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一ノ瀬紅羽の場合

30話

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 一旦口を離した颯介が、僕の前髪を掬い上げ、今度は額に唇を落としていく。何度も、何度も、何度も啄むように落とされる甘さに、僕はもどかしさを感じて内ももを擦り合わせる。

「は、あ……っ、そう、すけ……」

 壁に背中を預けたままの僕は、その甘さから逃げるように顔を背ける。けれど今度は耳を緩く齧られ、僕の口から「ひうっ」と少し甲高い声が漏れた。直接かかる吐息の熱に、身体が溶かされていくみたいだ。

「そ、すけ、まって……」

 僕の口から漏れる吐息も熱い。胸の突起がシャツを押し上げ、早く触れてほしそうに主張している。だけど、どうしても僕の頭から離れない事項があって、快楽に身を任せきることが出来ない。

「颯介……、お鍋!」
「……」

 やっとの思いで形に出せた単語は、明らかに颯介を不機嫌にさせた。
 いや、そもそも少し話そうって言ったのはそっちじゃないか、という苦言も言えないくらい、クソ長いため息をつかれた。

「……火、止めてきます」
「う、うん。あ、ルウは僕が入れておくから、風呂入ってきたらどうだ……?」

 颯介の眉間に、さらにシワが出来ていく。わかる、わかってるよ、流石の僕でもわかる。この雰囲気で言う? って言いたいんだよな?
 あぁ、言うさ。だって火のかけっぱは危ないし、颯介だって濡れたままだと風邪引くかもしれないし。

「……」

 無言で立ち上がった颯介が、辺りに散らかった衣類の中から、タオルと下着と、寝間着用のシャツやらズボンやらを持って、静かに部屋を出ていった。
 別に僕だってしたくないわけじゃないし、さっきのは本音だし、でも、ちゃんと段階は踏んだ上で番になりたい。……って、颯介は僕をΩにするって言ってたけど、一体どうやって? そういう薬でもあるのか?

「何それ。ファンタジー……?」

 乱されたシャツをそそくさと直して、ベッドから降りる。隣の部屋にある小さなキッチンには、弱火のままのお鍋がことこと煮込まれたままになっていた。用意されていた市販のルウをパキパキと小さく割って、ぼとぼとと豪快に入れてからおたまで掻き混ぜる。

「Ω、Ω……。Ωになったら、僕はどうなるんだろう……?」

 自分とは無関係だと思ってきたから、αについても、Ωについても僕はとことん疎い。ヒートって具体的にどうなるんだ? 薬を飲んでるって聞いたけど、どれくらい? Ωって子供を産める、んだよな?

「僕と、颯介の、子ども……」

 嫌じゃないけど、不安が大きい。

「これなら勢いでやっちゃったほうがよかったかも……」

 ぐるぐるぐるぐる、おたまを回す。自分の頭の中みたいに、色んな感情が渦巻いてるみたいだ。
 そうして回しているうちに、どうやら颯介が上がったみたいで「紅羽さん」と背後から呼ばれて、僕は肩を大袈裟に揺らした。

「そ、颯介っ、はや、早いな!?」
「むしろ遅いぐらいです。誰かさんのせいで、一回ヌいてきたんで」

 後ろから抱きしめられ、そのまま腰あたりに熱いモノを押し当てられた。

「そのわりに元気、だな……」
「一回ぐらいでおさまるとでも?」

 回された颯介の手がシャツの中に伸びて、僕の薄い腹を撫でる。

「もう痛みはないですか?」
「ぁ、う、ん……、ない……」

 うなじを舌が這い、何度も甘噛をされる。腹を撫でていた手が上へと移動して、ピンと主張する突起を緩く摘み上げた。

「あっ」

 身体が跳ねた際、おたまが鍋の縁に当たって少しずれた。

「火、止めて。ベッド行きましょう」
「ん……」

 コンロを止めて、蓋をして、颯介に促されるままにベッドに行く。先に座って待つ時間、これが僕はあまり好きじゃない。というのも、抱かれるのを待っているだなんて、正直どんな顔をすればいいのかわからないからだ。

「紅羽さん」

 いつも見るローションのボトル片手に、颯介が僕の前に膝をついた。

「……やめましょうか?」

 こんな時でも、颯介は僕の気持ちを優先してくれる。だから僕は首を横に振って「やめない」とはっきり口にした。同時に「でも」と口を挟む隙もないまま続けて言う。

「不安だ。変な薬でも飲まされるのか? Ωになったら、僕は、その……」

 膝の上に置いた手を、不安から握りしめる。

「そ、颯介との、子ども、作るのか……?」
「えっと……」

 颯介が気まずそうに視線を反らせた。突拍子すぎただろうか。

「まずは、ですね。紅羽さんが心配してるような薬はありませんし、さっきはああ言いましたが、そもそも、確実にΩにすることは出来ません」

 ボトルを横に置いて、颯介が僕の手を取る。その手は僕と同じように、微かに震えていた。

「色々と条件があるんですが、ラットに入ったαの精液を体内に入れる必要があって……」
「……ゴムつけないのか!?」
「そこですか。ラットになった俺に、酷くされるとか考えないんですか?」
「するのか?」

 あっけらかんと首を傾げた僕を見て、颯介が意外そうに目を丸くした。いつもは見せない間抜け顔に、つい僕は笑いが込み上げてしまう。

「くっ……、その顔、なんだよっ。ぷっ、くくっ」
「や、だって紅羽さん、俺、理性保っていられる自信が……」

 なんだ、そんなことか。
 僕もまた、颯介の手を、震える手で握り返した。

「そんなこと、心配してない。颯介は意地悪だけど、優しいやつだからな。僕が怖いのは、自分が変わってしまうんじゃないかって。あと、こ、子どものこと、とか、考えないとだし」
「……真面目だなぁ」

 そう微笑んだ颯介が、僕の左手の薬指に唇を寄せた。触れた場所が熱い。緊張で口から心臓が出そうだ。

「改めて紅羽さん。俺のΩになってください。もしΩになれなかったとしても、あなたを好きな気持ちは変わりません。あなたを、愛しています」
「まるでプロポーズみたいだ」
「みたい、じゃなく、そうなんですけれど」

 茶化されて機嫌を損ねたのか、颯介が口を尖らせる。その子供っぽいところについ笑みが零れてしまう。

「颯介」
「はい」

 僕も颯介の左手を、その薬指に軽く唇を落とした。

「好きだ。僕も、颯介が好き。愛してる」

 あぁ、そっか。例え僕がΩになれたとしても、このままβのままだとしても、僕は颯介を好きでいていいんだ。この気持ちに、そんなものは関係ないって、今なら言える気がする。
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