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6.ロイド邸
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翌日、昼過ぎ。
フィオナはギイっと鳴る重い外門を押し開いて、ロイド邸の敷地に足を踏み入れた。
【タッカー通りのロイド邸】は、意外にもフィオナの家からそこまで遠くなく、彼女の足でも一時間ほどで到着した。一応、貴族たちの住むエリアの――だいぶ外れにあるその家は……貴族邸にしては若干、貧相であった。かろうじて二階建て、サイズもごく普通の邸宅、といったところか。
よくある小説ならば、アッシュは大豪邸に住んでいてもおかしくないだろうが、現実は違った。
もちろんフィオナの住んでいるアパートとは比べ物にはならないが。
(あんな王子様みたいな感じなのに、わりとその……、普通な感じなのね! 世のご令嬢たちはそのギャップがいいって思うのかも! たぶん! 自信ないけど! でもあれだけイケメンだからモテるでしょうね! ちょっとだけ……顔色が悪いけど!)
何しろ敷地もそこまで広いわけではないから、玄関まですぐにたどり着く。庭園はさすがに手入れをされていたが、それでもどこまでも慎ましい印象を与える。
玄関の扉にぶら下がっているドアノッカーを鳴らすと、しばらくして年若い男性が顔を出す。身だしなみはきちんとしていて、黒いジャケットとスーツはいかにも執事という感じだった。服装的にそうだと判断して、フィオナはにっこりと微笑んだ。
途端に男性が息を呑む。
「はじめまして、私、フィオナと申します。ロイド伯爵とのお約束があって参りました」
男性は数秒固まっていたが、すぐに気を取り直したように、頷く。
「失礼いたしました。私はアルバートと申します。この屋敷で執事を任されております」
予想通りだった。
「はい」
「主人よりフィオナ様のお名前はうかがっております――どうぞ」
アルバートが扉を大きく開いて、中に通してくれた。
フィオナは頭を軽くさげてから、屋敷に足を踏み入れる。
(わぁ……)
最近【占い師】として貴族邸にお邪魔する機会が増えたフィオナにとって、ロイド邸の内装はやはり、あまり豪華とは思えなかった。隅々まで清潔ではあるが、置いてある家具や装飾もごくごくシンプルな造りのものが多い。
そういう意味では、お金に余裕はなさそうだ、という最初の印象は間違っていなかった。
でも。
(ああ、でも……すごく、空気感が良い、な)
うまく説明できないが、ロイド邸はとても居心地がよかった。
陽光が入りこむ造りになっていることもあるのか、どこもかしこも明るい印象がある。それだけでなく、流れている空気が、しっくりと自分の肌に馴染む感じがした。
それは、今まで【占い師】として訪れていた他の貴族邸に比べても、まったく印象が違うものだった。
(気持ちがいい家ね、ここは)
アルバートに続いて廊下を歩きながらフィオナはそんなことを考えていた。
執事は一番奥まった扉をノックすると、「フィオナ様がいらっしゃいました」と告げる。すぐに入ってくれ、と彼の声がして、フィオナはどうしてか鼓動が跳ねた。
アルバートが扉をあけると、アッシュはちょうど執務机から立ちあがったところだった。
「フィオナ、来てくれたか!」
ほっとしたような表情を浮かべたアッシュが、すぐに目の前までやってくる。
アッシュは白いシャツにライトグレーのカーディガン、それからダークグレーのパンツを合わせていた。どうやら今日は外出はないらしい。いかにも家着といったカジュアルな装いだが、きちんとした装いよりもずっと彼を身近に感じさせてくれる。
(あ、顔色が昨日よりもずっと良い)
アッシュはもちろん今日も抜群に顔が良い。
けれど、それよりもまず彼の顔色に目がいった。
昼の明るい陽光の元、彼の肌が艷やかなのをフィオナは確認して、ほっとした。
(よかった。きっと……少しは眠れたんだわ)
「ごきげんよう、ロイド伯爵」
昨日と同様、粗末なワンピースをつまんでカーテシーをする。ベージュ色のコットンで仕立て上げられたこのワンピースは、フィオナの持っている二着ある外出着のうち、これでもまだ上等な方だ。
彼女が姿勢を戻すと、アッシュが眉間に皺を寄せた。
「アッシュと呼んでくれ、と言っているのに」
「さすがにそれは出来かねます」
アッシュは小さく息を吐くと、目の前のソファを指さした。
「まぁその話は追々するか。とりあえずそこに座ってくれるか? ――アルバート、茶の用意を頼む」
「承知しました」
それまで黙って控えていたアルバートが去り、二人で向かい合って座る。
革張りのソファは、手入れが行き届いていて、座り心地がとてもよい。
(そっか……、この人の雰囲気がそのままロイド邸の雰囲気なんだ)
