不屈の葵

ヌマサン

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第4章 苦海の章

第89話 萱米料のこととお公家様

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 永禄三年も三月の中旬となり、元康は自邸にて五月の出陣に向けての準備――ではなく、舅である関口刑部少輔氏純の屋敷を訪れていた。

「これは婿殿。よくぞお越しくださった」

「いえいえ、お忙しいところ訪問することとなり、申し訳ございませぬ」

「お気になさらず。さっ、食事の用意もできておりますれば、奥の間へ」

「かたじけない」

 元康は屋敷の主である関口刑部少輔に導かれるまま、食事の用意されている間へと通された。

「婿殿、戦は二年前の西加茂郡を制圧して以来のことと存ずるが、恐ろしくはござらぬか」

「太守様や御屋形様之前では申し上げられませぬが、戦はまだ恐ろしゅうございます。まだ一度経験したのみですゆえに」

「されど、一度経験しておるというのは、何事においても強みとなりまする。何せ経験しておらぬ頃とは、戦において気をつけるべきことやどのように進んでいくのか、少しばかりは見通せるようになっておるはずですからな」

「そう、やもしれませぬ」

 関口刑部少輔が盃に口を付けたのを見て、一拍ほど遅れて盃に口を付ける元康。続けて手をつけたのは雑煮であった。

「おお、春になったとはいえ、温かい汁物への感謝が抜けきらぬ時分ですな」

「まことに。まだ朝晩は寒うございますゆえ」

 食事に手を付けながらのため、会話も途切れがちではあるが、二人とも楽し気な表情であることに変わりはなく、穏やかな空気の中で舅と婿は食事をとっていた。

「そうです、舅殿は太守様より命じられて、伊勢神宮外宮へと書状をお出しになられると伺いましたが」

「ええ、先ほどまで書状案を認めておったところにございます」

「差し支えなければ、内容をお伺いしてもよろしゅうございますか」

「問題ございませぬ。婿殿は当家が前年より外宮から協力を求めてられております造営費用にあたる萱米料の支出のことは、存じておりますか」

「ええ、存じております。たしか、太守様が部分的にお認めになられたと」

 元康の返答に静かに頷いて見せる関口刑部少輔。その様子に、間違っていなかったかと胸をなでおろす元康。そこへ、関口刑部少輔が補足説明を加えていく。

「いかにも。太守様は萱米料について、三河国の分はお認めに。されど、遠江国の分については支出を断られたのです」

「なるほど、たしかそのような話にございました」

「じゃが、外宮としてもそれについては承服はすまい。何とかして、引き出そうとするであろう」

「では、太守様と伊勢神宮とで一悶着あると見越しておられまするので?」

 元康の今度の返答に、関口刑部少輔はゆっくりと首を横に振って見せ、説明を続けていく。

「揉めるかどうかはともかく、この関口刑部少輔から助言をいたそうかと思い、その文面に悩んでおるのです」

「助言、にございまするか」

「うむ。近日中に太守様は尾張表へ御出陣なされる。その際に改めて要請してみてはどうか、と進めてみるつもりじゃ。今の太守様は尾張のことで頭がいっぱいじゃ。それゆえに、尾張へ赴かれた折に改めて返事を求めるのが良いであろうと思うてな」

「それは名案にございまする」

 可愛がっている娘婿に自らの案を『名案』とたたえられ、関口刑部少輔の表情が思いがけず緩む。しかし、元康としても、心の底から両者の顔を立てた良い案であると感じたからこそ、名案という言葉を用いたのであった。

「気がかりである尾張のことが片付けば、太守様も前向きに検討されることは目に見えておる。それに、この案ならば伊勢神宮の神主も受け入れやすいであろうゆえ」

「まこと、話が良き方向へと進むことを願うばかりですな」

「うむ。尾張制圧となれば、伊勢は隣国ともなる。これまで以上に、密接に関わっていかねばならぬでしょうからな」

 駿府にいると、伊勢国はどこか遠い異国のような心地がする。されど、元康の本領である岡崎からみれば、伊勢国とは三河湾を隔てた向こう側。遠国とまでは言えない距離ではあった。

「婿殿、此度の尾張での戦、なるべく早く終わらせて戻って参られるがよかろう」

「されど、弱小国衆を相手取っての戦ではありませぬ。武田や北条よりの援軍も加えた大軍で、尾張の織田家へ挑む戦。そう短期間で決着するとは思えませぬ。ともすれば、瀬名のお産に立ち会えるとは到底思えませぬ」

