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第1章 夢幻泡影の章
第2話 尾張の虎と海道一の弓取りの狭間で
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石川安芸守忠成がたしなめ、大久保新八郎忠俊は気にも留めない。そこへ、酒井雅楽助政家、阿部大蔵定吉がそれぞれに加勢していく。
そんな状況下において、松平広忠は重大な決断を下すのだった。
「よし、わしは決めたぞ。信孝叔父上を追放することといたす」
「おおっ、ついにご決断なされましたな!よし、新八郎。あとは手筈通りに」
「よし来た!拙者はすぐに屋敷へ戻る。この事を甚四郎に伝え、針崎の勝鬘寺にも知らせを入れねばならぬでな。では、これにてご免!」
今年で四十五になり、老境に差し掛かりつつある大久保新八郎忠俊は、鍛え上げられた身体能力を活かし、あっという間に広忠らのもとを立ち去っていく。
ちなみに、新八郎が口にした甚四郎とは、彼の12歳年下の弟・大久保忠員のことである。新八郎・甚四郎の兄弟は、いずれも広忠の父・清康の頃からの宿老。そんな彼らが阿部大蔵の言う手筈通りに何をするというのか――
付け加えると、針崎の勝鬘寺とは佐々木上宮寺、野寺本證寺と同じ三河三ヵ寺の一つで、岡崎城の南に流れる菅生川を渡った先にある浄土真宗本願寺派の寺院である。
「然らば、某もこれにて」
「待て、大蔵。そなたは何をする気じゃ」
「無論、諸々の手配を済まして参ります。また、信孝殿がご納得なされぬでしょうから、それに対しての備えもせねばなりませぬ」
「よし、詳しい話は後で聞こう。宿老であるそなたを信じて任せることとする」
こうして、大久保・阿部らが退出した後。広忠は石川安芸守や酒井雅楽助らと信孝排斥について、忌憚なく述べさせる。しかし、彼らも追放に反対しているわけではないと分かり、広忠も内心胸を撫でおろしていた。
ここで、両名が納得しないと言えば、それこそ松平を二分する大戦となる。阿部らが追放の手筈を整えている間、広忠は離反者を出さないことに苦心することとなった。
松平信孝を逐う支度は着々と進められ、駿府訪問からしばらくして信孝は岡崎城を追われることとなったのだ。
「おのれ、広忠……!わしが、織田と今川の間で松平が生き残れるよう誰よりも苦心しているというに、それが分からぬのか!いや、どうせ阿部大蔵らの口車に乗せられたのであろう。あのような佞臣の操り人形になり果てるとは松平も終わりじゃの」
「殿、心中お察し申し上げます。かくなるうえは、三木城にて一戦交えるおつもりで……?」
「おう、いかにも。こうなれば手段は選んでおれぬわ!三木へ向かう!甚三、そちも供をせい!ふん、広忠め、必ずや後悔することになろうぞ」
当初は驚き怒っていた主君が覚悟を決めて動き出した。昔から頭の回転の速い主が決断したのだ。内藤甚三忠郷はどうなることやら、不安げな表情ではあったが、反射的に畏まった様子で彼の後に続いた。
かくして、無事にクーデターは成功し、松平蔵人信孝は岡崎城を追われた。これにより、松平広忠の当主としての立場は確固たるものとなり、追放された信孝は居城・三木城に籠城。
当主・広忠は阿部大蔵らを重用しながらも、あくまでも自身の手で政を差配することとなり、広忠の身の回りがこれまで以上に慌ただしくなった。
自分の発言力が増したことへの高揚感に酔いしれている彼の元に、吉報と凶報とが入り乱れてもたらされた。
「殿!大久保甚四郎にござりまする!」
「おおっ、よくぞ参った。ささっ、近う」
外で一礼している大久保甚四郎忠員を手招く広忠は喜色満面、これまで見たこともないほどに上機嫌であった。
