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第2章 水沫泡焔の章
第33話 鳥曇り
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武田晴信と長尾景虎が北信濃で争い、三好長慶が足利義維を阿波から上洛させ、新将軍として擁立せんと試みる天文二十二年。
この年、久松家の居城である尾張国阿古居城にて三郎太郎、源三郎と二人の男子に続き、多劫姫が誕生。久松佐渡守と於大の方との間に生まれた子供はこれにて三人目となる。
於大の方は縁側にて生まれたばかりの多劫姫を抱きかかえ、三郎太郎と源三郎を器用にあやしていた。そこへ、夫である久松佐渡守がやって来る。
「秋風の爽やかな響きであることよ。これをまさしく爽籟というのであろう」
「あなた様、尾三の国境では織田と今川の諍いが絶えぬと聞き及びます。であるのに、この阿古居はまことに平和にございます」
「うむ、乱世の中にあっても秋を感じることのできる。これはこの上ない幸福といえよう」
夫婦並んで腰かける縁側に落ち葉がひらりと舞い落ちる。季節はまさしく秋。来月の末には天文二十二年も終わり、新たな一年が幕を開ける。そして、季節も雪の降る冬が到来するのもまもなくとなろう。
年末年始となれば、表も裏も問わず忙しくなる。嵐の前の静けさとは意味合いが異なるが、忙しくなる前に神々が一休みする期間を設けてくれているような心持ちになる。
「父上!継母上さま!こちらにおられましたか!」
ひときわ若い声が秋を全身で感じる夫婦の元へ、風に乗って届けられる。やってきたのは竹千代とそう齢の変わらぬ久松弥九郎。久松佐渡が先妻との間にもうけた長子である。
於大の方は笑顔で駆け寄ってくる久松弥九郎を見るたびに、生き別れた竹千代を想起する。何やら失礼なことを考えてしまっていることに気づいていても、考えずにはいられない。一人の子を愛してやまない母の心、そのものであった。
「弥九郎、いかがした。何ぞ急用か」
「継母上さまのご実家、水野家より援軍を求むる使者が先ほどご到着。それをお伝えせんとこれへ参った次第」
「ご苦労であった。うむ、使者の元へすぐに参るとしよう。弥九郎、使者は広間に通していような」
久松弥九郎が首肯するのと、久松佐渡が一歩を踏み出すのがほぼ同時であった。阿吽の呼吸に限りなく近い父子の絆は、於大の方から見ても羨ましいと思えてならない。
何より、そんな父子の姿を見ると、於大の方の心には広忠と竹千代の幻影が見えてしまうのであったが。
「弥九郎、お主は継母上とともに弟妹らをあやしてやってくれい」
「はい!お任せくだされ!」
どんっ、と胸をたたく弥九郎の頼もしい表情に勇気を貰いながら、使者と面会するべく広間へ向かう久松佐渡。そんな彼の姿が見えなくなったころ、久松弥九郎は継母と異母弟妹の前へ進み出た。
それも、幼い弟妹らを驚かせないよう、大きな音をたてぬよう配慮しながら。他者を労わる心は父親からの遺伝であろう。そのようなことを脳内で思い描く於大の方に、弥九郎が声をかける。
「継母上さま、某にかように愛おしい弟と妹を恵んでくださり、感謝いたします」
純粋な感謝。何やらむずがゆいような、口では表現できないものを感じながら、於大の方は眼前の義理の息子と向き合う。
弟や妹をあやすのを手伝おうとし、多劫姫に大泣きされてしまう久松弥九郎。そんな彼にあやし方を於大の方が教え、それを久松弥九郎は実行に移す。その折の二人は血のつながった、本当の親子のようであった。
そんな戦とは縁遠いといっても過言ではない阿古居城であったが、水野家を圧迫する今川家の魔の手が迫りくるのである――