改めてアッシュを視界に収めて、フィオナはそのことに気付く。彼の漂わせている空気感が、この屋敷を覆っている。家具も新しいわけでも、高級なわけでもないが、それでもきちんと手入れされ、大事にされている。
(そういえば伯爵は、最初にカードルームに飛び込んできた時も見ず知らずの私に申し訳ないと謝罪してたわ)
今から思えば、彼は体調が悪かったのに違いない――多分、眠れていなかったからだ。
カードルームに入ってきて倒れかけた彼が、声をかけたフィオナに、申し訳ない、と言ったことを思い出す。
最初の印象こそあまり良くはなかったが、彼はきっと悪い人じゃない。
フィオナはそう思った。
(でも……本当に『占い師』が好きじゃないんだろうな。何か……ご事情がおありなんだろう)
そのアッシュは、興味津々といった様子でフィオナに声をかける。
「例えばフィオナはそのソファに座ったら、何かが視えるものなのか?」
フィオナは苦笑する。
「まさか。触るものすべてを視ていたら、私の身体は持ちません。視ようと思って力をいれれば、視れるというだけで。それも出来ないこともあります」
「そうなのか」
「それに……自分に関するものは視たことがなかったですし、私の力は別に万能ではないんです」
「ふむ」
考え込んだアッシュが、何かに気づいたように視線を上げる。
「すまない。別に詮索するつもりではないが――やはり昨夜もよく眠れて……『ちから』の話はあながち嘘ではないのだろうと思って、つい尋ねてしまった」
やはり昨夜はよく睡眠がとれたようだ。
フィオナはにっこりと笑う。
「伯爵様がお休みになることができたのでしたら、良かったです」
心からそう言うと、アッシュの頬がちょっとだけ赤らむ。
「君はすべてを語れない、と言っていたな?」
「はい」
「では……、語れる範囲でいいんだが、君の父上について具体的に知っていることはあるのか?」
真剣な眼差しのアッシュに、フィオナの胸はいっぱいになる。
(ああ、この人は本当に父探しを手伝ってくれようとしているんだわ)
そして彼の問いかけはもっともなことだ。
けれど残念ながら、フィオナは答えをほとんど持ち合わせていない。
「わかりません。父の名前すら、母は教えてくれませんでした」
「――そうか……」
「形見はこの金の指輪です。ですが……どれだけ願っても視れなくて」
ポケットから出した指輪を、アッシュがじっと見る。
「拝見させてもらっても?」
「あ、はい」
手を差し伸べてきたアッシュに指輪を渡す。
渡す時に指が少しだけ触れ合ったが、今は何の記憶も呼び起こされなかった。
「なるほど家紋も何もなく……、金……であることは間違いなさそうだな……少なくとも高級ではある。刻印は……、ああ、こういう感じか」
ぶつぶつと言いながら指輪を見ていたアッシュが、それをフィオナに戻してくれた。
「君のご両親のご年齢がわからないが、きっと俺の親と同じくらいだろうな。父から母に贈った指輪もデザインは違うが、似たような金の指輪だった。きっと当時の流行りなんだろう」
彼が自然に自分の両親の話に触れた。
「そうですか……えっと、伯爵のご両親は、今おいくつくらいなんですか?」
アッシュの顔に、影が走った。
「生きていれば、五十くらいかな」
「! あ、それは、失礼いたしました」
二人とも亡くなっていて、だからアッシュが若くして伯爵を継いでいるのだ。
少し考えればわかることなのに、とあたふたしながらフィオナは謝罪した。
「いいさ。もう何年も前のことだ」
アッシュには何の感情も見られない。
「でも、私、考えなしで……」
「構わない。俺も君にはずいぶん失礼なことを言ったから、相殺しといてくれ」
アッシュはそう言いながら、ソファの背もたれに身を預けた。
「君は自分の記憶は視れない、と言ったね?」
「は、はい」
頷くと、彼は思案げに自分の唇を人差し指でそっとなぞる。
「一つ提案がある。俺と手を繋いで、指輪の記憶を探ってみるのはどうだろう?」
フィオナはギイっと鳴る重い外門を押し開いて、ロイド邸の敷地に足を踏み入れた。
【タッカー通りのロイド邸】は、意外にもフィオナの家からそこまで遠くなく、彼女の足でも一時間ほどで到着した。一応、貴族たちの住むエリアの――だいぶ外れにあるその家は……貴族邸にしては若干、貧相であった。かろうじて二階建て、サイズもごく普通の邸宅、といったところか。
よくある小説ならば、アッシュは大豪邸に住んでいてもおかしくないだろうが、現実は違った。
もちろんフィオナの住んでいるアパートとは比べ物にはならないが。
(あんな王子様みたいな感じなのに、わりとその……、普通な感じなのね! 世のご令嬢たちはそのギャップがいいって思うのかも! たぶん! 自信ないけど! でもあれだけイケメンだからモテるでしょうね! ちょっとだけ……顔色が悪いけど!)