「報告したき儀があり、まかり越した次第」
「報告したき儀とな?よい、申せ」
「ハッ、然らば弟・忠久とともに行いし事の次第をつぶさに報告いたしまする」
大久保甚四郎が弟とともに行ったこと。それは多数派工作である。後になって「岡崎へ行きたかった」などと申しても事が終わった後では不可能だ。事が終わる前に、ともかく離れるべしと扇動し、信孝の軍から離れさせたのであった。
「ほう、それはでかした!して、叔父上は何か動いたか。あの叔父上がそのようなことをされて、黙っているとは思えぬ」
「御推察の通りにございます。松平蔵人は我ら大久保衆の行いに大層怒り、大久保一族を子供でもいいからつかまえ、はりつけ、串刺しにして無念を晴らしたいなどと申し……」
「ま、まさか、真に子どもを磔にしたのではあるまいな!?」
「い、いえ。そこは兄者の機転で、無事に切り抜けることができた次第に」
ここで大久保甚四郎の申す『兄者』とは、大久保新八郎忠俊のことである。彼は甚四郎に扇動し、信孝の軍から大勢の者を離反させるよう伝えただけではなかった。さらに、大久保衆の子どもらの身柄を直ちに針崎勝鬘寺に移していたのだ。
「ははぁ、なるほど。新八郎の機転とやら、この広忠にも読めたぞ」
「おお、さすがは殿じゃ!」
「検断不入であろう。先日、新八郎が針崎の勝鬘寺のことを口にしておったで、そのことと併せて考えれば不入権であろうと思い至ったまで」
「御明察、兄者は針崎勝鬘寺に入れれば松平蔵人であっても如何ともしがたいであろう、と申しておりました」
不入権は大きく分けて、経済特権と警察権の介入拒否によって構成されている。今回、大久保新八郎忠俊が上手く利用したのは後者の方で、守護や領主の検断不入のことだ。
この大久保新八郎の活躍に広忠は頼もしい重臣を持ったことを心強く思った。
「して、叔父上は如何した。どうせ、怒り心頭で針崎まで赴いたであろうが」
「はい。しかし、勝鬘寺側は大久保衆の子供たちを一人たりもおだしするな、と人をつけて境内から外へ出さなかったもので」
「となれば、八つ当たりするしかないの」
「は、はい。殿は松平蔵人の成すこと、すべてお見通しにございまするな」
広忠の推察は面白いほどに当たっていた。勝鬘寺の対応に怒った松平蔵人信孝は、八つ当たりをしていったのだ。詳しくは、大久保党の知行地や大久保一族みずから耕している田畑を、根を掘り取って荒らしていったのである。
「そうか、大久保の田畑を……」
「たかが田畑を荒らされただけのこと、覚悟はできておりまする。どうか、お気になさらず」
声が沈んでいる大久保甚四郎は俯いたまま、口惜しさを纏わせた拳をぎゅっと握りしめたままであった。それでも、当人が気にするなと言うのだから、それ以上は広忠も土足で踏み込むわけにもいかず。
「そうじゃ、そなたのところは新十郎、弥八郎、大八郎と三人も男がおったな」
「はい、三人ともすくすく成長しております。みな、いつかは松平家のため、粉骨砕身――」
「いや、皆まで言わぬでよい。そなたら大久保衆は戦に欠かせぬ者ら、わしは心より頼りにしておる」
「感慨無量にござりまする!」
そう言って泣き出す大久保甚四郎。先ほどまで堪えていた口惜しい感情と頼りにされていることの喜びとが、混ざった二色の涙が床に滴り落ちる。実直で働き者な三河武士らしい男である。
「子供らの話でもしようではないか。ほれ、そちもそこへ座れ」
縁側で寂しく日に当たる床板にも気を遣っているかのように腰を下ろし、庭の立つ木々を見る広忠。そんな主君にそこへ座れと言われ、畏れ多いと思いながらも決して逆らうことはしない甚四郎なのであった。
「わしも昨年、ようやく父という立場になった。ほんに我が子とは愛おしいものであることよ」