「いやいや、太守様とて戦を長引かせるおつもりはなかろう。短期での終戦を望んでおいでゆえ、六月中には帰って来られるであろう」

「そ、そうでしょうか」

 戦場の経験のない文官の関口刑部少輔の意見では、元康の不安を払しょくすることはできなかった。

 おそらく、今川義元は現当主・氏真の脅威となりうる織田信長という敵を潰せるうちに潰しておきたいと考えているはず。

 ならば、大高城と鳴海城を攻め落とした後、水野家への対応を進めるであろうが、そのまま帰還となるかは怪しいものであった。

 かつて、庶流である今川氏豊が領していた那古野まで支配下に置きたい気持ちはあろうし、とても関口刑部少輔の申す通り、短期での終戦とはなりづらいように思えてならない。

 ……というのが、元康の考えていることである。しかし、自分の考えが正しいとも思えず、舅にそのままをぶつけることなどできずに、その日の会見を終えるのであった。

 そうして、時は瞬く間に過ぎ去っていく。四月に春らしい暖かさが増してきたかと思えば、その次の五月が訪れる。

 数カ月前より予定されていた今川義元自らの尾張侵攻が行われる月であり、梅雨に入り雨の降る日も多くなった時期でもある。

 五月朔日、今川義元は駿府館へ重臣たちを招集し、改めて尾張の出陣を命じた。その気迫たるや並々ならぬものがあり、同席していた元康も気を引き締めてかからねばと思い込まされるものがあった。

「よいか!此度の出陣は第一に大高城と鳴海城の救援じゃ!その後は織田方の出方を窺いながらの織田信長討伐と尾張攻略を目的として那古野城を目指し、徐々に尾張中枢へと侵攻していくこととなろう!」

 元康の予想通り、今川義元は尾張制圧を見据えている。それを聞き、関口刑部少輔はぎょっとした様子であったが、無理もないと元康も思っていた。

「織田勢は岡部丹波守元信が死守しておる最前線の鳴海城の北には丹下砦、東に善照寺砦、南東に中島砦を築き、鵜殿藤太郎長照が守備する大高城には北東に鷲津砦、東に丸根砦、南東に正光寺砦、南西に氷上砦を築いて包囲が進められておる」

 この織田方が取った城の周囲に砦を築いていく戦術は付城と呼ばれ、鳴海城と大高城の連絡を遮断。さらには兵糧攻めを行う、すなわち長期戦を見据えての構えであった。

 そんな厳重に包囲されている鳴海城と大高城の状況に、今川重臣らにも動揺が走る。 蟻一匹這い出る隙間もないような、とまではいかずとも、徐々に首を締めあげていくような状況の城を救出するとなれば、砦を攻め落とす必要がある。

 となれば、城攻めほどではないにせよ、犠牲者が数多出ることになる。それを重臣らは案じて、ざわついたのである。

「ええい、静まれ!よいか、此度は武田と北条からの援軍だけでも五千近くおる。そこへ、予自らが指揮する二万の軍勢を加え、総勢二万五千で織田軍を殲滅する。我らの領土を侵略せんと謀りし曲者どもを一匹残らず成敗いたす!」

 この義元の強気な言葉。若い大将が発する自信ありげなそれとは大きく異なるものがあった。天文五年の花倉の乱を経て、今川家の当主となってから二十四年。

 今年で数え四十二となる今川義元が発するからこその貫禄があり、本当にそうなるのだと家臣らに信じ込ませるだけの実績の積み上げがあった。

「すでに両城へは幾度も兵粮入れを行っており、大高城を囲む砦のうち南東に位置する正光寺砦、南西に位置する氷上砦を放棄させることに成功させておる!」

「「おおっ!」」

 周囲を四つの砦に包囲されているという苦戦を強いられている状況を伝えてより後、実は南側の二つは陥落しているのだと伝えることで希望を持たせる。実に巧妙な話術であった。

