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17.アッシュの過去
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自宅に戻ったフィオナは、洗濯桶を出してきて、クリーム色のワンピースを洗い始めた。
初日は結局依頼人はホワイトリー侯爵だけだったが、稼いだ額としては十分すぎるほど十分だった。その上、時間が遅くなったからという理由で夕食までご馳走になってしまったのである。
ここしばらくロイド邸に通ってはいたが夕食は初めてのことで、もちろん最初は固辞したフィオナだったが、アッシュだけでなく、アルバートやロージーも、メルケンにまで熱心に誘われると、さすがに断りきれなかった。
このときばかりは、マナーを身に付けさせてくれた大聖堂での経験に感謝する。
(夕食、美味しかったな)
貴族邸で伴される食事としては、わりとシンプルなメニューなのかもしれない。
鶏肉と野菜のソテーに、じゃがいもの付け合せ、それから黒糖いりのパン。
貴族の食卓にはステータスのように肉ばかりが並ぶことも多いイメージがあったのだが、ロイド邸では違うようだ。
鶏肉には胡椒がいっぱい振られていて、それはアッシュの好みなのだろうか。けれど普段あまり香辛料を使わないフィオナには刺激が強すぎた。黙って食べていたが、フィオナの顔にすぐに気付いたアッシュが、アルバートに命じた。
『フィオナの分は次回から、胡椒は少なめで頼む』
『承知いたしました、メルケンに伝えておきます』
次回から。
ということは、次回もあるのだろうか。
そんな表情をしてしまったのだろう、アッシュが当たり前だろうと言わんばかりに口元を曲げる。
『なにか?』
『いえ、何も……』
(そんな、顔をして……!)
それがまるで一緒にご飯をしてくれないと拗ねるぞと言わんばかりだったから、フィオナは思わず笑ってしまった。フィオナが笑うと、アッシュの表情も優しくなる。
『ありがとうございます。私が飢えないかどうか心配してくださって』
『分かればよい。俺の目が黒いうちは君を飢えさせないよ』
いっぺんに機嫌を直し、はは、と快活に笑うアッシュはとても若々しく見えた。
(……親切な人ね、伯爵は)
フィオナは手洗いしていたクリーム色のワンピースに視線を落とす。これもアッシュに買ってもらったものだ。そして……。彼女は大事そうに壁にかけているライトピンク色の夢みたいに可愛らしいワンピースに視線を送る。クリーム色のドレスと一緒にアッシュに買ってもらったもの。
『俺と街を歩く時にはぴったりだろう?』
『このワンピースを着たフィオナと、街でデートしたいな』
(もちろん、冗談よね、伯爵は……)
それからアッシュと街にいくタイミングもなかったし、今はロイド邸に『占い師』として通うことになったからあのワンピースの出番はない。でも、それでよかったとも思う。
大切すぎて、着れないから。
フィオナにとってあのワンピースは、お守りみたいなものに感じられる。
(あるだけで、元気になる)
彼女は口元を緩めると、クリーム色のワンピースを絞って、干すために立ち上がった。
◇◇◇
『占い』はそれからも順調だった。
アッシュの見立て通り、モリス侯爵が回してくれる依頼人は皆、ある一定以上の爵位の持ち主が多く、難しい案件もほぼなかった。一番多いのはやはり恋愛関係。それからホワイトリー侯爵のように亡くなった人の想いをみてほしい、というのもある。
そして、多くても一日三件まで。ホワイトリー侯爵のように心付けを置いていってくれる人も多く、かつてないくらいに稼ぐことができている。
フィオナの生活は、これ以上ないくらいに充実していた。
(一人一人じっくり視れるようになって……、皆さんの役に立ってるという感じがするのが励みになるな)
フィオナにとっては自分の『ちから』がちゃんと相手のためになっていると実感できるのが最も嬉しいことだ。
それこそが母と約束したことだったから。
(今の私のことを、お母さんもきっと喜んでくれるよね?)
