホッ! ず、ずびばぜん、ゴホッ! そ、それで?」
「その反応……やっぱりか。あの日は刺松市にいたからひょっとしてって思ってたんだよな~」
「な、なンのコとやラ」
「声が歪んでるぞ、小林くん。強盗犯の二人組が警官隊の見ている前でおかしな自滅をしたって聞いて、なんとなく君らがやったんじゃないかって想像できたよ」
 本当はアテナに推されて結城が矢面に立たされそうになったところを、強盗犯の流れ弾が運悪く家神と戦女神のおやつを台無しにしたせいで、怒りを買って手痛いお仕置きをされただけである。結城は何もしていない。
「逮捕された強盗犯、一人は口調がオネエになっちゃってるし、もう一人は閉所恐怖症になっちゃってるし、おまけに二人ともひどい水虫で『なんでも話すからとにかく水虫薬をくれ』って始末だし」
(あの呪いホントに効いちゃったんだ)
 強盗犯たちの惨憺たるその後を聞いて、結城は少し背筋が寒くなった。
「まっ、大体の察しは付くけどね。どうせあのオテンバ座敷童子とスパルタ女神がやらかしたんだろ?」
(あっ、バレてる……)
 九木も結城たちとの関わりが浅くないので、状況を聞けばそれなりに想像できるらしい。
「あの二人のことだし、お土産に持たされたケーキになんやかんやあって強盗犯に八つ当たりしたとか、そういうヤツだろ? ったく、マスクんとシロちゃんは常識人だってのに」
(マスクマンは確かに常識人だけど、シロガネの中身は絶対常識人じゃない)
 結城は心の中で九木の評価を半分否定した。
「少しは見習えってんだよな~。あの二人、長生きしてるくせに全っ然心が広くないっていうか、中身は完全に悪ガキとドSじゃん。ありゃ絶対何人かあの世に送ってるよ。人間の女だったら間違いなく一番性質の悪いタイプだな。うんうん」
 当人たちがいないのをいいことに言いたい放題である。
 相槌一つ打たれていないのに喋りまくる九木を見ながら、
(媛寿とアテナ様が九木刑事嫌いなのって、こういうところがあるからなのかも……)
と、結城は妙に納得していた。さらに、
(ここに二人がいたら多分エグい目に遭うだろうな、九木刑事)
とも思っていた。
 丁度そこへトレーを抱えたウェイトレスが、結城の注文した料理を運んできた。
「キャベツたっぷりペペロンチーノになります。ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「ああ、ドリンクバー追加でお願い」
 ウェイトレスが来たので、ついでに九木も自分の注文を通した。
「かしこまりました。専用グラスとカップはあちらになります」
「ちょっとコーヒー取ってくるわ」
 話し疲れて喉が乾いたのか、九木はドリンクバーのある一角へ飲み物を取りに行ってしまった。
 九木の様子を見るに、まだ媛寿やアテナへの鬱憤を喋るつもりなのかもしれないと、結城は少し辟易した。二人がいないのが九木にとって正に不幸中の幸いと思いつつ、結城はペペロンチーノにかける粉チーズを取ろうとした。だが、テーブルの調味料スタンドから、粉チーズの容器が消えていた。
(あれ? さっきまであったと思ったんだけど)
 なぜか消えてしまった粉チーズの容器を探していると、九木がコーヒーカップを手に戻ってきた。
「それにしても、あの鬼畜女神。まさかオレの職場にまでわざわざアイアンメイデンみたいな電話をかけてくるって―――」
 座るのも惜しんで話し始める九木だったが、席に腰を落とした瞬間、巨大な異物感に見舞われて目を見開いた。主に尻に。
「ぎいぃあああぁ!」
 店内を飛び越えて街の一角を包み込むほどの叫声がこだました。ついでに持っていたコーヒーカップがひっくり返り、九木の股間に落ちた。熱々のホットだった。
「―――――!!!」
 あまりに痛烈な感覚の応酬に、九木は声を上げることなくテーブルに額を打ち付けた。
「く、九木刑事!?」
 唐突に巻き起こった珍事に、結城は席を立って九木に駆け寄った。
