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第4章 苦海の章
第91話 ただ勝つのみぞ
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今川義元の三河守任官と今川氏真の治部太輔任官から遡ること二日前、永禄三年五月六日。元康が竹千代であった頃から、駿府で彼の成長を見守り続けた人物がこの世を去ろうとしていた――
「おばばさま!」
「く、くらんどのすけどの……」
元康が三河へ向かう前、於大の方からの書状を届け、なおかつ元康が三河へ向かうことを於大の方へ書状でそっと報せた祖母・源応尼。
水野右衛門大夫妙茂の継室として於大の方らを産み育てた賢妻良母である。彼女も今年で六十九。元康が三河へと向かった頃から体調を崩し始め、出陣四日前のこの時期に危篤を迎えていた。
呼びかけると虚ろな眼を動かし、かすれた声で応じる。壮健であった頃から知っている祖母が目の前で衰弱しきっている様に、元康も涙声で呼びかけていた。
「出陣に先立って祖母を亡くす。これは幸先の悪い凶兆と捉えられよう」
「そのようなこと、申されてはなりませぬ」
「よいですか、そなたは松平宗家の当主。祖母の死にくよくよして、武将としての恥を曝すようなことをしてはなりませぬぞ。そうなれば、わらわは化けて出ますぞ」
「そ、それは……」
「まことにわらわの成仏を願うならば、後ろ髪を引かれることなく旅立てるよう毅然とした振る舞いを心がけなさい」
先ほどまでは衰弱していた源応尼であったが、最期を悟ったのか、元康の中へ何かを残そうと、文字通り最後の力を振り絞っていた。
最初は首を横に振り、現実から目をそらそうとしていた元康も、目の前の祖母の気迫に感じるところがあり、黙って祖母の眼をじっと見つめ、言葉を飲み込もうとしていた。
「では、おばばさまが安心して旅立てるよう、前を向いて、松平宗家の主らしく堂々と目の前の戦に臨めと、かように申されたいのでございますか」
「そうじゃ。そなたが気に懸けるべきはわらわのような死にゆく者ではありませぬ。今を生き、未来に希望を持っておる者らにございます」
源応尼が申していることに該当するのは、今を懸命に生きて未来へ生き延びようとしている者たち。それは老若男女問わず、当てはまることのようでもあった。
そこへ、強調されている松平宗家の意を加えれば、松平宗家の主として老若男女問わず、今を懸命に生きて未来へ歩み続ける領民や家臣たちを想え。そう言われているのだと、元康は解釈した。
「仰せの旨、しかと承りました。おばばさまのお言葉を胸に、尾張での一戦に臨んで参ります」
そう元康が答えた時にはすでに、目の前の老女は笑みをたたえたまま金輪際言葉を返すことはなかった――
永禄三年五月六日。元康の外祖母であり、於大の方の生母である水野妙茂継室・源応尼が死去。享年六十九。法名は華陽院殿玉桂慈仙大禅尼。玉桂山知源院へと葬られ、知源院は彼女の法名により『華陽院』と改めることになる。
かくして幼少の頃よりの保護者をまた一人失った元康であったが、そうくよくよしてもいられなかった。二日後には、義元と出陣に先立っての打ち合わせを行い、着々と支度を進めていったのである。
そして、五月十日。元康を含めた、今川軍の先発隊が出陣するその日を迎えたのである。
「善九郎、与左衛門。支度はできておるな」
「はっ、支度は万事整っております!」
「いつでも出陣できまする」
元康は阿部善九郎や高力与左衛門からの返答を確認し、駿府に留まる手勢を集めて他の先発隊の面々と合流。堂々と駿府を発したのである。
