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第3章 流転輪廻の章
第62話 寺部城主の意地
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本多作左衛門に言われた通り、城内へ降伏勧告に赴いた者を呼び寄せた元康。それからは寺部城内の様子がどうであったかを聞き出し、定位置に戻るよう指示した。
「何か分かりましたかな」
「うむ、此度我らが攻めた大手門の傍には馬屋があるそうじゃ」
「馬屋にございまするか」
「うむ。ゆえに、良いことを思いついた」
「ほう、それは気になりまするな」
元康が思いついたこと。それは戦友・本多重玄を討たれた渡辺半蔵の言葉から着想を得ていた。
「渡辺半蔵が何ぞ申したので?」
「いかにも。『あんな樹木の茂った山、山ごと燃やしてしまえばよいのだ!』と、かように申しておった」
「よもや、火攻め……!?」
本多作左衛門の予想は当たった。城門傍の馬屋に火矢を打ち込む。そうすれば、馬小屋は炎上し、馬はたちまち暴れ出す。
そうなれば城方は城を守るどころではなくなり、容易く落城させられる。それこそ、元康の狙う火攻めであった。
「なるほど、城内の様子を探り、殿が何か突破口を見出してくださればと思うたが、まことに突破口を見出すとは……!」
今年で齢三十となる本多作左衛門。彼の予想を超える、見事な一計を案じた若き当主。これは将来、化けるのではないかと思えてしまう。
「本多作左衛門!能見松平の次郎右衛門殿と酒井将監をこれへ!わしより寺部城攻めの策を伝える!」
「はっ!」
心底より元康の立てた策ならば城を陥落させられると確信している本多作左衛門は皮肉を申すどころか、素直に元康の命に服したのである。
かくして、招集された能見松平家当主・次郎右衛門重吉と上野城主・酒井将監忠尚。白髪頭が特徴の両名も、元康の火攻め策に同意。ただちに支度に取り掛かった。
中でも、次男・般若助重茂と腹心の名倉惣助を討たれた松平次郎右衛門重吉は復讐に燃えていた。
「殿。我らが北へ回り込み、城攻めをいたしましょう」
「なに、あの攻めにくい北から攻めると……?」
「ええ。我らが日の出と同時に一気呵成に攻めまするゆえ、殿は南より能見松平の軍勢とともに攻め寄せ、手筈通りに火攻めを仕掛けてくだされ」
「うむ、その方が首尾よく運ぶであろう。じゃが、酒井隊だけで敵の注意を引き付け、持ちこたえられようか」
元康の懸念するところはそこであった。いくら戦慣れした酒井将監が采配を執るとはいえ、そう長くは注意を引き付けることは至難の業なのである。
「そこは某を信じてくだされ。断じて、敵に狙いを悟らせる様な不覚は取りませぬゆえ」
真っ直ぐな老将の瞳を元康は信じることに決めた。すなわち、酒井将監隊一千は城北へ。
――かくして、二度目となる寺部城攻めが開始された。
「殿!」
「松平の奴らは尻尾巻いて逃げ去ったか!」
「い、いえ!城北に松平勢が!丸に三つ葉葵の旗と片喰紋の旗を確認いたしました!」
「南からでは攻め落とせぬと判断し、北から攻めてきたのであろう。あの断崖絶壁をよじ登って落とそうというのなら、松平蔵人佐、とんだ大うつけぞ」
ついに攻め手も馬鹿なことをし始めた。そう思い、寺部城主・鈴木重辰は笑いが止まらなかった。何せ、一番攻めやすいのが城の南側。それをわざわざ攻めにくい北から攻めてくるというのだから、そう思うのも無理はなかった。
「よし、儂も城北へ赴き、陣頭指揮を執ろうぞ。此度も松平勢を粉砕して見せようぞ」
