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エピソード5【スイートルージュ】

【6】

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ハルトは、誰もが想像しなかった行動に出始める。

メロの側にゆっくりと近づき、いきなり力強く抱きしめた。

 両腕にメロのか細い体がすっぽりと収まると、ハルトの目から一層涙がこぼれた。

 心がいっぱいになりすぎて、キャパシティーオーバーしたのだろう。

ダムが決壊したように、どんどん、どんどん溢れ出してくる。

だが、メロは、そんなハルトの様子を疑問に感じることはなく、ずっと、ずっと微笑んでいるばかり。

 抱きしめられている感覚が、心地よかったようだ。

でもそれは、恋愛感情というよりは、親に守られているというような安心感。

 感情システムがまだ未熟なメロは、そういう感覚に覆われていた。


 「ハルト、この行動はどういう意味があるのですか?」


まるで、子供が新しい知識を欲しがるように、純粋に尋ねるメロ。

 決して、からかっている様子はない。

しかし、ハルトはメロを両腕で握りしめたまま、その問いかけには反応しなかった。

そして、返事がないのが、メロは不思議だったのだろう。

ハルトの胸の中に埋まっている顔を持ち上げ、首をかしげながらハルトを眺めていた。


すると──


「…………」


ハルトの涙が、ポツリ、ポツリとメロの顔にこぼれ始める。


「ハルト……」


メロは、涙の雫が1滴、2滴と自分の頬に当たるのを確認すると少し心配そうに言った。


 「大丈夫ですか? また、いっぱい水がこぼれてますよ」


メロは、ハルトが病気になったと思ったのだろう。

 珍しく、声が慌てているように感じる。


そして、メロがハルトの頬に手をあてた瞬間──



「愛してる……」



 今まで、口がヒモで縛られたように無言を貫いていたハルトが、小さくつぶやき始めた。


 「愛してる……愛してる……愛してる……」


その声は、どんどん大きくなる。


 「……愛してる!」


やがて、周りにハッキリと聞こえるほどの大声で連呼し始めた。



 「愛してる! 愛してる! 愛してる! 愛してる!!」



 涙でくしゃくしゃになった顔のまま、何回も何回も、心に貯めていた物を一気に吐き出すように、叫び続けていた。

そして他のメンバーはというと、その光景を見つめて、ただ、ただ呆気にとられるばかり。

 当然だ。

スイートルージュも塗っていないハルトが『愛してる』と言葉にするのは、どう考えても理解に苦しむ。

しかも、涙で瞳を潤ませたまま、工場に響き渡るような大声を張り上げている。

 不思議に思うのが、自然な流れだった。



「お、おい、ハルト! どうしたんだ!?」


いち早く、ハルトの異変に気づいたのはジュリア。

 慌ててハルトの肩をつかみ、心配そうに問いかけた。


「ずっと、愛してる! ずっと、ずっと!」


しかしハルトは、全く止まる気配がない。

メロを抱きしめたまま、同じような言葉だけを繰り返していた。

 負けじとジュリアは、さらに声を強くして叫んだ。


 「ハルト!!」


すると、自分を連れ戻す声がやっと聞こえたのか、


 (え……?)


 催眠術から解き放たれたように、ハルトは我に戻った。


「あっ……えと……ご、ごめん……」


そして、涙で濡れた目をこすり、急いで乱れたメロの服装を直し始める。


「ご、ごめん、ごめんね……」


 何回も何回も謝りながら、メロのくしゃくしゃになった髪も、やさしくそっと整える。

メロは、乱れ髪をセットしてくれるハルトの目を見て、


 「あっ、もう水は止まってますね。よかった、よかった」


と、なによりも、ハルトの病気が治ったと思い、心から喜んでいた。

そして、申し訳なさそうな顔を浮かべているハルトに向かって、やさしく声をかけた。


 「ハルトは、笑っている顔のほうが似合ってますよ」

 「そ、そうか?」

 「笑ってみてください」

 「あ、ああ」


ハルトはリクエストに答え、にっこりと微笑んだ。

さっきまでの無礼をわびるように、言われるがまま、白い歯を見せ満面の笑みを披露した。

その姿を、しばらくじっと見つめるメロ。

 再び、2人だけの時間が流れ始めた。


 「ハルトの笑顔……見てると、なんだか不思議な気持ちになります」


メロは、じっと見つめたまま、首を傾げた。

 『不思議な気持ち』

なんとも意味の分からない内容だ。

おそらく、メロにもよく分からないのだろう。

ただ、ハルトの笑顔が、頭から離れないのは事実だった。

そして、ハルトは、一瞬『ドキッ』としたように目が大きくなったが、その言葉に触れることなく、


 「さっ……みんな、仕事に戻ろうか」


と、いそいそと棚に置いている工具箱を手に取り、作業の準備をし始めた。


しかし、そこにいるアンドロイド達の疑問は消えていない。

なぜ、ハルトはあんなことをしたのか?