その日の内には懸川城へと到着した先発隊。先発隊が順調に東海道を進軍し、曳馬城を出立した十二日、今川義元率いる本隊が出陣したのである。
この時の義元は塗輿に乗って出陣。この乗輿は室町幕府からの認可を必要とした特権で、それを得ていなければ輿に乗ることは許されなかった。それすなわち、室町幕府から認められた特権を活用した軍事的な演出を行う撤退ぶり。
そんな義元率いる本隊が駿河を抜けて遠江へ入り、懸川城へと着陣したのは翌十三日。元康が井伊信濃守直盛らとともに東三河の吉田城へ到着した頃であった。
明けて十四日には元康や井伊信濃守らが岡崎城へ入り、まもなく今川義元が三河へ到着することを触れ回っている頃、義元率いる本隊も先発隊を追いかけるように曳馬城へ入城。
そこからは打ち合わせ通り、今切の渡しを通過する東海道と浜名湖を北から迂回する本坂道の二手に分かれて進軍し、十五日に吉田城にて合流。
晴れて十六日に義元率いる本隊も岡崎城へ到着し、その頃には武田や北条の援軍に、駿河・遠江・三河の軍勢が結集し、二万余りの数を数えるに至った。
そんな大軍勢とともに三河国岡崎城まで進軍した今川三河守義元を元康が出迎える。
「太守様、ここまでの進軍、ご苦労様にございました。なんでも、塗輿で出陣なされたと伺いましたが」
「うむ。あれは幕府より認められた特権。到底織田の若造にはできぬことゆえな。格の違いを見せつけることで、兵らの士気を鼓舞する狙いでやったまでのこと」
「太守様の予想は的を射ておりました。某も城中を見回っておりましたが、義は我らにありと、兵らは自信に満ち溢れ、意気軒昂な様子。まこと、お見事にございまする」
元康の心底よりの賛辞に義元はにやりと口角を上げる。しかし、そこで調子に乗るようなことはなく、むしろ一層気を引き締めてかかろうとするのは、さすがは海道一の弓取りであった。
そこへ、今川家における三河方面の奉行人の一人である山岡新右衛門景隆がやって来る。彼は義元に呼ばれて参った者であり、義元に手招きされるまま、彼の面前へとやってきた。
「太守様。山岡新右衛門景隆、お召しにより参上いたしました」
「うむ。そなたには引き続き、此度の尾張侵攻の間も岡崎城に詰めておいてもらいたい。先刻、緒川と苅谷から従属を誓う起請文が届けられたが、信用ならぬ。万が一、予の退路を断たんと岡崎へ攻め寄せた場合には、これを迎撃してもらわねばならぬ」
「重要なお役目にございまする。これまで以上に、身命を賭して全うしてご覧に入れまする!」
「よくぞ申した!それでこそ、山岡新右衛門じゃ!よろしく頼むぞ」
「はっ、ははっ!」
山岡新右衛門景隆は眼前の義元へ一礼し、そのまま退出するかに見えたが、律儀にも正当な岡崎城主である元康へも一礼し、その場を去っていく。
「蔵人佐、他にも三浦上野介氏員、飯尾豊前守乗連、田中次郎衛門ら岡崎城代の者らも留め置くつもりじゃ。ここで役目を変更しては混乱が生じるゆえな」
「なるほど、それならば某も安心して岡崎を離れ、前線へ赴くことができまする」
「であろう。岡崎をしかと守っておかねば、そなたも後方が気がかりで前進できぬ。何より、予自らの退路を脅かされることにもなりかねん」
義元の申すことは一々理にかなっていた。何より、戦において抑えるべき急所を着実に抑えたうえで、順当に勝ちを狙いに行くしたたかさは長年の合戦経験で磨き上げられたものなのだろう。
「そういえば、先ほど瀬名陸奥守様が慌ただしく手勢を引き連れて出立なされましたが、何事かございましたか」
「なに、予が本陣を置く地を事前に偵察し、本陣予定地を設営するようにと」
「なんと、すでに本陣を定めておられたのですか!?」