そうして今日も彼女はロイド邸の表門の前に立っていた。
「あれ、君は……?」
そこで不意に声をかけられて、フィオナは振り返る。
そこには今まで一度も会ったことのない、赤毛の青年が立っていた。服装はいかにも貴族らしいが、お供はついていないのでそこまで高位貴族ではないかもしれない。
「ああ、その布……、占い師かな?」
「ええ」
頭から白い布を被っているフィオナは一目で占い師だと分かるだろう。占いが終わり、アッシュと過ごす時間には布を取るけれど、それまでは顔ばれがしないように被っている。
溌剌とした感じの青年の顔がみるみる青ざめていく。
(……どうされたのかな……?)
「ロイドに雇われているのか?」
「え? ええ、まぁ、そうですね」
正確に言うと雇われているのではなく、委託しているのだが、それをこの青年に説明する必要はないだろう。フィオナが頷くと、青年が一歩後ずさる。
「うそだろ、あいつが占い師を……雇うなんて……? そんなに追い詰められているのか?」
(ああ、そうよね……。伯爵は占い師のこと、信じていらっしゃないものね)
フィオナのことも最初はまったく信じていなかった。
(この方は本当に伯爵のお知り合いに違いないわ)
赤毛の青年が青ざめたままで、しかしフィオナに会釈はしてくれる。
「不躾だったな。失礼した」
「いえ……」
踵を返した青年がよろよろと去っていく。
(あれ、伯爵に用事があったわけではないのかな……?)
おそらくはずみで落ちたのだろう、ネクタイピンが地面に転がっている。
あっと思った彼女はそれを拾って、青年の背中に声をかける。
「あの、ネクタイピンを落として―――……!」
瞬時に、目の前が青みがかる。
『ロイド、本当にすまない』
赤毛の青年が、頭を下げる。
今よりもいくらか若いアッシュが、無表情でそこに立っていた。
『ネルソンが謝ることではない。彼女が望んだことだろう?』
『それは、そうだが……。だがケイトのことは君も好いていただろう?』
(好いて、いた……?)
ぐにゃりと目の前の光景が歪む。
ネルソンが、視線を逸らすと、そこに立っているのは美しいブロンドの髪と、グリーンの瞳を持つ令嬢。彼女がケイトに違いない。
どくんとフィオナの胸の鼓動が嫌な音を立てて鳴る。
(……私の、髪色と、瞳に、似ていない……?)
どくどくと胸の鼓動は鳴り続ける。
『違うよ。彼女とはあくまでも昔からの知り合いってだけだよ』
『しかし、いい感じだったろうが。僕がしゃしゃり出たのは間違いない』
『ネルソン。こういうことには縁とタイミングが非常に関係しているだろう。だから――……』
はっと気づくと、目の前にはもう誰も立っていなかった。
掌からはネクタイピンが落ちてしまっていて、フィオナはそれを拾おうと身をかがめた。どうしてかぶるぶる奮える指がネクタイピンに触れようかとしたその時、彼女はぎゅっと拳を握りしめる。
(怖い、もう一回視てしまうかも、しれない)
アッシュが好いていたらしい、昔からの知り合い。
フィオナと同じ、髪色と瞳の色をもつ令嬢。
(とっても綺麗な人だった)
髪色と瞳の色はそっくりと言っても良かったが、容貌はフィオナとは似ても似つかない。
そこでフィオナはふと、アッシュが彼女の瞳と髪色をよく褒めてくれることを思い返す。
(……あの人に似ているから、褒めてくださるのかな……?)
アッシュと赤毛の青年を心配そうに見守っていたケイトは、大人びた印象を与える、間違いなく美しい人だった。そして貴族令嬢であることは、その服装からも間違いない。
立場もアッシュにぴったりだった人。
(そうよね、親切に……してくださっているけれど……、やっぱり……好きな方はいらっしゃったわよね)
アッシュは優しい。
優しいから、ネルソンがケイトに恋心を持ったことに気付いて、譲ったのかもしれない。
彼らの未来を想い、自分の思いは胸にしまったままで。
(当たり前よね、だって……あんなに素敵な人なんだもの、伯爵は)
フィオナがネクタイピンを手に取るのを躊躇ったのは、もしかしたらケイトの想いが読み取れてしまうかもしれないからだ。
(伯爵のことをケイトさんも想っていたら……そしてただ理由があって別れないといけなかったのかもしれなかったとしたら……)
ずきずきと頭痛がし始める。
(私、どうしちゃったの)
ため息をひとつつくと、彼女は震える指を伸ばして、ネクタイピンを手に取った。
覚悟したが、もう映像は何一つ視えなかったから――安堵してしまう。
(なんでこんなに、胸が痛いんだろう?)
