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第4章 苦海の章
第92話 命は鴻毛よりも軽し
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元康の人品を見定めに来たという奥平監物定勝。そのぶしつけな物言いに若い五井松平家当主・弥九郎景忠が刀の柄に手をかけるものの、それをすぐ傍の長沢松平家当主の松平政忠が制止する。
側に控える元康の近侍たちや、大草松平善兵衛尉正親、深溝松平大炊助好景、平岩権太夫元重と平岩矢之助基親らも憤怒を押し殺している様子であった。
「なるほど、左様にございましたか。して、奥平監物殿から見て、この元康の器量はいかほどと見受けられましょう」
「松平清康公を十、松平広忠公を三とすれば、貴殿は二であるとお見受けした」
「ほう、某は祖父はおろか、父にも遠く及ばぬと申されましたか」
怒りを制し、平静を装う元康であったが、そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだと眉が痙攣し、警鐘を鳴らしている。
「いかにも。今川家の後ろ盾がなくては何もできぬ。独立した国衆として奮闘した経験のある先々代や先代に肩を並べられると本気でお思いとは片腹痛し。まぁ、此度の遠征では与力を命じられた以上は大人しく従いまするが、不都合あらば即時指摘いたしまするゆえ、そのおつもりで臨まれたい。では、これにて失礼いたす」
言いたい放題言って離席していく。とてもこの遠征において、与力となる者の態度ではない。
「なんじゃ、あの無礼な態度は!今度会ったら叩き切ってくれるわ!」
そう怒ったのは五井松平の弥九郎景忠――ではなく、他ならぬ元康自身であった。だが、その場にいる誰よりも真っ先に怒気を口にしたことで、その場の刺々しい空気は一瞬にして取り払われた。
「ふぅ、やはり鬱憤は散ずるに限る。このままため込んでいては、いざ戦場で判断を誤るところであった」
「いや、まことにその通りじゃ!奥三河から迷い出た年老いた山猿めが!」
そう口にしたのは元康が怒気を散じたことで、怒りをぶちまけ損なった松平弥九郎。それを隣の松平政忠や青野松平家臣の二人がくすくす笑いを始める。
「あれでも、この元康の大叔母が嫁いでおった相手じゃ。水野右衛門大夫妙茂が妹が正室として輿入れしておるゆえな」
「この大炊助も聞いたことがございます。なんでも、その間に産まれた嫡男が奥平九八郎定能だとも」
「そうじゃ。ゆえに、某から見て奥平監物は大叔父、奥平九八郎は従叔父にあたる」
あれほどな無礼な物言いには腹が立ったが、身内の諫言だと思えば自然と腹の虫も収まってきたように感じられる。
「改めて、長沢、大草、五井、深溝、青野の五家より合力いただけたこと、まことかたじけない」
「蔵人佐殿がお気になさることではござらぬぞ。これも今川家に従属する国衆としての務めじゃ。日ごろは今川家に守ってもらっておるのだから、いざ戦となれば先鋒として働くのは当然のこと」
「うむ。此度の尾張侵攻で勝利した暁には、我らも織田に脅かされることはなくなる。気張って参ろうぞ」
その場にいる者たちは皆握りこぶしを作り、気合十分といった様子。その後も各々と語らった後、明日の進軍に備えるよう、持ち場へ戻らせた。
「殿、お疲れにございまするな」
「おお、伊賀か。よくぞ参った」
先ほどまで高ぶっていた血の気を落ち着かせるような和やかな声で元康の元へやって来たのは鳥居伊賀守忠吉であった。文字通りの好々爺ぶりに、元康も自然と笑顔がこぼれる。
「此度はそなたも従軍してくれると聞き、頼もしく思っておる」
「いえいえ、このような老いぼれでは槍働きなどとてもとても」
「ははは、期待しておるのは槍働きではのうて、こっちのほうじゃ」
元康は右人差し指で自らの側頭部を突っついて見せる。その様子に、鳥居伊賀は笑いながら頷く。先日亡くなった源応尼と同じ数えで六十九となる老臣の経験則は必ずや戦場において重要なものとなる。そう考えているからこその元康の言葉であった。
「殿、緊張しておられまするか」