昨日松平勢に甚大な被害を与えたこともあり、鈴木重辰は余裕綽々であった。そして、その余裕を裏付けるように、酒井将監による城北からの城攻めが開始される。
「榊原隊、大須賀隊に伝達。敵は城より弓を射かけてくるだけでなく、石や大木を落としてくるであろう。ゆえ、弓矢だけに気を取られぬように、とな」
「ははっ!伝えて参ります!」
榊原七郎右衛門長政、大須賀五郎左衛門尉の両名へ、城攻めに当たっての注意事項を共有したうえで、酒井将監忠尚は城攻めの合図を出した。松平清康以来の歴戦の強者である酒井将監が指揮を執っていることもあり、兵士らの指揮は高かった。
「酒井将監ともあろう古強者がついていながら、このような愚策を取るとは松平蔵人佐、とんだ凡将ぞ。よし、存分に射かけ、手柄を競うがよいぞ!放て!」
城北の櫓から崖下を俯瞰する鈴木重辰より弓隊に指示が飛ばされる。その号令の下、鈴木勢から百近い矢が放たれる。
「七郎右衛門殿!来ましたぞ!」
「おう、五郎左衛門尉殿もご油断あるな!者ども、木楯で矢を防ぐのじゃ!」
城北で攻め手・酒井将監、城方・鈴木重辰による攻防戦が幕を開ける。一方、その頃。城南でも秘かに、されども戦況をひっくり返すような動きがあった。
「息子の仇を奉じさせてもらうぞ!弓隊構え!狙うは城内の馬屋じゃ!今ぞ、放てぇ!」
昨日の城攻めで次男・般若助重茂、家臣・名倉惣助を討たれ、仇討ちに燃える老将の掛け声で一斉に火矢が放たれる。城北から激しく城が攻め立てられていることで、手薄となっていた南側の城方は完全に油断していた。
「なっ!敵が攻めてきたぞ!」
「慌てるな、どうせ大した数ではない!」
「おい、敵の放った火矢が馬屋の屋根に刺さったぞ!」
能見松平勢が放った火矢は狙い通り、城南側の馬屋、そのほかの建物の屋根に命中。中でも、馬屋には馬の餌となる飼葉に火が燃え広がり、他の建物とは比にならないほどの燃え広がりを見せた。
「うわっ、馬が馬屋から逃げ出し始めたぞ!」
火から逃げるのは生物としての本能である。火に怯える馬たちに、人の言うことなど聞く耳を持たなかった。馬の暴走を止めようとした兵士が跳ね飛ばされ、蹄であばらを砕かれ、兵士たちまで大混乱となる。
「ようし、城内は阿鼻叫喚の地獄となっておろう!今こそ好機!弟の仇討ちに本多作左衛門が参るぞ!殿より、鈴木重辰の首を挙げし者には特別なる褒美があるとのことじゃ!出世を望む者は、この作左衛門とともに地獄へ足を踏み入れるのだ!」
太刀を抜き払い、先頭きって突撃するのは弟・九蔵重玄を討たれた本多作左衛門重次。そこへ、失態の巻き返しを試みる松平の武士どもが我も我もと城門を打ち破って突入していく。
「城主、鈴木なんちゃらはいずこにおるか!この渡辺半蔵が討ち取ってくれる!」
「半蔵!鈴木重辰は城北の櫓にて陣頭指揮を執っておるそうじゃ!」
「おお、足立弥一郎殿!かたじけない!」
残敵を掃討しながら、敵将の居場所を教える足立弥一郎。瞬時に若手の方が取り逃がすことなく、鈴木重辰を討ち取れる可能性にかけたものであった。
そして、城の南から火攻めにあっていることは火がかけられてすぐに鈴木重辰も気づいていた。
「あの火は……!?」
「殿!一大事にございます!南より攻めてきた松平勢が火矢を放ち、馬屋をはじめ南側の建物が炎上しておる由!」
「くっ、この北側からの攻めは北に注意をそらす、偽撃転殺の計略であったか……!」
敵の本当の狙いを知った鈴木重辰の顔から余裕さが消え失せていく。続く報告では、敵はすでに南門を破って城内へ突入してきたという。もはや、この時点で城としての防衛機能は失われたと言っても良かった。
