3 / 56
一ノ瀬紅羽の場合
3話
しおりを挟む
とりあえず一階から見ていくことに決め、エレベーターの前まで歩き、くだりのスイッチを押してエレベーターが来るのを待つ。
「先輩」
「……」
「ね、先輩」
「……」
「先輩ってば」
無視だ、無視。昨夜のソウに似てるからって、本人なわけが……。
「……紅羽さん」
「一ノ瀬先輩」
しまった、つい反射で返してしまった。
振り返り十三を見上げれば、可笑しくてたまらないとばかりに、口元に手をやって笑いを堪えていた。
「やっぱり紅羽さんだ」
「い、ち、の、せ、せ、ん、ぱ、い」
「紅羽先輩」
わざわざ一言一句区切って言い直したのに、十三のやつは僕の名前に先輩をつけただけで、否が応でも名字で呼ぶつもりはないらしい。
ポーンとエレベーターの音が鳴り、目の前の扉が開く。仕事中で誰も乗っていないがらんとした空間に、僕が先に乗って“開”のボタンを押す。十三も乗り込んだのを確認してから“閉”を押し、続けて“1”を押そうとした手を十三に掴まれた。
「な、何す」
「なんか運命感じちゃいますよね、これ」
「う、運命って……」
エレベーターの扉が閉まる。けれど階層のボタンを押していないせいで、エレベーターが動き出す気配は一向にない。
「い、今、は、仕事中で」
「それなんですけど、別に今さら案内なんてしなくて大丈夫ですよ」
「それって……ふ、くっ」
どういうことだと顔を上げたところに、待ってましたとばかりに十三に口を塞がれた。舌先で口をこじ開けられ、口内を十三の舌が好き勝手に荒らしていく。
奥に引っ込めていた自分の舌を絡め取られ、上手く飲みきれない唾液が唇から零れた。それは僕に昨夜を思い出させて、また息が苦しくなってくる。
「ふーっ、んんーっ」
「……いっ」
あまりの息苦しさに、勢いあまってやつの舌を噛んでしまった。
やつが驚いたように肩をびくつかせ、僕から距離を取る。痛みで口を押さえる様があまりにも滑稽で、僕は「ザマァみろ!」と年甲斐もなく乱暴な言葉を使ってしまった。
「……ははっ」
けれど十三は怒るでもなく、むしろ逆に吹き出すと、何事もなかったように“1”のボタンを押した。
「先輩、部長にもそれ言えればいいのに」
「……だって、僕はβの中でも、普通だから」
「あー、ありますよね。一人だけ、そういうβを入れておくって風潮」
「……」
あからさまになってきたのは、高校からだったと思う。別にβだから頭がいいとか悪いとか、運動が出来る出来ないとかはないのだけど、僕はたぶん、世渡りが上手くはなかったのだろう。
例えばそれは、放課後、制服でゲーセンに寄ってみたりだとか。学校をサボってファーストフードに行ってみたりだとか。そういう、少しハメを外すようなことをしてこなかった。
結果的に僕は、面白みのない、真面目で、素朴なやつと認識されてしまったわけで。
「αとかΩだったら、少しは違ったのかな……」
人とは違う自分に、なれたのかな。
「……なりたいんですか?」
十三のくぐもった言葉が、押さえた口の合間から聞こえた。だいぶん強く噛んでしまったらしい。んべ、と出した舌先は真っ赤に滲んでいた。
「選べないし、なれるもんじゃないだろうが。ほら、もう着くぞ」
チーンと音が鳴ってエレベーターの扉が開く。“開”のボタンを押したまま「早く出ろ」と十三を先に出してから、続けて自分も出た。
「それじゃ、まずはだな」
少し弱音を吐いてしまったし、ここは先輩らしく案内しないとな。そう意気込んで、ホールの案内図前まで歩いていく。
「あ、紅羽先輩、案内なんですけど」
「うん? 見たいとこでもあったか?」
なんだ、それなら早く言えよ。と言いたいのを我慢して「どうした?」と胸を張ってふんすと鼻を鳴らした。
「いや、もう全部頭に入ってるんで、今さら案内はいらないです」
「へ? や、でも、案内するのが僕の仕事、で」
どうしよう。このままじゃ戻れない。戻れば、また部長からの怒鳴り声が飛んでくるのは、目に見えて明らかだ。
さっきまでの覇気を失くして肩を落とした僕に、十三が「だから」と外を示した。
「外回り、行きましょう」
「で、でも僕、営業じゃ……」
「いいからいいから。さ、行きましょ、先輩」
随分強引で、我儘な後輩だ。
戻ったら部長に怒られるかなとか、仕事どうしようとか、思うことは山程あるのだけれど、久しぶりに出た明るい外は、そんな不安を一気に吹き飛ばしてくれた。
「先輩」
「……」
「ね、先輩」
「……」
「先輩ってば」
無視だ、無視。昨夜のソウに似てるからって、本人なわけが……。
「……紅羽さん」
「一ノ瀬先輩」
しまった、つい反射で返してしまった。
振り返り十三を見上げれば、可笑しくてたまらないとばかりに、口元に手をやって笑いを堪えていた。
「やっぱり紅羽さんだ」
「い、ち、の、せ、せ、ん、ぱ、い」
「紅羽先輩」
わざわざ一言一句区切って言い直したのに、十三のやつは僕の名前に先輩をつけただけで、否が応でも名字で呼ぶつもりはないらしい。
ポーンとエレベーターの音が鳴り、目の前の扉が開く。仕事中で誰も乗っていないがらんとした空間に、僕が先に乗って“開”のボタンを押す。十三も乗り込んだのを確認してから“閉”を押し、続けて“1”を押そうとした手を十三に掴まれた。
「な、何す」
「なんか運命感じちゃいますよね、これ」
「う、運命って……」
エレベーターの扉が閉まる。けれど階層のボタンを押していないせいで、エレベーターが動き出す気配は一向にない。
「い、今、は、仕事中で」
「それなんですけど、別に今さら案内なんてしなくて大丈夫ですよ」
「それって……ふ、くっ」
どういうことだと顔を上げたところに、待ってましたとばかりに十三に口を塞がれた。舌先で口をこじ開けられ、口内を十三の舌が好き勝手に荒らしていく。
奥に引っ込めていた自分の舌を絡め取られ、上手く飲みきれない唾液が唇から零れた。それは僕に昨夜を思い出させて、また息が苦しくなってくる。
「ふーっ、んんーっ」
「……いっ」
あまりの息苦しさに、勢いあまってやつの舌を噛んでしまった。
やつが驚いたように肩をびくつかせ、僕から距離を取る。痛みで口を押さえる様があまりにも滑稽で、僕は「ザマァみろ!」と年甲斐もなく乱暴な言葉を使ってしまった。
「……ははっ」
けれど十三は怒るでもなく、むしろ逆に吹き出すと、何事もなかったように“1”のボタンを押した。
「先輩、部長にもそれ言えればいいのに」
「……だって、僕はβの中でも、普通だから」
「あー、ありますよね。一人だけ、そういうβを入れておくって風潮」
「……」
あからさまになってきたのは、高校からだったと思う。別にβだから頭がいいとか悪いとか、運動が出来る出来ないとかはないのだけど、僕はたぶん、世渡りが上手くはなかったのだろう。
例えばそれは、放課後、制服でゲーセンに寄ってみたりだとか。学校をサボってファーストフードに行ってみたりだとか。そういう、少しハメを外すようなことをしてこなかった。
結果的に僕は、面白みのない、真面目で、素朴なやつと認識されてしまったわけで。
「αとかΩだったら、少しは違ったのかな……」
人とは違う自分に、なれたのかな。
「……なりたいんですか?」
十三のくぐもった言葉が、押さえた口の合間から聞こえた。だいぶん強く噛んでしまったらしい。んべ、と出した舌先は真っ赤に滲んでいた。
「選べないし、なれるもんじゃないだろうが。ほら、もう着くぞ」