「しておらぬ、と申せば嘘になる。当り前じゃ、これで戦は二度目。まだまだ実戦経験が少ないゆえな」
「それでも二千や三千の三河衆を束ねて戦に臨もうとなさっておる。この爺は殿を誇らしく思いまするぞ」
「ははは、嬉しいことを申してくれるではないか。よし、三河に松平元康ありと尾張中に知らしめてやろうぞ」
なにも武功を焦っての言葉ではない。ただ、少しでも功績を挙げておかねばならないことは先ほどの奥平監物とのやり取りでも感じていたのだ。
いつまでも祖父や父よりも下に見られているようでは、これからも松平家を束ねていくことは難しいのだ。祖父や父のようにとはいかずとも、異なる形でもいいから実績を積み上げていくことこそが肝要なのだと自分に言い聞かせる言葉でもあった。
そうして夜が明けて五月十七日。今川軍は進軍を再開した。岡崎城を出た今川軍は順次、矢矧川を渡河。鎌倉街道や東海道を使って池鯉鮒へ至る行軍路であった。
池鯉鮒は立地上、苅谷や緒川を牽制するには向いている地であったこともあり、義元は知立城に水野下野守信元に対する抑えの兵を割くなど、水野家への警戒を緩めることはなかった。
そして、今川義元率いる大軍勢は翌十八日に尾張との国境である境川を渡河。先陣である井伊信濃守直盛らを先頭に鎌倉街道を通過し、夕刻に前線拠点の一つである尾張国沓掛城へ入城した。
今川赤鳥の旗が翻る沓掛城において、義元は各隊に指示を出すべく、諸将を招集した。
瀬名陸奥守氏俊、浅井小四郎政敏、松平蔵人佐元康といった一門衆や朝比奈備中守泰朝と朝比奈丹波守親徳ら譜代家臣に、地の利を知る沓掛城主の近藤九十郎景春。先陣を務めていた井伊信濃守や松井左衛門佐宗信ら遠江国衆らが顔をそろえた。
「うむ。皆の者、ここまで順調に進軍できたこと、まこと上首尾である。さて、予から皆に明日よりの指示を出す」
「「ははっ!」」
眼前を飛ぶ五月蝿い蝿を手で追い払うと、義元は白扇で自身を仰ぎながら指示を出し始めた。
「じゃが、その前に瀬名陸奥守。そちには本陣の設営を命じておいたが、進捗はどうなっておる」
「はっ、長福寺の裏山である桶狭間山の中腹に本陣の設営が完了しておりまする。また、偵察したところ、山に伏兵の気配は見受けられませんでした」
「そうであったか。大儀であった。陸奥守はこの軍議が終わりし後に沓掛城を発ち、一足早く桶狭間山へ戻るのじゃ。その後の指示は予が本陣へ入った後に下すこととする」
「承知いたしました。太守様のお越しをお待ちしております」
「うむ」
本陣は予定通り桶狭間山。すでに瀬名陸奥守によって陣営は設営済みとのことで、偵察も申し付けられたとおりに済ませている手際の良さに元康も感服するほかなかった。そのことは、義元の上機嫌な表情を見れば誰の目から見ても明らかである。
「次、松平蔵人佐」
「はっ!」
「そなたは先勢を務め、夜のうちに大高城へ兵粮を入れて貰いたい」
「兵粮の搬入にございまするか。なるほど、それゆえに太守様は奥平監物を某の与力になさったのでございますか」
「そうじゃ。夜のうちに兵粮を運び入れ、寅の刻より佐久間大学盛重が守る丸根砦を攻めよ」
夜は大高城への兵粮搬入、深夜から明け方にかけて丸根砦攻め。ともすれば、元康らは夜通し働くことにもなる。問題は砦を攻め落とした後のことである。そのまま前線へ投入されては、寝不足のまま織田の精鋭と戦い続けることとなる。
その点が元康にとって唯一といっても良いほど気がかりな点ではあった。
「安心せよ。蔵人佐らは丸根砦を陥落させたのちは大高城へ下げる。そこでしかと休息を取るがよい」
「はっ、承知いたしました!」
しっかり休めることを確認できたことに、元康は安堵した。その不安を抱いたまま戦地へ赴いたとして、麾下の将兵らが承服すまい。そう感じてもいたからであった。
「うむ。朝比奈備中守は松平蔵人佐が沓掛城から出陣したならば三浦勢とともにそれに続くのじゃ」
「承知!我らも大高城へ向かえばよろしゅうございますか!」
「否、そちには飯尾近江守定宗とその嫡男である隠岐守尚清、織田玄蕃允秀敏らが守る鷲津砦攻めの任を与える。ただし、攻めかかるのは松平蔵人佐らが丸根砦へ攻めかかるのと同時といたせ」