「はっ、確かに竹千代君は可愛らしゅうございまする」
「ふふふ、そなたから見れば主君の子より我が子らの方が可愛く見えるであろう」
「滅相もない!そのようなこと、断じてござりませぬ!」
まるで謀反でも疑われたかのような反応がおかしく、広忠はすっかり政務のことを忘れて大笑いしていた。
「と、殿!左様に笑わずとも……!」
「ははは、許せ。お主は実直でからかいがいがあるの」
広忠の笑いが収まった頃、ようやく大久保甚四郎の子供らの話に入った。
「長男の新十郎はまだ十二歳なのですが、妙にケチくさいのです」
「……ケチくさいとは、どういうことじゃ?」
「はっ、日頃から散財していては、いざ必要となった時に困ると口癖のように申すのでございます」
「まるで、勘定奉行じゃのう」
「まこと、我が家の勘定奉行にござりまする」
大久保新十郎。彼こそ、後の世で徳川十六神将の一人に数えられる大久保忠世なのである。
「それで、次男の弥八郎はどうじゃ。兄の新十郎と同じく守銭奴であるのか?」
「むしろその逆で、新十郎がケチくさいことを言うと、そんなに言うなら八丁味噌の代わりに野犬の糞でもまぜた味噌汁でも飲んでおれ、などと申し、毎度ケンカになるのもので、とんと困り果てておりまする」
「味噌の代わりに糞とは、七歳児の切り返しとは思えんな。年上の兄にも臆することなく意見するとは、大人になれば頼りになりそうではないか」
「いらぬ波風を立てるのではと、某、心配のあまり夜しか眠れませぬ」
「……さほど、心配しておらぬではないか」
そんな大久保弥八郎は、後の大久保忠佐。彼もまた、兄の新十郎と同じく、後の世で徳川十六神将の一人に数えられることになる。
それからというもの、甚四郎の三男・大八郎の話をし、大久保衆の近況を話して盛り上がった後、縁側での談笑は解散と相成った。
――閑話休題。
正月早々からてんやわんやの大騒ぎとなった岡崎の松平家。明けて如月の三日。竹千代の生母・於大の方は三河国妙心寺に薬師如来の銅像を奉納。
その心はひとえに、我が子・竹千代の長生きを祈ってのこと。いつの世も、母というものは強いものである。
それと時を同じくして、同月十四日。尾張の虎こと、織田信秀は昨年の嵐による内裏の建物倒壊の修理料として朝廷に四千貫を献上した。これは現在の価値に直すと、四億八千万円ともなる金額である。
この時、織田信秀の名代として上洛したのは平手中務丞政秀。
同年七月に海道一の弓取りと称される今川義元が献納することになる五百貫が第二位の額であるのだが、それと比べても織田信秀の巨額さがわかる。なにより、尾張が経済的に栄えていたことの表れといえよう。
そんな朝廷に内裏修理料として大金を献上できる戦国の雄に挟まれているのは広忠ら松平家だけではない。
――天文十二年七月十二日。竹千代の外祖父にして、於大の方の父、水野妙茂卒す。享年五十一。
この知らせは水野家――中でも、緒川水野家にとって大きな転換点となった。新たに当主となったのは、水野妙茂の嗣子である水野下野守信元。於大の方の異母兄であり、竹千代にとっては伯父にあたる人物である。
そんな新当主・信元のもとへ一門譜代が三名集まっていた。
「兄者!岡崎のこと、いかがいたしまするか」と責めるかのような口調で水野下野守に詰め寄るのは、忠政の死に伴い苅谷水野氏を継承した異母弟・藤九郎信近。
松平蔵人信孝の追放後、岡崎の松平家内部では対立が深刻化。大久保衆の働きで信孝の軍から離れた者もいたが、反対に信孝のやり方を支持していた者もおり、事態は鎮静化とは逆に悪化の一途をたどっていた。
中でも岡崎城の北、矢作川の西に位置する三河国上野城主・酒井将監忠尚は不満を露わにしていた。この頑固者は信孝の復帰が叶わぬ限り、従うつもりはないとの一点張り。これには広忠や他の重臣らも手を焼いていた。