フィオナはそのネクタイピンを鞄にしまうと、ロイド邸の門を開いた。引き続き頭だけでなく胸もずきずきと痛むが、彼女はそれを無視することにする。
だが、出迎えてくれたアルバートには気づかれなかったけれど、アッシュにはすぐばれてしまった。
「フィオナ、体調が悪いのでは?」
執務机からすぐに立ち上がったアッシュがすぐに彼女の目の前までやってくる。心配そうな表情のアッシュが顔をのぞきこんでくるから、フィオナは思わず泣きそうになってしまう。
(なんで、すぐ分かっちゃうんだろう……?)
「熱がある?」
「い、いえ、ありません」
アッシュはじっと彼女の瞳を見つめた。
「じゃあ、中和が必要なんだな?」
(……!)
観念したフィオナは小さく頷く。
「はい。実は今さっき、人と、その、ぶつかってしまって……、『ちから』を使ってしまいました」
「そうだろう? 顔色がよくないよ――はい」
アッシュの差し出された手を前に、今までにないことに一瞬躊躇してしまう。
(……、私、勘違い、なんてしていないよね……? そう、これはただの中和。私は頭痛、伯爵は不眠症を治すためのもの。ただ、それだけ)
フィオナは自分に言い聞かせながら、彼の手を握る。
ふわりと浮遊感は漂うけれど、今日はどうしてかとても淋しい感じがした。
頭痛はすぐにおさまり、手を離したフィオナは笑顔をつくる。
「ありがとうございます、楽になりました……!」
「そう?」
けれどアッシュはじっと彼女の顔をのぞきこんだままだ。
「無理をしてはいけないよ? なんだかまだ顔色がよくない気がするんだが」
「い、いえ、大丈夫です! 本当に、大丈夫なんです」
フィオナが両手を振れば、アッシュもそれ以上は何も言わなかった。
初日は結局依頼人はホワイトリー侯爵だけだったが、稼いだ額としては十分すぎるほど十分だった。その上、時間が遅くなったからという理由で夕食までご馳走になってしまったのである。
ここしばらくロイド邸に通ってはいたが夕食は初めてのことで、もちろん最初は固辞したフィオナだったが、アッシュだけでなく、アルバートやロージーも、メルケンにまで熱心に誘われると、さすがに断りきれなかった。
このときばかりは、マナーを身に付けさせてくれた大聖堂での経験に感謝する。
(夕食、美味しかったな)
貴族邸で伴される食事としては、わりとシンプルなメニューなのかもしれない。
鶏肉と野菜のソテーに、じゃがいもの付け合せ、それから黒糖いりのパン。
貴族の食卓にはステータスのように肉ばかりが並ぶことも多いイメージがあったのだが、ロイド邸では違うようだ。
鶏肉には胡椒がいっぱい振られていて、それはアッシュの好みなのだろうか。けれど普段あまり香辛料を使わないフィオナには刺激が強すぎた。黙って食べていたが、フィオナの顔にすぐに気付いたアッシュが、アルバートに命じた。
『フィオナの分は次回から、胡椒は少なめで頼む』
『承知いたしました、メルケンに伝えておきます』
次回から。
ということは、次回もあるのだろうか。
そんな表情をしてしまったのだろう、アッシュが当たり前だろうと言わんばかりに口元を曲げる。
『なにか?』
『いえ、何も……』
(そんな、顔をして……!)
