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第3章 流転輪廻の章
第72話 戦乱を渡る国衆の知恵
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元康に待望の嫡男・竹千代が誕生し、我が子の成長に駿河御前とともに思いを馳せている頃。
尾張国緒川の地では、天文十二年七月十二日に亡くなった元康の外祖父・水野右衛門大夫妙茂の十七回忌が執り行われていた。
カンカン照りの下、夏木立の道を進んで知多郡乾坤院に足を運んだのは緒川水野氏当主・下野守信元、清六郎忠守、伝兵衛近信、織田家臣・藤二郎忠分、藤十郎忠重ら、水野右衛門大夫妙茂の子らが集結していた。
そこへ、三十四歳となった水野家臣・高木主水助清秀に導かれて、久松佐渡守と元康生母・於大の方の夫妻が到着した。夫妻の後ろには、久松佐渡守が前妻との間にもうけた長男の久松弥九郎信俊、そして於大の方との間に産まれた三郎太郎、源三郎、多劫姫が続く。
水野妙茂が亡くなった折には二十二歳の若造にすぎなかった水野下野守も三十八の年を迎え、知多半島の覇者とも呼べるほどに勢力を拡大させていた。
苅谷水野氏を継承し、現在は別行動をとる水野藤九郎も十九の小童であったのが、三十五という酸いも甘いも嚙み分けた年齢に達していた。それは於大の方と同じく、源応尼を母に持つ清六郎も同じであったのだが。
今や織田信長に仕える二十三歳とまだまだ若い藤二郎忠分など、父・妙茂が亡くなった折には七ツの童。末弟の藤十郎忠重に至っては三ツにすぎなかったというのに、今では十九になり、戦場では槍働きができる武士に成長しているのだ。
久松家に焦点を当てれば松平広忠と同い年の久松佐渡守も三十四になり、於大の方が再婚した時には前髪の少年であった久松弥九郎信俊も立派な若武者へと変貌を遂げていた。
久松佐渡守と於大の方の間に産まれた子どもたち、元康から見れば異父弟妹にあたる者たちも、三郎太郎と源三郎は八ツ、多劫姫は七ツとなり、幼児とは異なる顔つきになってきている。
真っ先にその場で口を開いたのは、そんな久松佐渡守の子らを流し見た水野下野守からであった。
「此度は皆、よくぞ父の法要に集まってくれた泉下の父も喜んでおろう。こうして兄弟姉妹が集まりし場において戦の話は抜きにしよう。そう心に決めていたが、わしはその決まりに背く」
またもや戦の話か。異母兄・信元の発言に嫌気がさす於大の方であったが、兄の方はそれを見透かしているかのようであった。
「於大、そなたが産んだもう一人の子は達者であるらしいのぅ」
「ええ、そのようにございます」
「加茂郡における初陣では寺部城主・鈴木重辰を討ち、広瀬城の三宅高貞を恭順させる見事な戦ぶり。その働きにはわしも清洲の信長様も度肝を抜かれた。まこと、とんでもない男子を産んでくれたわ」
「はぁ、左様にございますか」
異母兄の我が子・元康の初陣での武功を褒めているようで、本心が感じられない上っ面な言葉に辟易する於大の方。そんな妹の予想通りな反応に、水野下野守はふっと笑い声を漏らす。
「兄上、何かおかしなことでもございましたか?」
「いや、なに。そなたの反応が思うた通りなのが可笑しくてな。それに、半分は水野の血が流れているあの竹千代が、今では松平宗家の当主であり、今川家親類衆の立場になっているとは、運命とはまこと面白きものであると思うたまでのこと」
確かに、面白い人生の歩み方をしている。それは於大の方も感じていることであった。我が子が、駿河・遠江・三河の三国と尾張の一部を領有している大大名・今川家の親類衆となっているのである。
松平も水野も所詮は国衆であり、大名の出ではない。その両家の血を引く元康が今川家親類衆となり、その間に嫡男まで生まれたというではないか。
