上 下
27 / 30

#11-①

しおりを挟む
「いやぁよくやった!!」

 帝国皇宮、執務室で皇帝は満面の笑みを浮かべていた。不気味なほど機嫌のいい理由にはアーシェンの大きすぎる功績があった。

「恐れ入ります。すべては帝国騎士憲兵団の迅速な対応のおかげですわ」
「何を言う! 歴戦の軍師もかくやというほどの活躍ではないか!」
「そうだぞ、アーシェン。さすがにあの手紙には心臓が止まるかと思ったがな」

 アーシェンの隣に座すクルート公爵は胸に手を当て、なでおろした。

「あれはヘルゼンを止めるのには苦労したぞ…」

 アーシェンがパルテン王国に行って一ヵ月が経過した日、親書が帝国に届いたという。


『アーシェン公爵令嬢は病に伏している。薬が足りず、看病が満足にできていない状況。支援をお願いしたい』


 それを見るやいなや、私兵を率いてパルテン王国に攻め入らんばかりの勢いだったという。皇帝が身を挺して止めたというのだから驚きである。

「アーシェン嬢の密書がなければ、何か月も寝込むことになりかねんかったわい。歳を考えろ、歳を」
「その折は申し訳なく…。なにはともあれ、アーシェンが無事に帰ってきただけで僥倖だというのに土産もあるとは。さすが私の娘と思いませんか!」
「そうじゃった! そうじゃった! なんでも褒美をとらせよう。何を望む?」

 用意された紅茶を飲み、呼吸を整えてアーシェンは皇帝を見据えた。何を望むか、もう決まっている。

「カミール・パルテン改め、カミール・カイアルト様との婚姻を皇帝陛下の御名のもと、お認めくださいませ。これがわたくしの望みでございます」

 クルート公爵をはじめ、皇帝とその横に控える宰相までもが黙りこくった。まさか一番の功労者であるアーシェンの望みがそんなささやかなものだとは夢にも思わなかったのだ。父親であるクルート公爵の心中はさらに複雑である。

 娘には幸せになってほしいのに、究極なまでにアーシェンの言動はクルート公爵家の発展に基づいているのだ。

 パルテン王国改めエレイナ公国は今、元首がいない状態だ。周辺国の承認をうわべだけでも得るためには正当な継承者を立てる必要があるが、パルテンの王族で存命なのはカミールと第七王妃の息子、キールだけである。第七王妃とキールは動乱の中で行方不明になっており、必然的にカミールを元首として帝国が認める必要があった。

 そのカミールとの婚約を認めて欲しいというのはつまり、エレイナ公国の公妃になると言っているも同然だった。

 そしてそのことにようやく気付いた皇帝と宰相は互いの顔を見合わせた。

「アーシェン嬢よ。公爵家はどうするのだ? 継ぐのであろう?」
「陛下。わたくしには出来のいい義妹がおります。わたくしまでとはいかなくとも優秀です。後継者教育に少し時間はかかるでしょうが、お父様はまだお元気でいらっしゃいます。問題ないかと思うのですがどうでしょうか?」
「うむ…」

 白く長い口髭を撫でながら、皇帝は背もたれに身を任せる。アーシェンの隣に座るクルート公爵はそっと手を握った。

「それでいいのか? アーシェン。お前には苦労をさせてばかりだった。この前のアリエルの成人の夜会でもそうだ。あんなバカ息子と気づかずお前の婚約者にしてしまった。その後処理さえもお前は完璧にやってのけたな。お前が本当にそう望むなら反対する理由もないが…」
「そうするのが最善…と、わたくしは思って

 アーシェンはぐっとクルート公爵の手を握り返す。

 どこか遠い存在だった父親。大好きな母を裏切って婚外子をつくっていたと知った時には父親への情など最低限を残して消えてしまった。子供を駒として考える親がいるのだから親を駒として見る子供がいてもいいだろう。そう考えてアーシェンは自分の立場を確立するために奔走した。

 だというのにどうだ。目の前のクルート公爵はほかの誰でもない、アーシェンの父親然としている。それだけではない。アーシェンを娘としてどんなに案じているのか、言葉だけでなくその態度が明晰に語っていた。

