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第一部
ホワイトな職場
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帰ってすぐに風呂場へと駆け込んだ。家賃が家賃なので風呂はなく、シャワーのみの風呂場だ。元々光熱費節約のために風呂に浸かる気はなかったし、僕自身、それで不便と感じていなかった。
「ふぐっ……、なんで、どうして」
シャワーの音で隠すように、何度もその言葉を繰り返す。
何度考えてもわからない。なぜ、どうして、なんで、同じような疑問の言葉だけが喉の奥から出てきては、流れるお湯と共に排水口へ吸い込まれていく。
「うっ、ううっ」
涙を流しても流しても溢れてくる。が、いつまでもこうしているわけにもいかない。
今日はこの後居酒屋でのバイトがあるし、何よりこんなに長くシャワーを使っていては光熱費がかかってしまう。僕は無理やりにでも涙を引っ込めて、ふらふらになりながらも風呂場をあとにした。
「いらっしゃいませ」
暖簾をくぐってくる男女を奥のテーブルに案内し、僕は違うテーブルへの料理を取りにに厨房へと一旦戻る。
「リッちゃん、どーしたの。なんか今日は元気ないねぇ?」
他のテーブルから戻ってきた同僚が、そう心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
髪を紫に染め、一部分だけ白のメッシュを入れた彼女は専門学生のスイ。年は確か僕のひとつ下で、イラスト系の勉強をしていると聞いたことがある。
そしてスイは、前世でも僕の同僚だった女性だ。一緒に働いて気付いたのは、スイには前世の記憶がない。だから僕もその話はしなかった。
「大丈夫。ありがと、スイ」
「ならいいけどぉ。でもリッちゃん」
「ん?」
スイはまだ納得いかないのか、僕の周りをくるくると何度か歩き回る。
「今日のリッちゃん、いつもよりなんだかエッチだなぁって思った!」
「ぶっ」
つい吹き出してしまった。
「えっ、え? エッ、チって……あの、え?」
「んー。いつも憂いがあって綺麗っていうか、うん、でも今日はそれ以上にフェロモンが出てるっていうか?」
「き、気のせいだって」
取り繕うようにヘラリと笑ってみせるが、スイは「えー」と不満そうだ。
なんと言えば誤魔化せるか。そんなことを考えていると「出来たぞ」と厨房から料理が出来上がってきた。スイが軽く返事をして料理をテーブルに運んでいく。
僕もそれに続こうとした時、頬杖をついた店長が「おい」と無愛想に声をかけてきた。
「はい?」
「恋人でも出来たか? ま、遠慮すんなや。今世では、お前はもう自由なんだからな」
「……はい」
この目つきの鋭い色黒の中年男、もとい店長は、実は前世の魔王その人だ。僕が大学一年の頃に、腹を空かせて店の前で倒れていたのを助けられ、そのままここで働かせてもらっている。
「あんま気負うなよ?」
そうニカッと歯を見せられては、僕も「あはは」と返すしか出来ない。
まさか前世の英雄も転生してました、なんて言えるわけがない。しかも魔王様が倒された後、愛玩機同然に扱われていたなんて。
「んじゃ、わかったらこれ、運んでくれや」
「はい」
剥き海老のサラダを左手に、カルーアミルク二杯を右手に器用に持ち、僕は手前のテーブルへと向かう。
「お待たせいたしました。海老のサラダと、カルーアミルクです」
「はいはーい、待ってました!」
「乾杯しよ! 乾杯!」
「お兄さんも乾杯、一緒にしよ!」
テーブルに料理を置けば、まだ酔ってないはずのOL二人から声をかけられた。僕は目尻を少し下げ、多少申し訳無さそうに苦笑しながら、
「すみません、まだ仕事してますので」
とやんわりと断った。この二人、それなりによく来る常連で、僕が返すこの言葉もいつものことだ。
特に気分を害すわけでもなく、二人は「知ってるー!」と明るく笑うとグラスをキン、と合わせて飲み始めた。
ガラガラ――