「あの年で嫡男に恵まれるとは思わなんだ。半分は今川家御一家衆である関口刑部少輔の血が流れ、四分の一は松平広忠。そして、残る四分の一には於大。お主の血が、水野の血が流れている」
そう水野下野守に言われた時、なぜだか於大の方はドキリとした。その様子を見た夫・久松佐渡守が膝を乗り出し、前に進み出る。
「義兄上。前置きはこのぐらいにいたし、今後の方針について話しませぬか」
話題を転換しようとする義弟・久松佐渡守の粋な計らいに、水野下野守は彼を一瞥した後、その計らいに乗っかることとした。
「いかにも。久松佐渡守が申す通りよ。先日、鳴海領の山口左馬助教継と嫡子である九郎次郎教吉が駿府にて成敗された由、皆もすでに聞き及んでおろう」
水野下野の一言に、その場に居合わせる弟たちは一様に頷いて見せる。鳴海は大高城の東、水野下野の緒川城から見て北に位置する重要拠点。
「その一件により、我らは織田信長殿の所領と分断されておる。此度、藤二郎がこれへ参った折の如く、伊勢湾を船で南北に往来するよりほかはない」
「いかにも。されど、旅人や商人に扮して移動するならともかく、軍勢の移動は限りなく不可能といって差し支えござらぬ。仮に、兄者たちが今川に攻められたとしても、織田は援軍を出せぬ」
実際に伊勢湾の海路を利用して緒川までやってきた藤二郎忠分の意見はずしっと響く重みがあった。それを聞いたうえで、水野下野は再び口を開く。
「鳴海が山口氏の領国であったならばやりようはあった。両属しておるのだから、織田軍は悠々と援軍を送ることもできたであろう。しかし、鳴海山口氏の当主と嫡男が始末された今、鳴海は今川の直轄領となることは明白。大高城と鳴海城には、岡崎城のように城代が派遣されてくるに相違ない」
「そうなれば、いよいよ水野の命運は厳しいものとなりましょう」
「うむ、清六郎が申す通りよ。ゆえに、織田殿も必ずや何か手を打つはず。何かまではわしには読めぬが、信長殿のことじゃ。きっととんでもないことをしでかすじゃろう。五年前、村木砦の合戦の折のように意表を突くことをなされるはず」
五年前の正月。織田信長という男は居城を舅の斎藤道三の軍勢に守備を委ね、主力を率いて知多郡へと渡ってきた。
おそらく、今回もまた水野下野の予想など軽く上回るような一手を打ってくるに違いない。それだけは、水野下野は確信していた。
「よいか。我ら水野が生き延びるためには、何が何でも織田に勝ってもらわねばならぬ。わしはそのためにも、手段は択ばぬつもりでおる」
そう言って、水野下野が懐から出したのは懐紙……ではなく、苅谷よりの書状であった。
「藤九郎よりの書状じゃ」
「たしか、今は織田ではなく、今川へ従っておるのでは……?」
「いかにも。あやつにはわしを裏切ってもらっておるゆえな」
意図的に裏切らせ、今は織田でなく、今川に従属している苅谷水野氏。それは大高水野氏とて同じであるが、これらをあっという間に従わせたのであるから、やはり今川義元は海道一の弓取り。侮ってはならない巨大な敵である。
「あやつとは定期的に書状のやり取りをしておる。そして、この書状の写しは当家の草の者が信長殿に横流ししておる」
「あ、兄者!それは初耳にございまするぞ!」
「これは他言無用じゃぞ、藤二郎。信長殿にも言うてはならぬ。そなたとて始末されかねん機密事項じゃ」
始末されかねないという言葉に、まだ若い藤二郎はそのまま気を失いそうであった。そんな藤二郎を横目に、勇壮な藤十郎忠重が兄に質問を投げかける。
「さては、駿府におる兄上とも……!」
「弥平大夫もわしのことを嫌って今川に従っておる。じゃが、兄弟間で書状のやり取りくらいあっても差し支えなかろう。まったく、弟から嫌われて裏切られるとは、わしは兄として失格じゃのぅ。これでは泉下の父に怒鳴りつけられてしまうわ」
そう言って大声で笑う水野下野。先ほどの手段を択ばぬという言葉が、現実味を帯びてくる。
「では、兄上は織田と今川、勝つのは織田と見ておられるわけですな」