「同時……。ははっ、しかと拝命仕りました!」
「しかと頼むぞ」
元康のほかに、瀬名陸奥守と朝比奈備中守の任務が定まった。朝比奈備中守ははやる気持ちを抑えられないのか、早く戦をしたくてうずうずしているといった様子。そこへ、義元は残る者たちへ順次命を下していく。
「朝比奈丹波守、井伊信濃守、松井左衛門佐。そなたらは戦局が優勢となれば、予とともに沓掛城を出陣する。まずは東浦街道を南南西へ、大脇村から大高道に入って西進した後、近崎道から桶狭間山に向かって北上する行軍路でもって桶狭間山を目指す。良いな?」
「はっ!」
「承知いたしました!」
「お供仕りまする!」
命令を下した三名が素早く頭を下げ、しかと命令を理解した様子であるのを確認し、義元は最後の命を下す。
「浅井小四郎、そなたには沓掛城の守備を申しつくるものとする。武田よりの援軍とともに、しかと水野の動きから目を離すでないぞ」
「ははっ!一門衆として、太守様の顔に泥を塗らぬよう、務めまする!」
「よろしい。近藤九十郎はこの辺りの地理を心得ておる者ゆえ、しかと浅井小四郎を補佐せよ。また、近藤九十郎は支城である高圃城に入り、守りを固めておくように」
「しょ、承知仕りました……!」
かくして、浅井小四郎と近藤九十郎への指示も終えた。義元も指示を終えたことに満足したのか、口角が普段以上に上がっている。
「太守様」
「近藤九十郎か。なんぞ、作戦に異見があるか」
「いえ。作戦についてではなく、宿所についてでございます。ここ沓掛城ではいささか手狭でございましょうゆえ、ここよりほど近い当家の菩提寺である祐福寺にてご宿泊なされてはいかがかと具申いたしまする」
「ふむ、たしかにそうじゃな。よろしい、近藤九十郎からの申し出を受け、今宵の宿所は祐福寺といたす。住職への折衝を頼む」
「しょ、承知いたしました!ただちに祐福寺へ向かい、太守様の宿所となされることの承諾を得て参りまする」
「それでよい。では、各々抜かりなく任を全うせよ!また、尾張服部党の協力も得て、伊勢からも物資を運び入れることができておる。勝機は我らにある。このまま織田の者共に目にもの見せてやろうぞ!」
かくして夕刻より開かれた軍評定は終いと相成った。各々が持ち場へ戻っていく中、誰よりも先に慌ただしく退出していったのは他ならぬ元康であった。その手には義元の奉公衆から受け取った一枚の半紙があった。
「蔵人佐殿、お急ぎのようですな」
「そなたは……」
元康が義元から大高城へ運び入れる兵粮の目録を片手に廊下を急ぎ足で移動していると、兜を小脇に抱えた中年の小男が呼びかけてきた。
彼は元康が急いでいるのを察してか、呼び止めることはなく、一歩後を追従してくる。
「はっ、宮石松平家当主、松平喜平宗次にございます。小勢ではございまするが、何卒蔵人佐殿の隊にお加えいただきたく」
「そなたも松平の者であったか。よかろう、当隊に加わってくだされ」
「かたじけない!これより、いずこへ向かわれるので?」
「大高城じゃ。太守様よりただちに出陣せよと命を受けたゆえな。兵粮を某の陣まで運ばねばならぬ」
松平喜平は元康が手にした目録をちらと見やると、ある申し出をした。
「何かを運ぶのでございましょう。拙者の隊が運ぶのを手伝いまする」
「それはすまぬ。では、某の指示した米俵を我が陣へ運び込んではくれまいか」
「お安い御用にございます」
元康は松平喜平指揮する宮石松平家の家人たちの協力を得て、大高城へ運び込む兵糧を松平家の本陣へ移動させることに成功したのである。
「まこと助かったぞ。そなたら宮石松平家の者たちには兵糧を守り、後方に控えておいて貰いたい。敵陣を突破するのは、我らが引き受けるゆえ」
「承知いたしましたぞ。命に替えても兵粮は死守いたしまする」
「うむ、重要な役目じゃ。しかと頼んだ」
元康は兵粮を守衛する役を宮石松平家の者らに任せるとは言ったものの、それだけでは不安に思い、前線では戦えない鳥居伊賀守と鳥居家の家人らを付けて備えさせる対応を取った。
「さあ、まずは大高城への兵粮入れからじゃ。その後は丸根砦攻めと今宵のうちに二度も死線をくぐらねばならぬ。心してかからねばならぬな」