その謎を、ずっと考えていた。

だが、全く訳が分からないまま、いろんな考えが交錯するばかり。

 誰も答えを導き出せなかった。


 (まずいな……なんとか、雰囲気を変えなきゃな……)


やがて、その空気を察したレイナが、手を叩きながら大きな声で、


 「ほらほら、お兄ちゃんのいたずらに構ってなんかいないで、私たちも仕事するよ!」


と、あえて大げさに振る舞った。

 『いたずら』

そう。

レイナもこの空気をおさめるには、こんな言葉しか浮かばなかった。

だが、意外に皆の反応は悪くない。

 確かに、ハルトのドッキリだと考えれば納得がいく。

 徐々に、その方向でおさまりつつあった。

そして、レイナは、カバンから小型パソコンを取り出すと、


 「えっと……」


 少し、真面目なトーンで言った。


 「宇宙船の完成を急がなきゃね。じゃあ、今日の仕事の割り振りを言うよ」


 仕事の割り振り。

この言葉を聞いて、アンドロイドたちの目つきが真剣になった。

ふざけてばかりいても、仕事になるときちんとスイッチを切り替える。

これも、優秀なアンドロイドの証である。


そしてレイナは、パソコンに映し出された設計図を見ながら喋り始めた。


 「じゃあ、今日の割り振りは……メモリンとコマチは、熱防護システムのチェックを。サムライは、エアロック装置の動作確認、そのあとに屋外で、船体外壁を……」


 (あっ、そうだ)


レイナは話の途中、思い出したように、サムライに指をさし、



 「雨が降ったら、やらなくていいからね」



と、強く言い聞かせた。

 
実は、レイナがサムライに念を押すのには訳があった。

サムライは本当に仕事熱心で、雨の日にも外で高所の作業をしてしまうからだ。

 雨の日の外での作業は、思わぬ事故を招き、大きな故障の原因になりかねない。

 実際、他の工場でも、雨の中での作業で高い所から足を滑らし、破損がひどく廃棄になったアンドロイドもいた。

そういう事故を引き起こさないために、レイナはサムライに目を光らせている。

 本当は、サムライのメインマイクロチップの記憶データを書き換えて、雨の中での作業をしないように、上手くインプットし直したい所。

だが、ニンジャの特殊能力を無くしたような改造とは訳が違う。

メインマイクロチップ内の改造は、色々とやっかいな問題がつきまとう。


ちなみに、メインマイクロチップは、アンドロイドの頭脳。

それは、首筋の後ろについている。

そのマイクロチップは、一度、取り外しても、300時間以内に挿入し直せば、記憶の継続は可能だ。

 逆に言えば、300時間を経過すると、データが全て消え、ただのゴミになってしまう。

なぜかというと、それは、秘密厳守のため。

セキュリティー機能がついているのだ。

そして、一部でも記憶データの書き換えをした場合、300時間以内に挿入し直しても全てが初期化される。


そう。

 今までの記憶が消えてしまう。


アンドロイドを人間として扱うハルトは、それだけはしたくなかった。

だから、サムライに言い聞かせて、学習させる方法を取っているのだ。


 「雨が降ったら、すみやかに作業は中断するんだよ、サムライ」

 「うむ、心得た」


サムライが頷いたのを確認すると、レイナは続けて指示を出し始める。


 「あとのメンバーは、船体内部、メインコンピューターのシステム作りをお願いするね。精密な作業だから集中してね。じゃあ、今日もよろしく」

 「よ~し! 始めるぞ~!」


ジュリアの掛け声と共に、全員が持ち場につき始めた。


そして──


(お兄ちゃん……)


アンドロイド達が慌しく作業を始める中、レイナはハルトの背中をじっと見つめていた。


 (メロちゃん……)


そして、メロにもそっと視線を送り始める。


 (相手はアンドロイド……そんなことが……あるわけない……あるわけがない……)


レイナは2人の姿を眺めながら、そう思っていた。

いや、必死で思い込もうとしていたのかもしれない。


だが、レイナはいずれ気づくことになる。

ハルトが抱えているメロへの気持ちを。




アンドロイドの



 メロへの気持ちを



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