何しろ敷地もそこまで広いわけではないから、玄関まですぐにたどり着く。庭園はさすがに手入れをされていたが、それでもどこまでも慎ましい印象を与える。
玄関の扉にぶら下がっているドアノッカーを鳴らすと、しばらくして年若い男性が顔を出す。身だしなみはきちんとしていて、黒いジャケットとスーツはいかにも執事という感じだった。服装的にそうだと判断して、フィオナはにっこりと微笑んだ。
途端に男性が息を呑む。
「はじめまして、私、フィオナと申します。ロイド伯爵とのお約束があって参りました」
男性は数秒固まっていたが、すぐに気を取り直したように、頷く。
「失礼いたしました。私はアルバートと申します。この屋敷で執事を任されております」
予想通りだった。
「はい」
「主人よりフィオナ様のお名前はうかがっております――どうぞ」
アルバートが扉を大きく開いて、中に通してくれた。
フィオナは頭を軽くさげてから、屋敷に足を踏み入れる。
(わぁ……)
最近【占い師】として貴族邸にお邪魔する機会が増えたフィオナにとって、ロイド邸の内装はやはり、あまり豪華とは思えなかった。隅々まで清潔ではあるが、置いてある家具や装飾もごくごくシンプルな造りのものが多い。
そういう意味では、お金に余裕はなさそうだ、という最初の印象は間違っていなかった。
でも。
(ああ、でも……すごく、空気感が良い、な)
うまく説明できないが、ロイド邸はとても居心地がよかった。
陽光が入りこむ造りになっていることもあるのか、どこもかしこも明るい印象がある。それだけでなく、流れている空気が、しっくりと自分の肌に馴染む感じがした。
それは、今まで【占い師】として訪れていた他の貴族邸に比べても、まったく印象が違うものだった。
(気持ちがいい家ね、ここは)
アルバートに続いて廊下を歩きながらフィオナはそんなことを考えていた。
執事は一番奥まった扉をノックすると、「フィオナ様がいらっしゃいました」と告げる。すぐに入ってくれ、と彼の声がして、フィオナはどうしてか鼓動が跳ねた。
アルバートが扉をあけると、アッシュはちょうど執務机から立ちあがったところだった。
「フィオナ、来てくれたか!」
ほっとしたような表情を浮かべたアッシュが、すぐに目の前までやってくる。
アッシュは白いシャツにライトグレーのカーディガン、それからダークグレーのパンツを合わせていた。どうやら今日は外出はないらしい。いかにも家着といったカジュアルな装いだが、きちんとした装いよりもずっと彼を身近に感じさせてくれる。
(あ、顔色が昨日よりもずっと良い)
アッシュはもちろん今日も抜群に顔が良い。
けれど、それよりもまず彼の顔色に目がいった。
昼の明るい陽光の元、彼の肌が艷やかなのをフィオナは確認して、ほっとした。
(よかった。きっと……少しは眠れたんだわ)
「ごきげんよう、ロイド伯爵」
昨日と同様、粗末なワンピースをつまんでカーテシーをする。ベージュ色のコットンで仕立て上げられたこのワンピースは、フィオナの持っている二着ある外出着のうち、これでもまだ上等な方だ。
彼女が姿勢を戻すと、アッシュが眉間に皺を寄せた。
「アッシュと呼んでくれ、と言っているのに」
「さすがにそれは出来かねます」
アッシュは小さく息を吐くと、目の前のソファを指さした。
「まぁその話は追々するか。とりあえずそこに座ってくれるか? ――アルバート、茶の用意を頼む」
「承知しました」
それまで黙って控えていたアルバートが去り、二人で向かい合って座る。
革張りのソファは、手入れが行き届いていて、座り心地がとてもよい。
(そっか……、この人の雰囲気がそのままロイド邸の雰囲気なんだ)
改めてアッシュを視界に収めて、フィオナはそのことに気付く。彼の漂わせている空気感が、この屋敷を覆っている。家具も新しいわけでも、高級なわけでもないが、それでもきちんと手入れされ、大事にされている。