そう独り言ちて人一倍気を引き締める元康なのであった――
側に控える元康の近侍たちや、大草松平善兵衛尉正親、深溝松平大炊助好景、平岩権太夫元重と平岩矢之助基親らも憤怒を押し殺している様子であった。
「なるほど、左様にございましたか。して、奥平監物殿から見て、この元康の器量はいかほどと見受けられましょう」
「松平清康公を十、松平広忠公を三とすれば、貴殿は二であるとお見受けした」
「ほう、某は祖父はおろか、父にも遠く及ばぬと申されましたか」
怒りを制し、平静を装う元康であったが、そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだと眉が痙攣し、警鐘を鳴らしている。
「いかにも。今川家の後ろ盾がなくては何もできぬ。独立した国衆として奮闘した経験のある先々代や先代に肩を並べられると本気でお思いとは片腹痛し。まぁ、此度の遠征では与力を命じられた以上は大人しく従いまするが、不都合あらば即時指摘いたしまするゆえ、そのおつもりで臨まれたい。では、これにて失礼いたす」
言いたい放題言って離席していく。とてもこの遠征において、与力となる者の態度ではない。
「なんじゃ、あの無礼な態度は!今度会ったら叩き切ってくれるわ!」
そう怒ったのは五井松平の弥九郎景忠――ではなく、他ならぬ元康自身であった。だが、その場にいる誰よりも真っ先に怒気を口にしたことで、その場の刺々しい空気は一瞬にして取り払われた。
「ふぅ、やはり鬱憤は散ずるに限る。このままため込んでいては、いざ戦場で判断を誤るところであった」
「いや、まことにその通りじゃ!奥三河から迷い出た年老いた山猿めが!」
そう口にしたのは元康が怒気を散じたことで、怒りをぶちまけ損なった松平弥九郎。それを隣の松平政忠や青野松平家臣の二人がくすくす笑いを始める。
「あれでも、この元康の大叔母が嫁いでおった相手じゃ。水野右衛門大夫妙茂が妹が正室として輿入れしておるゆえな」
「この大炊助も聞いたことがございます。なんでも、その間に産まれた嫡男が奥平九八郎定能だとも」
「そうじゃ。ゆえに、某から見て奥平監物は大叔父、奥平九八郎は従叔父にあたる」
あれほどな無礼な物言いには腹が立ったが、身内の諫言だと思えば自然と腹の虫も収まってきたように感じられる。
「改めて、長沢、大草、五井、深溝、青野の五家より合力いただけたこと、まことかたじけない」
「蔵人佐殿がお気になさることではござらぬぞ。これも今川家に従属する国衆としての務めじゃ。日ごろは今川家に守ってもらっておるのだから、いざ戦となれば先鋒として働くのは当然のこと」
「うむ。此度の尾張侵攻で勝利した暁には、我らも織田に脅かされることはなくなる。気張って参ろうぞ」
その場にいる者たちは皆握りこぶしを作り、気合十分といった様子。その後も各々と語らった後、明日の進軍に備えるよう、持ち場へ戻らせた。
「殿、お疲れにございまするな」
「おお、伊賀か。よくぞ参った」
先ほどまで高ぶっていた血の気を落ち着かせるような和やかな声で元康の元へやって来たのは鳥居伊賀守忠吉であった。文字通りの好々爺ぶりに、元康も自然と笑顔がこぼれる。
「此度はそなたも従軍してくれると聞き、頼もしく思っておる」
「いえいえ、このような老いぼれでは槍働きなどとてもとても」
「ははは、期待しておるのは槍働きではのうて、こっちのほうじゃ」
元康は右人差し指で自らの側頭部を突っついて見せる。その様子に、鳥居伊賀は笑いながら頷く。先日亡くなった源応尼と同じ数えで六十九となる老臣の経験則は必ずや戦場において重要なものとなる。そう考えているからこその元康の言葉であった。
「殿、緊張しておられまするか」
「しておらぬ、と申せば嘘になる。当り前じゃ、これで戦は二度目。まだまだ実戦経験が少ないゆえな」
「それでも二千や三千の三河衆を束ねて戦に臨もうとなさっておる。この爺は殿を誇らしく思いまするぞ」
「ははは、嬉しいことを申してくれるではないか。よし、三河に松平元康ありと尾張中に知らしめてやろうぞ」
なにも武功を焦っての言葉ではない。ただ、少しでも功績を挙げておかねばならないことは先ほどの奥平監物とのやり取りでも感じていたのだ。