そんな松平家内部での対立の深刻化に、姻戚関係にあたる緒川水野としては広忠・信孝間の調停を試みていた。しかし、広忠らは信孝排斥の徹底を貫く姿勢を変える様子はなく、話し合いで解決することは難しい状況。
そもそもの話、緒川水野との同盟自体、此度追放された信孝によって推し進められたこと。こうなると、信孝とは違う方針をとらなければ、すなわち緒川水野との同盟を維持をしている限り信孝の復帰も叶うことになってしまう。
やはり広忠や阿部大蔵らにとって信孝の復帰は受け入れ難いことである。ゆえに、緒川水野との同盟は不安定なものとなっていた。
「決まっておろう。於大を離縁させる。よもや反対ではなかろうな、藤九郎」
「いえ、拙者も離縁のことを申したかったまで。離縁し、ただちに岡崎へ攻め込むがよいと思うほどにございます!」
「ハハハ、藤九郎は若いな。よし、清六郎と五郎左衛門はいかがじゃ。忌憚なく申してみよ」
今年十九になった藤九郎を若いと言った下野であったが、彼とてさほど齢は変わらぬのだが。と、それはさておき。
新たに緒川水野の当主となった水野下野守より意見を求められた水野清六郎忠守、中山五郎左衛門勝時も、於大の離縁に賛同するのであった。
「決まりじゃな。これにて、岡崎とは手切れといたす!」
そんな状況下において、松平広忠は重大な決断を下すのだった。
「よし、わしは決めたぞ。信孝叔父上を追放することといたす」
「おおっ、ついにご決断なされましたな!よし、新八郎。あとは手筈通りに」
「よし来た!拙者はすぐに屋敷へ戻る。この事を甚四郎に伝え、針崎の勝鬘寺にも知らせを入れねばならぬでな。では、これにてご免!」
今年で四十五になり、老境に差し掛かりつつある大久保新八郎忠俊は、鍛え上げられた身体能力を活かし、あっという間に広忠らのもとを立ち去っていく。
ちなみに、新八郎が口にした甚四郎とは、彼の12歳年下の弟・大久保忠員のことである。新八郎・甚四郎の兄弟は、いずれも広忠の父・清康の頃からの宿老。そんな彼らが阿部大蔵の言う手筈通りに何をするというのか――
付け加えると、針崎の勝鬘寺とは佐々木上宮寺、野寺本證寺と同じ三河三ヵ寺の一つで、岡崎城の南に流れる菅生川を渡った先にある浄土真宗本願寺派の寺院である。
「然らば、某もこれにて」
「待て、大蔵。そなたは何をする気じゃ」
「無論、諸々の手配を済まして参ります。また、信孝殿がご納得なされぬでしょうから、それに対しての備えもせねばなりませぬ」
「よし、詳しい話は後で聞こう。宿老であるそなたを信じて任せることとする」
こうして、大久保・阿部らが退出した後。広忠は石川安芸守や酒井雅楽助らと信孝排斥について、忌憚なく述べさせる。しかし、彼らも追放に反対しているわけではないと分かり、広忠も内心胸を撫でおろしていた。
ここで、両名が納得しないと言えば、それこそ松平を二分する大戦となる。阿部らが追放の手筈を整えている間、広忠は離反者を出さないことに苦心することとなった。
松平信孝を逐う支度は着々と進められ、駿府訪問からしばらくして信孝は岡崎城を追われることとなったのだ。
「おのれ、広忠……!わしが、織田と今川の間で松平が生き残れるよう誰よりも苦心しているというに、それが分からぬのか!いや、どうせ阿部大蔵らの口車に乗せられたのであろう。あのような佞臣の操り人形になり果てるとは松平も終わりじゃの」
「殿、心中お察し申し上げます。かくなるうえは、三木城にて一戦交えるおつもりで……?」
「おう、いかにも。こうなれば手段は選んでおれぬわ!三木へ向かう!甚三、そちも供をせい!ふん、広忠め、必ずや後悔することになろうぞ」
