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ライラの冒険(1)傷ついた獣人たち

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 せいいっぱいに伸ばしたわたしの手は、あと少しでジーナに届かなかった。
 二人の間の時空が、ずれていく。

 「ライラぁーーっ!」
 「ジーナぁーーっ!」

 おたがいを呼ぶ声が遠ざかり、



 「ああっ!」

 いきなり、わたしの踏みしめていた地面が消えた。
 落ちる!
 支えのなくなった、わたしの身体は落下する!

 (いけない、風の魔法で)

 だが、魔法を発動する間もなく、

  ボフン!
 
 わたしは、いきなり、何か柔らかいものの上に着地した。

 「ピューッ!」

 けたたましい叫びが上がる。

 「ピューッ! ピューッ! ピューッ!」
 「うわっ、うわっ、うわっ!」

 その柔らかいものは叫び声をあげて、跳躍をくりかえす。
 わたしは必死でしがみつく。

 「うわっ、うわっ!」

 振り落とされないように、抱きついているうちに、疲れてきたのか、動きがだんだん大人しくなり、やがて動くのをやめた。

 「ピューッ……」

 それでようやく、わたしは、状況を把握する余裕ができた。

 ここは——
 どことも知れぬ荒野。
 丈の低い草が、ぽつり、ぽつりとまばらに生えている。
 はるか向こうの方には、白い巨岩が、突兀として地面から突き出している。
 見たこともない、柱のような緑色の棒が荒れ地のあちこちに立っていて、たぶんあれはなにかの植物なんだろうと思う。よくみると、その棒からは鋭いとげが無数にはえているようだ。剣呑だ。
 そして、わたしは。

 「ピューッ!」

 これも見たことのない生き物の、背中に乗っかっているのだった。
 今は落ち着いたその生き物が、首をひねってわたしを見る。
 顔だけをみると、馬……いや、シカだなこれは。
 細長い顔、ピンと立った耳、つぶらな二つの目。まつげのあるその目がパチパチとまたたく。

 「ピューッ……?」

 でも、その生き物がシカと似ているのはそれだけ。
 なにしろ、その生き物は、後ろの二本の足で立っている。
 前足は、まるでヒトのように、地面からはなれて、胸の前につきだされているのだった。
 からだ全体は、緑色の柔らかな毛におおわれていた。
 そして、じょうぶそうな太い尻尾がある。
 なにか、干し藁のような匂いがする。

 「ごめんね、びっくりしたよね……」

 わたしがそういうと、

 「ピューッ……」

 おだやかに鳴き、頭をわたしにこすりつけた。
 わたしを怖がらないそのようすに、ひょっとしてこの生き物は人に飼われているのかもしれないと思いついた。

 わたしはまた、時の乱れにまきこまれ、しかもジーナとはぐれてしまった。
 どこともしれぬ時空に、たった一人とばされて。
 本来なら、不安と恐怖におそわれ、どうしようもなくなるところなのだろうが、わたしの中には、なぜか、なるようになるという、不思議な確信があったのだ。
 それは、あのゴッセンの、「あなたたちが、時のかなめの柱」であり「あなたたちの確かなつながりが、乱れる時間に抗するのです」という言葉が、わたしのなかにしっかりと根をはったからかもしれない。
 わたしにはわかる。
 わたしと、ジーナと、ルシア先生と、ユウとの結びつきは、なにがあってもとぎれない。
 たとえわたしたちが、いったんは、ばらばらの時空にいることになったとしても、必ず、わたしたちはいっしょになる。
 それを信じる。
 だから、わたしは恐れない(つもり)。

 さて。
 とりあえず、ここがどこで、いつなのかを知るところからはじめるしかないだろう。
 わたしは、その生き物に話しかけた。

 「ねえ、あたしを、あなたの飼い主のところにつれていってくれないかしら?」

 わたしの言葉が通じたのかどうか、

 「ピューッ!」

 その生き物は一声なくと、猛然と移動を開始したのだ。

 「ひゃっ!」

 わたしは、また、あわててその生き物の首にしがみつく。
 生き物は、その太い二本の後ろ足をそろえると、高く飛び上がった。
 太い尾でバランスをとり、宙を舞う。
 着地すると同時に、その勢いのまま、次の跳躍。
 ぴょんぴょん跳ねるようにして、荒れ地を進んでいく。
 速い。速い。
 しかし、当然ながら、はげしく揺れる。
 わたしは両手で、その生き物の首にかじりついて、振り落とされないように、ひたすら耐える。
 生き物は、かなたにみえる白い巨岩にむかって、荒野を疾走していったのだ。