チーンと音が鳴ってエレベーターの扉が開く。“開”のボタンを押したまま「早く出ろ」と十三を先に出してから、続けて自分も出た。
「それじゃ、まずはだな」
少し弱音を吐いてしまったし、ここは先輩らしく案内しないとな。そう意気込んで、ホールの案内図前まで歩いていく。
「あ、紅羽先輩、案内なんですけど」
「うん? 見たいとこでもあったか?」
なんだ、それなら早く言えよ。と言いたいのを我慢して「どうした?」と胸を張ってふんすと鼻を鳴らした。
「いや、もう全部頭に入ってるんで、今さら案内はいらないです」
「へ? や、でも、案内するのが僕の仕事、で」
どうしよう。このままじゃ戻れない。戻れば、また部長からの怒鳴り声が飛んでくるのは、目に見えて明らかだ。
さっきまでの覇気を失くして肩を落とした僕に、十三が「だから」と外を示した。
「外回り、行きましょう」
「で、でも僕、営業じゃ……」
「いいからいいから。さ、行きましょ、先輩」
随分強引で、我儘な後輩だ。
戻ったら部長に怒られるかなとか、仕事どうしようとか、思うことは山程あるのだけれど、久しぶりに出た明るい外は、そんな不安を一気に吹き飛ばしてくれた。
289
お気に入りに追加
526
あなたにおすすめの小説
君のことなんてもう知らない
ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。
告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。
だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。
今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが…
「お前なんて知らないから」
【本編完結済】巣作り出来ないΩくん
ゆあ
BL
発情期事故で初恋の人とは番になれた。番になったはずなのに、彼は僕を愛してはくれない。
悲しくて寂しい日々もある日終わりを告げる。
心も体も壊れた僕を助けてくれたのは、『運命の番』だと言う彼で…
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話
ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。
βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。
そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。
イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。
3部構成のうち、1部まで公開予定です。
イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。
最新はTwitterに掲載しています。
傷だらけの僕は空をみる
猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。
生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。
諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。
身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。
ハッピーエンドです。
若干の胸くそが出てきます。
ちょっと痛い表現出てくるかもです。
誰よりも愛してるあなたのために
R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。
ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。
前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。
だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。
「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」
それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!
すれ違いBLです。
初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。
(誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)
期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています
ぽんちゃん
BL
病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。
謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。
五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。
剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。
加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。
そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。
次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。
一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。
妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。
我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。
こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。
同性婚が当たり前の世界。
女性も登場しますが、恋愛には発展しません。
ありあまるほどの、幸せを
十時(如月皐)
BL
アシェルはオルシア大国に並ぶバーチェラ王国の侯爵令息で、フィアナ王妃の兄だ。しかし三男であるため爵位もなく、事故で足の自由を失った自分を社交界がすべてと言っても過言ではない貴族社会で求める者もいないだろうと、早々に退職を決意して田舎でのんびり過ごすことを夢見ていた。
しかし、そんなアシェルを凱旋した精鋭部隊の連隊長が褒美として欲しいと式典で言い出して……。
静かに諦めたアシェルと、にこやかに逃がす気の無いルイとの、静かな物語が幕を開ける。
「望んだものはただ、ひとつ」に出てきたバーチェラ王国フィアナ王妃の兄のお話です。
このお話単体でも全然読めると思います!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる