不屈の葵

ヌマサン

文字の大きさ
上 下
88 / 94
第4章 苦海の章

第88話 迫る出陣と産み月

しおりを挟む
 宿所である大樹寺にて、随念院と田原御前と数年ぶりの再会を果たし、彼女たちの言葉に喜びと感謝を抱えていた。

 そこへ、田原御前は自らの両脇に控える姫君たちの背中を押し、元康へ挨拶させようとしている様子を元康の双眸は見逃すことはなかった。

「二人とも、久しいが壮健であったようで、何より。某がそなたらの兄、松平蔵人佐元康である」

「お、お兄様。や、矢田にございます。こちらが於市にございます」

「い、市場にございます。皆からは於市と呼ばれております」

 異母兄・元康が先に名乗ったことが良い影響をもたらしたのか、矢田姫と市場姫はぎこちないながらも名乗ることができた。そんな可愛らしい妹たちの様子に、元康も思わず頬の筋肉が緩んでしまう。

「矢田に於市、こうして言葉を交わせたこと、嬉しく思うぞ。そちたちは十四になったと聞くが、勉学には励んでおるか」

「はい。矢田とともに御前様から読み書きや算術を教わっております」

「そうか。そなたたちの母と離れて暮らすは辛くはないか」

「はい。辛くはございませぬ。時折、お手紙もいただきますし、御前様も随念院様も優しくしてくださいます」

 矢田姫と市場姫の生母は平原勘之丞正次の娘である。産みの母親が何故彼女らの教育に当たらないかと言えば、しっかりとした理由があった。

「継母上、まこと妹らの勉学を見てくださっておること、感謝の念に堪えませぬ」

「いえいえ、これもまた先代の継室としての務めにございますれば」

 そう、生まれた子供らの面倒を見るのもまた、正妻の務め。そうした事情もあり、矢田姫と市場姫は田原御前のもとで養育されているのである。

「姫らもいずれは誰か嫁ぐこととなろう。わしがしかと家柄や人柄を見て選ぶゆえ、案ずることはない。要望があれば、わしは駿府におるゆえ、継母上より習った成果を発揮して書状を送って参るがよいぞ」

「は、はい!」

「そういたします!」

 市場姫の方は少々遠慮がちであったが、矢田姫の方は近いうちに本当に書き送ってきそうだと元康の直感は告げていた。十四という年頃になれば、姫は他家に嫁がされることも多い。

 そうなれば、元康としても誰に嫁がせるのか、候補を一、二年のうちに目星をつけておかなければならない。

「兄上」

「おお、於市か。いかがいたした」

「まもなく戦が始まるのですか?」

 小さなこぶしをぎゅっと力を籠め、より小さくしている市場姫。そんな彼女の様子に元康は言葉の詰まる想いであった。年端もいかぬ少女たちに戦の話など、重すぎる話題であると感じてしまうゆえである。

「ああ、始まることとなろう。この元康も真っ先に敵へ向かっていく役目を与えられておる。じゃが、ここが戦場になるようなことだけは決してさせぬ。いかなる敵にも岡崎へ踏み入らせることはさせぬ」

「まことにございますか」

「於市、わしを、この兄を信じてたもれ。きっとそなたらを守護してみせよう」

「わかりました!兄上を信じまする!」

 素直に己の言葉を聞き入れた市場姫の頭を優しく撫でる元康。何があっても、この岡崎へ敵を踏み入らせることだけは避けねばならない。そう改めて決意させられるやり取りでもあった。

「大叔母上、継母上。そして、可愛い妹たちよ。某は明日にはここを発ち、駿府へ戻らせていただきまする。三河の情勢を把握でき、当初の目的も達せられましたゆえ」

「元康殿。戦というものは何が起こるか分かりませぬ。我が弟も、陣中にて家臣に斬られて命を落としたこともございます。くれぐれもご用心のほどを」

「大叔母上。しかと心得申した。用心に用心を重ねて、戦に臨んで参りまする。何卒、吉報をお待ちくださいませ」

 元康は名残惜しいと思いながらも、家族との対面もこれまでとし、その日のうちに出立できるよう急ぎ身支度にかかった。

「皆の者、急ではあるが、明日に岡崎を発つことといたす。本日中に城代の皆々様への挨拶を済ませて参るゆえ、残りの者は支度を進めておいてくれよ」

 時刻はまだ午の刻。この時刻ならば、岡崎城へ赴いて挨拶を済ませてくるとしても、遅くとも申の刻には大樹寺へ戻って来れよう。

 その考えの元で元康は岡崎城へと赴き、大樹寺に残された者たちは荷物をまとめ、帰り支度を進める。そうして分割してすべきことをしていくうちに陽も傾いていき、夜を迎える。

 夜には住職である登誉天室をはじめ、大樹寺の僧侶たちへ別れを告げるなど、立つ鳥跡を濁さずといった具合に抜かりなく支度を進めていった。

 そうして夜が明けると、元康一行は出立。いつぞやの墓参の時と同じく、吉田城、懸川城にてそれぞれ一泊して、駿府へと帰着した。

 駿府へと帰着した元康は真っ直ぐに自邸へ。ここにも家族がいる以上、会いたいという気持ちは抑えられるものではなかった。

「殿、長旅ご苦労様にございました」

 さすがの瀬名も出迎えができる状態ではなく、彼女の居室にて夫婦は再会。瀬名の腹部は出立した時よりも、大きくなっており、わずかな期間でも変化があるのだということが元康の記憶に刷り込まれていく。

「瀬名、苦しくはないか」

「ええ、近ごろは少々息苦しさを感じてもおりまする。少し動いただけでも動悸や息切れいたしまするゆえ、出迎えもできず申し訳ございません」

「よい。そなたの健康が第一じゃ。瀬名の苦しみをわしは分つことはできぬ。じゃが、何か不都合があれば、すぐに申し出るがよい。できる限りのことはいたすつもりじゃ」

「ええ、その折には殿を真っ先に頼らせていただきまする」

 ここ最近ではお腹の中の児の動きが感じられるといった話など、留守中にあったことを瀬名から元康へ。元康からは西三河にて他の松平一族と大勢会ったことや、大樹寺で随念院をはじめとする家族に数年ぶりに会えたことなどを語っていく。

 そうして互いの近況を報告し合ううちに夜も更け、瀬名も元康も就寝する時刻となった。そんな夫婦の仲睦まじい様子に、屋敷に勤める者たちは普段の日常が帰ってきたことを実感してもいた。

 翌日の天気は木の芽雨。冬から春へと一日、また一日と近づいていることを感じさせるものであった。

 降りしきる雨の中、元康はわずかな供だけを連れて駿府館へと出仕。岡崎を発つ直前に、隠居屋敷の今川義元と駿府館の今川氏真に宛てて、報告したいことがある旨は伝えてあり、この日に駿府館にて他の重臣らを交えて話し合う運びとなっていた。

「松平蔵人佐元康。此度の三河視察、まこと大儀であった」

「ははっ!」

 真正面に控えるは今川家当主・五郎氏真。その傍らには春の尾張表への出兵の総大将たる前今川家当主・治部太輔義元。

 他にも、朝比奈備中守泰朝、朝比奈丹波守親徳など、出兵に大いに関係している重臣たちも席を同じくしていた。

「して、蔵人佐。緒川の水野下野守が従属を願い出ているとは真のことか」

「はっ、真のようでございます。人質として水野下野守が末弟の藤十郎忠重を、苅谷水野からは嫡子である信政を出し、起請文も緒川と苅谷の両名より改めて提出いたすとのこと」

「やはり水野は信用できぬ。これまでの行いを鑑みれば無理もなかろう」

「はっ、仰る通りにございます。岡崎の重臣らからも水野家は信用ならぬ、との意見が数多ございました。されど、某は今一度水野を信じ、寛大なる処置をもってご当家の威風を示すべきではないかと心得まする」

 元康としても完全に信用しているわけではない。しかし、苅谷城で水野藤九郎から伝えられた言葉を今一度信じて、救いの手を差し伸べても良いのではないかと考えている。

 問題はその言葉が、願いが、今川家の人々に通じるか否かであった。

「蔵人佐殿。さまで水野を庇いだていたすとは、やはり生母の実家であるからであろう。そのような私情を当家の政に持ち込まれては困りまするぞ!」

 真っ先に元康に食ってかかったのは朝比奈備中守。しかし、それを朝比奈丹波守が擁護する姿勢を取り、朝比奈の両名同士で言い争いとなる。

 それを見て、どう鎮めるべきか戸惑う氏真を見かねて、義元が二人を鎮める。その間、口をつぐんでいた元康に、今度は義元から問いかけがなされる。

「蔵人佐」

「は、ははっ!」

「予が尾張へ赴く途上、岡崎城へと立ち寄る。その折に水野下野守、水野藤九郎の両名が記した起請文を持参させよ。さすれば、ひとまず従属は認めようぞ。人質については、織田が片付き次第徴収することとしようぞ」

「然らば、遠征の途上にて起請文の提出。凱旋の途上にて人質を徴収し、ともに駿府へ帰還するという流れにございましょうか」

 元康が義元の腹案を復唱すると、これに異議を唱えたのはやはり朝比奈備中守であった。

「されど、水野など従属させるまでもなく、織田攻めの行き掛けの駄賃として攻め滅ぼしてしまえば、禍根を残すことなく処理できましょうぞ!」

「なるほどの。じゃが、水野ごとき弱小国衆など恐れるほどのこともない。ぶら下がる腰を失った腰巾着など、いかようにでも扱えよう」

 義元の言葉に、さすがの朝比奈備中守も、それ以上は何も申すことはできなかった。そこで、元康は朝比奈備中守を納得させるためにも、義元にあることを申し出る。

「太守様!万が一にも、水野が要請に応じない場合には、この松平蔵人佐元康がその責めを負い、先陣きって緒川を攻め滅ぼしまする!」

「うむ、それならばよかろう。朝比奈備中守、いかがじゃ」

「異存ございませぬ」

 かくして、水野家を従属させることで折り合いがついた。

 そのことに元康はほっと胸を撫でおろしながらも、万が一従属が不首尾に終わった場合にはどのようにして水野を攻めるかについても今より想定しておいた方が良いのであろうか、などと考えたりしていた。