「もはやこれまでか。ここで討ち死にして松平蔵人佐や今川治部太輔らに首を晒されるのはご免じゃ。本丸にて自刃する!馬廻衆は供をいたせ!」
己の最期を悟った鈴木重辰はその場で抵抗するのではなく、敵に首を渡さずに意地だけは貫き通して見せることを選択。すでに火が回りつつある本丸へと移動を開始したのである。
向かってくる松平兵の槍をかわし、太刀を受け止め、左右へ受け流す。組み合ってくる者には柄の頭で後頭部を打ち据えたり、膝蹴りを食らわせて対応。
迫りくる最期の時と殺意を向けてくる松平兵を往なしつつ、鈴木重辰は寺部城の燃える本丸へたどり着いたのであった。
「と、殿!松平の奴ら、ここまで追いかけてきた模様!」
「このような業火を突っ切ってきたと申すか」
「はい、渡辺半蔵とか申す小僧が殿に見参だとか申し、交戦しておる由」
「捨て置け。たった一人で敵将の首を取りに参るような無鉄砲な輩にくれてやる首など持たぬわ」
そう吐き捨てると、脇差を鞘より引き抜く。燃える城中にて胡坐をかく鈴木重辰。最後まで抗うことをやめなかった闘将の腹部には、自らの意思にて一文字の傷が刻まれる。
「ぐっ、ぐぐぐっ……」
「ご免!」
介錯人の振り下ろした一太刀によって、寺部城の戦いは決着と相成った。初陣を勝利で飾り、加茂郡の大部分を今川氏に恭順させた元康だが、その表情は晴れなかった。
「殿、半蔵どのが鈴木重辰の首を取れなかったと悔やんでおりましたぞ」
「……」
「……殿?」
「おお、七之助ではないか。いかがした?」
初陣から数日の後。
岡崎城に凱旋した後、大樹寺にて木枯らしに吹かれながら主君である今川家からの沙汰を待つ松平蔵人佐元康の姿があった。
平岩七之助に顔を覗き込まれ、ようやく彼の接近に気づいた元康に平岩七之助は今しがた話した内容を再び話すこととなった。
「左様か。渡辺半蔵がそのようなことを」
「はい。奥へ踏み込んだ時には鈴木重辰は自害して果てた後で、介錯人と思しき者を半蔵どのが成敗したと」
「うむ、さすがは半蔵じゃな」
心ここにあらずといった様子の元康にどう接したものかと迷う平岩七之助は、鳥居彦右衛門尉へと相談を持ちかけた。
「彦右衛門尉どの、近ごろの殿をいかが思われるか」
「殿のことか。それは某も気がかりなのじゃ」
「駿府の太守様は殿が鮮やかな勝利を収めたことを喜び、腰刀一振りに加え、当家の旧領であり、作手奥平家に与えられていた山中領の一部、三百貫文を返還してくださった」
「うむ、本来は泣いて喜ぶところであろう。じゃが、此度の戦にて大勢の者が討ち死にしておる。殿はその責任の重さに押しつぶされそうになっておるのではあるまいか」
平岩七之助は鳥居彦右衛門尉の発した言葉に、心ここにあらずの主君の心を垣間見れた心地がした。
「彦右衛門尉どのの推察、当たっておりそうにございますな」
「そうであろうか。逆に、七之助はどう考えておったか」
「駿府より、岡崎に留まらず駿府へ戻って参るようお達しがあったと聞き及びましたゆえ、本領岡崎を離れることを本心では望んでおらぬのではないかと」
「ふむ、七之助の推測も当たっておるのではなかろうか。駿府へ戻らば、殿はこれまで通り駿府より領国運営にあたることとなろう」
そこまで聞き、ずいと膝を進める平岩七之助。鳥居彦右衛門尉も突然な距離の詰め方に驚きつつも、何事もないかのように振る舞う。
「では、殿は一生駿府から政を差配することとなるのでしょうや」
「それは知らぬ。じゃが、殿と同じく親類衆である駿河国衆の葛山氏も今川様より軍事的にも政治的にも保護を受けたうえで駿府より常時領国運営に当たっておられるとか。おそらく、殿もそのようになるのではなかろうか」