明けて天文二十三年。この年は水野下野守にとって正月早々から悪夢のような幕開けとなった。
この頃には碧海郡に残されていた重原城も今川方の手に落ち、水野下野守信元の本拠・緒川城も寺本城・藪城・重原城に囲まれ、孤立する形となっていた。
今川家は緒川水野氏を屈服させるべく先刻陥落させた重原城経由で物資を運搬し、緒川城の目と鼻の先に村木砦を構築。籠城する水野信元への圧力を強化する動きを取っていた。
そんな村木砦の守将には今川治部太輔義元の妹婿・浅井政敏が入る。窮地に陥った水野下野守は織田上総介へと救援を要請するのであった。
「ほほう、水野下野守より救援要請が届いたとな」
「はっ、居城の緒川を今川軍に包囲され、長くは持ちこたえられそうもないとのこと!」
「で、あるか」
顎の下に生えかけた髭を右の親指と人差し指でいじりながら、何やら考える素振りをする織田上総介信長。元来、頭の早い彼が集中して物事を考えている。
水野下野守からの援軍要請を取り次いだ近臣は一体どのような考えが飛び出してくるのかと固唾をのんで見守っていた。
「よし、水野下野守の元へ援軍に向かうとしよう」
「援軍を派遣いただけると聞けば、水野家よりの使者もさぞかし喜ばれることでしょう」
「たわけめ、援軍を派遣するとは申しておらぬ。援軍に向かうと申したのだ。この信長自らな」
織田弾正忠家の惣領たる信長自らが援軍に向かう。突然のことに、近臣が状況を読み込めない間にも織田信長の頭は回転を続けていた。使者がやっと理解することができた頃には、第二第三の指示が飛んでいる。
そうして一月二十日。冬らしい寒さが人より体温を強奪していく中、織田信長は居城の守りを同盟関係にある斎藤利政からの援軍、安藤守就以下美濃勢一千に任せるという思い切った策で援軍に駆けつけていく。
林佐渡守秀貞・通具の兄弟が不服を述べて帰陣や想定外の強風などの事態に見舞われながらも、船頭・水夫たちに無理に舟を出させる強行軍によって今川方となった寺本城を避けるように進み、二十三日に緒川城へ到着。
織田木瓜の旗指物を持った軍勢が緒川城に到着したことで、水野沢瀉の旗印を掲げた城兵らの士気は一挙に蘇った。武名轟く信長の叔父・孫三郎信光も従軍しているというのだから、水野勢も戦闘意欲をかき立てられていた。
織田からの援軍が到着したことに安堵する緒川城主・水野下野守信元であったが、彼はさらなる驚きに心臓が飛び出るような想いをさせられることになる。
「水野下野守、壮健であったか」
「これはお、織田上総介殿……!御自らの来訪とは知らず、出迎えなかったご無礼、平にご容赦くださいませ!」
「よい。謝罪されたところで今川軍がどうなるわけでもない。無礼など気にする必要などないわ。今は戦に勝つ事のみ考えておればよい」
二十一歳の若き当主が直々に国衆の援軍に向かってくるなど、そう起こりえる事態ではない。それゆえに、水野下野守の驚きようも並大抵でなかった。
「あ、兄者」
「おお、藤二郎か。織田家臣として緒川へ弟がやってこようとは思わなんだ」
「某も同意見にござりまする。よもや、織田の者として兄者の援軍に赴くことになろうとは」
苦戦している状況下にある緒川城で対面したこともあり、下野守信元も藤二郎忠分も表情が強張ったままである。しかし、言葉の節々からは再会の喜びが感じられる対面であった。
「水野下野守」
「はっ、なんでございましょう」
「村木砦の造りはいかがなっておる。調べた限りを報告せよ」
「然らば、お伝えいたしまする」
弟との再会で感動に打ち震える水野下野を現実へと引き戻す信長。それからは攻略目標である村木砦をいかにして攻め落とすか。それを考える評定へと突入した。