「うむ。はじめはこの沓掛城じゃ。そこで戦局が優位であることを確認し後は、桶狭間山へ本陣を移す。小高い山の上ともなるゆえ、周囲を一望できる地でもある。ここから全軍へ指示を出し、尾張侵攻を進めるつもりじゃ」
ひとまずは、沓掛城。その後に桶狭間山。その流れを元康は頭に叩き込みながら、感じたことを質問という形で義元へぶつけていく。
「たしか、沓掛城は近藤九十郎景春殿の居城でしたか」
「そうじゃ。この沓掛城は予の妹婿である浅井小四郎政敏に任せ、城主である近藤九十郎は支城の高圃城の守備へ回し、この両名に武田の援軍を添えて後方を固めさせることとする」
手抜かりなく、岡崎城と沓掛城という退路にも兵を配し、備えているあたりは実に見事と言うほかない。
「では、瀬名陸奥守様が向かわれたのは沓掛城ではなく、桶狭間山の方にございまするか」
「いかにも。織田の伏兵が山に潜んでいては叶わぬゆえ、先に手勢を送り込んで偵察させ、本陣の設営を進めさせておる。それに、桶狭間山からならば大高城近辺の様子も探れよう」
「さすが、太守様にございます。なんとも、抜かりなく備えておられる様、元康も見習いとう存じます」
「ははは、左様か。それが成せた暁には、次代の海道一の弓取りとなるかの」
上機嫌の義元との対談はそこで終わり、元康は翌日の進発に備えて、自陣へと戻っていった。
元康が丸に三つ葉葵の旗が翻る自陣へ戻ると、その近辺には長沢松平家の花丁子の旗や青野松平家の旗、庵に三階菱の大草松平家の旗に五井松平家の丸に鳩酸草の旗、深溝松平家の重ね扇など、松平庶家の旗が密集していた。
中でも、元康が目を見張ったのは、そこには初めて見る奥平唐団扇の旗が風に靡いていたことであった。
「おお、殿のお戻りじゃ!」
番兵の一人が声を上げると、本陣から元康の轡を取ろうと一人の少年が走り寄ってきた。
「おう、そなたは本多の……」
「本多平八郎と申します!」
「おお、四年ほど前に会うた折は九ツとかであったろう。随分と逞しい体つきになったではないか」
「はい!今年で十三となり、殿が出陣なされると聞いて、叔父とともに参陣いたしました!」
「そうか。じゃが、元服がまだであろう」
元康と本多平八郎が問答しているところへ、慌てた様子で保護者である本多肥後守忠真が血相変えて飛んできた。
「殿!平八郎が何ぞ無礼なことを……!?」
「いや、わしの轡を取ろうと本陣から飛び出して参ってな。四年前に会ったきりであったゆえ、色々と言葉を交わしておった」
「さ、左様にございましたか……」
本多肥後守はどうやら平八郎が陣を飛び出して、元康の元へ駆けていったと陣中の兵卒から聞き、無礼なことをして手打ちにならぬかと危惧していたらしかった。
「元服も済ませぬうちに戦場へ出たがるとは、父や祖父の勇猛なところを受け継いだのであろう」
「はあ、されど猪突猛進する悪癖がございまするゆえ」
「ははは、肉親としては心配が絶えぬであろう。じゃが、気に入った。ここで本多平八郎を元服させる。本多家の通字である『忠』に、猪突猛進であることを掛け合わせ、諱は『忠勝』でどうじゃ」
「本多平八郎忠勝……!」
本人はよほど嬉しかったのか、目を輝かせて元康と叔父の本多肥後守を交互に見やっている。
「殿、『忠勝』の勝の一字はいずこから?」
「猪突猛進して勝ちに行く武士。ゆえに、『ただ勝つ』ということじゃ」
「なるほど、『ただ勝つ』のみじゃから『忠勝』。なるほど、本人の気性に合った素晴らしき名にございまする」
「であろう。数日のうちに初陣ともなろうゆえ、しかと叔父御の言葉を聞き、待っておるがよい」
元康の言葉に素直に頷く本多平八郎を頼もしく思いながら、かねてより取ろうとしていた轡を取らせ、自陣の前まで騎乗したまま向かっていく。