いつまでも祖父や父よりも下に見られているようでは、これからも松平家を束ねていくことは難しいのだ。祖父や父のようにとはいかずとも、異なる形でもいいから実績を積み上げていくことこそが肝要なのだと自分に言い聞かせる言葉でもあった。
そうして夜が明けて五月十七日。今川軍は進軍を再開した。岡崎城を出た今川軍は順次、矢矧川を渡河。鎌倉街道や東海道を使って池鯉鮒へ至る行軍路であった。
池鯉鮒は立地上、苅谷や緒川を牽制するには向いている地であったこともあり、義元は知立城に水野下野守信元に対する抑えの兵を割くなど、水野家への警戒を緩めることはなかった。
そして、今川義元率いる大軍勢は翌十八日に尾張との国境である境川を渡河。先陣である井伊信濃守直盛らを先頭に鎌倉街道を通過し、夕刻に前線拠点の一つである尾張国沓掛城へ入城した。
今川赤鳥の旗が翻る沓掛城において、義元は各隊に指示を出すべく、諸将を招集した。
瀬名陸奥守氏俊、浅井小四郎政敏、松平蔵人佐元康といった一門衆や朝比奈備中守泰朝と朝比奈丹波守親徳ら譜代家臣に、地の利を知る沓掛城主の近藤九十郎景春。先陣を務めていた井伊信濃守や松井左衛門佐宗信ら遠江国衆らが顔をそろえた。
「うむ。皆の者、ここまで順調に進軍できたこと、まこと上首尾である。さて、予から皆に明日よりの指示を出す」
「「ははっ!」」
眼前を飛ぶ五月蝿い蝿を手で追い払うと、義元は白扇で自身を仰ぎながら指示を出し始めた。
「じゃが、その前に瀬名陸奥守。そちには本陣の設営を命じておいたが、進捗はどうなっておる」
「はっ、長福寺の裏山である桶狭間山の中腹に本陣の設営が完了しておりまする。また、偵察したところ、山に伏兵の気配は見受けられませんでした」
「そうであったか。大儀であった。陸奥守はこの軍議が終わりし後に沓掛城を発ち、一足早く桶狭間山へ戻るのじゃ。その後の指示は予が本陣へ入った後に下すこととする」
「承知いたしました。太守様のお越しをお待ちしております」
「うむ」
本陣は予定通り桶狭間山。すでに瀬名陸奥守によって陣営は設営済みとのことで、偵察も申し付けられたとおりに済ませている手際の良さに元康も感服するほかなかった。そのことは、義元の上機嫌な表情を見れば誰の目から見ても明らかである。
「次、松平蔵人佐」
「はっ!」
「そなたは先勢を務め、夜のうちに大高城へ兵粮を入れて貰いたい」
「兵粮の搬入にございまするか。なるほど、それゆえに太守様は奥平監物を某の与力になさったのでございますか」
「そうじゃ。夜のうちに兵粮を運び入れ、寅の刻より佐久間大学盛重が守る丸根砦を攻めよ」
夜は大高城への兵粮搬入、深夜から明け方にかけて丸根砦攻め。ともすれば、元康らは夜通し働くことにもなる。問題は砦を攻め落とした後のことである。そのまま前線へ投入されては、寝不足のまま織田の精鋭と戦い続けることとなる。
その点が元康にとって唯一といっても良いほど気がかりな点ではあった。
「安心せよ。蔵人佐らは丸根砦を陥落させたのちは大高城へ下げる。そこでしかと休息を取るがよい」
「はっ、承知いたしました!」
しっかり休めることを確認できたことに、元康は安堵した。その不安を抱いたまま戦地へ赴いたとして、麾下の将兵らが承服すまい。そう感じてもいたからであった。
「うむ。朝比奈備中守は松平蔵人佐が沓掛城から出陣したならば三浦勢とともにそれに続くのじゃ」
「承知!我らも大高城へ向かえばよろしゅうございますか!」
「否、そちには飯尾近江守定宗とその嫡男である隠岐守尚清、織田玄蕃允秀敏らが守る鷲津砦攻めの任を与える。ただし、攻めかかるのは松平蔵人佐らが丸根砦へ攻めかかるのと同時といたせ」
「同時……。ははっ、しかと拝命仕りました!」
「しかと頼むぞ」
元康のほかに、瀬名陸奥守と朝比奈備中守の任務が定まった。朝比奈備中守ははやる気持ちを抑えられないのか、早く戦をしたくてうずうずしているといった様子。そこへ、義元は残る者たちへ順次命を下していく。