「まずは大高城の周囲から織田軍を追い払い、城を救出!しかる後に鳴海城を救出し、第一の目的を達する。この流れで参るゆえ、皆もしかと心得よ!」

「「おおっ!」」

 誰かが拳を上げて立ち上がり、我も我もと駿府館の大広間へと集まった者たちが立ち上がり、咆哮する。

 見事な演説によって重臣らの心に火を点けた父・義元の姿に、当主・氏真はやはり偉大な父親であることを痛感させられていた。

「先発隊は松平蔵人佐元康、井伊信濃守直盛の両名とし、出陣は今月十日といたす!」

「ははっ!その儀、しかと心得ました!」

「うむ。予の本隊はその二日後が吉日と出たゆえ、十二日に出立といたす!皆の者、しかと準備をいたせよ!」

 こうして今川本隊の出陣が五月十二日。元康は先発隊として、二日前の十日に出陣することが明確に定められた。

「九日後には出陣か」

 そう独り言ちると、改めて戦が近いのだと感じさせられる。その日の招集は早期に落着。各々も戦支度を整える必要もあり、早々と駿府館を立ち去っていく。

 ――そんな中、元康は当主・氏真に呼び止められた。

「これは御屋形様、ご機嫌麗しく」

「ははは、予とそなたの間柄じゃ。堅苦しい挨拶などはよい。武田六郎と中御門宣綱公、浅井小四郎、葛山左衛門佐、瀬名陸奥守らもこれへ残るよう伝えておる。ほれ、揃いも揃って集まって参ったわ。まもなく春姫も参るゆえな」

「なんと、御一門が大勢揃っておりまするな。それに、中御門宣綱公と申せば、従二位権中納言にあらせられる……!」

「うむ。我が祖母、寿桂尼は中御門家の出で、中御門宣綱公は甥にあたる。何より、その妻は予の叔母にもあたるゆえ、叔父でもある」

 氏真はさらっと流したが、祖母・寿桂尼が中御門家の出ということは、彼の体内に流れる血には中御門家の血も含まれているということである。

 何より、無位無官の元康にとって、従二位権中納言など、雲の上の人物。そのような人物と同席してもよいのかと思ってしまうほどに。

 そのようなことを考えているうちに、当の従二位権中納言が到着。少し遅れて武田六郎や浅井小四郎、葛山左衛門佐、瀬名陸奥守ら一門衆も参じて来たのである。

「中御門宣綱公、こちらへ」

「おお、五郎殿。これは相済まぬ」

 位階や官職において、今川氏真を上回っている中御門宣綱が上座へ。そして、今川氏真がその次となり、元康たちはその下に居並ぶ形となった。

「五郎殿、これに控える者たち全員が出陣なされるのか」

「いえ、武田六郎だけは駿府へ残りまする。あとの浅井小四郎、瀬名陸奥守、葛山左衛門佐、松平蔵人佐は皆出陣いたしまする」

「ほほほ、そうであったか。今川軍の勝利を駿府におる公家一同、願っておりまするぞ」

「それは有難う存じます。従二位権中納言であらせられる中御門宣綱公の祈願があれば、当家の勝利は疑うべくもありませぬ」

 まだまだ若く、頼りないと見られがちな二十三歳の当主・五郎氏真であったが、五十歳と老境に差し掛かった公家を相手に上手くやり取りし、機嫌を損ねないどころか、気に入られる勢いで対応していく様は実に見事であった。

「そうじゃ。此度の出陣のため、まろたちから祝いの品も用意しておる」

「祝いの品、にございまするか」

「いかにも。我ら公家衆を駿府にて庇護してくださる太守様と御屋形様には、みなみな感謝しております。ゆえ、官職の授与を朝廷に働きかけておりました」

「なんと!?働きかけておりました、と仰られましたが、すでに万端整っておられるのですか?」

 驚き入った様子の氏真の言葉に、首肯する中御門宣綱。そのような恩恵を得るために庇護していたわけではないのだが、いざ官職の授与を裏で働きかけてくれていたのだと思うと、庇護していてよかったと思わない方が無理であった。

「御出陣に間に合うかどうか不安ではございましたが、十二日には間に合うかと。何卒、楽しみにしていてくださいますよう」

「まこと、ありがとうございます。今の話を聞けば、父も大変喜びましょう。父にはすでに伝えておりますか」

「いや、先に当主である貴公へと話を通しておくのが筋というもの。それゆえ、御父上に伝えるのは、今からとなります」

「左様にございましたか。委細承知いたしました。では、某の奉公衆に案内させまするゆえ、父の元へ」

「うむ、そういたそう」

 美しい所作で一同を圧倒した後、扇子で口元を隠しながら立ち去る中御門宣綱。いかにも公家といった人物であったが、高位の貴族とこうして会えた機会に感謝する元康なのであった。
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