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番外編
番外編 梨紗の憂鬱:3 蓮side
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──いない。
「……どこか、行った……?」
書き置きもなく、部屋へ行っても物がほとんどなくがらんとしている。机にたまったほこりが長い時間を表していて、ここには数日の間誰もいなかったことを示していた。
仕事を早く切り上げ、一日早く帰ることを許された俺。──電話したときにおかしかった調子と口調。どうしても早く会いたくて、帰ってきても──誰もいない。
「出て、行った?」
──絶対に、そんなはずは、ない。それでも脳は考えることを拒否した。
──海外事業部の星が、聞いて呆れる。
その時、玄関先に足音がした。
「っ、梨紗……っ?」
「……れ、ん……なんで」
少し掠れた声と、掴んでいるお気に入りだったトランク。
──どうして。
「っ、どうして、そんなことするんだよっ?」
「い、痛い」
「……ごめん」
──肩が、震えている。
「……どうして、出て行くなんて事」
「…………」
靴の先に何かがついているかのように、うつむいてしまった。貝殻のように閉じた唇に、そっとキスをする。
「っやめてよっ……!!」
「──梨紗?」
「都合のいい女になんかなりたくないっ!」
「──はっ?」
思わず出てしまった低い声。びくり、と更に肩を震わせたことが分かって罪悪感が湧いてくるが──それよりも。
「……都合のいいって、何?」
「っキスしてた、あそこでっ! もうやだっ、疲れた、もう、もうっ……!」
握りしめた手と、噛み締めた唇──血が出ている。ほどかせた手のひらには深い爪痕がついており、細い線が出ている。
「……してない」
「──えっ……?」
「そんなこと、してない」
「っ、あの、女の人っ」
「出張についてきた新人。酒癖がめちゃくちゃ悪い」
「……そっ、かぁっ……!」
「お、おい、梨紗?」
脱力して、包み込んでいる腕も力なくだらりとぶら下がったようになってしまった。──いつもらしくなく、自嘲の笑みが浮かんでいる。
「ほんと、馬鹿だね、私……ごめん、どっちにしろこんな女、都合が良くてもいらないよね。私が蓮だってそうするから」
一息に言い切り、遮るタイミングを完全に消された。
「おい、梨紗」
「鍵を置きにくるだけだったから、ごめんね。会社もやめるから心配しないで、邪魔はしないから」
「……おい」
「私は大丈夫だよ、また元に──」
「黙れ」
「……っ」
──会う前の彼女に、戻りかけている。
会う前の彼女は寡黙でおとなしくて、悪く言えば根暗。激しい自己卑下に何度惑わされたことか──が、しかし。
「……都合がいい女だとも馬鹿だとも思っていない。とりあえず、家に入らないか」
「…………」
──出張なんて、引き受けなければ良かった。
細い腕を引きながら、そう思ったのは──絶対に部下には言えない。
「……どこか、行った……?」
書き置きもなく、部屋へ行っても物がほとんどなくがらんとしている。机にたまったほこりが長い時間を表していて、ここには数日の間誰もいなかったことを示していた。
仕事を早く切り上げ、一日早く帰ることを許された俺。──電話したときにおかしかった調子と口調。どうしても早く会いたくて、帰ってきても──誰もいない。
「出て、行った?」
──絶対に、そんなはずは、ない。それでも脳は考えることを拒否した。
──海外事業部の星が、聞いて呆れる。
その時、玄関先に足音がした。
「っ、梨紗……っ?」
「……れ、ん……なんで」
少し掠れた声と、掴んでいるお気に入りだったトランク。
──どうして。
「っ、どうして、そんなことするんだよっ?」
「い、痛い」
「……ごめん」
──肩が、震えている。
「……どうして、出て行くなんて事」
「…………」
靴の先に何かがついているかのように、うつむいてしまった。貝殻のように閉じた唇に、そっとキスをする。
「っやめてよっ……!!」
「──梨紗?」
「都合のいい女になんかなりたくないっ!」
「──はっ?」
思わず出てしまった低い声。びくり、と更に肩を震わせたことが分かって罪悪感が湧いてくるが──それよりも。
「……都合のいいって、何?」
「っキスしてた、あそこでっ! もうやだっ、疲れた、もう、もうっ……!」
握りしめた手と、噛み締めた唇──血が出ている。ほどかせた手のひらには深い爪痕がついており、細い線が出ている。
「……してない」
「──えっ……?」
「そんなこと、してない」
「っ、あの、女の人っ」
「出張についてきた新人。酒癖がめちゃくちゃ悪い」
「……そっ、かぁっ……!」
「お、おい、梨紗?」
脱力して、包み込んでいる腕も力なくだらりとぶら下がったようになってしまった。──いつもらしくなく、自嘲の笑みが浮かんでいる。
「ほんと、馬鹿だね、私……ごめん、どっちにしろこんな女、都合が良くてもいらないよね。私が蓮だってそうするから」
一息に言い切り、遮るタイミングを完全に消された。
「おい、梨紗」
「鍵を置きにくるだけだったから、ごめんね。会社もやめるから心配しないで、邪魔はしないから」
「……おい」
「私は大丈夫だよ、また元に──」
「黙れ」
「……っ」
──会う前の彼女に、戻りかけている。
会う前の彼女は寡黙でおとなしくて、悪く言えば根暗。激しい自己卑下に何度惑わされたことか──が、しかし。
「……都合がいい女だとも馬鹿だとも思っていない。とりあえず、家に入らないか」
「…………」
──出張なんて、引き受けなければ良かった。
細い腕を引きながら、そう思ったのは──絶対に部下には言えない。
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