「村木砦の北は要害。東に大手門、西が搦手門、南には甕型の非常に大きな堀がございます。北から攻めることは避けた方がよろしいかと」
「で、あるか。であれば、水野下野の進言を容れ、北よりの攻撃を避け、残る三方より攻めかけることとしよう」
信長は水野下野守の進言通り、北からの攻撃を避けた。そこからは本陣を砦の南側と定め、東から水野藤二郎忠分、西から織田孫三郎信光が受け持ち、南からは信長自らが攻勢をかける。そんな段取りを手際よく進めていく。
そうして段取りを決め、翌二十四日辰の刻から織田勢の村木砦への攻撃が開始された。
「鉄砲隊はあの三ツの狭間を狙い撃て!その間に堀を登るのだ!よいか!今日中に陥落させる気概で臨め!」
信長のひときわ大きな声が織田勢の耳にまで到達。そんな大将の声に鼓舞された織田軍は猛攻を開始。
織田勢にも多数の死者を出すこととなったが、村木砦側は負傷者・死者が増え、申の下刻、ついに降伏。信長は薄暗くなりつつあることもあり、村木砦の降伏を受諾したのであった。
「水野藤二郎!」
「はっ、ははっ!」
「そちに戦後処理を任せる!」
「しょ、承知いたしました!」
勇ましく指揮を執り、水野藤二郎にも覇気あふれる言葉をかけた信長であったが、その目からはいくつもの雫が零れていた。
水野藤二郎もそれには心当たりがあった。織田勢の戦死者の中には信長の小姓も多くいた。誰よりも間近で忠勤に励んできた者らが亡くなったのだから、涙せずにはいられなかったのであろう。
何はともあれ、村木砦の戦いで織田勢が勝利したことにより緒川城は危機を脱した。しかし、これ以降、水野氏の織田家へ従属性は強まっていくこととなる。
その後、翌二十五日には信長は寺本城へ手勢を派遣して城下に放火し、那古野城に帰還していった。
「義兄上、織田殿は見事な采配にございましたな」
「おお、久松佐渡か。義弟よ、此度は援軍かたじけない」
「顔をお上げくだされ。於大の実家に危急存亡の秋、指をくわえて見ていられようはずがございませぬ」
「嬉しいことを申してくれる。じゃが、此度の砦攻めによって織田の若殿には頭が上がらぬわ」
織田と同じく援軍にやってきていた於大の方の夫・久松佐渡守からの言葉に、水野下野守は涙がこぼれそうになっていた。
そんな彼も織田家への従属性が強まったことに快く思わない感情がないと言えばウソになる。されど、水野家の危機に織田信長自ら救援に赴き、居城の守りを美濃勢に任せるという危険の高い決断をしてまで応えてくれた。
――何かあっても、必ずや援軍に駆け付けてくださる。
この信頼感、安心感の前では不満など簡単に打ち消せてしまう。頼もしい後ろ盾を得たと思い、領土を今川から守り抜こう。そう誓う水野下野守なのであった。
正月早々から知多郡にて激戦が繰り広げられたわけだが、翌二月には織田信長の同盟国・美濃にて動きがあった。
信長が水野下野守を救援するべく、村木砦を攻略する間、那古野へ援軍を派遣してくれていた美濃にて代替わりが行われた。そのことは織田信長の正室・濃姫の元へも知らされていた。
「なにっ、舅御が!?」
「はい。先刻、父より届いた書状には家督を我が兄、斎藤新九郎義龍へ譲ったと。そして、父は常在寺で剃髪。「道三」と号し、鷺山城に隠居したと、かように記されております」
美濃平定後も国内統制に苦慮していた斎藤道三。そのような情勢下であっても、那古野まで援軍を派遣するなど娘婿たる織田上総介信長に非常に協力的であった。
そんな心強い美濃の舅が隠居させられたというのだから、信長にとっても心中穏やかならざるものがあった。
