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第一部

鮭弁当と梅酒

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 人がまばらのスーパーで、ユーリと二人、無言で奥のお弁当コーナーへ向かっていく。
 同じような学生や、サラリーマン、それから数人の男女グループ。どこかの主婦が、見切りコーナーの野菜を手に取っては見比べたりもしていた。

「……」

 種類のあまりなくなったお弁当コーナーで、僕は鮭がひと切れ乗った弁当を手にした。夜に鮭とはおもむきも何もないが、半額シールの誘惑には勝てず、僕はそれを持ってレジへと向かう。

「リヒト」
「ん」

 呼ばれて振り返る。
 瞬間、弁当を引ったくるようにして奪われ、ユーリは無人のセルフレジへと持っていってしまった。そのままスマフォで清算を終え、箸を一膳分だけもらって、無言で外へと出ていく。

「ちょっと、ユーリ……!」

 お金を渡そうと、鞄から財布を慌てて取り出そうとして、手が滑って財布ごと地面に落としてしまう。そして何より不運だったのは、財布が逃げるように転がり、近くの排水溝へ入ってしまったことだ。

「ああぁぁぁ」

 情けない。年下に奢ってもらって、財布まで落として、しかもよりによって排水溝に入るなんて。
 深いわけではなかったから、手を伸ばせば摘み上げれそうではあるけれど、この財布はもう使えそうにない。結構財布って高いんだけどな、なんて心の中で愚痴り、僕は屈もうとして、

「これ、持ってて」

とユーリから鮭弁当を渡された。
 流れで受け取ってしまったが、あれ? これでは手が塞がってしまうではないか。ユーリに弁当を突っ返そうとして、彼が屈んで財布を拾い上げるのを見て、僕はお礼を言うのも忘れて「なんで」と呟いてしまう。

「なんでって……、リヒト、財布の中身ないと困るでしょ」
「そ、それはそうだけど。でもお前が拾う必要はないだろ?」

 案の定ユーリの手は濡れているし、なんなら服の袖だって汚れてしまっている。しまいには財布から滴る少し臭う水が、ユーリのスラックスにまで広がっているのだから笑えない。
 そんな状態なのに、ユーリは嫌な顔ひとつせず穏やかに笑っているものだから、僕はいたたまれなくなって、つい、

「とりあえずうちに来い。洗濯、は無理でもタオルとシャワーくらい貸すから」

と言ってしまった。
 ユーリが意外そうに目を見開いている。しまった、流石に引かれたかなと思ったけれど、ユーリは首をちょこんと傾げて「いいの?」と目を輝かせる。
 違った意味で間違えたかも、と焦るが、言ってしまったものは仕方ない。

「……いいよ」

 僕は鮭弁当を持ったまま、また家に向かって歩き出す。財布も返してもらおうとしたんだけど、手が汚れるからと言って、そこは譲ってくれなかった。


 シャワー室から、水音が嫌というほど聞こえてくる。流石はボロアパート、防音なんて知ったこっちゃないと言わんばかりの壁の薄さだ。
 家に帰った僕は、ユーリをすぐシャワー室へと追いやり、着ていた服を洗濯機へと放り込んだ。僕も一緒に、と言われたがそこは丁寧にお断りして、財布からカードやお金を取り出して、洗面台で適当に洗い流した。
 それから鮭弁当を広げ、そこでお茶を買うのを忘れたことを思い出す。冷蔵庫に何かあったかなと立ち上がり見てみれば、梅酒が一本だけ入っていた。

「あー」

 そういえば前、店長とお酒の話をしていたことがあった。飲んだことないんですよねと笑い、これやるよと渡されたものだ。

「いや、いやいや、流石にこれはない。ご飯食べるのに酒はないだろ」

 鮭と酒だけに、なんて笑い話にもならない。
 でもお酒の力は偉大だとも聞く。何か口走っても、お酒のせいにしてしまえばいいのではないか? いや、それは失礼にならないか?
 何せ飲んだことがないため、自分が一体どうなるのかわからない。お客さんが酔っているのはそれなりに見てきたが、まさか店の前で寝るみたいなことにはならないだろう。

「あー……、もういいか」

 ずっと冷蔵庫を開けているのも電気代の無駄になる。僕は梅酒を手に取ると弁当の前に座って、プルタブに指をかけた。プシュッと小気味のいい音がして、梅の香りが微かに漂った。
 おず、とひと口含んでみる。

「あ、意外と美味しい……?」

 仄かな甘さに梅の酸っぱさが加わって、呑み口も後味もさっぱりしていてなかなかいい感じだ。喉に焼け付くような炭酸のきつさもあまりなくて、これなら僕でも飲めそうな気がする。

「なんだ、お酒って結構いけるんじゃないか」

 ぐいぐいと休む間もなく呑んでいく。
 お弁当が半分も進んでない頃、ユーリが「リヒト」とシャワー室から出てきた。

「ユーリぃ……?」
「へ? リヒト?」

 自分でも甘く出てきた声に、僕はどこか冷静に、これが酔うってことなのかなと考えていた。
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