それがまるで一緒にご飯をしてくれないと拗ねるぞと言わんばかりだったから、フィオナは思わず笑ってしまった。フィオナが笑うと、アッシュの表情も優しくなる。
『ありがとうございます。私が飢えないかどうか心配してくださって』
『分かればよい。俺の目が黒いうちは君を飢えさせないよ』
いっぺんに機嫌を直し、はは、と快活に笑うアッシュはとても若々しく見えた。
(……親切な人ね、伯爵は)
フィオナは手洗いしていたクリーム色のワンピースに視線を落とす。これもアッシュに買ってもらったものだ。そして……。彼女は大事そうに壁にかけているライトピンク色の夢みたいに可愛らしいワンピースに視線を送る。クリーム色のドレスと一緒にアッシュに買ってもらったもの。
『俺と街を歩く時にはぴったりだろう?』
『このワンピースを着たフィオナと、街でデートしたいな』
(もちろん、冗談よね、伯爵は……)
それからアッシュと街にいくタイミングもなかったし、今はロイド邸に『占い師』として通うことになったからあのワンピースの出番はない。でも、それでよかったとも思う。
大切すぎて、着れないから。
フィオナにとってあのワンピースは、お守りみたいなものに感じられる。
(あるだけで、元気になる)
彼女は口元を緩めると、クリーム色のワンピースを絞って、干すために立ち上がった。
◇◇◇
『占い』はそれからも順調だった。
アッシュの見立て通り、モリス侯爵が回してくれる依頼人は皆、ある一定以上の爵位の持ち主が多く、難しい案件もほぼなかった。一番多いのはやはり恋愛関係。それからホワイトリー侯爵のように亡くなった人の想いをみてほしい、というのもある。
そして、多くても一日三件まで。ホワイトリー侯爵のように心付けを置いていってくれる人も多く、かつてないくらいに稼ぐことができている。
フィオナの生活は、これ以上ないくらいに充実していた。
(一人一人じっくり視れるようになって……、皆さんの役に立ってるという感じがするのが励みになるな)
フィオナにとっては自分の『ちから』がちゃんと相手のためになっていると実感できるのが最も嬉しいことだ。
それこそが母と約束したことだったから。
(今の私のことを、お母さんもきっと喜んでくれるよね?)
そうして今日も彼女はロイド邸の表門の前に立っていた。
「あれ、君は……?」
そこで不意に声をかけられて、フィオナは振り返る。
そこには今まで一度も会ったことのない、赤毛の青年が立っていた。服装はいかにも貴族らしいが、お供はついていないのでそこまで高位貴族ではないかもしれない。
「ああ、その布……、占い師かな?」
「ええ」
頭から白い布を被っているフィオナは一目で占い師だと分かるだろう。占いが終わり、アッシュと過ごす時間には布を取るけれど、それまでは顔ばれがしないように被っている。
溌剌とした感じの青年の顔がみるみる青ざめていく。
(……どうされたのかな……?)
「ロイドに雇われているのか?」
「え? ええ、まぁ、そうですね」
正確に言うと雇われているのではなく、委託しているのだが、それをこの青年に説明する必要はないだろう。フィオナが頷くと、青年が一歩後ずさる。
「うそだろ、あいつが占い師を……雇うなんて……? そんなに追い詰められているのか?」
(ああ、そうよね……。伯爵は占い師のこと、信じていらっしゃないものね)
フィオナのことも最初はまったく信じていなかった。
(この方は本当に伯爵のお知り合いに違いないわ)
赤毛の青年が青ざめたままで、しかしフィオナに会釈はしてくれる。
「不躾だったな。失礼した」
「いえ……」
踵を返した青年がよろよろと去っていく。
(あれ、伯爵に用事があったわけではないのかな……?)
おそらくはずみで落ちたのだろう、ネクタイピンが地面に転がっている。
あっと思った彼女はそれを拾って、青年の背中に声をかける。
「あの、ネクタイピンを落として―――……!」
瞬時に、目の前が青みがかる。
『ロイド、本当にすまない』
赤毛の青年が、頭を下げる。
今よりもいくらか若いアッシュが、無表情でそこに立っていた。
『ネルソンが謝ることではない。彼女が望んだことだろう?』
『それは、そうだが……。だがケイトのことは君も好いていただろう?』
(好いて、いた……?)
ぐにゃりと目の前の光景が歪む。
ネルソンが、視線を逸らすと、そこに立っているのは美しいブロンドの髪と、グリーンの瞳を持つ令嬢。彼女がケイトに違いない。
どくんとフィオナの胸の鼓動が嫌な音を立てて鳴る。
(……私の、髪色と、瞳に、似ていない……?)