「父は兄のことを耄者、すなわち殿が世間で言われているようなうつけと申しておりました」
「そうであったな。そんな斎藤新九郎がおれのことを良く思っているとは思えぬ。むしろ、この信長を打倒すれば、舅御の眼は節穴であったと言えようもの。これまでのような同盟関係を維持できるとは到底思えぬ」
「ええ。あなた様の申す通りでしょう。領国経営が円滑に進まず苦慮する父から重臣らの心は離れ、此度の当主交代劇へと至ったのでございましょう」
濃姫の的確な指摘に、さすがの信長も舌を巻いた。さすがは美濃の蝮の娘。実に物事を冷静かつ的確に把握している。下手な織田重臣よりも、である。
「殿、今後の方策やいかに?」
「ふふふ、おれが成さねばならぬことは変わらぬ。いくら義兄であっても、舅御が存命のうちは大人しくしておろう。その間に足場を固めるとしよう」
――どうせお濃とて分かっているだろうに。
そんな言葉を裏に隠したうえでの信長の発言。それに気づいているのか気づいていないのか、濃姫は顔色一つ変えずに言葉を返していく。
「良きお考えと存じます」
「存外無難な策で落胆いたしたか」
「いいえ、滅相もございません。奇をてらう戦略は殿好みではございますが、平時より行うことは時に危うい面もございます。奇道と正道は使い分けることこそ肝要でございましょう」
「まこと、恐ろしい女子じゃ。男に生まれておれば、美濃もあのようなことにはならなかったであろうに」
ふと、本心を漏らす信長なのであった――
この年、久松家の居城である尾張国阿古居城にて三郎太郎、源三郎と二人の男子に続き、多劫姫が誕生。久松佐渡守と於大の方との間に生まれた子供はこれにて三人目となる。
於大の方は縁側にて生まれたばかりの多劫姫を抱きかかえ、三郎太郎と源三郎を器用にあやしていた。そこへ、夫である久松佐渡守がやって来る。
「秋風の爽やかな響きであることよ。これをまさしく爽籟というのであろう」
「あなた様、尾三の国境では織田と今川の諍いが絶えぬと聞き及びます。であるのに、この阿古居はまことに平和にございます」
「うむ、乱世の中にあっても秋を感じることのできる。これはこの上ない幸福といえよう」
夫婦並んで腰かける縁側に落ち葉がひらりと舞い落ちる。季節はまさしく秋。来月の末には天文二十二年も終わり、新たな一年が幕を開ける。そして、季節も雪の降る冬が到来するのもまもなくとなろう。
年末年始となれば、表も裏も問わず忙しくなる。嵐の前の静けさとは意味合いが異なるが、忙しくなる前に神々が一休みする期間を設けてくれているような心持ちになる。
「父上!継母上さま!こちらにおられましたか!」
ひときわ若い声が秋を全身で感じる夫婦の元へ、風に乗って届けられる。やってきたのは竹千代とそう齢の変わらぬ久松弥九郎。久松佐渡が先妻との間にもうけた長子である。
於大の方は笑顔で駆け寄ってくる久松弥九郎を見るたびに、生き別れた竹千代を想起する。何やら失礼なことを考えてしまっていることに気づいていても、考えずにはいられない。一人の子を愛してやまない母の心、そのものであった。
「弥九郎、いかがした。何ぞ急用か」
「継母上さまのご実家、水野家より援軍を求むる使者が先ほどご到着。それをお伝えせんとこれへ参った次第」
「ご苦労であった。うむ、使者の元へすぐに参るとしよう。弥九郎、使者は広間に通していような」
久松弥九郎が首肯するのと、久松佐渡が一歩を踏み出すのがほぼ同時であった。阿吽の呼吸に限りなく近い父子の絆は、於大の方から見ても羨ましいと思えてならない。
何より、そんな父子の姿を見ると、於大の方の心には広忠と竹千代の幻影が見えてしまうのであったが。