 「これは……」

 近づいて、わかった。
 地面から、斜めに傾くように突き出しているこの巨岩は、自然の産物ではなかった。
 風化し、あちこち崩れてはいるが、窓のような穴がいくつも規則的に並び、テラスのようなでっぱりがあり、途中で折れてしまった尖塔らしきものもあった。
 たぶんこれは、かつて、ものすごく大きな、建築物だったのだ。
 まるで、王城を連想させるような……。
 それが今や、斜めにかしぎ、半分以上が土に埋もれ、その一部分だけを地上にみせている。
 いったい、この地に何があったのか。
 ただ、何があったにせよ、それはもう、ずいぶん昔のできごとのようだ。
 こんな状態になってから、長い年月が経過していることが、明らかに見てとれる。

 「ピューッ!」

 建物の前で動きを止めた生き物が、一声高く鳴いた。
 そして、膝を折り、身体をかがめて、前足をついた。

 「おろしてくれるのね……ありがとう」

 わたしは、そのものの背中から下りて、毛皮をなでてあげた。
 生き物は、その顔をわたしにこすりつける。
 かわいいやつだ。
 鳴き声に反応したか、傾いた建物の中から、動きがあった。
 槍を構えて、数人の男が現れたのだ。
 みな、獣人である。
 いちように、険しい顔をしている。
 目は血走り、ぎらぎらと光っていた。
 よく見れば、男たちは泥と汗にまみれ、服には血のりがついて、怪我をしているものさえいた。
 まるで、戦いのすぐあとのようだった。
 男たちは、生き物の横に、一人でいるわたしを見て、驚いた顔になった。
 片目に大きな傷のある、いかつい獣人が、無事な方の目でわたしをにらみ、

 「なにものだ? このあたりでは、知らない顔だが」

 厳しい声で誰何すいかしてきた。
 抑揚はすこしちがうが、彼らにも、わたしたちの言葉が通じるようだ。

 「あの……道に迷ってしまって……ここはどこなんでしょうか?」

 そう、わたしがいうと、

 「旅人か……悪いが、今、お前にかまっているヒマはないんだ」

 冷たく返される。

 「立ち去れ」

 そういって、槍でわたしを追い払おうとする。

 「待て」

 と、そこで、別の獣人が口をはさんだ。

 「あんた、その格好は……魔導師か?」

 と、わたしが右手に持つセイレイガシの杖に目をむけながら、聞いてくる。
 わたしがうなずくと、

 「だったら、回復魔法は使えるか?」

 たたみかけるように言葉を継いだ。

 「できます、必要ですか?」

 男は、ほっとしたように表情をゆるめた。

 「頼まれてくれるか? おれに、ついて来てくれ」
 「おい、いいのか? 素性の知れないヤツを……」
 「そんなこと言っている場合じゃないだろう!」

 そういって、片目の男の言葉をさえぎり、わたしを手招きする。

 「さあ、来てくれ」
 「なにかあっても、しらんぞ……」

 いかつい獣人は、まだぶつぶついっている。

 わたしは、獣人たちについて、建物の中に入っていった。
 不思議な建物だ。
 石造りのようだが、石の継ぎ目がない。
 まるで全体が一つの岩から、完成形で切り出されたようだ。
 わたしたちの知らない技術か、とんでもない大魔法か。
 これに近いものと言ったら、たぶん、あの砂漠の古代遺跡だろう。
 ユウなら、これを見れば、なにか由来がわかるのかもしれないが……。
 その建物が、今や、本来の状態より傾いてしまっているため、床も水平ではなくなっている。
 とてもそのままでは歩けないので、そのもともとの床に、あとから木組で通路をつくってあった。
 丸太を切ってならべた上を、わたしたちは、なんども曲がりながら、進んでいく。
 途中、だれとも会わない。
 この巨大な構造物のなかには、それほど多くの獣人はいないのかもしれない。
 やがて、行く手からざわざわとの気配がしてきた。
 これは……。
 わたしは、耳にしたものに、顔をひきしめた。
 物音や、話し声、そして——。
 苦痛に満ちたうめき声や、切れ切れの泣き声、悲痛な叫び。