当初は驚き怒っていた主君が覚悟を決めて動き出した。昔から頭の回転の速い主が決断したのだ。内藤甚三忠郷はどうなることやら、不安げな表情ではあったが、反射的に畏まった様子で彼の後に続いた。
かくして、無事にクーデターは成功し、松平蔵人信孝は岡崎城を追われた。これにより、松平広忠の当主としての立場は確固たるものとなり、追放された信孝は居城・三木城に籠城。
当主・広忠は阿部大蔵らを重用しながらも、あくまでも自身の手で政を差配することとなり、広忠の身の回りがこれまで以上に慌ただしくなった。
自分の発言力が増したことへの高揚感に酔いしれている彼の元に、吉報と凶報とが入り乱れてもたらされた。
「殿!大久保甚四郎にござりまする!」
「おおっ、よくぞ参った。ささっ、近う」
外で一礼している大久保甚四郎忠員を手招く広忠は喜色満面、これまで見たこともないほどに上機嫌であった。
「報告したき儀があり、まかり越した次第」
「報告したき儀とな?よい、申せ」
「ハッ、然らば弟・忠久とともに行いし事の次第をつぶさに報告いたしまする」
大久保甚四郎が弟とともに行ったこと。それは多数派工作である。後になって「岡崎へ行きたかった」などと申しても事が終わった後では不可能だ。事が終わる前に、ともかく離れるべしと扇動し、信孝の軍から離れさせたのであった。
「ほう、それはでかした!して、叔父上は何か動いたか。あの叔父上がそのようなことをされて、黙っているとは思えぬ」
「御推察の通りにございます。松平蔵人は我ら大久保衆の行いに大層怒り、大久保一族を子供でもいいからつかまえ、はりつけ、串刺しにして無念を晴らしたいなどと申し……」
「ま、まさか、真に子どもを磔にしたのではあるまいな!?」
「い、いえ。そこは兄者の機転で、無事に切り抜けることができた次第に」
ここで大久保甚四郎の申す『兄者』とは、大久保新八郎忠俊のことである。彼は甚四郎に扇動し、信孝の軍から大勢の者を離反させるよう伝えただけではなかった。さらに、大久保衆の子どもらの身柄を直ちに針崎勝鬘寺に移していたのだ。
「ははぁ、なるほど。新八郎の機転とやら、この広忠にも読めたぞ」
「おお、さすがは殿じゃ!」
「検断不入であろう。先日、新八郎が針崎の勝鬘寺のことを口にしておったで、そのことと併せて考えれば不入権であろうと思い至ったまで」
「御明察、兄者は針崎勝鬘寺に入れれば松平蔵人であっても如何ともしがたいであろう、と申しておりました」
不入権は大きく分けて、経済特権と警察権の介入拒否によって構成されている。今回、大久保新八郎忠俊が上手く利用したのは後者の方で、守護や領主の検断不入のことだ。
この大久保新八郎の活躍に広忠は頼もしい重臣を持ったことを心強く思った。
「して、叔父上は如何した。どうせ、怒り心頭で針崎まで赴いたであろうが」
「はい。しかし、勝鬘寺側は大久保衆の子供たちを一人たりもおだしするな、と人をつけて境内から外へ出さなかったもので」
「となれば、八つ当たりするしかないの」
「は、はい。殿は松平蔵人の成すこと、すべてお見通しにございまするな」
広忠の推察は面白いほどに当たっていた。勝鬘寺の対応に怒った松平蔵人信孝は、八つ当たりをしていったのだ。詳しくは、大久保党の知行地や大久保一族みずから耕している田畑を、根を掘り取って荒らしていったのである。
「そうか、大久保の田畑を……」
「たかが田畑を荒らされただけのこと、覚悟はできておりまする。どうか、お気になさらず」
声が沈んでいる大久保甚四郎は俯いたまま、口惜しさを纏わせた拳をぎゅっと握りしめたままであった。それでも、当人が気にするなと言うのだから、それ以上は広忠も土足で踏み込むわけにもいかず。