「朝比奈丹波守、井伊信濃守、松井左衛門佐。そなたらは戦局が優勢となれば、予とともに沓掛城を出陣する。まずは東浦街道を南南西へ、大脇村から大高道に入って西進した後、近崎道から桶狭間山に向かって北上する行軍路でもって桶狭間山を目指す。良いな?」
「はっ!」
「承知いたしました!」
「お供仕りまする!」
命令を下した三名が素早く頭を下げ、しかと命令を理解した様子であるのを確認し、義元は最後の命を下す。
「浅井小四郎、そなたには沓掛城の守備を申しつくるものとする。武田よりの援軍とともに、しかと水野の動きから目を離すでないぞ」
「ははっ!一門衆として、太守様の顔に泥を塗らぬよう、務めまする!」
「よろしい。近藤九十郎はこの辺りの地理を心得ておる者ゆえ、しかと浅井小四郎を補佐せよ。また、近藤九十郎は支城である高圃城に入り、守りを固めておくように」
「しょ、承知仕りました……!」
かくして、浅井小四郎と近藤九十郎への指示も終えた。義元も指示を終えたことに満足したのか、口角が普段以上に上がっている。
「太守様」
「近藤九十郎か。なんぞ、作戦に異見があるか」
「いえ。作戦についてではなく、宿所についてでございます。ここ沓掛城ではいささか手狭でございましょうゆえ、ここよりほど近い当家の菩提寺である祐福寺にてご宿泊なされてはいかがかと具申いたしまする」
「ふむ、たしかにそうじゃな。よろしい、近藤九十郎からの申し出を受け、今宵の宿所は祐福寺といたす。住職への折衝を頼む」
「しょ、承知いたしました!ただちに祐福寺へ向かい、太守様の宿所となされることの承諾を得て参りまする」
「それでよい。では、各々抜かりなく任を全うせよ!また、尾張服部党の協力も得て、伊勢からも物資を運び入れることができておる。勝機は我らにある。このまま織田の者共に目にもの見せてやろうぞ!」
かくして夕刻より開かれた軍評定は終いと相成った。各々が持ち場へ戻っていく中、誰よりも先に慌ただしく退出していったのは他ならぬ元康であった。その手には義元の奉公衆から受け取った一枚の半紙があった。
「蔵人佐殿、お急ぎのようですな」
「そなたは……」
元康が義元から大高城へ運び入れる兵粮の目録を片手に廊下を急ぎ足で移動していると、兜を小脇に抱えた中年の小男が呼びかけてきた。
彼は元康が急いでいるのを察してか、呼び止めることはなく、一歩後を追従してくる。
「はっ、宮石松平家当主、松平喜平宗次にございます。小勢ではございまするが、何卒蔵人佐殿の隊にお加えいただきたく」
「そなたも松平の者であったか。よかろう、当隊に加わってくだされ」
「かたじけない!これより、いずこへ向かわれるので?」
「大高城じゃ。太守様よりただちに出陣せよと命を受けたゆえな。兵粮を某の陣まで運ばねばならぬ」
松平喜平は元康が手にした目録をちらと見やると、ある申し出をした。
「何かを運ぶのでございましょう。拙者の隊が運ぶのを手伝いまする」
「それはすまぬ。では、某の指示した米俵を我が陣へ運び込んではくれまいか」
「お安い御用にございます」
元康は松平喜平指揮する宮石松平家の家人たちの協力を得て、大高城へ運び込む兵糧を松平家の本陣へ移動させることに成功したのである。
「まこと助かったぞ。そなたら宮石松平家の者たちには兵糧を守り、後方に控えておいて貰いたい。敵陣を突破するのは、我らが引き受けるゆえ」
「承知いたしましたぞ。命に替えても兵粮は死守いたしまする」
「うむ、重要な役目じゃ。しかと頼んだ」
元康は兵粮を守衛する役を宮石松平家の者らに任せるとは言ったものの、それだけでは不安に思い、前線では戦えない鳥居伊賀守と鳥居家の家人らを付けて備えさせる対応を取った。
「さあ、まずは大高城への兵粮入れからじゃ。その後は丸根砦攻めと今宵のうちに二度も死線をくぐらねばならぬ。心してかからねばならぬな」
そう独り言ちて人一倍気を引き締める元康なのであった――
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日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
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