「ひ、彦右衛門尉どのは口惜しいとは思わぬのか」
「思う。じゃが、逆らえば松平など吹き飛んでしまう。そう父から聞かされておるし、己の頭で考えても同じ結論に達する。殿とて、それは同じことよ」
彦右衛門尉から同意を得たかった七之助。しかし、三ツ上の年長者から真っ向より理屈でねじ伏せられ、返す言葉を失ってしまった。
「七之助、そのような話題はやめじゃ。まもなく殿は駿府へお帰りになる。さすれば、この鳥居彦右衛門尉もそなたも殿とともに駿府へ戻ることとなる。ゆえ、支度は進めておかねばならぬぞ」
「さ、左様ですな」
「あまりもたもたしておると、雅楽助さまに雷を落とされるぞ」
温和な性格が災いして、素早く動くことが苦手な七之助は、酒井雅楽助から幾度となく叱られることがあった。
その折の酒井雅楽助の形相を思い出したのか、面白いように平岩七之助の表情と肩が強張る。それを見てクスリと笑みをこぼしながら、退出していく鳥居彦右衛門尉。
案の定、その翌日に駿府帰還の支度最中に、平岩七之助親吉は酒井雅楽助政家に叱り飛ばされ、それを傍から見ていた鳥居彦右衛門尉元忠も腹を抱えて笑っていたところを巻き添えにあったというのは別の話である。
――閑話休題。
元康は初陣より戻って後、駿府へ報告の文を送るとともに、他の松平家に戦果のほどを報告していた。
それは、元康が祖父・清康、父・広忠の治世を聞き、宗家が強ければ他の松平家は反旗を翻すことはないと知っていたからでもあった。
十七歳の頃から一族の統制に苦慮する元康であったが、これより織田・水野から戦を吹っ掛けられる頻度が増え、そちらにも苦悩することになるのである――
「何か分かりましたかな」
「うむ、此度我らが攻めた大手門の傍には馬屋があるそうじゃ」
「馬屋にございまするか」
「うむ。ゆえに、良いことを思いついた」
「ほう、それは気になりまするな」
元康が思いついたこと。それは戦友・本多重玄を討たれた渡辺半蔵の言葉から着想を得ていた。
「渡辺半蔵が何ぞ申したので?」
「いかにも。『あんな樹木の茂った山、山ごと燃やしてしまえばよいのだ!』と、かように申しておった」
「よもや、火攻め……!?」
本多作左衛門の予想は当たった。城門傍の馬屋に火矢を打ち込む。そうすれば、馬小屋は炎上し、馬はたちまち暴れ出す。
そうなれば城方は城を守るどころではなくなり、容易く落城させられる。それこそ、元康の狙う火攻めであった。
「なるほど、城内の様子を探り、殿が何か突破口を見出してくださればと思うたが、まことに突破口を見出すとは……!」
今年で齢三十となる本多作左衛門。彼の予想を超える、見事な一計を案じた若き当主。これは将来、化けるのではないかと思えてしまう。
「本多作左衛門!能見松平の次郎右衛門殿と酒井将監をこれへ!わしより寺部城攻めの策を伝える!」
「はっ!」
心底より元康の立てた策ならば城を陥落させられると確信している本多作左衛門は皮肉を申すどころか、素直に元康の命に服したのである。
かくして、招集された能見松平家当主・次郎右衛門重吉と上野城主・酒井将監忠尚。白髪頭が特徴の両名も、元康の火攻め策に同意。ただちに支度に取り掛かった。
中でも、次男・般若助重茂と腹心の名倉惣助を討たれた松平次郎右衛門重吉は復讐に燃えていた。
「殿。我らが北へ回り込み、城攻めをいたしましょう」
「なに、あの攻めにくい北から攻めると……?」
「ええ。我らが日の出と同時に一気呵成に攻めまするゆえ、殿は南より能見松平の軍勢とともに攻め寄せ、手筈通りに火攻めを仕掛けてくだされ」