そうして下馬して馬を預けた後は、大将として麾下の将士へ激励の言葉をかけながら奥へ奥へと歩んでいく。
そうして自陣の奥へと到着すると、帷幕の内で床几に腰かけも元康の姿を視界にとらえるなり反射的に立ち上がって一礼する。
顔ぶれは長沢松平家からは当主・松平政忠。青野松平家からは陣代の平岩権太夫元重、平岩矢之助基親の両名。
大草松平家からは当主である松平善兵衛尉正親、五井松平家からは若き当主・松平弥九郎景忠、深溝松平家からは老練な当主・松平大炊助好景などが揃って元康を待っていた。
どれも大樹寺で一度顔を合わせた者らであったが、その中には一つ、見知らぬ顔が混じっていた。
「皆々方、よくぞ集まってくださった。元康、改めて御礼申し上げる」
「松平蔵人佐殿」
「貴殿は――」
「奥平監物丞定勝にございまする」
「おお、奥平監物殿にございましたか。これは御挨拶が遅れ、まこと申し訳ございませぬ」
元康から挨拶が遅れたことの謝罪があったことで、幾分か仏頂面が緩和された奥平監物。元康とは三十も年が離れており、さながら不仲な父子が対面したかのような奇妙な空気感に包まれる。
「此度は松平蔵人佐殿の与力として働くよう太守様より指示がございました。そのことを伝え、松平蔵人佐殿がいかような人物であるかを見定めるべく参った次第」
言葉に不機嫌さを纏わせる奥平監物の態度、『見定める』という上から目線な物言いに、場の雰囲気が剣呑なものへと変貌してしまうのであった――
「おばばさま!」
「く、くらんどのすけどの……」
元康が三河へ向かう前、於大の方からの書状を届け、なおかつ元康が三河へ向かうことを於大の方へ書状でそっと報せた祖母・源応尼。
水野右衛門大夫妙茂の継室として於大の方らを産み育てた賢妻良母である。彼女も今年で六十九。元康が三河へと向かった頃から体調を崩し始め、出陣四日前のこの時期に危篤を迎えていた。
呼びかけると虚ろな眼を動かし、かすれた声で応じる。壮健であった頃から知っている祖母が目の前で衰弱しきっている様に、元康も涙声で呼びかけていた。
「出陣に先立って祖母を亡くす。これは幸先の悪い凶兆と捉えられよう」
「そのようなこと、申されてはなりませぬ」
「よいですか、そなたは松平宗家の当主。祖母の死にくよくよして、武将としての恥を曝すようなことをしてはなりませぬぞ。そうなれば、わらわは化けて出ますぞ」
「そ、それは……」
「まことにわらわの成仏を願うならば、後ろ髪を引かれることなく旅立てるよう毅然とした振る舞いを心がけなさい」
先ほどまでは衰弱していた源応尼であったが、最期を悟ったのか、元康の中へ何かを残そうと、文字通り最後の力を振り絞っていた。
最初は首を横に振り、現実から目をそらそうとしていた元康も、目の前の祖母の気迫に感じるところがあり、黙って祖母の眼をじっと見つめ、言葉を飲み込もうとしていた。
「では、おばばさまが安心して旅立てるよう、前を向いて、松平宗家の主らしく堂々と目の前の戦に臨めと、かように申されたいのでございますか」
「そうじゃ。そなたが気に懸けるべきはわらわのような死にゆく者ではありませぬ。今を生き、未来に希望を持っておる者らにございます」
源応尼が申していることに該当するのは、今を懸命に生きて未来へ生き延びようとしている者たち。それは老若男女問わず、当てはまることのようでもあった。
そこへ、強調されている松平宗家の意を加えれば、松平宗家の主として老若男女問わず、今を懸命に生きて未来へ歩み続ける領民や家臣たちを想え。そう言われているのだと、元康は解釈した。
