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9.勘違いはしない②
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次に気付いたときには、彼女は暖かい、固いものにもたれかかっていた。 目を何回か瞬き、轍の音をぼんやりと聞く。
(あれ……、ここ、馬車……?)
「気がついたか?」
すぐ真上から声がする。
誘われるように視線をあげると、そこには心配そうな表情を浮かべたアッシュがいた。
「わかるか? 今、俺達が乗っているのはロイド家の馬車だ」
(やっぱり顔がいいな……あ、でも、どうして、そんな顔を……?)
覚醒したばかりでまだ意識がはっきりとしていない。
「馬車には俺が運びいれた。あ、呼吸が苦しそうだったから、頭の布は取ったぞ」
彼の声が思ったよりも近い。
そこでフィオナは、自分がアッシュに支えられ、ありえないくらい彼に密着していることに気付いた。
「わっ……!」
慌てて身を離そうとしたが、肩に回された彼の手に押し止められる。
「ゆっくり。また倒れたらことだろう?」
「……っ、そ、そうですね」
あたふたとしながらも、姿勢を戻して、座り直す。
(あ、頭痛がしない……もしかしてロイド伯爵のおかげかしら……?)
頭痛はもちろん、倒れる前までの凄まじい倦怠感も消えていた。
「記憶はちゃんとあるか? 君が大広間から出ていったから、もう帰るのかと裏門に回った。そしたら門を出たところで、君が倒れていたんだ」
「……覚えています。その……あまり具合がよくなくて……外で新鮮な空気を吸いたいなって思ったんです。外に出たら、一気に力が抜けました。根性ないですね、私」
はは、とフィオナが笑うと、アッシュが眉間に皺を寄せる。
「君は根性あるだろう」
「え?」
「しかし毎回、夜会の後はこうなのか?」
「いえ……、さすがに倒れたのは初めてで……私、丈夫なんですけどね?」
丈夫だと付け加えたけれど、アッシュは顔を顰めた。
「初めてもなにも、一回だってあってはならないだろう! だって気を失ったんだぞ!?」
アッシュの口調が荒くなったが、その指摘は確かに正しい。
「おっしゃる通りです。ごめんなさい」
素直に謝ると、彼ははっとしたような表情になった。
「大声を出してしまってすまない」
アッシュは自分の髪をぐしゃぐしゃっとかき回す。
「人が倒れるのが……苦手で、つい過剰反応してしまった。うるさくして迷惑だったろう」
フィオナは首を横に振る。
何故か彼が倒れたかのように、顔色が真っ白になりつつあった。
「それで、今の体調はどうなんだ?」
「今は……、だいぶ楽に感じています」
「それは、よかった」
アッシュがほっとしたように表情を緩める。
「そういえば……!」
フィオナは声をあげた。
「ん?」
「私を抱き上げてくださった時、何か視えましたか? その、私はすぐに気を失ってしまったから覚えていないんです」
「そういや何も視えなかったな」
アッシュははた、と気づいたように呟いた。
「何も?」
「ああ。俺は……その、君を馬車に運ぶことに気を取られていたから、そのことはすっかり忘れていた」
ふうとアッシュが息を吐く。
その額に汗をびっしょりかいているのに気づいた。
(本当に心配してくださっていたんだわ)
今までフィオナのことをこんなに気遣ってくれたのは母親以外いなかった。
フィオナがそう思った瞬間、先ほどの令嬢の声が蘇る。
『みんなに優しいから違うんだろうなって――……』
(そうだった……。ロイド伯爵は皆様に優しいのよね……こんなに優しくしてくださるのなら、当然かも。私も勘違いしないように気をつけなきゃ)
それに、彼は人が目の前で倒れるのが苦手だ、と言っていたではないか。倒れてしまったフィオナをほっておけなかっただけだ。彼女はすっと背筋を伸ばす。
「ロイド伯爵」
「ん?」
「助けてくださって、ありがとうございました」
彼女は頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。そして感謝しています」
ぽかんとしていたアッシュが、顔をくしゃりと歪める。
「間に合ってよかった――次の夜会からも俺が同行するからな?」
「ありがとうございます。でも、自分でも気をつけます。どれくらい『ちから』を使うと限界かまでは分かっていなかったから……今夜は良い勉強になりました」
「ん」
アッシュが右手を差し出した。
「えっと……握手ですか?」
そう言うと、彼がふっと笑う。
「握手でもいいけど――中和だ」
「あ、でも、もうずいぶん楽ですのに――……」
自分が楽だということは、彼にも『ちから』が作用しているだろう。
きっと夜は眠れるはずだ。
「何回したっていいだろう? 俺を安心させると思って」
躊躇うフィオナに。アッシュが念押しする。
「ほら、俺もよく眠れるだろうから」
彼の不眠症のことを言われたら、拒めない。
(記憶を視ないように――……この前もこれで楽になったから大丈夫なはず……)
『ちから』を使わないように気をつける。
彼と手を繋ぐと、ふわりとした浮遊感と、爽やかな風が吹いたかのような爽快感がよぎる。
(ああ、これで十分気持ちいいな)
「心地よいな」
彼女が心で呟いたと同時にアッシュも囁く。
「そうですね」
応じたフィオナがそっと手を離そうとする素振りを見せると、あっけなく彼の手が外れた。離れていく熱が少しだけ惜しい、などと思ってはいけない。
(伯爵が今夜もよく眠れますように)
フィオナはそう心の中で祈った。
(あれ……、ここ、馬車……?)