「いったい何…が……」
 テーブルに突っ伏して痙攣している九木の様子を見た結城は眉をひそめた。腰を折った九木の臀部には、なぜか結城が探していた粉チーズの円筒形容器が深々と刺さっている。おそらく容器が置いてあることを知らずに腰掛けたのだろう。これは叫ぶのも無理はない。
 問題はテーブルにあったはずの容器が、なぜピンポイントで九木の尻に刺さるように席に置かれていたかということだが。
「ちゅ~」
 その解答に行き着きそうになった時、結城が座っていた席から妙な音が聞こえた。まるでストローで飲み物を吸い上げているような。
「あっ! やっぱり」
 結城が自分の席を見ると、いつの間にかそこに着物姿の少女が座り、ストローでオレンジソーダを飲んでいた。それも凄いジト目で九木を見ている。
「え、媛寿ちゃん!?」
 かろうじて顔を上げた九木は、その場にいないはずだった少女の存在に驚いて体を震わせた。
「家にいるように言ったじゃないか」
「けっぷ。ゆうき、ファミレスで待ってるって言ってたから、『憑いて』きた」
 オレンジソーダを飲み干し、呑気にげっぷまでしながら媛寿はしれっと言う。
「僕も気付かないうちに? いつの間に……」
「ていうか媛寿ちゃん。まさかさっきの全部聞いて……」
 九木が皆まで聞くまでもなく、媛寿の答えは明白だった。また凄いジト目を向けながら、飲み干したコップの底をストローでズズズと音を立てて吸い上げている。
 それを見た九木の顔は見る見る青ざめていった。
「私も聞かせていただきましたよ、ク・キ?」
「はうっ!」
 尻に刺さった粉チーズの容器を力強く握られ、思わず声を上げる九木。その相手を恐る恐る見ると、今度は大量の冷や汗が滲み出てきた。薄手のハーフコートとベレー帽を着こなした金髪の美女が、氷河期のような目で自分を見下ろしていたからだ。
「ところで気になることがあります。スパルタ女神やら鬼畜女神やら、それはどなたのことを指してしるのでしょう? ぜひ拝聴いたしたいのですが?」
「い、いや、ははは~、どなたのことなんでしょうね~。あ、あとできればソレをグリグリするの勘弁してもらえたらな~、って」
 掴んだ粉チーズの容器をハンドルのように回しつつ、アテナはテーブルに突っ伏す九木を針の如く鋭い視線で突き刺している。なかなかにシュールな光景である。
「そうですね……駅前の不死屋のチーズケーキ。それで今回は大目に見ましょう」
 老舗洋菓子チェーンで評判の逸品であり、アテナの一押しベスト3に入るチーズケーキである。ちょっとだけお高い。
「うぐぅ……はい」
「よろしい」
「あぐっ!」
 九木の快諾、もとい苦渋の承諾を得て、アテナは彼の尻に刺さっていた粉チーズの容器を勢い良く引き抜いた。急な衝撃に九木の意識は真っ白になり、またもテーブルに額を打ち付けた。
「お、お客様!? 大丈夫ですか!?」
 騒ぎを聞きつけてウェイトレスが結城たちのいる席まで駆けてつけて来てしまったが、
「だ、大丈夫です! 警察ならここにいますから通報しなくても無問題です! のーぷろぶれむ!」
騒ぎが大きくならないよう、結城は必死にウェイトレスを宥めてその場をやり過ごそうとした。警察がいるのに警察沙汰にしたくはない。
「えんじゅ、キャベツたっぷりカルボナーラとティラミスとドリンクバー」
 駆けつけたウェイトレスに、ついでに注文を通す媛寿。
「私もドリンクバーを。それからチーズケーキを一つ。良いですね、クキ?」
「もう……なんでもいいですよぉ……」
 踏んだり蹴ったりな九木は、痙攣しながら諦めの境地に達していた。
 座敷童子も女神アテナも嫌いな相手には容赦がない。自業自得とはいえ、ここまで来るとさすがにかわいそうに思えてくるが、とりあえず結城も注文を追加することにした。
「すいません。代わりの粉チーズお願いします」
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