「そうじゃ、そなたのところは新十郎、弥八郎、大八郎と三人も男がおったな」
「はい、三人ともすくすく成長しております。みな、いつかは松平家のため、粉骨砕身――」
「いや、皆まで言わぬでよい。そなたら大久保衆は戦に欠かせぬ者ら、わしは心より頼りにしておる」
「感慨無量にござりまする!」
そう言って泣き出す大久保甚四郎。先ほどまで堪えていた口惜しい感情と頼りにされていることの喜びとが、混ざった二色の涙が床に滴り落ちる。実直で働き者な三河武士らしい男である。
「子供らの話でもしようではないか。ほれ、そちもそこへ座れ」
縁側で寂しく日に当たる床板にも気を遣っているかのように腰を下ろし、庭の立つ木々を見る広忠。そんな主君にそこへ座れと言われ、畏れ多いと思いながらも決して逆らうことはしない甚四郎なのであった。
「わしも昨年、ようやく父という立場になった。ほんに我が子とは愛おしいものであることよ」
「はっ、確かに竹千代君は可愛らしゅうございまする」
「ふふふ、そなたから見れば主君の子より我が子らの方が可愛く見えるであろう」
「滅相もない!そのようなこと、断じてござりませぬ!」
まるで謀反でも疑われたかのような反応がおかしく、広忠はすっかり政務のことを忘れて大笑いしていた。
「と、殿!左様に笑わずとも……!」
「ははは、許せ。お主は実直でからかいがいがあるの」
広忠の笑いが収まった頃、ようやく大久保甚四郎の子供らの話に入った。
「長男の新十郎はまだ十二歳なのですが、妙にケチくさいのです」
「……ケチくさいとは、どういうことじゃ?」
「はっ、日頃から散財していては、いざ必要となった時に困ると口癖のように申すのでございます」
「まるで、勘定奉行じゃのう」
「まこと、我が家の勘定奉行にござりまする」
大久保新十郎。彼こそ、後の世で徳川十六神将の一人に数えられる大久保忠世なのである。
「それで、次男の弥八郎はどうじゃ。兄の新十郎と同じく守銭奴であるのか?」
「むしろその逆で、新十郎がケチくさいことを言うと、そんなに言うなら八丁味噌の代わりに野犬の糞でもまぜた味噌汁でも飲んでおれ、などと申し、毎度ケンカになるのもので、とんと困り果てておりまする」
「味噌の代わりに糞とは、七歳児の切り返しとは思えんな。年上の兄にも臆することなく意見するとは、大人になれば頼りになりそうではないか」
「いらぬ波風を立てるのではと、某、心配のあまり夜しか眠れませぬ」
「……さほど、心配しておらぬではないか」
そんな大久保弥八郎は、後の大久保忠佐。彼もまた、兄の新十郎と同じく、後の世で徳川十六神将の一人に数えられることになる。
それからというもの、甚四郎の三男・大八郎の話をし、大久保衆の近況を話して盛り上がった後、縁側での談笑は解散と相成った。
――閑話休題。
正月早々からてんやわんやの大騒ぎとなった岡崎の松平家。明けて如月の三日。竹千代の生母・於大の方は三河国妙心寺に薬師如来の銅像を奉納。
その心はひとえに、我が子・竹千代の長生きを祈ってのこと。いつの世も、母というものは強いものである。
それと時を同じくして、同月十四日。尾張の虎こと、織田信秀は昨年の嵐による内裏の建物倒壊の修理料として朝廷に四千貫を献上した。これは現在の価値に直すと、四億八千万円ともなる金額である。
この時、織田信秀の名代として上洛したのは平手中務丞政秀。
同年七月に海道一の弓取りと称される今川義元が献納することになる五百貫が第二位の額であるのだが、それと比べても織田信秀の巨額さがわかる。なにより、尾張が経済的に栄えていたことの表れといえよう。
そんな朝廷に内裏修理料として大金を献上できる戦国の雄に挟まれているのは広忠ら松平家だけではない。
