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21.◆Side アッシュ

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 その夜、久々にアッシュ=ロイドは一人で夜会に出向いていた。
 というのは、昔からロイド家と行き来のあるブラックスタイ伯爵家での夜会に、嫡男のネルソン直々に招待されたからである。
 
 出来る限りフィオナと過ごしたくて、ロイド邸で夕食を共にしてから、渋々やってきた。
 久しぶりに着た正式な夜会服が窮屈でしかない。

(こういう服、苦手なんだよな)

 以前は不眠症だったこともあり、夜会の最中にしばしば気分を害することがあった。それこそ最初にフィオナに会った夜も、体調が悪くなり我慢できなくなったためにカードルームに逃げたのである。

(そのお陰で、フィオナに会えたんだけどな)

『いってらっしゃいませ』

 先ほど、フィオナが微笑みながら、見送ってくれたことを思い出す。
 
(本当だったら家でフィオナとゆっくりしていたかったけど……)

 憂いを帯びたアッシュの顔を、通りすがる令嬢たちがほおっと眺めていることにすら気付いていない。

(仕方ない。付き合いは付き合いだ。ネルソンとブラックスタイ伯爵夫妻に挨拶をしたら、お暇しよう。明日はフィオナと『魔女の里』に向かうんだから、さっさと済ませるに限る)

 顔をあげたアッシュはつかつかと大広間の奥へと向かった。

 ブラックスタイ伯爵夫妻と挨拶を終えたあと、アッシュはネルソンを探す。
 そうこうしている間に、顔見知りの令嬢たちが彼の周囲に押し寄せてくる。

「ロイド様、お久しぶりです。夜会に最近いらっしゃらなかったから、私、淋しくて」
「ワルツを踊っていただけませんか?」
「ロイド様」「ロイドさま!」「ロイド様」

 彼女たちに、にこやかな笑みを浮かべて、丁寧にしかしきっぱりと拒絶の意思を漂わせて返事をしていく。

「ありがとう。ごめんね、今、人を探していて」 

 そう言って、さっさと人垣から抜け出す。

(みんな、同じ顔、だよな)

 アッシュにとって、鈴なりになる令嬢たちは、申し訳ないが皆、同じ顔に見える。流行りのドレス、流行りの化粧、流行りのアクセサリー。話題も似たりよったりで、個を感じられない。

(そもそもロイド家の俺相手なんだから、その場限りの交際ばかり求めてくる令嬢ばかりだしな)

「ロイド様、お久しぶりですね」

 その時、再び横から声をかけられて、アッシュは機械的に微笑みを浮かべてそちらを向く。そこで彼の瞳が微かに見開かれる。

「ああ、君は……」

 そこには美しく着飾ったケイト=ウオルシュ子爵令嬢が立っていた。彼女はネルソンの婚約者で、同い年ということで昔から夜会で時々行き交うことがあり、顔なじみだ。顔なじみではあるけれど、それはあくまでも形式的なものだ。今となっては、自分の知り合いという意識もない。

「お会いできて嬉しく思います」

 ケイトが綺麗に紅をひいた唇を弧にする。

「うん。久しぶりだね。ちょうどよかった。ネルソンは……?」
「先ほどスモークルームに行きました」
「そうなのか。ありがとう、では僕もスモークルームに行ってくるよ」
「ひどいと思いませんか?」

 暇を告げたのに、構わずケイトが続ける。

「ひどい……?」
「婚約者を置いて、スモークルームに行くんですよ? 私は行けませんのに」

 思わずアッシュは、はあ、と呟いてしまう。
 夜会中、女性が入ることのできないスモークルームに行く男性は多い。もちろん本当に煙草を吸っている人もいるが、そこでじっくり腰を据えて仕事の話をする男性も少なくない。

「婚約したばかりの私に対して酷い態度だと思いませんか?」

 ぱちぱち、とまばたきをして、ケイトがアッシュを上目遣いで見る。
 一般的に、ケイトは顔立ちは整っている方だろう。美人と言ってもいいに違いない。でも婚約者の友人に対する適切な態度では決してない。
 それを自分の婚約者が側にいない間にするとは。

(こんな人だったのか。ネルソンは家絡みで彼女を婚約者にしたんだろうなぁ……気の毒に)

 ウオルシュ家は、規模の大きい商会を営んでいて、金回りがとても良い。ブラックスタイ家にとっても悪い縁談ではなかったのだろう。
 アッシュは友人に同情した。
 
「酷いですよね!?」

 ケイトが一歩前に出たので、アッシュは一歩後ろに下がる。

「う、うん……? でも仕方ないことでしょう」

 無難な返事をすると、ケイトが目をうるうるさせる。
 
「仕方ないことなんですよ。でも可哀想な私のことを慰めてくださいませんか?」
「は?」

 素で声が出た。

「ロイド様、私のことをお好きでしたよね? いつも笑顔で話しかけてくださって」
「は?」

 もう一度声が出た。

「婚約破棄はできませんから秘密の関係になってしまいますけど、今なら私、ロイド様の手を取ることができるんです。だから……!」

 ぽっと頬を染めたケイトが、小首を傾げる。

 こんなに面と向かって、愛人の申込みをされるとは。

(は、話にならない……!)

