上 下
6 / 21
近づいていく距離

笑顔色、スプリッツァー

しおりを挟む
「あ、少し熱下がりましたね。まだ寝ますか?」

 体温計の画面を咲に見せながら言った翔。

「んー、アクスエットある? ちょっと飲みたい……」
「ありますよ、さっき松野さんが買って来てました。これ」
「ありがとー……翔君今日大丈夫なの?」
「っえ? 今日はオフなんで大丈夫ですが」
「そーじゃなくて、彼女さんとか。いるでしょ?」
「はい? いませんけど」
「は?」
「は?」

 え、彼氏いないの? 意外──大きな目を見開いて言った咲。頬の赤みは引き、少しずついつもの状態に戻りつつある。

「バーテンダーなんて、ほとんど出会いないですから。まぁお客さんぐらい? でもだいたいはおっさんだったりなので……咲さんとかは珍しいですよ、種類的には」
「へぇ、そうなんだ……ルックスいいのにね」
「はいはい、そういうの言わないほうがいいですよ。それに咲さんだって自覚するべきだ」
「え、なんで? 何を?」
「男にそういう事言うと、勘違いしますから。咲さんだって十分美人だし──どっちかっつーと可愛い部類か」
「え、そんなお世辞やめて……勘違いは分かったから」

 また照れる。引いた頬の赤みがまた差し始めたようだ。

「ははっ、また照れてる。意外と照れ性ですか?」
「たまーに言われる。もうタメ口でいいよ、何歳だっけ」
「俺は二十一」
「あ、ちょうど一緒じゃん。じゃあもういっか」
「そうだね……咲でいいの?」
「いいよー、もう君付けする気もないし。翔でいっか」
「っ……!?」
「ん、どした? 風邪移った? いつもは移らないのに……変なの」
「い、いや、なんでもない。気にしないで」
「……? はーい」

 あぁ、もう。本当に、調子が狂う。男の名前、そんなに気安く呼んじゃダメだってば──俺だからいいけど。
 いや、俺だけじゃないと困る。竹内さんは竹内だし、大丈夫かな──そう考えこんでいると、首を傾げていた咲がふわっと笑った。

「っ、や、やめてっ」
「……え? わ、私……何かした?」
「そうじゃなくて、咲本当に自覚して! 男の前でそんな風に笑っちゃダメだってば!」
「そ、そうなの……? 高校時代はあんまり男子とは話してなかったけど」

 なんとも、トンチンカンな返答が返ってくる。こういう天然さも、だ。

「──ほんとに、『スプリッツァー』みたいだ。『バカルディ』でも『ブルー・ラグーン』でもあるけど、破壊力ありすぎ……」

 俺には、人をカクテルに例える癖がある。バーテンダーの悲しいさがだろうけど、治せないんだ。

「『スプリッツァー』って、カクテル? 美味しい?」
「あ、うん。白ワインにソーダ水を混ぜて飲むんだけど……結構辛口で」
「へぇ……体調良くなったら飲んでみたいな。バカルディと一緒に」
「ははっ、今度は彼氏さんと来たらいいんじゃ──」
「やめて」

 貫くような声だった。
 冗談交じりに言った自分を責めたくなるような、冷たい氷柱つららがダーツのように降り注ぐ──自分がその的になったような感覚。冷たい、氷だけが入ったグラス──何も映さない、透明な。

「え?」
「彼氏とか、無理だから」

 ふわりと透明な花びらが落ちるように、笑いの表情が崩れ落ちていく。炭酸のように弾けていた笑顔は崩れ、能面のように無感動なものになっていった。
 あのスプリッツァーの笑顔が嘘のように。

「…………」
「──あ、ごめんね。彼氏とかは、作る気がないの。色々あったから」
「そう、なんだ……」
「うん」

 その夜、俺は咲とどう話していいのか分からなかった。心の中で、図々しくも願っていた自分を丸ごとぐしゃぐしゃにされたような感覚だったから。
 咲が、俺を好きになってくれたら──なんて。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

隣の人妻としているいけないこと

ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。 そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。 しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。 彼女の夫がしかけたものと思われ…

壁の薄いアパートで、隣の部屋から喘ぎ声がする

サドラ
恋愛
最近付き合い始めた彼女とアパートにいる主人公。しかし、隣の部屋からの喘ぎ声が壁が薄いせいで聞こえてくる。そのせいで欲情が刺激された両者はー

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

【完結】夫もメイドも嘘ばかり

横居花琉
恋愛
真夜中に使用人の部屋から男女の睦み合うような声が聞こえていた。 サブリナはそのことを気に留めないようにしたが、ふと夫が浮気していたのではないかという疑念に駆られる。 そしてメイドから衝撃的なことを打ち明けられた。 夫のアランが無理矢理関係を迫ったというものだった。

【完結】王太子妃の初恋

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
カテリーナは王太子妃。しかし、政略のための結婚でアレクサンドル王太子からは嫌われている。 王太子が側妃を娶ったため、カテリーナはお役御免とばかりに王宮の外れにある森の中の宮殿に追いやられてしまう。 しかし、カテリーナはちょうど良かったと思っていた。婚約者時代からの激務で目が悪くなっていて、これ以上は公務も社交も難しいと考えていたからだ。 そんなカテリーナが湖畔で一人の男に出会い、恋をするまでとその後。 ★ざまぁはありません。 全話予約投稿済。 携帯投稿のため誤字脱字多くて申し訳ありません。 報告ありがとうございます。

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

処理中です...