(そういえば伯爵は、最初にカードルームに飛び込んできた時も見ず知らずの私に申し訳ないと謝罪してたわ)
今から思えば、彼は体調が悪かったのに違いない――多分、眠れていなかったからだ。
カードルームに入ってきて倒れかけた彼が、声をかけたフィオナに、申し訳ない、と言ったことを思い出す。
最初の印象こそあまり良くはなかったが、彼はきっと悪い人じゃない。
フィオナはそう思った。
(でも……本当に『占い師』が好きじゃないんだろうな。何か……ご事情がおありなんだろう)
そのアッシュは、興味津々といった様子でフィオナに声をかける。
「例えばフィオナはそのソファに座ったら、何かが視えるものなのか?」
フィオナは苦笑する。
「まさか。触るものすべてを視ていたら、私の身体は持ちません。視ようと思って力をいれれば、視れるというだけで。それも出来ないこともあります」
「そうなのか」
「それに……自分に関するものは視たことがなかったですし、私の力は別に万能ではないんです」
「ふむ」
考え込んだアッシュが、何かに気づいたように視線を上げる。
「すまない。別に詮索するつもりではないが――やはり昨夜もよく眠れて……『ちから』の話はあながち嘘ではないのだろうと思って、つい尋ねてしまった」
やはり昨夜はよく睡眠がとれたようだ。
フィオナはにっこりと笑う。
「伯爵様がお休みになることができたのでしたら、良かったです」
心からそう言うと、アッシュの頬がちょっとだけ赤らむ。
「君はすべてを語れない、と言っていたな?」
「はい」
「では……、語れる範囲でいいんだが、君の父上について具体的に知っていることはあるのか?」
真剣な眼差しのアッシュに、フィオナの胸はいっぱいになる。
(ああ、この人は本当に父探しを手伝ってくれようとしているんだわ)
そして彼の問いかけはもっともなことだ。
けれど残念ながら、フィオナは答えをほとんど持ち合わせていない。
「わかりません。父の名前すら、母は教えてくれませんでした」
「――そうか……」
「形見はこの金の指輪です。ですが……どれだけ願っても視れなくて」
ポケットから出した指輪を、アッシュがじっと見る。
「拝見させてもらっても?」
「あ、はい」
手を差し伸べてきたアッシュに指輪を渡す。
渡す時に指が少しだけ触れ合ったが、今は何の記憶も呼び起こされなかった。
「なるほど家紋も何もなく……、金……であることは間違いなさそうだな……少なくとも高級ではある。刻印は……、ああ、こういう感じか」
ぶつぶつと言いながら指輪を見ていたアッシュが、それをフィオナに戻してくれた。
「君のご両親のご年齢がわからないが、きっと俺の親と同じくらいだろうな。父から母に贈った指輪もデザインは違うが、似たような金の指輪だった。きっと当時の流行りなんだろう」
彼が自然に自分の両親の話に触れた。
「そうですか……えっと、伯爵のご両親は、今おいくつくらいなんですか?」
アッシュの顔に、影が走った。
「生きていれば、五十くらいかな」
「! あ、それは、失礼いたしました」
二人とも亡くなっていて、だからアッシュが若くして伯爵を継いでいるのだ。
少し考えればわかることなのに、とあたふたしながらフィオナは謝罪した。
「いいさ。もう何年も前のことだ」
アッシュには何の感情も見られない。
「でも、私、考えなしで……」
「構わない。俺も君にはずいぶん失礼なことを言ったから、相殺しといてくれ」
アッシュはそう言いながら、ソファの背もたれに身を預けた。
「君は自分の記憶は視れない、と言ったね?」
「は、はい」
頷くと、彼は思案げに自分の唇を人差し指でそっとなぞる。
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