 そこで、ケイトの瞳が緑色で、フィオナによく似ていることに気付いた。

(フィオナの瞳の方が百倍綺麗だけどな!)

 フィオナを思い返すことすら、申し訳ないくらいだ。
 フィオナの瞳は、最初からアッシュの心を鷲掴みにする美しさだった。色だけでなく、形だけでもなく、聡明そうな輝きが。

(ああ、本当によかった。貴族のしがらみで、こういう電波系令嬢を娶らなきゃいけないことにならなくて……!!)
 
 ロイド家にはとある事情があって、令嬢たちは嫁ぎたがらない。だが生まれて初めて、自分の家の複雑さに感謝した。

(でもフィオナはきっと身分の違いが気になるんだろうけど)

 ここしばらくのやりとりで、そんな風に感じている。自分は身分の違いなど気にならないが、彼女は違うようだ。

(爵位のある令嬢を娶ったらいいと思ってるのかな)

 そこでふと、アッシュはとあることを思い出した。
 それはネルソンが婚約をしてからしばらくしてのことだ。気の良いネルソンは、本当に心を痛めているといった様子で彼にこう言ったのだ。

『君を差し置いて、僕が彼女と婚約することになって申し訳なかった』
『ネルソンが謝ることではない。彼女が望んだことだろう?』
『それは、そうだが……。だがケイトのことは君も好いていただろう?』
『違うよ。彼女とはあくまでも昔からの知り合いってだけだよ』
『しかし、いい感じだったろうが。僕がしゃしゃり出たのは間違いない』
『ネルソン。こういうことには縁とタイミングが非常に関係しているだろう』

 アッシュとしては、嘘偽りのない。ネルソンがケイトのことを気に入っているのであればよかったなと思ったくらいだったのだ。

『だからおめでとう。俺は心からお祝いするよ』

 そうはっきりネルソンには伝えたけれど。

(待て……、もしかしたらこの電波系令嬢があの頃から、ネルソンに俺が彼女に気があるだとかなんとか言っていたとしたら……!? だから俺にああやって謝罪してきたのか……!?)

 二人の婚約は一年ほど前に結ばれたものだ。
 まさか一年ほど、誤解されていたのだろうか。

 つうっと背筋に冷や汗が流れた。

 自分にとって、ありえない話なので考えたこともなかった。だがケイトのこの電波ぶりでは、さもありなん、と思い至る。

(今すぐにはっきりさせなくては……!)

 だが、いくら妄想を拗らせていたとしても、一応彼女は友人の婚約者である。
 それに下手な返事をして、余計に妄想を逞しくされても迷惑千万だ。

 アッシュは彼女に向き直る。

「ネルソンの婚約者ということで特別にお話しますが、僕、想い人がいるんです。彼女と婚約を結びたいと思っています」

 脳裏に浮かんだのは、フィオナの姿。
 すると、自然と口ぶりに熱が帯びて、真実味が増す。

「彼女……?」
「そのために、万が一でも間違いがあってはならないんです。僕がウォルシュ嬢に笑顔だったとしたら、ネルソンの婚約者だからで、それ以上でもそれ以下でもありません」

 そう言えば、ケイトがゆっくりと真顔になる。

「僕にとっては彼女が唯一の人なので、他の人が入る隙間はありません。では、ここで失礼いたします。どうぞネルソンとお幸せに」

 ケイトの顔がひび割れたように崩れていくのを、アッシュは最後まで見届けるつもりもなかった。おざなりに会釈をして、身を翻してスモークルームへと向かった。

 果たしてネルソンは、アッシュも知り合いの友人相手にがっくりと肩を落として愚痴を言っていた。

「ここしばらく大変すぎて……ケイトがあんな令嬢とは思っていなかった……。もっと自立心がある人だと思ったのに……話が通じないんだ」

 どうやらネルソンには相当愚痴が溜まっているようだ。
 アッシュが合流すると、ネルソンが悲しげな顔になる。

「アッシュ、よかったな。ケイトと婚約しなくて。もう僕は限界かもしれない」

(やっぱり、これは間違いなく――……)

 アッシュはきりっとした表情を作ると、友人に真実を告げる。

「いや、お前が誤解していたらいけないからはっきり言っておくが……、俺は彼女のことをまったくなんとも思っていないぞ? 知り合いの域をでたこともない」

 そう言えば、ネルソンが驚愕の表情を浮かべる。

「え」
「確かに年齢が同じだから何回か夜会ですれ違ったことはあるが、それはでもお前も同じだろう。俺と彼女は挨拶もろくにしたこともない。ワルツだって一度たりとてしたことがない」
「え」