「そうじゃ。今、今川は駿遠三の三国を支配し、尾張にまで領国を拡大しておる。さらには、甲斐から信濃へと領国を拡大した武田晴信、相模から伊豆、武蔵支配を盤石とし、下総や上野へと勢力を拡大巣つつある北条氏康とも婚姻同盟を結んでおる」
「方や、尾張一統もままならぬ織田信長。これに勝ち目があるとは清六郎は思えませぬが」
「ほほう、清六郎。これを見てみよ。今日、藤二郎が持ってきよった書状を」
待ってましたとばかりに弟・藤二郎忠分から受け取った書状を清六郎忠守へと放り投げる水野下野。
放り投げるほどの書状にどのような説得力があるのかと半信半疑の清六郎であったが、内容を見て驚愕することとなった。
「あ、兄上!これは!京に戻られたく、公方様の御内書!」
「まぁ、それは写しじゃがな。じゃが、すでに岩倉城も陥落させ、あとは今川さえ退ければ尾張一統が成せ、公方様よりの書状にもある通り、名実ともに織田上総介信長が尾張国主となる」
将軍・足利義輝から織田信長に対しての御内書の写しを見たまま硬直する清六郎忠守。それを覗き込み、文面を確認しようとする十六歳年下の弟・藤十郎忠重。
「されど、義兄上は御内書の写しを見ただけで織田が勝つと言い切るような方ではござらぬ。おそらく、まだ何かお考えがあるのでは?」
「おう、義弟よ。そなたも、なかなかに勘が鋭い。いかにも、その通りじゃ」
義弟である尾張国阿比居城主・久松佐渡守も、若さに任せた勢いだけでなく、経験を通して情勢を見極める力が身についてきている。
「年じゃ。織田の当主はまだ二十六。すでに三人の男子に恵まれ、弟やら叔父やら、軍政においても領内の政においても頼りになる一門が多かろう。対して、今川はどうじゃ?」
「はっ、長らく織田と争ってきた今川のご隠居は四十一。当主は二十二なれど、未だ子宝に恵まれず、補佐にあたる一門衆は遠縁の者や婿ばかり」
「仮に今川治部が死すれば、今川五郎で三国を支配し続けられるか否や。さらに申せば、今川の当主に嫡男がおらねば、後を継ぐ者はおらぬ。弟はすでに仏門に入り、あとは妹が三人おるだけじゃ」
「もし仮にそうなれば、駿遠三は荒れまするな」
ハッとした様子の久松佐渡守が発した一言に、水野下野守は静かに頷いた。義元にはすでに兄弟は無く、遠縁でかつて那古野城を織田信秀に謀略をもって奪われた今川氏豊がいるのみ。
今さら遠縁の者を後継者に据えるか、はたまた今川義元の妹が嫁いだ北条氏康より養子を迎えるのか、氏真の妹・松姫が武田晴信の嫡男・武田義信との間にもうけた男子を迎えるのか。
そうして迎えられた他家からの養子を今川譜代家臣は容認するのか。そして、北条か武田のいずれからか養子を迎えた場合、内乱が勃発する可能性――
実に様々な事柄を考慮した末に、水野下野という男は不利な情勢下においても織田信長という男にくっついていた方が長期的に利益を得られると判断したのであった。
「それに、今川が荒れれば松平は後ろ盾を失うこととなる。織田に恭順するならばそれで良し、元康とともに今川領国へと侵攻すればよい。じゃが、元康が今川家親類衆の座にこだわるなら、松平領国は我ら水野がいただくまでのこと」
「そうなれば、我ら水野が知多郡に留まらず、東海道の覇者となる日もそう遠くありませんな!」
「藤十郎、口を慎め。これはあくまでも一つの、この水野下野が妄想、捕らぬ狸の皮算用にすぎぬ。何より、織田と今川の勝負はついておらぬであろうが」
「では、兄上。もし、織田が今川に敗れた場合のことはお考えでしょうか。織田が勝利を収めた後のお話しか伺っておりませぬ。何事も最悪の事態に備えておくべきではありませぬか」
ここで冷静で、極めて当然の質問を投げかけたのは久松佐渡守が正室・於大の方であった。
「於大もなかなか鋭い。じゃが、その時は簡単じゃ。藤九郎の苅谷水野氏と同じく、今川家の従属国衆となればよい。駿府で奉公しておる弥平大夫も命乞いと所領の安堵を求めてくれよう」