「弥九郎、お主は継母上とともに弟妹らをあやしてやってくれい」
「はい!お任せくだされ!」
どんっ、と胸をたたく弥九郎の頼もしい表情に勇気を貰いながら、使者と面会するべく広間へ向かう久松佐渡。そんな彼の姿が見えなくなったころ、久松弥九郎は継母と異母弟妹の前へ進み出た。
それも、幼い弟妹らを驚かせないよう、大きな音をたてぬよう配慮しながら。他者を労わる心は父親からの遺伝であろう。そのようなことを脳内で思い描く於大の方に、弥九郎が声をかける。
「継母上さま、某にかように愛おしい弟と妹を恵んでくださり、感謝いたします」
純粋な感謝。何やらむずがゆいような、口では表現できないものを感じながら、於大の方は眼前の義理の息子と向き合う。
弟や妹をあやすのを手伝おうとし、多劫姫に大泣きされてしまう久松弥九郎。そんな彼にあやし方を於大の方が教え、それを久松弥九郎は実行に移す。その折の二人は血のつながった、本当の親子のようであった。
そんな戦とは縁遠いといっても過言ではない阿古居城であったが、水野家を圧迫する今川家の魔の手が迫りくるのである――
明けて天文二十三年。この年は水野下野守にとって正月早々から悪夢のような幕開けとなった。
この頃には碧海郡に残されていた重原城も今川方の手に落ち、水野下野守信元の本拠・緒川城も寺本城・藪城・重原城に囲まれ、孤立する形となっていた。
今川家は緒川水野氏を屈服させるべく先刻陥落させた重原城経由で物資を運搬し、緒川城の目と鼻の先に村木砦を構築。籠城する水野信元への圧力を強化する動きを取っていた。
そんな村木砦の守将には今川治部太輔義元の妹婿・浅井政敏が入る。窮地に陥った水野下野守は織田上総介へと救援を要請するのであった。
「ほほう、水野下野守より救援要請が届いたとな」
「はっ、居城の緒川を今川軍に包囲され、長くは持ちこたえられそうもないとのこと!」
「で、あるか」
顎の下に生えかけた髭を右の親指と人差し指でいじりながら、何やら考える素振りをする織田上総介信長。元来、頭の早い彼が集中して物事を考えている。
水野下野守からの援軍要請を取り次いだ近臣は一体どのような考えが飛び出してくるのかと固唾をのんで見守っていた。
「よし、水野下野守の元へ援軍に向かうとしよう」
「援軍を派遣いただけると聞けば、水野家よりの使者もさぞかし喜ばれることでしょう」
「たわけめ、援軍を派遣するとは申しておらぬ。援軍に向かうと申したのだ。この信長自らな」
織田弾正忠家の惣領たる信長自らが援軍に向かう。突然のことに、近臣が状況を読み込めない間にも織田信長の頭は回転を続けていた。使者がやっと理解することができた頃には、第二第三の指示が飛んでいる。
そうして一月二十日。冬らしい寒さが人より体温を強奪していく中、織田信長は居城の守りを同盟関係にある斎藤利政からの援軍、安藤守就以下美濃勢一千に任せるという思い切った策で援軍に駆けつけていく。
林佐渡守秀貞・通具の兄弟が不服を述べて帰陣や想定外の強風などの事態に見舞われながらも、船頭・水夫たちに無理に舟を出させる強行軍によって今川方となった寺本城を避けるように進み、二十三日に緒川城へ到着。
織田木瓜の旗指物を持った軍勢が緒川城に到着したことで、水野沢瀉の旗印を掲げた城兵らの士気は一挙に蘇った。武名轟く信長の叔父・孫三郎信光も従軍しているというのだから、水野勢も戦闘意欲をかき立てられていた。
織田からの援軍が到着したことに安堵する緒川城主・水野下野守信元であったが、彼はさらなる驚きに心臓が飛び出るような想いをさせられることになる。
「水野下野守、壮健であったか」
