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本編
夜
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「……ふーっ」
「寝た?」
「ん、眠そうだったし」
「ふふっ、良かった……」
夜──時刻は十時半を回った。眠りについた海月を起こさないようにドアを閉めた後、翔悟はリビングでコーヒーを飲んでいた英里奈の元に向かった。
「……一人、かぁ。私には経験がないや。いっつも誰かが家にいたから」
自分のことでもなく、ましてや自分の家庭のことでもないにもかかわらずアンナの目はどこか物憂げだ。
「出張で一週間一人でいることもあるらしい」
「寂しくないの?」
「慣れてるって言ってるけど、見るからに慣れてない。っていうか、寂しいって顔に書いてあった」
コーヒーにミルクを入れて飲み始めた──そのままで飲めるほど慣れてはいない。
「うーん……来ていいよ、って言った?」
「言った。でも遠慮してる」
「……叔母さんに少しでも迷惑かけないように、縮こまってるのかしら……迷惑をかけないように強くなろうとしてるけど、その自分を作るにはピースが足りない。その叔母さんと話してみたいわね」
カーテンのレールに立てられたパズルを一瞥し、アンナはコーヒーをすすった。
「きっかけなんか作ろうと思えば作れるんでしょ?」
「あら、よく分かってるじゃない」
洋風の家具が集められたリビング。ソファに座ってあぐらをかく英里奈は、目を細めながら思案するように溜め息をついた。
「……心理士としては、治してあげたいわね。母親のことは聞いた?」
そう、英里奈は心理士だ。近所の病院の精神科に勤めており、主に思春期の少年少女や小さな子供を得意としている。
「肺炎で死んだって。父親は元からいなかったらしい」
「典型的ね……あの性格もうなずけるけど、あそこまで素直に育ったのはすごいわね。ひがんだり、自己卑下が激しくなるのはよくあるんだけど」
「自己卑下か……あんまりないかも。無自覚だけどね」
「あっ、そっちね……」
また、コーヒーを啜った。飲み終わったのか、また英里奈はソーサーに向かう。
「ルナちゃんだっけ? 彼氏を作らない気持ちも分かる。あんな無自覚な子守るしかないじゃない。あの子は彼氏いないんでしょ?」
「少なくともいても俺は知らない。いないと思うよ」
お代わり、とカップを差し出しながら翔悟。
「うーん……明日は土曜日か。あの子を家に帰すの?」
「それは俺が決めていいの?」
「あなたの気持ちを聞いてるだけ」
どちらともつかない──否、つけないような微笑だ。
「……叔母さんが帰ってくるならいいんじゃないの?」
「帰ってくるの?」
「知らない。会社ででかいトラブルがどうとかって」
「スマホは?」
「そこ」
ハンガーラックにかけられた制服と立てかけてあるバッグのそばに置いてあるスマートフォン。まるで見てもらうことを待っていたように、バイブレーションが始まった。
「あら、連絡来てるじゃない……『ごめんなさい、言い忘れていました。月曜日から一週間出張で家を空けます。連絡が遅れてごめんなさい』……あらあら、かなりご多忙なのね。一週間の間いなくなるなんて」
「そうみたいだね。……え、何してるの?」
スマートフォン下部の中央にある丸いボタンをダブルクリックした。ロック解除の画面が表示される。
「翔悟、海月ちゃんの誕生日知ってる?」
「え? えっと、十二月七日。こないだ祝った」
「一、二、零、七……お、ビンゴ」
「って、何ロック解除してんだよっ!?」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、手慣れた様子でスマートフォンを操作する英里奈。電話をかけ始めた──すぐに応答する。
「あ、もしもし? 海月ちゃんの彼氏の母の深海英里奈と申しますー、お世話になっておりますー。
え? あ、寝ています。こちらで急に大雪が降って、急遽うちの家に。はい、はい。そうなんですよ、月曜日から一週間とのことでしたよね。
それなんですけども、その間海月ちゃんをうちの家でお預かりさせていただいても……あ、はい。大丈夫です大丈夫です。じゃあお預かりさせていただきます、お仕事頑張って下さい、
はい。はい、おやすみなさい。……はい、外堀は埋めたわよ」
星でも飛び出て来そうなウインクをした後、カップを片付け始めた。
「……さすが」
「うふ、ありがとう。ほら寝なさい。片付けはしておくから」