「水野が断絶となる恐れはございませぬか」
「ない。わしの首が飛ぶくらいのことは起きようが、断絶になどならぬ。ここにおる者らは今川家親類衆である松平元康の叔父ども。そして、継父とその子、生母に異母弟妹じゃぞ。その時は可愛い可愛い岡崎の甥っ子に床に頭をこすりつけて命乞いでもなんでもするわ。ハハハハハ……っ!」
――織田が勝つ。勝ってもらわねばならぬ。
そう豪語してやまなかった水野信元。
しかし、その実、どちらが勝とうが水野家は生き残れる。そんな手を用意していたのだ。東西の戦国大名の力量を天秤にかけて強い方に味方する、国衆として正しい立ち回りを、亡き水野妙茂は何を想うであろうか――
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真っ先にその場で口を開いたのは、そんな久松佐渡守の子らを流し見た水野下野守からであった。
「此度は皆、よくぞ父の法要に集まってくれた泉下の父も喜んでおろう。こうして兄弟姉妹が集まりし場において戦の話は抜きにしよう。そう心に決めていたが、わしはその決まりに背く」
またもや戦の話か。異母兄・信元の発言に嫌気がさす於大の方であったが、兄の方はそれを見透かしているかのようであった。
「於大、そなたが産んだもう一人の子は達者であるらしいのぅ」
「ええ、そのようにございます」
「加茂郡における初陣では寺部城主・鈴木重辰を討ち、広瀬城の三宅高貞を恭順させる見事な戦ぶり。その働きにはわしも清洲の信長様も度肝を抜かれた。まこと、とんでもない男子を産んでくれたわ」
「はぁ、左様にございますか」
異母兄の我が子・元康の初陣での武功を褒めているようで、本心が感じられない上っ面な言葉に辟易する於大の方。そんな妹の予想通りな反応に、水野下野守はふっと笑い声を漏らす。
「兄上、何かおかしなことでもございましたか?」
「いや、なに。そなたの反応が思うた通りなのが可笑しくてな。それに、半分は水野の血が流れているあの竹千代が、今では松平宗家の当主であり、今川家親類衆の立場になっているとは、運命とはまこと面白きものであると思うたまでのこと」
確かに、面白い人生の歩み方をしている。それは於大の方も感じていることであった。我が子が、駿河・遠江・三河の三国と尾張の一部を領有している大大名・今川家の親類衆となっているのである。
松平も水野も所詮は国衆であり、大名の出ではない。その両家の血を引く元康が今川家親類衆となり、その間に嫡男まで生まれたというではないか。
「あの年で嫡男に恵まれるとは思わなんだ。半分は今川家御一家衆である関口刑部少輔の血が流れ、四分の一は松平広忠。そして、残る四分の一には於大。お主の血が、水野の血が流れている」
そう水野下野守に言われた時、なぜだか於大の方はドキリとした。その様子を見た夫・久松佐渡守が膝を乗り出し、前に進み出る。
「義兄上。前置きはこのぐらいにいたし、今後の方針について話しませぬか」
話題を転換しようとする義弟・久松佐渡守の粋な計らいに、水野下野守は彼を一瞥した後、その計らいに乗っかることとした。
「いかにも。久松佐渡守が申す通りよ。先日、鳴海領の山口左馬助教継と嫡子である九郎次郎教吉が駿府にて成敗された由、皆もすでに聞き及んでおろう」
水野下野の一言に、その場に居合わせる弟たちは一様に頷いて見せる。鳴海は大高城の東、水野下野の緒川城から見て北に位置する重要拠点。
「その一件により、我らは織田信長殿の所領と分断されておる。此度、藤二郎がこれへ参った折の如く、伊勢湾を船で南北に往来するよりほかはない」
「いかにも。されど、旅人や商人に扮して移動するならともかく、軍勢の移動は限りなく不可能といって差し支えござらぬ。仮に、兄者たちが今川に攻められたとしても、織田は援軍を出せぬ」
実際に伊勢湾の海路を利用して緒川までやってきた藤二郎忠分の意見はずしっと響く重みがあった。それを聞いたうえで、水野下野は再び口を開く。
