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エピソード7【93階のコーヒー】
【2】
しおりを挟むそして花梨は、最高のコーヒー作りに夢中のレイナを見つめながら、
「宇宙船の製造が順調で良かったわ……」
と、ポツリとつぶやく。
さっきまでの笑いが消え去り、心の底から安堵感を浮かべていた。
よほど、進行状況が気になっていたのは間違いない。
「レイナちゃん……」
そして飲みかけのコーヒーをテーブルに置くと、メガネをスッと外し、コーヒーの隣に仲良く並ばせる。
裸眼で平然としている姿を見ると、どうやら、あまり視力は悪くないようだ。
やはり、おしゃれアイテムとして身に付けているのだろう。
素顔の花梨は、大人の女性独特の落ち着いた雰囲気を漂わせながら、徐々に深刻な顔つきに変わり始めた。
「なるべく、早く完成に向けて作業を進めてほしいの。お願いね」
それは、今日一番の真剣な口調だった。
その空気に同調するように、レイナも、アレンジしたコーヒーの味を確かめながら、
「分かりました」
と真剣に答え始めた。
「でも、やるからには最高の物を作りますよ。空調や照明にもこだわりたいですし……あと、サウナ施設も……」
「ごめんなさい……」
レイナの言葉を、花梨はすかさず遮る。
「そういうのは……あまり気にしなくていいわ……」
「え……?」
コーヒーを飲むレイナの手がピタッと止まった。
砂糖が足りなかったからではない。
いつもの明るい花梨と違い『気にしなくていい』と言う、うつむき加減の姿にあまりにも違和感を感じたからだ。
全く、顔を上げようとしない。
長めの前髪で隠れているが、その表情がなかなか険しいのは簡単に推測できた。
コーヒーカップを、そっとテーブルに置いたレイナは、
(花梨さん……仕事で疲れてるのかな……)
姉のように慕う花梨を、少し心配し始める。
しかし、それと同時に、
(ということは……内装は簡単でいいってことか……)
多少、物足りなさを感じていた。
レイナは、完璧主義。
細部に渡るまで、自分の理想に近づけたかったのは間違いない。
しかし――
(大臣からすれば、完成した宇宙船を早く見たいんだろうな……)
そういう気持ちも、分からなくはなかった。
しかし、一番、疲れる思いをしているのは花梨だろう。
どっちの意見も聞かなきゃいけない。
まさに、中間管理職。
いつも板ばさみになる、大変なポジションだ。
だが花梨は、今回ばかりは『内装にこだわりたい』というレイナの意見を聞くわけにはいかなかった。
そして、花梨は首を左右に動かし、周りに人がいないことを確認し始める。
先ほど、自分自身で部屋に鍵をかけたことを、すっかり忘れているのか。
はたまた、それを分かった上で、あえて確認しているのか。
とにかく、部屋中をゆっくりじっくり見渡していた。
「レイナちゃん……」
レイナの右横に移動し、並ぶようにソファーに座る花梨。
腰をおろしたあと、緊張を軽減さすかのように『フー』と大きく息を吐く。
誰の目にも分かりやすい大型の息の固まり。
(花梨さん……)
当然、その仕草を見て、レイナも気がついた。
『何か大事な話がある』
その事が、花梨の姿からはっきりと感じ取れた。
そして花梨は、レイナの肩にそっと手を添え、ゆっくりと話し始めた。
「実は……」
小さな声だが、しっかりとした口調で話を進める花梨。
レイナは、その話の内容を大まかに理解し始めた時、
(え……?)
思考回路が、一瞬で凍りつく。
しかも、永久凍土に覆われたように溶ける気配はない。
冗談?
花梨さんのジョーク?
そう思おうと、努力もしてみる。
だが、冗談ではないことが、花梨の二重の瞳からはっきりと伝わってきた。
テーブルに置いているメガネまでもが『信じて』と、ズシズシ後押ししてくるように感じる。
「必ず……ハルトくんにも伝えておいてね……」
「は、はい……」
レイナは頷くと、足早に防音会議室から飛び出していった。
一目散にエレベーターに向かう。
おそらく、どういう行動を取ればいいのか分からなかったはず。
唯一分かっているのは、この建物から出るという事。
そんなレイナを、ガラス張りのエレベーターの個室はやさしく迎え入れる。
(うそ……うそって言って)
レイナは、下に向かう楕円形の小さな密室の中で、パニックになりそうな自分を必死で抑えていた。
93階から下るエレベーターは、結構な時間だ。
しかし、幸いにもその時間が、徐々にレイナの心に落ち着きを与えていく。
ガラス張りの小さな動く空間の中で、思考回路の永久凍土は少しずつ溶け始めていた。
(まだ、できることがあるはず……)
1階に着き、エレベーターのドアが開いた時には、レイナに新たな気持ちが生まれていた。
『まだ、できることがある――』
そういう思いを胸に刻み、スリー・アローから飛び出すように、自分専用の研究所へ向かうレイナ。
だが、それは、とても小さな可能性を信じるということ。
広大な海の真ん中に落ちた指輪を見つけるような、とても困難な闘い。
93階で飲むスティックシュガー2本分のコーヒーの味は
レイナにとって、一生忘れられない味になった
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