どくどくと胸の鼓動は鳴り続ける。
『違うよ。彼女とはあくまでも昔からの知り合いってだけだよ』
『しかし、いい感じだったろうが。僕がしゃしゃり出たのは間違いない』
『ネルソン。こういうことには縁とタイミングが非常に関係しているだろう。だから――……』
はっと気づくと、目の前にはもう誰も立っていなかった。
掌からはネクタイピンが落ちてしまっていて、フィオナはそれを拾おうと身をかがめた。どうしてかぶるぶる奮える指がネクタイピンに触れようかとしたその時、彼女はぎゅっと拳を握りしめる。
(怖い、もう一回視てしまうかも、しれない)
アッシュが好いていたらしい、昔からの知り合い。
フィオナと同じ、髪色と瞳の色をもつ令嬢。
(とっても綺麗な人だった)
髪色と瞳の色はそっくりと言っても良かったが、容貌はフィオナとは似ても似つかない。
そこでフィオナはふと、アッシュが彼女の瞳と髪色をよく褒めてくれることを思い返す。
(……あの人に似ているから、褒めてくださるのかな……?)
アッシュと赤毛の青年を心配そうに見守っていたケイトは、大人びた印象を与える、間違いなく美しい人だった。そして貴族令嬢であることは、その服装からも間違いない。
立場もアッシュにぴったりだった人。
(そうよね、親切に……してくださっているけれど……、やっぱり……好きな方はいらっしゃったわよね)
アッシュは優しい。
優しいから、ネルソンがケイトに恋心を持ったことに気付いて、譲ったのかもしれない。
彼らの未来を想い、自分の思いは胸にしまったままで。
(当たり前よね、だって……あんなに素敵な人なんだもの、伯爵は)
フィオナがネクタイピンを手に取るのを躊躇ったのは、もしかしたらケイトの想いが読み取れてしまうかもしれないからだ。
(伯爵のことをケイトさんも想っていたら……そしてただ理由があって別れないといけなかったのかもしれなかったとしたら……)
ずきずきと頭痛がし始める。
(私、どうしちゃったの)
ため息をひとつつくと、彼女は震える指を伸ばして、ネクタイピンを手に取った。
覚悟したが、もう映像は何一つ視えなかったから――安堵してしまう。
(なんでこんなに、胸が痛いんだろう?)
フィオナはそのネクタイピンを鞄にしまうと、ロイド邸の門を開いた。引き続き頭だけでなく胸もずきずきと痛むが、彼女はそれを無視することにする。
だが、出迎えてくれたアルバートには気づかれなかったけれど、アッシュにはすぐばれてしまった。
「フィオナ、体調が悪いのでは?」
執務机からすぐに立ち上がったアッシュがすぐに彼女の目の前までやってくる。心配そうな表情のアッシュが顔をのぞきこんでくるから、フィオナは思わず泣きそうになってしまう。
(なんで、すぐ分かっちゃうんだろう……?)
「熱がある?」
「い、いえ、ありません」
アッシュはじっと彼女の瞳を見つめた。
「じゃあ、中和が必要なんだな?」
(……!)
観念したフィオナは小さく頷く。
「はい。実は今さっき、人と、その、ぶつかってしまって……、『ちから』を使ってしまいました」
「そうだろう? 顔色がよくないよ――はい」
アッシュの差し出された手を前に、今までにないことに一瞬躊躇してしまう。
(……、私、勘違い、なんてしていないよね……? そう、これはただの中和。私は頭痛、伯爵は不眠症を治すためのもの。ただ、それだけ)
フィオナは自分に言い聞かせながら、彼の手を握る。
ふわりと浮遊感は漂うけれど、今日はどうしてかとても淋しい感じがした。
頭痛はすぐにおさまり、手を離したフィオナは笑顔をつくる。
「ありがとうございます、楽になりました……!」
「そう?」
けれどアッシュはじっと彼女の顔をのぞきこんだままだ。
「無理をしてはいけないよ? なんだかまだ顔色がよくない気がするんだが」
「い、いえ、大丈夫です! 本当に、大丈夫なんです」
フィオナが両手を振れば、アッシュもそれ以上は何も言わなかった。
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