「鳴海が山口氏の領国であったならばやりようはあった。両属しておるのだから、織田軍は悠々と援軍を送ることもできたであろう。しかし、鳴海山口氏の当主と嫡男が始末された今、鳴海は今川の直轄領となることは明白。大高城と鳴海城には、岡崎城のように城代が派遣されてくるに相違ない」
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五年前の正月。織田信長という男は居城を舅の斎藤道三の軍勢に守備を委ね、主力を率いて知多郡へと渡ってきた。
おそらく、今回もまた水野下野の予想など軽く上回るような一手を打ってくるに違いない。それだけは、水野下野は確信していた。
「よいか。我ら水野が生き延びるためには、何が何でも織田に勝ってもらわねばならぬ。わしはそのためにも、手段は択ばぬつもりでおる」
そう言って、水野下野が懐から出したのは懐紙……ではなく、苅谷よりの書状であった。
「藤九郎よりの書状じゃ」
「たしか、今は織田ではなく、今川へ従っておるのでは……?」
「いかにも。あやつにはわしを裏切ってもらっておるゆえな」
意図的に裏切らせ、今は織田でなく、今川に従属している苅谷水野氏。それは大高水野氏とて同じであるが、これらをあっという間に従わせたのであるから、やはり今川義元は海道一の弓取り。侮ってはならない巨大な敵である。
「あやつとは定期的に書状のやり取りをしておる。そして、この書状の写しは当家の草の者が信長殿に横流ししておる」
「あ、兄者!それは初耳にございまするぞ!」
「これは他言無用じゃぞ、藤二郎。信長殿にも言うてはならぬ。そなたとて始末されかねん機密事項じゃ」
始末されかねないという言葉に、まだ若い藤二郎はそのまま気を失いそうであった。そんな藤二郎を横目に、勇壮な藤十郎忠重が兄に質問を投げかける。
「さては、駿府におる兄上とも……!」
「弥平大夫もわしのことを嫌って今川に従っておる。じゃが、兄弟間で書状のやり取りくらいあっても差し支えなかろう。まったく、弟から嫌われて裏切られるとは、わしは兄として失格じゃのぅ。これでは泉下の父に怒鳴りつけられてしまうわ」
そう言って大声で笑う水野下野。先ほどの手段を択ばぬという言葉が、現実味を帯びてくる。
「では、兄上は織田と今川、勝つのは織田と見ておられるわけですな」
「そうじゃ。今、今川は駿遠三の三国を支配し、尾張にまで領国を拡大しておる。さらには、甲斐から信濃へと領国を拡大した武田晴信、相模から伊豆、武蔵支配を盤石とし、下総や上野へと勢力を拡大巣つつある北条氏康とも婚姻同盟を結んでおる」
「方や、尾張一統もままならぬ織田信長。これに勝ち目があるとは清六郎は思えませぬが」
「ほほう、清六郎。これを見てみよ。今日、藤二郎が持ってきよった書状を」
待ってましたとばかりに弟・藤二郎忠分から受け取った書状を清六郎忠守へと放り投げる水野下野。
放り投げるほどの書状にどのような説得力があるのかと半信半疑の清六郎であったが、内容を見て驚愕することとなった。
「あ、兄上!これは!京に戻られたく、公方様の御内書!」
「まぁ、それは写しじゃがな。じゃが、すでに岩倉城も陥落させ、あとは今川さえ退ければ尾張一統が成せ、公方様よりの書状にもある通り、名実ともに織田上総介信長が尾張国主となる」
将軍・足利義輝から織田信長に対しての御内書の写しを見たまま硬直する清六郎忠守。それを覗き込み、文面を確認しようとする十六歳年下の弟・藤十郎忠重。
「されど、義兄上は御内書の写しを見ただけで織田が勝つと言い切るような方ではござらぬ。おそらく、まだ何かお考えがあるのでは?」
「おう、義弟よ。そなたも、なかなかに勘が鋭い。いかにも、その通りじゃ」
義弟である尾張国阿比居城主・久松佐渡守も、若さに任せた勢いだけでなく、経験を通して情勢を見極める力が身についてきている。