「これはお、織田上総介殿……!御自らの来訪とは知らず、出迎えなかったご無礼、平にご容赦くださいませ!」
「よい。謝罪されたところで今川軍がどうなるわけでもない。無礼など気にする必要などないわ。今は戦に勝つ事のみ考えておればよい」
二十一歳の若き当主が直々に国衆の援軍に向かってくるなど、そう起こりえる事態ではない。それゆえに、水野下野守の驚きようも並大抵でなかった。
「あ、兄者」
「おお、藤二郎か。織田家臣として緒川へ弟がやってこようとは思わなんだ」
「某も同意見にござりまする。よもや、織田の者として兄者の援軍に赴くことになろうとは」
苦戦している状況下にある緒川城で対面したこともあり、下野守信元も藤二郎忠分も表情が強張ったままである。しかし、言葉の節々からは再会の喜びが感じられる対面であった。
「水野下野守」
「はっ、なんでございましょう」
「村木砦の造りはいかがなっておる。調べた限りを報告せよ」
「然らば、お伝えいたしまする」
弟との再会で感動に打ち震える水野下野を現実へと引き戻す信長。それからは攻略目標である村木砦をいかにして攻め落とすか。それを考える評定へと突入した。
「村木砦の北は要害。東に大手門、西が搦手門、南には甕型の非常に大きな堀がございます。北から攻めることは避けた方がよろしいかと」
「で、あるか。であれば、水野下野の進言を容れ、北よりの攻撃を避け、残る三方より攻めかけることとしよう」
信長は水野下野守の進言通り、北からの攻撃を避けた。そこからは本陣を砦の南側と定め、東から水野藤二郎忠分、西から織田孫三郎信光が受け持ち、南からは信長自らが攻勢をかける。そんな段取りを手際よく進めていく。
そうして段取りを決め、翌二十四日辰の刻から織田勢の村木砦への攻撃が開始された。
「鉄砲隊はあの三ツの狭間を狙い撃て!その間に堀を登るのだ!よいか!今日中に陥落させる気概で臨め!」
信長のひときわ大きな声が織田勢の耳にまで到達。そんな大将の声に鼓舞された織田軍は猛攻を開始。
織田勢にも多数の死者を出すこととなったが、村木砦側は負傷者・死者が増え、申の下刻、ついに降伏。信長は薄暗くなりつつあることもあり、村木砦の降伏を受諾したのであった。
「水野藤二郎!」
「はっ、ははっ!」
「そちに戦後処理を任せる!」
「しょ、承知いたしました!」
勇ましく指揮を執り、水野藤二郎にも覇気あふれる言葉をかけた信長であったが、その目からはいくつもの雫が零れていた。
水野藤二郎もそれには心当たりがあった。織田勢の戦死者の中には信長の小姓も多くいた。誰よりも間近で忠勤に励んできた者らが亡くなったのだから、涙せずにはいられなかったのであろう。
何はともあれ、村木砦の戦いで織田勢が勝利したことにより緒川城は危機を脱した。しかし、これ以降、水野氏の織田家へ従属性は強まっていくこととなる。
その後、翌二十五日には信長は寺本城へ手勢を派遣して城下に放火し、那古野城に帰還していった。
「義兄上、織田殿は見事な采配にございましたな」
「おお、久松佐渡か。義弟よ、此度は援軍かたじけない」
「顔をお上げくだされ。於大の実家に危急存亡の秋、指をくわえて見ていられようはずがございませぬ」
「嬉しいことを申してくれる。じゃが、此度の砦攻めによって織田の若殿には頭が上がらぬわ」
織田と同じく援軍にやってきていた於大の方の夫・久松佐渡守からの言葉に、水野下野守は涙がこぼれそうになっていた。
そんな彼も織田家への従属性が強まったことに快く思わない感情がないと言えばウソになる。されど、水野家の危機に織田信長自ら救援に赴き、居城の守りを美濃勢に任せるという危険の高い決断をしてまで応えてくれた。