出入口の扉が開く音がして、次のお客さんが入ってくる。僕は二人に軽く頭を下げてから「いらっしゃいませ」と出迎えに向かう。
が、暖簾をくぐってきた金髪を見て、その先の言葉が出なくなってしまった。
「ふぐっ……、なんで、どうして」
シャワーの音で隠すように、何度もその言葉を繰り返す。
何度考えてもわからない。なぜ、どうして、なんで、同じような疑問の言葉だけが喉の奥から出てきては、流れるお湯と共に排水口へ吸い込まれていく。
「うっ、ううっ」
涙を流しても流しても溢れてくる。が、いつまでもこうしているわけにもいかない。
今日はこの後居酒屋でのバイトがあるし、何よりこんなに長くシャワーを使っていては光熱費がかかってしまう。僕は無理やりにでも涙を引っ込めて、ふらふらになりながらも風呂場をあとにした。
「いらっしゃいませ」
暖簾をくぐってくる男女を奥のテーブルに案内し、僕は違うテーブルへの料理を取りにに厨房へと一旦戻る。
「リッちゃん、どーしたの。なんか今日は元気ないねぇ?」
他のテーブルから戻ってきた同僚が、そう心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
髪を紫に染め、一部分だけ白のメッシュを入れた彼女は専門学生のスイ。年は確か僕のひとつ下で、イラスト系の勉強をしていると聞いたことがある。
そしてスイは、前世でも僕の同僚だった女性だ。一緒に働いて気付いたのは、スイには前世の記憶がない。だから僕もその話はしなかった。
「大丈夫。ありがと、スイ」
「ならいいけどぉ。でもリッちゃん」
「ん?」
スイはまだ納得いかないのか、僕の周りをくるくると何度か歩き回る。
「今日のリッちゃん、いつもよりなんだかエッチだなぁって思った!」
「ぶっ」
つい吹き出してしまった。
「えっ、え? エッ、チって……あの、え?」
「んー。いつも憂いがあって綺麗っていうか、うん、でも今日はそれ以上にフェロモンが出てるっていうか?」
「き、気のせいだって」
取り繕うようにヘラリと笑ってみせるが、スイは「えー」と不満そうだ。
なんと言えば誤魔化せるか。そんなことを考えていると「出来たぞ」と厨房から料理が出来上がってきた。スイが軽く返事をして料理をテーブルに運んでいく。
僕もそれに続こうとした時、頬杖をついた店長が「おい」と無愛想に声をかけてきた。
「はい?」
「恋人でも出来たか? ま、遠慮すんなや。今世では、お前はもう自由なんだからな」
「……はい」
この目つきの鋭い色黒の中年男、もとい店長は、実は前世の魔王その人だ。僕が大学一年の頃に、腹を空かせて店の前で倒れていたのを助けられ、そのままここで働かせてもらっている。
「あんま気負うなよ?」
そうニカッと歯を見せられては、僕も「あはは」と返すしか出来ない。
まさか前世の英雄も転生してました、なんて言えるわけがない。しかも魔王様が倒された後、愛玩機同然に扱われていたなんて。
「んじゃ、わかったらこれ、運んでくれや」
「はい」
剥き海老のサラダを左手に、カルーアミルク二杯を右手に器用に持ち、僕は手前のテーブルへと向かう。
「お待たせいたしました。海老のサラダと、カルーアミルクです」
「はいはーい、待ってました!」
「乾杯しよ! 乾杯!」
「お兄さんも乾杯、一緒にしよ!」
テーブルに料理を置けば、まだ酔ってないはずのOL二人から声をかけられた。僕は目尻を少し下げ、多少申し訳無さそうに苦笑しながら、
「すみません、まだ仕事してますので」
とやんわりと断った。この二人、それなりによく来る常連で、僕が返すこの言葉もいつものことだ。
特に気分を害すわけでもなく、二人は「知ってるー!」と明るく笑うとグラスをキン、と合わせて飲み始めた。
ガラガラ――
出入口の扉が開く音がして、次のお客さんが入ってくる。僕は二人に軽く頭を下げてから「いらっしゃいませ」と出迎えに向かう。
が、暖簾をくぐってきた金髪を見て、その先の言葉が出なくなってしまった。
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