「気がついたか?」
すぐ真上から声がする。
誘われるように視線をあげると、そこには心配そうな表情を浮かべたアッシュがいた。
「わかるか? 今、俺達が乗っているのはロイド家の馬車だ」
(やっぱり顔がいいな……あ、でも、どうして、そんな顔を……?)
覚醒したばかりでまだ意識がはっきりとしていない。
「馬車には俺が運びいれた。あ、呼吸が苦しそうだったから、頭の布は取ったぞ」
彼の声が思ったよりも近い。
そこでフィオナは、自分がアッシュに支えられ、ありえないくらい彼に密着していることに気付いた。
「わっ……!」
慌てて身を離そうとしたが、肩に回された彼の手に押し止められる。
「ゆっくり。また倒れたらことだろう?」
「……っ、そ、そうですね」
あたふたとしながらも、姿勢を戻して、座り直す。
(あ、頭痛がしない……もしかしてロイド伯爵のおかげかしら……?)
頭痛はもちろん、倒れる前までの凄まじい倦怠感も消えていた。
「記憶はちゃんとあるか? 君が大広間から出ていったから、もう帰るのかと裏門に回った。そしたら門を出たところで、君が倒れていたんだ」
「……覚えています。その……あまり具合がよくなくて……外で新鮮な空気を吸いたいなって思ったんです。外に出たら、一気に力が抜けました。根性ないですね、私」
はは、とフィオナが笑うと、アッシュが眉間に皺を寄せる。
「君は根性あるだろう」
「え?」
「しかし毎回、夜会の後はこうなのか?」
「いえ……、さすがに倒れたのは初めてで……私、丈夫なんですけどね?」
丈夫だと付け加えたけれど、アッシュは顔を顰めた。
「初めてもなにも、一回だってあってはならないだろう! だって気を失ったんだぞ!?」
アッシュの口調が荒くなったが、その指摘は確かに正しい。
「おっしゃる通りです。ごめんなさい」
素直に謝ると、彼ははっとしたような表情になった。
「大声を出してしまってすまない」
アッシュは自分の髪をぐしゃぐしゃっとかき回す。
「人が倒れるのが……苦手で、つい過剰反応してしまった。うるさくして迷惑だったろう」
フィオナは首を横に振る。
何故か彼が倒れたかのように、顔色が真っ白になりつつあった。
「それで、今の体調はどうなんだ?」
「今は……、だいぶ楽に感じています」
「それは、よかった」
アッシュがほっとしたように表情を緩める。
「そういえば……!」
フィオナは声をあげた。
「ん?」
「私を抱き上げてくださった時、何か視えましたか? その、私はすぐに気を失ってしまったから覚えていないんです」
「そういや何も視えなかったな」
アッシュははた、と気づいたように呟いた。
「何も?」
「ああ。俺は……その、君を馬車に運ぶことに気を取られていたから、そのことはすっかり忘れていた」
ふうとアッシュが息を吐く。
その額に汗をびっしょりかいているのに気づいた。
(本当に心配してくださっていたんだわ)
今までフィオナのことをこんなに気遣ってくれたのは母親以外いなかった。
フィオナがそう思った瞬間、先ほどの令嬢の声が蘇る。
『みんなに優しいから違うんだろうなって――……』
(そうだった……。ロイド伯爵は皆様に優しいのよね……こんなに優しくしてくださるのなら、当然かも。私も勘違いしないように気をつけなきゃ)
それに、彼は人が目の前で倒れるのが苦手だ、と言っていたではないか。倒れてしまったフィオナをほっておけなかっただけだ。彼女はすっと背筋を伸ばす。
「ロイド伯爵」
「ん?」
「助けてくださって、ありがとうございました」
彼女は頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした。そして感謝しています」
ぽかんとしていたアッシュが、顔をくしゃりと歪める。
「間に合ってよかった――次の夜会からも俺が同行するからな?」
「ありがとうございます。でも、自分でも気をつけます。どれくらい『ちから』を使うと限界かまでは分かっていなかったから……今夜は良い勉強になりました」
「ん」
アッシュが右手を差し出した。
「えっと……握手ですか?」
そう言うと、彼がふっと笑う。
「握手でもいいけど――中和だ」
「あ、でも、もうずいぶん楽ですのに――……」
自分が楽だということは、彼にも『ちから』が作用しているだろう。
きっと夜は眠れるはずだ。
「何回したっていいだろう? 俺を安心させると思って」
躊躇うフィオナに。アッシュが念押しする。
「ほら、俺もよく眠れるだろうから」
彼の不眠症のことを言われたら、拒めない。
(記憶を視ないように――……この前もこれで楽になったから大丈夫なはず……)
『ちから』を使わないように気をつける。
彼と手を繋ぐと、ふわりとした浮遊感と、爽やかな風が吹いたかのような爽快感がよぎる。
(ああ、これで十分気持ちいいな)
「心地よいな」
彼女が心で呟いたと同時にアッシュも囁く。
「そうですね」
応じたフィオナがそっと手を離そうとする素振りを見せると、あっけなく彼の手が外れた。離れていく熱が少しだけ惜しい、などと思ってはいけない。
(伯爵が今夜もよく眠れますように)
フィオナはそう心の中で祈った。
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