――天文十二年七月十二日。竹千代の外祖父にして、於大の方の父、水野妙茂卒す。享年五十一。
この知らせは水野家――中でも、緒川水野家にとって大きな転換点となった。新たに当主となったのは、水野妙茂の嗣子である水野下野守信元。於大の方の異母兄であり、竹千代にとっては伯父にあたる人物である。
そんな新当主・信元のもとへ一門譜代が三名集まっていた。
「兄者!岡崎のこと、いかがいたしまするか」と責めるかのような口調で水野下野守に詰め寄るのは、忠政の死に伴い苅谷水野氏を継承した異母弟・藤九郎信近。
松平蔵人信孝の追放後、岡崎の松平家内部では対立が深刻化。大久保衆の働きで信孝の軍から離れた者もいたが、反対に信孝のやり方を支持していた者もおり、事態は鎮静化とは逆に悪化の一途をたどっていた。
中でも岡崎城の北、矢作川の西に位置する三河国上野城主・酒井将監忠尚は不満を露わにしていた。この頑固者は信孝の復帰が叶わぬ限り、従うつもりはないとの一点張り。これには広忠や他の重臣らも手を焼いていた。
そんな松平家内部での対立の深刻化に、姻戚関係にあたる緒川水野としては広忠・信孝間の調停を試みていた。しかし、広忠らは信孝排斥の徹底を貫く姿勢を変える様子はなく、話し合いで解決することは難しい状況。
そもそもの話、緒川水野との同盟自体、此度追放された信孝によって推し進められたこと。こうなると、信孝とは違う方針をとらなければ、すなわち緒川水野との同盟を維持をしている限り信孝の復帰も叶うことになってしまう。
やはり広忠や阿部大蔵らにとって信孝の復帰は受け入れ難いことである。ゆえに、緒川水野との同盟は不安定なものとなっていた。
「決まっておろう。於大を離縁させる。よもや反対ではなかろうな、藤九郎」
「いえ、拙者も離縁のことを申したかったまで。離縁し、ただちに岡崎へ攻め込むがよいと思うほどにございます!」
「ハハハ、藤九郎は若いな。よし、清六郎と五郎左衛門はいかがじゃ。忌憚なく申してみよ」
今年十九になった藤九郎を若いと言った下野であったが、彼とてさほど齢は変わらぬのだが。と、それはさておき。
新たに緒川水野の当主となった水野下野守より意見を求められた水野清六郎忠守、中山五郎左衛門勝時も、於大の離縁に賛同するのであった。
「決まりじゃな。これにて、岡崎とは手切れといたす!」
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歴史・時代
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関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
【完結】勝るともなお及ばず ――有馬法印則頼伝
糸冬
歴史・時代
有馬法印則頼。
播磨国別所氏に従属する身でありながら、羽柴秀吉の播磨侵攻を機にいちはやく別所を見限って秀吉の元に走り、入魂の仲となる。
しかしながら、秀吉の死後はためらうことなく徳川家康に取り入り、関ヶ原では東軍につき、摂津国三田二万石を得る。
人に誇れる武功なし。武器は茶の湯と機知、そして度胸。
だが、いかに立身出世を果たそうと、則頼の脳裏には常に、真逆の生き様を示して散った一人の「宿敵」の存在があったことを知る者は少ない。
時に幇間(太鼓持ち)と陰口を叩かれながら、身を寄せる相手を見誤らず巧みに戦国乱世を泳ぎ切り、遂には筑後国久留米藩二十一万石の礎を築いた男の一代記。
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
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