「また、この場におる一同には先に申し付けておく。出陣は五月吉日といたす。何日といたすかは、ただいま母が吉凶を占っておるゆえ、その日が定まれば改めて家中に布令を出すこととなろう。しかと備えておくように」

「「「ははっ!」」」

 今川家の御隠居・義元の言葉に、元康だけでなく、朝比奈備中守・丹波守が平伏したことにより、その日の集まりは解散となった。

 中でも、元康は出陣が五月と明確に定まったことに、戦が迫りつつあるのだと改めて思い知らされていた。

「五月の出陣となれば、まだ二月《ふたつき》半ほどある。まだ時はあるのだ」

 そう自分に言い聞かせながら少将宮町にある自邸へと戻った。すると、隣の屋敷に住まう義弟・北条助五郎氏規と舅の関口刑部少輔氏純が訪ねてきていたのである。

「これは助五郎殿に舅殿。お二人が揃ってのお越しとは驚きました」

「ははは、これは申し訳ない。元々、舅殿が某の屋敷を訪ねて参られましたゆえ、それならば蔵人佐殿にも会っていかれてはどうかと某が提案したのでございます」

「なるほど。たしかにそれは良いやもしれませぬ。されど、突然の訪問ともなりますれば、御満足いただけるようなもてなしなどできませぬが、何卒お許しいただきたく」

 元康は整った所作で一礼すると、関口刑部少輔も北条助五郎も笑って袖を振っていた。もとより両名とも、もてなしを期待して訪問したわけではないのである。

「して、蔵人佐殿。瀬名の具合はどうじゃ?」

 おそらく、そのことが聞きたくて参る気になったのであろう。そう推測して、元康は会話に応じていく。

「近頃はお腹も大きゅうなり、少し動いただけで動悸や息切れがいたすと昨晩も申しておりました。また、乳母どもの見立てでは、産み月は六月になろうと、かように申しておりました」

「左様か」

「はい。ただ、先ほど太守様直々に尾張への出陣が五月吉日と仰せられましたゆえ、お産に立ち会うことが難しくなるやもしれませぬ」

「なんと、出陣が五月と……!?ならば、瀬名のお産には当家からも手伝いの人を出そう」

「ご配慮、かたじけなく存じます」

「蔵人佐殿、何かあれば我らにも申してくだされ。すぐ隣の屋敷におりますれば、瞬く間に駆け付けましょうぞ」

「助五郎殿のお言葉、瀬名が聞けば心強く思いましょう。舅殿の言葉も、某から瀬名へ打診しておきますれば」

 元康は実に良い姻族に恵まれていた。これならば、自分が出陣している最中のお産であっても、さしたる不都合も起きないであろうということが、肌身で感じられたからである。

 それからは、心ばかりのもてなしとして蔵に納めていた酒を振舞い、両名とは別れたのであった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

毛利隆元 ~総領の甚六~

秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。 父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。 史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

朝敵、まかり通る

伊賀谷
歴史・時代
これが令和の忍法帖! 時は幕末。 薩摩藩が江戸に総攻撃をするべく進軍を開始した。 江戸が焦土と化すまであと十日。 江戸を救うために、徳川慶喜の名代として山岡鉄太郎が駿府へと向かう。 守るは、清水次郎長の子分たち。 迎え撃つは、薩摩藩が放った鬼の裔と呼ばれる八瀬鬼童衆。 ここに五対五の時代伝奇バトルが開幕する。

満州国馬賊討伐飛行隊

ゆみすけ
歴史・時代
 満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。 

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

大航海時代 日本語版

藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった――― 関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった ―――鎖国前夜の1631年 坂本龍馬に先駆けること200年以上前 東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン 『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです ※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します

【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝

糸冬
歴史・時代
有馬法印則頼。 播磨国別所氏に従属する身でありながら、羽柴秀吉の播磨侵攻を機にいちはやく別所を見限って秀吉の元に走り、入魂の仲となる。 しかしながら、秀吉の死後はためらうことなく徳川家康に取り入り、関ヶ原では東軍につき、摂津国三田二万石を得る。 人に誇れる武功なし。武器は茶の湯と機知、そして度胸。 だが、いかに立身出世を果たそうと、則頼の脳裏には常に、真逆の生き様を示して散った一人の「宿敵」の存在があったことを知る者は少ない。 時に幇間(太鼓持ち)と陰口を叩かれながら、身を寄せる相手を見誤らず巧みに戦国乱世を泳ぎ切り、遂には筑後国久留米藩二十一万石の礎を築いた男の一代記。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...