「年じゃ。織田の当主はまだ二十六。すでに三人の男子に恵まれ、弟やら叔父やら、軍政においても領内の政においても頼りになる一門が多かろう。対して、今川はどうじゃ?」
「はっ、長らく織田と争ってきた今川のご隠居は四十一。当主は二十二なれど、未だ子宝に恵まれず、補佐にあたる一門衆は遠縁の者や婿ばかり」
「仮に今川治部が死すれば、今川五郎で三国を支配し続けられるか否や。さらに申せば、今川の当主に嫡男がおらねば、後を継ぐ者はおらぬ。弟はすでに仏門に入り、あとは妹が三人おるだけじゃ」
「もし仮にそうなれば、駿遠三は荒れまするな」
ハッとした様子の久松佐渡守が発した一言に、水野下野守は静かに頷いた。義元にはすでに兄弟は無く、遠縁でかつて那古野城を織田信秀に謀略をもって奪われた今川氏豊がいるのみ。
今さら遠縁の者を後継者に据えるか、はたまた今川義元の妹が嫁いだ北条氏康より養子を迎えるのか、氏真の妹・松姫が武田晴信の嫡男・武田義信との間にもうけた男子を迎えるのか。
そうして迎えられた他家からの養子を今川譜代家臣は容認するのか。そして、北条か武田のいずれからか養子を迎えた場合、内乱が勃発する可能性――
実に様々な事柄を考慮した末に、水野下野という男は不利な情勢下においても織田信長という男にくっついていた方が長期的に利益を得られると判断したのであった。
「それに、今川が荒れれば松平は後ろ盾を失うこととなる。織田に恭順するならばそれで良し、元康とともに今川領国へと侵攻すればよい。じゃが、元康が今川家親類衆の座にこだわるなら、松平領国は我ら水野がいただくまでのこと」
「そうなれば、我ら水野が知多郡に留まらず、東海道の覇者となる日もそう遠くありませんな!」
「藤十郎、口を慎め。これはあくまでも一つの、この水野下野が妄想、捕らぬ狸の皮算用にすぎぬ。何より、織田と今川の勝負はついておらぬであろうが」
「では、兄上。もし、織田が今川に敗れた場合のことはお考えでしょうか。織田が勝利を収めた後のお話しか伺っておりませぬ。何事も最悪の事態に備えておくべきではありませぬか」
ここで冷静で、極めて当然の質問を投げかけたのは久松佐渡守が正室・於大の方であった。
「於大もなかなか鋭い。じゃが、その時は簡単じゃ。藤九郎の苅谷水野氏と同じく、今川家の従属国衆となればよい。駿府で奉公しておる弥平大夫も命乞いと所領の安堵を求めてくれよう」
「水野が断絶となる恐れはございませぬか」
「ない。わしの首が飛ぶくらいのことは起きようが、断絶になどならぬ。ここにおる者らは今川家親類衆である松平元康の叔父ども。そして、継父とその子、生母に異母弟妹じゃぞ。その時は可愛い可愛い岡崎の甥っ子に床に頭をこすりつけて命乞いでもなんでもするわ。ハハハハハ……っ!」
――織田が勝つ。勝ってもらわねばならぬ。
そう豪語してやまなかった水野信元。
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服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝
糸冬
歴史・時代
有馬法印則頼。
播磨国別所氏に従属する身でありながら、羽柴秀吉の播磨侵攻を機にいちはやく別所を見限って秀吉の元に走り、入魂の仲となる。
しかしながら、秀吉の死後はためらうことなく徳川家康に取り入り、関ヶ原では東軍につき、摂津国三田二万石を得る。
人に誇れる武功なし。武器は茶の湯と機知、そして度胸。
だが、いかに立身出世を果たそうと、則頼の脳裏には常に、真逆の生き様を示して散った一人の「宿敵」の存在があったことを知る者は少ない。
時に幇間(太鼓持ち)と陰口を叩かれながら、身を寄せる相手を見誤らず巧みに戦国乱世を泳ぎ切り、遂には筑後国久留米藩二十一万石の礎を築いた男の一代記。
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