「仰せの旨、しかと承りました。おばばさまのお言葉を胸に、尾張での一戦に臨んで参ります」
そう元康が答えた時にはすでに、目の前の老女は笑みをたたえたまま金輪際言葉を返すことはなかった――
永禄三年五月六日。元康の外祖母であり、於大の方の生母である水野妙茂継室・源応尼が死去。享年六十九。法名は華陽院殿玉桂慈仙大禅尼。玉桂山知源院へと葬られ、知源院は彼女の法名により『華陽院』と改めることになる。
かくして幼少の頃よりの保護者をまた一人失った元康であったが、そうくよくよしてもいられなかった。二日後には、義元と出陣に先立っての打ち合わせを行い、着々と支度を進めていったのである。
そして、五月十日。元康を含めた、今川軍の先発隊が出陣するその日を迎えたのである。
「善九郎、与左衛門。支度はできておるな」
「はっ、支度は万事整っております!」
「いつでも出陣できまする」
元康は阿部善九郎や高力与左衛門からの返答を確認し、駿府に留まる手勢を集めて他の先発隊の面々と合流。堂々と駿府を発したのである。
その日の内には懸川城へと到着した先発隊。先発隊が順調に東海道を進軍し、曳馬城を出立した十二日、今川義元率いる本隊が出陣したのである。
この時の義元は塗輿に乗って出陣。この乗輿は室町幕府からの認可を必要とした特権で、それを得ていなければ輿に乗ることは許されなかった。それすなわち、室町幕府から認められた特権を活用した軍事的な演出を行う撤退ぶり。
そんな義元率いる本隊が駿河を抜けて遠江へ入り、懸川城へと着陣したのは翌十三日。元康が井伊信濃守直盛らとともに東三河の吉田城へ到着した頃であった。
明けて十四日には元康や井伊信濃守らが岡崎城へ入り、まもなく今川義元が三河へ到着することを触れ回っている頃、義元率いる本隊も先発隊を追いかけるように曳馬城へ入城。
そこからは打ち合わせ通り、今切の渡しを通過する東海道と浜名湖を北から迂回する本坂道の二手に分かれて進軍し、十五日に吉田城にて合流。
晴れて十六日に義元率いる本隊も岡崎城へ到着し、その頃には武田や北条の援軍に、駿河・遠江・三河の軍勢が結集し、二万余りの数を数えるに至った。
そんな大軍勢とともに三河国岡崎城まで進軍した今川三河守義元を元康が出迎える。
「太守様、ここまでの進軍、ご苦労様にございました。なんでも、塗輿で出陣なされたと伺いましたが」
「うむ。あれは幕府より認められた特権。到底織田の若造にはできぬことゆえな。格の違いを見せつけることで、兵らの士気を鼓舞する狙いでやったまでのこと」
「太守様の予想は的を射ておりました。某も城中を見回っておりましたが、義は我らにありと、兵らは自信に満ち溢れ、意気軒昂な様子。まこと、お見事にございまする」
元康の心底よりの賛辞に義元はにやりと口角を上げる。しかし、そこで調子に乗るようなことはなく、むしろ一層気を引き締めてかかろうとするのは、さすがは海道一の弓取りであった。
そこへ、今川家における三河方面の奉行人の一人である山岡新右衛門景隆がやって来る。彼は義元に呼ばれて参った者であり、義元に手招きされるまま、彼の面前へとやってきた。
「太守様。山岡新右衛門景隆、お召しにより参上いたしました」
「うむ。そなたには引き続き、此度の尾張侵攻の間も岡崎城に詰めておいてもらいたい。先刻、緒川と苅谷から従属を誓う起請文が届けられたが、信用ならぬ。万が一、予の退路を断たんと岡崎へ攻め寄せた場合には、これを迎撃してもらわねばならぬ」
「重要なお役目にございまする。これまで以上に、身命を賭して全うしてご覧に入れまする!」
「よくぞ申した!それでこそ、山岡新右衛門じゃ!よろしく頼むぞ」
「はっ、ははっ!」
