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一夜のあやまち
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しおりを挟む「ふっ、ふふふっ。人より少しばかり顔が整っている自覚はありますが、そんなこと言われたのは初めてだな。それにしても……ふふっ、薄目って」
ツボに入ったのか、冬磨はお腹を抱えて笑いだした。声が店内に響かないように抑えているのだろう。とても苦しそうだ。
まさかそんなに笑われるとは。おかしなことを言ったとは思っているが、なんだか恥ずかしくなってしまう。
「少しばかりなんてもんじゃないですよ。芸能関係の方かと思いました」
「まさか。目立つのはあまり好きではないんです」
「でも、おモテにはなりますよね」
ようやく笑いが止まったのか、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら冬磨は肩をすくめた。
「それは否定しませんが、俺にも理想があります。なかなかいいと思える方との出会いがなくて……。あまりに仕事ばかりしているからか、最近は親にもいい人はいないのかとしょっちゅうせっつかれています。顔を合わせるたびにお見合いを勧められて、困っているところです」
はあ、と深いため息をついた彼がグラスに残っていたお酒を一気に煽る。
「うちの両親は大恋愛の末に結婚して、今でも夫婦仲がとてもいいんです。そんな両親を見て育ったので、いい年をした男がと思われるかもしれませんが、運命的な恋……というものに憧れていまして。心から愛した人と結婚して、温かい家庭を築いていきたいと思っているんです。ですが、なかなか女運がなくて。そう思える方と出会えずにこの年まできてしまったのですけどね」
冬磨の言葉は秋良にとって意外なものだったが、親近感を覚えるものだった。緊張でこわばっていた肩の力が少しだけ抜ける。
「分かります。私は両親を早くに亡くしているので、自分の家族を持つことが夢だったんです。子どもができたら、いっぱい愛情を注いで。毎週末は家族で出かけて、いろんなことを経験させてあげられたらとか、そんな理想を持っていて」
「いいですね。僕は子どももですけど、夫婦の時間も大切にしたいですね」
「そうですね。月並みですけど、笑顔が絶えないような、そんな明るい家族を築けたらって……思ってたんですけど……」
その夢は、もうすぐ叶うはずだった。だけど……。
忘れようとしていた現実を思い出し、思わず目を伏せる。
「……ずっとため息をついていたけれど、なにか嫌なことでもあったのかな?」
その言葉に、ハッと顔を上げる。もしかして、店に入ってからずっと見られていたのだろうか。心配そうにこちらを見ている冬磨の姿を見て、すべて吐き出したくなる。
いっそ、誰かに話してしまった方が楽になるだろうか。だが、初対面の人に自分の身の上話などしていいものか。
迷う秋良をじっと見つめていた冬磨が、突然立ち上がった。ビクリと身体を揺らした秋良に微笑むと、視線を離れた場所にいるバーテンダーに移した。
「友哉、ボックス席空いてるよな?」
冬磨の友人であるバーテンダーの彼は友哉というらしい。こちらに歩いてきた彼が、呆れたように肩をすくめた。
「おいおい、本当にどういうつもりだよ。俺の店の治安を乱すな」
「本気だから安心してくれ。あと、俺にはさっきと同じものを。彼女には、キールを作ってくれ」
冬磨のオーダーを聞いて、友哉は驚いたように目を見開いた。なぜそんな反応をするのかが分からず、ふたりの様子を見て秋良は首を傾げる。
「マジか。……承知しました。どうぞ、奥の席を使ってください。お飲み物はお席までお持ちします」
小さくため息をついて、諦めたようにそう言った友哉に冬磨は満足そうに笑みを浮かべた。
「ありがとう。さ、おいで」
優しい笑顔で差し出された手に、秋良はなぜか素直に自分の手を重ねていた。大きな温かい手に包まれて、無意識のうちにホッと息が漏れる。
初めて会った異性に触れて、ドキドキしている。だけど、それ以上にひどく安心感を覚える。初めての感覚に、秋良は戸惑った。
エスコートされるがまま、一番奥のボックス席に移動する。隣に座った彼を見上げると、想像以上に距離が近かった。
慌てて視線を逸らすが、右側に感じる彼の体温を意識してしまいなんだか落ち着かない。なのに、もっと近づきたい気持ちになる。
一体、どうしてしまったというのだろう。人肌が恋しくなるなんて、人生で一度もなかったのに。自分で思っている以上にメンタルにダメージがあるのかもしれない。
そんなことを考えていると、先ほど冬磨が注文したカクテルを持った友哉が現れた。
「お待たせいたしました。ゴッドファーザ―とキールです」
丁寧な所作で、目の前にワイングラスが置かれる。中にはワインのように赤い液体が入っているが、それにしては透明感がある気がする。
「キールは、白ワインにカシスリキュールを加えたシンプルなカクテルです。甘めでさっぱりしているので、飲みやすいかと思います。アルコール度数も強くなりすぎないように調整しておきました」
「あ、ありがとうございます」
普段、あまりお酒を飲まない秋良にはありがたい気遣いだ。職場の近くにこんないいお店があったなんて。もう少し早く知りたかったものだ。
まあ、知ったところできっと足を踏み入れることはなかっただろう。以前の秋良は仕事が終わったらすぐに帰って、浩太の世話に勤しんでいた。
今思えばなぜあんなに必死だったのか。それが当たり前になりすぎて、疑問を抱いたことさえなかった。
「この男がなにか失礼なことをしましたら、すぐに助けを呼んでくださいね」
「おい、それが客に対する態度か。無駄口を叩いてないでしっかり働け」
「はいはい。それでは、ごゆっくりお過ごしください」
友哉が一礼して出ていくと、沈黙が落ちる。カウンターに座っていたときに聞こえていた他の客の話し声もほとんど聞こえない。なにか特殊な工夫がされているのだろうか。
「緊張している?」
「それは……はい」
冬磨に聞かれ、秋良は頷いた。どちらかというと、初めての感情に戸惑っているのだが、それをそのまま伝えることは難しいだろう。
秋良本人でさえ、この気持ちがなんなのかよく分かっていないのだから。それに嘘はついていない。もちろん、緊張もしている。
「俺もしている。そうだな……今夜だけの悩み相談室ってことでどうかな。ため息の理由、もしかしたら話すと少し楽になるかもしれないよ」
彼の言葉は、なぜか胸にすっと入ってくる。なんだか不思議な人だ。この人になら話してもいいかという気持ちになってくる。
「決して面白くない話ですよ?」
「構わないよ。まだまだ夜はこれからだ。ゆっくり、話して」
その言葉に励まされて、彼女はカクテルを一口飲んでから話し出した。
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