 「さあ、ここだ、怪我人が大勢いて……頼む!」

 と案内の獣人が言う。
 そこは、ホールのようになった、広い部屋だった。
 天井も高く、そして窓から、いくすじもの光が差し込んでいた。
 その光に照らされて、凄惨な光景が目の前にあった。
 床のあちこちに、寝かされている、傷ついた十数人の獣人たち。
 血まみれの包帯を巻かれ、うめいているものがいる。
 声を出す力もなく、横たわっているものもいる。
 怪我人の家族なのだろうか、傷ついた獣人の横で、なすすべもなく座り込んでいる獣人のこども。
 涙を流している獣人の女性。
 いったい、なにがあったというのか。

 「ジリアナさま!」

 と、わたしを案内してきた獣人が大声をあげた。
 その声に、一段高い場所に横たわっていた、一人の獣人の女性が、そばにかしづいていた獣人女性に両側から支えられて、身体を起こした。
 案内の獣人が、

 「旅の魔導師です、回復魔法を使えると言っています!」
 「それは……ほんとうですか」

 たぶんこの人がジリアナという人なのだろう。
 おそらく、この獣人たちのリーダーなのだ。
 わたしに、その視線を向けてくる。
 意志の強そうな、美しい瞳をもった、獣人女性だ。しかし、彼女自身もひどく傷ついているようで、顔色もわるい。白衣の一部は血に染まり、自力で立てないほどなのだ。

 「はい、わたしは魔導師です。わたしの力が役に立てますか?」
 「……みんなを、あなたの回復魔法で、助けてもらえませんか……みな、ひどい怪我をしていて」

 と、苦しそうな声で言った。涼やかな美しい声だが、話すのもつらそうだ。

 「任せてください、全力でやりますから!」

 わたしが答えると、ジリアナさまは、安堵のためいきをついた。

 「感謝します……では、怪我のひどいものから、順にお願いします」
 「なにをおっしゃるんですか、ジリアナさまから、まず……」

 と、お付きの者が、あわてて言うが

 「いえ、一刻をあらそう者がいるのです、わたしはそのあとで……」

 わたしは微笑んで、言った。

 「だいじょうぶです、みんな、いちどにやれます!」
 「えっ?」

 そして、詠唱を開始する。

 「光と水と火と土と風、すべての精霊の力と叡智が、命の泉を沸き立たせる、治癒の雷! この場に満ちよ!!」

 紅の蜘蛛と蛇の魔導師、渾身の回復魔法である。
 詠唱によって喚起された精霊の力が、怒濤のように広いホールに流れ込み、傷つき消耗した、獣人の生命の渦を沸き立たせる!
 黄金のまばゆい光が部屋を満たし、だれもがそのまぶしさに目を閉じた。
 そしてふたたび目を開けたとき、人びとは、すべての傷が癒やされているのを知った。

 「なっ、なんだこりゃあ?!」

 驚きの声があがる。
 さきほどの、片目の獣人である。

 「おれの、目が見える!」

 もはや彼は、片目ではなくなった。
 この回復魔法、「治癒の雷」は、完全に生命が失われてさえいなければ、どのような傷でも治してしまう。身体欠損でさえ元に戻してしまうのだ。

 「ふうぅ……うまくいったぁ……」

 結果をたしかめて、わたしの意識は遠くなる。
 これだけの人数に、魔力全開で最上級魔法をつかったのだ。
 さすがに、紅の蜘蛛と蛇の魔導師も、これで魔力切れです……
 わたしは気を失い、その場にばったりと倒れ込んだのだ。
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