「うむ、その方が首尾よく運ぶであろう。じゃが、酒井隊だけで敵の注意を引き付け、持ちこたえられようか」
元康の懸念するところはそこであった。いくら戦慣れした酒井将監が采配を執るとはいえ、そう長くは注意を引き付けることは至難の業なのである。
「そこは某を信じてくだされ。断じて、敵に狙いを悟らせる様な不覚は取りませぬゆえ」
真っ直ぐな老将の瞳を元康は信じることに決めた。すなわち、酒井将監隊一千は城北へ。
――かくして、二度目となる寺部城攻めが開始された。
「殿!」
「松平の奴らは尻尾巻いて逃げ去ったか!」
「い、いえ!城北に松平勢が!丸に三つ葉葵の旗と片喰紋の旗を確認いたしました!」
「南からでは攻め落とせぬと判断し、北から攻めてきたのであろう。あの断崖絶壁をよじ登って落とそうというのなら、松平蔵人佐、とんだ大うつけぞ」
ついに攻め手も馬鹿なことをし始めた。そう思い、寺部城主・鈴木重辰は笑いが止まらなかった。何せ、一番攻めやすいのが城の南側。それをわざわざ攻めにくい北から攻めてくるというのだから、そう思うのも無理はなかった。
「よし、儂も城北へ赴き、陣頭指揮を執ろうぞ。此度も松平勢を粉砕して見せようぞ」
昨日松平勢に甚大な被害を与えたこともあり、鈴木重辰は余裕綽々であった。そして、その余裕を裏付けるように、酒井将監による城北からの城攻めが開始される。
「榊原隊、大須賀隊に伝達。敵は城より弓を射かけてくるだけでなく、石や大木を落としてくるであろう。ゆえ、弓矢だけに気を取られぬように、とな」
「ははっ!伝えて参ります!」
榊原七郎右衛門長政、大須賀五郎左衛門尉の両名へ、城攻めに当たっての注意事項を共有したうえで、酒井将監忠尚は城攻めの合図を出した。松平清康以来の歴戦の強者である酒井将監が指揮を執っていることもあり、兵士らの指揮は高かった。
「酒井将監ともあろう古強者がついていながら、このような愚策を取るとは松平蔵人佐、とんだ凡将ぞ。よし、存分に射かけ、手柄を競うがよいぞ!放て!」
城北の櫓から崖下を俯瞰する鈴木重辰より弓隊に指示が飛ばされる。その号令の下、鈴木勢から百近い矢が放たれる。
「七郎右衛門殿!来ましたぞ!」
「おう、五郎左衛門尉殿もご油断あるな!者ども、木楯で矢を防ぐのじゃ!」
城北で攻め手・酒井将監、城方・鈴木重辰による攻防戦が幕を開ける。一方、その頃。城南でも秘かに、されども戦況をひっくり返すような動きがあった。
「息子の仇を奉じさせてもらうぞ!弓隊構え!狙うは城内の馬屋じゃ!今ぞ、放てぇ!」
昨日の城攻めで次男・般若助重茂、家臣・名倉惣助を討たれ、仇討ちに燃える老将の掛け声で一斉に火矢が放たれる。城北から激しく城が攻め立てられていることで、手薄となっていた南側の城方は完全に油断していた。
「なっ!敵が攻めてきたぞ!」
「慌てるな、どうせ大した数ではない!」
「おい、敵の放った火矢が馬屋の屋根に刺さったぞ!」
能見松平勢が放った火矢は狙い通り、城南側の馬屋、そのほかの建物の屋根に命中。中でも、馬屋には馬の餌となる飼葉に火が燃え広がり、他の建物とは比にならないほどの燃え広がりを見せた。
「うわっ、馬が馬屋から逃げ出し始めたぞ!」
火から逃げるのは生物としての本能である。火に怯える馬たちに、人の言うことなど聞く耳を持たなかった。馬の暴走を止めようとした兵士が跳ね飛ばされ、蹄であばらを砕かれ、兵士たちまで大混乱となる。
「ようし、城内は阿鼻叫喚の地獄となっておろう!今こそ好機!弟の仇討ちに本多作左衛門が参るぞ!殿より、鈴木重辰の首を挙げし者には特別なる褒美があるとのことじゃ!出世を望む者は、この作左衛門とともに地獄へ足を踏み入れるのだ!」