「おやすみ」
埋めた外堀は、城の陥落への大きな一手となるのだろうか────。
「寝た?」
「ん、眠そうだったし」
「ふふっ、良かった……」
夜──時刻は十時半を回った。眠りについた海月を起こさないようにドアを閉めた後、翔悟はリビングでコーヒーを飲んでいた英里奈の元に向かった。
「……一人、かぁ。私には経験がないや。いっつも誰かが家にいたから」
自分のことでもなく、ましてや自分の家庭のことでもないにもかかわらずアンナの目はどこか物憂げだ。
「出張で一週間一人でいることもあるらしい」
「寂しくないの?」
「慣れてるって言ってるけど、見るからに慣れてない。っていうか、寂しいって顔に書いてあった」
コーヒーにミルクを入れて飲み始めた──そのままで飲めるほど慣れてはいない。
「うーん……来ていいよ、って言った?」
「言った。でも遠慮してる」
「……叔母さんに少しでも迷惑かけないように、縮こまってるのかしら……迷惑をかけないように強くなろうとしてるけど、その自分を作るにはピースが足りない。その叔母さんと話してみたいわね」
カーテンのレールに立てられたパズルを一瞥し、アンナはコーヒーをすすった。
「きっかけなんか作ろうと思えば作れるんでしょ?」
「あら、よく分かってるじゃない」
洋風の家具が集められたリビング。ソファに座ってあぐらをかく英里奈は、目を細めながら思案するように溜め息をついた。
「……心理士としては、治してあげたいわね。母親のことは聞いた?」
そう、英里奈は心理士だ。近所の病院の精神科に勤めており、主に思春期の少年少女や小さな子供を得意としている。
「肺炎で死んだって。父親は元からいなかったらしい」
「典型的ね……あの性格もうなずけるけど、あそこまで素直に育ったのはすごいわね。ひがんだり、自己卑下が激しくなるのはよくあるんだけど」
「自己卑下か……あんまりないかも。無自覚だけどね」
「あっ、そっちね……」
また、コーヒーを啜った。飲み終わったのか、また英里奈はソーサーに向かう。
「ルナちゃんだっけ? 彼氏を作らない気持ちも分かる。あんな無自覚な子守るしかないじゃない。あの子は彼氏いないんでしょ?」
「少なくともいても俺は知らない。いないと思うよ」
お代わり、とカップを差し出しながら翔悟。
「うーん……明日は土曜日か。あの子を家に帰すの?」
「それは俺が決めていいの?」
「あなたの気持ちを聞いてるだけ」
どちらともつかない──否、つけないような微笑だ。
「……叔母さんが帰ってくるならいいんじゃないの?」
「帰ってくるの?」
「知らない。会社ででかいトラブルがどうとかって」
「スマホは?」
「そこ」
ハンガーラックにかけられた制服と立てかけてあるバッグのそばに置いてあるスマートフォン。まるで見てもらうことを待っていたように、バイブレーションが始まった。
「あら、連絡来てるじゃない……『ごめんなさい、言い忘れていました。月曜日から一週間出張で家を空けます。連絡が遅れてごめんなさい』……あらあら、かなりご多忙なのね。一週間の間いなくなるなんて」
「そうみたいだね。……え、何してるの?」
スマートフォン下部の中央にある丸いボタンをダブルクリックした。ロック解除の画面が表示される。
「翔悟、海月ちゃんの誕生日知ってる?」
「え? えっと、十二月七日。こないだ祝った」
「一、二、零、七……お、ビンゴ」
「って、何ロック解除してんだよっ!?」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、手慣れた様子でスマートフォンを操作する英里奈。電話をかけ始めた──すぐに応答する。
「あ、もしもし? 海月ちゃんの彼氏の母の深海英里奈と申しますー、お世話になっておりますー。
え? あ、寝ています。こちらで急に大雪が降って、急遽うちの家に。はい、はい。そうなんですよ、月曜日から一週間とのことでしたよね。
それなんですけども、その間海月ちゃんをうちの家でお預かりさせていただいても……あ、はい。大丈夫です大丈夫です。じゃあお預かりさせていただきます、お仕事頑張って下さい、
はい。はい、おやすみなさい。……はい、外堀は埋めたわよ」
星でも飛び出て来そうなウインクをした後、カップを片付け始めた。
「……さすが」
「うふ、ありがとう。ほら寝なさい。片付けはしておくから」
「おやすみ」
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