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1 プロローグ

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 男は籠の中に眠る赤ん坊を見つめた。

「始末しろとは言われたが…」

 その呟きを耳にする者は誰もいない。

 面倒な事を押し付けられたが、流石に赤ん坊の命を奪うのは躊躇われる。

「さて、どうしたものか…」

 ぐるりと部屋の中を見回して、机の上に置いた古い魔導書に目がいった。

 直接手を汚すのは気が引けるが、これならばこの子の運次第だろう。

 そう考えた男は魔導書を開いてページを捲り、目当ての呪文を見つけた。

 その呪文を唱えると空間が裂けて黒い穴がポッカリと空いた。

 その空間に赤ん坊が入った籠を差し入れると、籠は穴に吸い込まれて行く。

 籠が完全に吸い込まれると空間に空いた穴も完全に塞がった。


 ***

「これでよしっ!」 

 もう一度鏡を覗いて髪型を整えると、私は気合を入れて頷いた。

 いつもはポニーテールにしている髪を、今日は下ろしてみた。

 真っ直ぐなストレートヘアが胸の辺りまで伸びている。

 綺麗にブラッシングしたから飛び跳ねている所は無いはずだ。

 顔の角度をあちこち変えてもう一度確かめると、洗面所を後にして食卓に向かった。

「愛莉鈴、早く食べないと遅刻するわよ」

 母に言われてテレビ画面の時刻を確認する。

 ヤバイ!

 慌ててトーストにかじり付き牛乳で流し込むと、カバンを持って玄関に走る。

「いってきまーす!」 

 母の返事を聞くよりも先に玄関を飛び出した。

 家の敷地から道路に出ると前方に見慣れた背中が見えてドキリとする。

 …今日、髪型を変えたの気付いてくれるかな?

 女の子の髪型なんて気にするような奴じゃないから、多分気付かないだろうな。

 そう思いながら走ってその背中に追い付いた。

「おはよう、健斗。急がないと遅刻するわよ」

 ポン、と背中を叩くとチラリとこちらを見ただけでスタスタと歩いて行く。

「なんだ、アリスか。少しくらい遅れたってどうって事ないさ」
 
 そう言って歩く健斗は私より背が高い分、歩くのが早い。

 彼の歩調に合わせて歩くと少し小走りになってしまう。

 …やっぱり気付いてくれないか…

 私と健斗は幼馴染で今は同じ高校に通っている。

 小中学校の頃はただの友達くらいにしか思っていなかったけれど、高校になって急に背が伸びて男らしくなった健斗を好きだと認識した。

 ずっと近くにいたから今さら好きだと告白していいものかどうか迷ってる。

 出来れば健斗の方から告白してくれないかな、と思っているんだけどな。

 少しでも健斗に意識して欲しくて今日は髪型を変えてみたんだけど、何も言ってもらえないのが悲しい。

 ちょっとへこみながらうつむき加減で歩いていると、けたたましいブレーキの音と大きな衝突音が鳴り響いた。

「えっ、何事?」

 見ると先程、私達を追い抜いて行った車が、対向車と正面衝突を起こしていた。

「おいおい、ここは一方通行だぜ」

 呆れたように健斗が呟く。

 ここは住宅街で道路も狭いので車は一方通行になっている。

 知らずに入って来たのか、近道をしようとしたのかはわからないが、向こうから進入してきたのは確かだ。

「ちょっと! 道が塞がれて通れないわ、どうしよう」

 ただでさえ狭い道なのにお互いによけようとしたため、道を塞ぐような状態で車がぶつかっている。

 運転手に怪我はなかったらしく、お互いに車から降りて何やら言い争いを始めたようだ。

「アリス、先に行けよ。俺は事故に遭った人を介抱して遅れるって伝えてくれよ」

 はあ?

 健斗ったら、何を言ってるの?

「ちょっと! 健斗ったら! 運転手は無事じゃないの!」

「いやぁ、そうそうこんな場面なんて出くわさないだろう? だから頼むよ」

 どうやら事故を口実に授業をサボろうという魂胆らしいが、そんなふうに頼まれると断れないのが惚れた弱みってやつなのかな。

「しょうがないわね、今日だけよ」

 渋々承知はしたけれど、一つ問題があった。

「先に行くのはいいけど、車で塞がれて通れないわよ」

 あと数メートルで交差点だが、前方は車で塞がれて通れなくなっているし、迂回するには来た道を戻らないといけないが、そうなると遅刻してしまう。

「あの電柱の後ろを通ればいいだろ」

 確かに電柱と塀の隙間から通り抜ける事は出来そうだ。

「一応先生には言うけど、怒られても知らないわよ」

「大丈夫だって。頼んだよ」

 ポンと背中を押し出されるように叩かれて、私は電柱の隙間に向かった。

 通り抜ける際、ふと健斗の方を見やったが、彼は既に事故車両に近付いていた。

 ふう、とため息を付いて電柱の後ろを通り抜けようとすると、グニャリとした感触に身を包まれた。

 何これ?

 慌てて身を引こうとしたが、何かに引っ張られるように私の体は吸い込まれて行った。



 愛莉鈴の姿が電柱の隙間から消えた瞬間、この世界の人々から愛莉鈴の記憶が消えた。
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