太刀を抜き払い、先頭きって突撃するのは弟・九蔵重玄を討たれた本多作左衛門重次。そこへ、失態の巻き返しを試みる松平の武士どもが我も我もと城門を打ち破って突入していく。
「城主、鈴木なんちゃらはいずこにおるか!この渡辺半蔵が討ち取ってくれる!」
「半蔵!鈴木重辰は城北の櫓にて陣頭指揮を執っておるそうじゃ!」
「おお、足立弥一郎殿!かたじけない!」
残敵を掃討しながら、敵将の居場所を教える足立弥一郎。瞬時に若手の方が取り逃がすことなく、鈴木重辰を討ち取れる可能性にかけたものであった。
そして、城の南から火攻めにあっていることは火がかけられてすぐに鈴木重辰も気づいていた。
「あの火は……!?」
「殿!一大事にございます!南より攻めてきた松平勢が火矢を放ち、馬屋をはじめ南側の建物が炎上しておる由!」
「くっ、この北側からの攻めは北に注意をそらす、偽撃転殺の計略であったか……!」
敵の本当の狙いを知った鈴木重辰の顔から余裕さが消え失せていく。続く報告では、敵はすでに南門を破って城内へ突入してきたという。もはや、この時点で城としての防衛機能は失われたと言っても良かった。
「もはやこれまでか。ここで討ち死にして松平蔵人佐や今川治部太輔らに首を晒されるのはご免じゃ。本丸にて自刃する!馬廻衆は供をいたせ!」
己の最期を悟った鈴木重辰はその場で抵抗するのではなく、敵に首を渡さずに意地だけは貫き通して見せることを選択。すでに火が回りつつある本丸へと移動を開始したのである。
向かってくる松平兵の槍をかわし、太刀を受け止め、左右へ受け流す。組み合ってくる者には柄の頭で後頭部を打ち据えたり、膝蹴りを食らわせて対応。
迫りくる最期の時と殺意を向けてくる松平兵を往なしつつ、鈴木重辰は寺部城の燃える本丸へたどり着いたのであった。
「と、殿!松平の奴ら、ここまで追いかけてきた模様!」
「このような業火を突っ切ってきたと申すか」
「はい、渡辺半蔵とか申す小僧が殿に見参だとか申し、交戦しておる由」
「捨て置け。たった一人で敵将の首を取りに参るような無鉄砲な輩にくれてやる首など持たぬわ」
そう吐き捨てると、脇差を鞘より引き抜く。燃える城中にて胡坐をかく鈴木重辰。最後まで抗うことをやめなかった闘将の腹部には、自らの意思にて一文字の傷が刻まれる。
「ぐっ、ぐぐぐっ……」
「ご免!」
介錯人の振り下ろした一太刀によって、寺部城の戦いは決着と相成った。初陣を勝利で飾り、加茂郡の大部分を今川氏に恭順させた元康だが、その表情は晴れなかった。
「殿、半蔵どのが鈴木重辰の首を取れなかったと悔やんでおりましたぞ」
「……」
「……殿?」
「おお、七之助ではないか。いかがした?」
初陣から数日の後。
岡崎城に凱旋した後、大樹寺にて木枯らしに吹かれながら主君である今川家からの沙汰を待つ松平蔵人佐元康の姿があった。
平岩七之助に顔を覗き込まれ、ようやく彼の接近に気づいた元康に平岩七之助は今しがた話した内容を再び話すこととなった。
「左様か。渡辺半蔵がそのようなことを」
「はい。奥へ踏み込んだ時には鈴木重辰は自害して果てた後で、介錯人と思しき者を半蔵どのが成敗したと」
「うむ、さすがは半蔵じゃな」
心ここにあらずといった様子の元康にどう接したものかと迷う平岩七之助は、鳥居彦右衛門尉へと相談を持ちかけた。
「彦右衛門尉どの、近ごろの殿をいかが思われるか」
「殿のことか。それは某も気がかりなのじゃ」