山岡新右衛門景隆は眼前の義元へ一礼し、そのまま退出するかに見えたが、律儀にも正当な岡崎城主である元康へも一礼し、その場を去っていく。
「蔵人佐、他にも三浦上野介氏員、飯尾豊前守乗連、田中次郎衛門ら岡崎城代の者らも留め置くつもりじゃ。ここで役目を変更しては混乱が生じるゆえな」
「なるほど、それならば某も安心して岡崎を離れ、前線へ赴くことができまする」
「であろう。岡崎をしかと守っておかねば、そなたも後方が気がかりで前進できぬ。何より、予自らの退路を脅かされることにもなりかねん」
義元の申すことは一々理にかなっていた。何より、戦において抑えるべき急所を着実に抑えたうえで、順当に勝ちを狙いに行くしたたかさは長年の合戦経験で磨き上げられたものなのだろう。
「そういえば、先ほど瀬名陸奥守様が慌ただしく手勢を引き連れて出立なされましたが、何事かございましたか」
「なに、予が本陣を置く地を事前に偵察し、本陣予定地を設営するようにと」
「なんと、すでに本陣を定めておられたのですか!?」
「うむ。はじめはこの沓掛城じゃ。そこで戦局が優位であることを確認し後は、桶狭間山へ本陣を移す。小高い山の上ともなるゆえ、周囲を一望できる地でもある。ここから全軍へ指示を出し、尾張侵攻を進めるつもりじゃ」
ひとまずは、沓掛城。その後に桶狭間山。その流れを元康は頭に叩き込みながら、感じたことを質問という形で義元へぶつけていく。
「たしか、沓掛城は近藤九十郎景春殿の居城でしたか」
「そうじゃ。この沓掛城は予の妹婿である浅井小四郎政敏に任せ、城主である近藤九十郎は支城の高圃城の守備へ回し、この両名に武田の援軍を添えて後方を固めさせることとする」
手抜かりなく、岡崎城と沓掛城という退路にも兵を配し、備えているあたりは実に見事と言うほかない。
「では、瀬名陸奥守様が向かわれたのは沓掛城ではなく、桶狭間山の方にございまするか」
「いかにも。織田の伏兵が山に潜んでいては叶わぬゆえ、先に手勢を送り込んで偵察させ、本陣の設営を進めさせておる。それに、桶狭間山からならば大高城近辺の様子も探れよう」
「さすが、太守様にございます。なんとも、抜かりなく備えておられる様、元康も見習いとう存じます」
「ははは、左様か。それが成せた暁には、次代の海道一の弓取りとなるかの」
上機嫌の義元との対談はそこで終わり、元康は翌日の進発に備えて、自陣へと戻っていった。
元康が丸に三つ葉葵の旗が翻る自陣へ戻ると、その近辺には長沢松平家の花丁子の旗や青野松平家の旗、庵に三階菱の大草松平家の旗に五井松平家の丸に鳩酸草の旗、深溝松平家の重ね扇など、松平庶家の旗が密集していた。
中でも、元康が目を見張ったのは、そこには初めて見る奥平唐団扇の旗が風に靡いていたことであった。
「おお、殿のお戻りじゃ!」
番兵の一人が声を上げると、本陣から元康の轡を取ろうと一人の少年が走り寄ってきた。
「おう、そなたは本多の……」
「本多平八郎と申します!」
「おお、四年ほど前に会うた折は九ツとかであったろう。随分と逞しい体つきになったではないか」
「はい!今年で十三となり、殿が出陣なされると聞いて、叔父とともに参陣いたしました!」
「そうか。じゃが、元服がまだであろう」
元康と本多平八郎が問答しているところへ、慌てた様子で保護者である本多肥後守忠真が血相変えて飛んできた。
「殿!平八郎が何ぞ無礼なことを……!?」
「いや、わしの轡を取ろうと本陣から飛び出して参ってな。四年前に会ったきりであったゆえ、色々と言葉を交わしておった」
「さ、左様にございましたか……」
本多肥後守はどうやら平八郎が陣を飛び出して、元康の元へ駆けていったと陣中の兵卒から聞き、無礼なことをして手打ちにならぬかと危惧していたらしかった。