――何かあっても、必ずや援軍に駆け付けてくださる。
この信頼感、安心感の前では不満など簡単に打ち消せてしまう。頼もしい後ろ盾を得たと思い、領土を今川から守り抜こう。そう誓う水野下野守なのであった。
正月早々から知多郡にて激戦が繰り広げられたわけだが、翌二月には織田信長の同盟国・美濃にて動きがあった。
信長が水野下野守を救援するべく、村木砦を攻略する間、那古野へ援軍を派遣してくれていた美濃にて代替わりが行われた。そのことは織田信長の正室・濃姫の元へも知らされていた。
「なにっ、舅御が!?」
「はい。先刻、父より届いた書状には家督を我が兄、斎藤新九郎義龍へ譲ったと。そして、父は常在寺で剃髪。「道三」と号し、鷺山城に隠居したと、かように記されております」
美濃平定後も国内統制に苦慮していた斎藤道三。そのような情勢下であっても、那古野まで援軍を派遣するなど娘婿たる織田上総介信長に非常に協力的であった。
そんな心強い美濃の舅が隠居させられたというのだから、信長にとっても心中穏やかならざるものがあった。
「父は兄のことを耄者、すなわち殿が世間で言われているようなうつけと申しておりました」
「そうであったな。そんな斎藤新九郎がおれのことを良く思っているとは思えぬ。むしろ、この信長を打倒すれば、舅御の眼は節穴であったと言えようもの。これまでのような同盟関係を維持できるとは到底思えぬ」
「ええ。あなた様の申す通りでしょう。領国経営が円滑に進まず苦慮する父から重臣らの心は離れ、此度の当主交代劇へと至ったのでございましょう」
濃姫の的確な指摘に、さすがの信長も舌を巻いた。さすがは美濃の蝮の娘。実に物事を冷静かつ的確に把握している。下手な織田重臣よりも、である。
「殿、今後の方策やいかに?」
「ふふふ、おれが成さねばならぬことは変わらぬ。いくら義兄であっても、舅御が存命のうちは大人しくしておろう。その間に足場を固めるとしよう」
――どうせお濃とて分かっているだろうに。
そんな言葉を裏に隠したうえでの信長の発言。それに気づいているのか気づいていないのか、濃姫は顔色一つ変えずに言葉を返していく。
「良きお考えと存じます」
「存外無難な策で落胆いたしたか」
「いいえ、滅相もございません。奇をてらう戦略は殿好みではございますが、平時より行うことは時に危うい面もございます。奇道と正道は使い分けることこそ肝要でございましょう」
「まこと、恐ろしい女子じゃ。男に生まれておれば、美濃もあのようなことにはならなかったであろうに」
ふと、本心を漏らす信長なのであった――
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―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝
糸冬
歴史・時代
有馬法印則頼。
播磨国別所氏に従属する身でありながら、羽柴秀吉の播磨侵攻を機にいちはやく別所を見限って秀吉の元に走り、入魂の仲となる。
しかしながら、秀吉の死後はためらうことなく徳川家康に取り入り、関ヶ原では東軍につき、摂津国三田二万石を得る。
人に誇れる武功なし。武器は茶の湯と機知、そして度胸。
だが、いかに立身出世を果たそうと、則頼の脳裏には常に、真逆の生き様を示して散った一人の「宿敵」の存在があったことを知る者は少ない。
時に幇間(太鼓持ち)と陰口を叩かれながら、身を寄せる相手を見誤らず巧みに戦国乱世を泳ぎ切り、遂には筑後国久留米藩二十一万石の礎を築いた男の一代記。
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