「駿府の太守様は殿が鮮やかな勝利を収めたことを喜び、腰刀一振りに加え、当家の旧領であり、作手奥平家に与えられていた山中領の一部、三百貫文を返還してくださった」
「うむ、本来は泣いて喜ぶところであろう。じゃが、此度の戦にて大勢の者が討ち死にしておる。殿はその責任の重さに押しつぶされそうになっておるのではあるまいか」
平岩七之助は鳥居彦右衛門尉の発した言葉に、心ここにあらずの主君の心を垣間見れた心地がした。
「彦右衛門尉どのの推察、当たっておりそうにございますな」
「そうであろうか。逆に、七之助はどう考えておったか」
「駿府より、岡崎に留まらず駿府へ戻って参るようお達しがあったと聞き及びましたゆえ、本領岡崎を離れることを本心では望んでおらぬのではないかと」
「ふむ、七之助の推測も当たっておるのではなかろうか。駿府へ戻らば、殿はこれまで通り駿府より領国運営にあたることとなろう」
そこまで聞き、ずいと膝を進める平岩七之助。鳥居彦右衛門尉も突然な距離の詰め方に驚きつつも、何事もないかのように振る舞う。
「では、殿は一生駿府から政を差配することとなるのでしょうや」
「それは知らぬ。じゃが、殿と同じく親類衆である駿河国衆の葛山氏も今川様より軍事的にも政治的にも保護を受けたうえで駿府より常時領国運営に当たっておられるとか。おそらく、殿もそのようになるのではなかろうか」
「ひ、彦右衛門尉どのは口惜しいとは思わぬのか」
「思う。じゃが、逆らえば松平など吹き飛んでしまう。そう父から聞かされておるし、己の頭で考えても同じ結論に達する。殿とて、それは同じことよ」
彦右衛門尉から同意を得たかった七之助。しかし、三ツ上の年長者から真っ向より理屈でねじ伏せられ、返す言葉を失ってしまった。
「七之助、そのような話題はやめじゃ。まもなく殿は駿府へお帰りになる。さすれば、この鳥居彦右衛門尉もそなたも殿とともに駿府へ戻ることとなる。ゆえ、支度は進めておかねばならぬぞ」
「さ、左様ですな」
「あまりもたもたしておると、雅楽助さまに雷を落とされるぞ」
温和な性格が災いして、素早く動くことが苦手な七之助は、酒井雅楽助から幾度となく叱られることがあった。
その折の酒井雅楽助の形相を思い出したのか、面白いように平岩七之助の表情と肩が強張る。それを見てクスリと笑みをこぼしながら、退出していく鳥居彦右衛門尉。
案の定、その翌日に駿府帰還の支度最中に、平岩七之助親吉は酒井雅楽助政家に叱り飛ばされ、それを傍から見ていた鳥居彦右衛門尉元忠も腹を抱えて笑っていたところを巻き添えにあったというのは別の話である。
――閑話休題。
元康は初陣より戻って後、駿府へ報告の文を送るとともに、他の松平家に戦果のほどを報告していた。
それは、元康が祖父・清康、父・広忠の治世を聞き、宗家が強ければ他の松平家は反旗を翻すことはないと知っていたからでもあった。
十七歳の頃から一族の統制に苦慮する元康であったが、これより織田・水野から戦を吹っ掛けられる頻度が増え、そちらにも苦悩することになるのである――
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多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。
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店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
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