「元服も済ませぬうちに戦場へ出たがるとは、父や祖父の勇猛なところを受け継いだのであろう」
「はあ、されど猪突猛進する悪癖がございまするゆえ」
「ははは、肉親としては心配が絶えぬであろう。じゃが、気に入った。ここで本多平八郎を元服させる。本多家の通字である『忠』に、猪突猛進であることを掛け合わせ、諱は『忠勝』でどうじゃ」
「本多平八郎忠勝……!」
本人はよほど嬉しかったのか、目を輝かせて元康と叔父の本多肥後守を交互に見やっている。
「殿、『忠勝』の勝の一字はいずこから?」
「猪突猛進して勝ちに行く武士。ゆえに、『ただ勝つ』ということじゃ」
「なるほど、『ただ勝つ』のみじゃから『忠勝』。なるほど、本人の気性に合った素晴らしき名にございまする」
「であろう。数日のうちに初陣ともなろうゆえ、しかと叔父御の言葉を聞き、待っておるがよい」
元康の言葉に素直に頷く本多平八郎を頼もしく思いながら、かねてより取ろうとしていた轡を取らせ、自陣の前まで騎乗したまま向かっていく。
そうして下馬して馬を預けた後は、大将として麾下の将士へ激励の言葉をかけながら奥へ奥へと歩んでいく。
そうして自陣の奥へと到着すると、帷幕の内で床几に腰かけも元康の姿を視界にとらえるなり反射的に立ち上がって一礼する。
顔ぶれは長沢松平家からは当主・松平政忠。青野松平家からは陣代の平岩権太夫元重、平岩矢之助基親の両名。
大草松平家からは当主である松平善兵衛尉正親、五井松平家からは若き当主・松平弥九郎景忠、深溝松平家からは老練な当主・松平大炊助好景などが揃って元康を待っていた。
どれも大樹寺で一度顔を合わせた者らであったが、その中には一つ、見知らぬ顔が混じっていた。
「皆々方、よくぞ集まってくださった。元康、改めて御礼申し上げる」
「松平蔵人佐殿」
「貴殿は――」
「奥平監物丞定勝にございまする」
「おお、奥平監物殿にございましたか。これは御挨拶が遅れ、まこと申し訳ございませぬ」
元康から挨拶が遅れたことの謝罪があったことで、幾分か仏頂面が緩和された奥平監物。元康とは三十も年が離れており、さながら不仲な父子が対面したかのような奇妙な空気感に包まれる。
「此度は松平蔵人佐殿の与力として働くよう太守様より指示がございました。そのことを伝え、松平蔵人佐殿がいかような人物であるかを見定めるべく参った次第」
言葉に不機嫌さを纏わせる奥平監物の態度、『見定める』という上から目線な物言いに、場の雰囲気が剣呑なものへと変貌してしまうのであった――
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だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝
糸冬
歴史・時代
有馬法印則頼。
播磨国別所氏に従属する身でありながら、羽柴秀吉の播磨侵攻を機にいちはやく別所を見限って秀吉の元に走り、入魂の仲となる。
しかしながら、秀吉の死後はためらうことなく徳川家康に取り入り、関ヶ原では東軍につき、摂津国三田二万石を得る。
人に誇れる武功なし。武器は茶の湯と機知、そして度胸。
だが、いかに立身出世を果たそうと、則頼の脳裏には常に、真逆の生き様を示して散った一人の「宿敵」の存在があったことを知る者は少ない。
時に幇間(太鼓持ち)と陰口を叩かれながら、身を寄せる相手を見誤らず巧みに戦国乱世を泳ぎ切り、遂には筑後国久留米藩二十一万石の礎を築いた男の一代記。
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