 そこでもうひとりの友人が、言いにくそうにネルソンに告げたる

「たぶん、ロイドは本当のことを言っていると思う。ウォルシュ嬢はちょっとその……、奔放らしいから」
「奔放?」
「ああ、誰かれ構わず突撃するらしい。僕も、その……持ちかけられたことがある」

 友人は気を遣って最後まで言葉にしなかったけれど、思い当たる節があるのかネルソンの顔がみるみる青ざめていく。

「もちろん断ったがな。聞きたくなかったと思うが、友人として忠告したほうがいいと思ってな」

(ああ、これは婚約破棄したほうがいいかもしれないな……。まぁ判断はブラックスタイ家がするんだろうが)
 
 だがアッシュも友人として、みすみすネルソンが不幸になるのを見逃すわけにもいかない。

「彼の言っていることは正しいと思う。俺も先ほど、彼女に持ちかけられた」
「は?」
「もちろん、きっぱり断っておいた。でも……、大変だな、お前」

 アッシュはぽんと、がっくりと肩を落とした友人背中を叩いた。

「俺達はお前の味方だ」


 ◇◇◇

 ガラガラという轍の音で、アッシュは我に返った。

(ああ。そうか……、今、『魔女の里』へ向かってる途中だな)

 目の前にはフィオナが座っている。昨夜見かけた令嬢たちに比べて、化粧も薄いし、服装だって随分シンプルだけれども、誰よりも綺麗なフィオナが。

「俺は、寝てたかな……?」

 昨夜はあの後にネルソンを慰めるために何杯か酒を飲んだせいで、帰りが遅くなった。馬車の揺れに身を任せていたら、どうやらうたた寝をしてしまったらしい。
 そう言えば、彼女はふふっと微笑んだ。

「ちょっとだけですよ。とっても気持ちよさそうでした」

(かわいいなぁ……!)

 彼女の笑顔を見る度に、そう思う。
 けれどアッシュが可愛いと思うのは、顔立ちの良さだけではない。 隣りにいると空気が澄んでいて、どこまでも心地よい。

(不思議なんだよな、フィオナって)

 平民出身で、それも養護院育ち。考え方はいかにも平民らしく、現実的でもある。
 だというのに、貴族のマナーを身につけている。物腰は上品で、言葉遣いも乱れていない。
 
(それに……)

 アッシュが垣間見た、彼女の過去。
 ひどい体罰を受けていた。
 むち打ちを受け、一言も声を発するものかと食いしばる彼女の姿。
 平民が、と罵られていた。

(……くそ、許されるなら、あいつらをぶちのめしてやりたい……!)

 今もあの光景を思い出すと、腸が煮えくり返るような怒りを覚える。

(たぶん、あれは礼拝堂だと思うんだよな……、彼らの着ていたのが修道衣に見えたから。この国とは違うから、きっと隣国の、なんだろうな)

 穏やかな表情のフィオナは、わくわくした様子を隠そうともせずに馬車の外を眺めている。アッシュは腕を組む。

 彼の脳裏には、ひとつの答えがあった。
 
(彼女は隣国の……聖女候補だったんだろうな)

 隣国は国を護る聖なる乙女がいると、聞いたことがある。
 以前は、『ちから』自体を信じていなかったから、話半分だったけれど、今なら分かる。
 詳らかにされていないが、きっとあれは『ちから』がある女性のことなのだろう。
 聖女候補だったのならば、養護院出身でも貴族教育を受けたことに説明がつく。

(たぶん、間違ってないと思う……)
 
 だからフィオナはフォーサイス公爵の夜会に行くのも躊躇ったのだ。万が一、隣国の大聖堂に出入りするような高位貴族がいるかもしれないと。

(逃げてきたのかな……、それとも……)

 そこで車窓を楽しんでいたフィオナが、一際高い歓声をあげて、指を指す。

「伯爵、見てください! あそこに大きな湖があります!」

 彼女の視線の先を確認する。

「ああ、この都でも有名な湖だよ」
「そうなんだ、素敵ですね……!」
「今度行ってみようか?」

 そう言えば、彼女はぱっとこちらを向いて、微笑む。

「本当ですか!?」

 その笑顔を見れば、体中がぽかぽかと暖かくなる。

「『魔女の里』から戻ったら、行こう。湖の回りに出店があったりして、歩くだけで楽しいよ」

 目を輝かせるフィオナに頷きながら、アッシュはひとりごちた。

(君が俺の過去を詮索しなかったように、俺もしないよ。でもいつかきっと……話してほしい。そして君の笑顔を……どうか俺に護らせてくれ)

 そのためには、とアッシュは心の中で続けた。

(いい加減、ロイド家の問題を片付けなければならない)

 これからもフィオナと一緒にいるために、アッシュはついに自身の抱えている問題を真正面から見つめ直すことを決意した。
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