 ふいに目頭が熱くなった。淑女の意地でぐっとこらえる。

「このような場で言うことではないですが…、アリエルとアメリア夫人が公爵邸の敷居を跨いだ時、そして成人の夜会が無事に終わった時、わたくしはここにいるべきでないと思ったのです」
「そんなことはない!」

 アーシェンは静かに首を振る。

「最初はパルテン王国のまま帝国の属国にできぬものかと考えておりました。ですが思ったよりも為政者とその周りが腐っておりました。だからこそ頭のみのすげ替えをおこなったのです。そしてエレイナ公国の領土は、クルート公爵家の領地とするには広すぎます。ほかの貴族たちの反発は火を見るよりも明らかでしょう。と、なれば正当な後継者であるカミール様に公王として就いていただき、その妃としてわたくしが収まれば帝国が後ろ盾でいてくれましょう。そうしてくださいますよね? 陛下」
「ふむ、いくつか条件を付けて許可しよう」
「ありがとうございます。…お父様。この考えは変えません。ですがそうする理由は今話した通りで、何もわたくしの居場所がここにないからではないと、覚えておいてくださいな」
「アーシェン…」
「帰省した時はもてなしてくれないと嫌ですよ?」
「もちろんだ」
「大好きです。お父様」
「ああ。愛してる、わが娘よ」

 ひしと抱き合う親子を前に、皇帝は宰相に耳打ちをした。書類を準備しろ、と。

「さて、アーシェン嬢。その手腕、見せてもらおうかの」
「望むところですわ」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

敵対勢力の私は、悪役令嬢を全力で応援している。

マイネ
恋愛
 最近、第一皇子殿下が婚約者の公爵令嬢を蔑ろにして、男爵令嬢と大変親しい仲だとの噂が流れている。  どうやら第一皇子殿下は、婚約者の公爵令嬢を断罪し、男爵令嬢を断罪した令嬢の公爵家に、養子縁組させた上で、男爵令嬢と婚姻しようとしている様だ。  しかし、断罪される公爵令嬢は事態を静観しておりました。  この状況は、1人のご令嬢にとっては、大変望ましくない状況でした。そんなご令嬢のお話です。

公爵令嬢は愛に生きたい

拓海のり
恋愛
公爵令嬢シビラは王太子エルンストの婚約者であった。しかし学園に男爵家の養女アメリアが編入して来てエルンストの興味はアメリアに移る。 一万字位の短編です。他サイトにも投稿しています。

はじめまして婚約者様  婚約解消はそちらからお願いします

蒼あかり
恋愛
リサには産まれた時からの婚約者タイラーがいる。祖父たちの願いで実現したこの婚約だが、十六になるまで一度も会ったことが無い。出した手紙にも、一度として返事が来たことも無い。それでもリサは手紙を出し続けた。そんな時、タイラーの祖父が亡くなり、この婚約を解消しようと模索するのだが......。 すぐに読める短編です。暇つぶしにどうぞ。 ※恋愛色は強くないですが、カテゴリーがわかりませんでした。ごめんなさい。

婚約者に嫌われた伯爵令嬢は努力を怠らなかった

有川カナデ
恋愛
オリヴィア・ブレイジャー伯爵令嬢は、未来の公爵夫人を夢見て日々努力を重ねていた。その努力の方向が若干捻れていた頃、最愛の婚約者の口から拒絶の言葉を聞く。 何もかもが無駄だったと嘆く彼女の前に現れた、平民のルーカス。彼の助言のもと、彼女は変わる決意をする。 諸々ご都合主義、気軽に読んでください。数話で完結予定です。

私の愛すべきお嬢様の話です。

Ruhuna
恋愛
私はメアリー。シェリル・サマンサ・リース・ブリジット侯爵令嬢であるお嬢様に使える侍女でございます。 これは最近巷を騒がせている婚約破棄事件を侍女の目線からお話しさせて頂いた物語です。 *似たような話があるとは思いますが、関係はありません。 *誤字脱字、あるかと思いますがおおらかなお気持ちでお読み頂けると幸いです。 *ゆるふわ設定です。矛盾は沢山あるかと思います。

理不尽な理由で婚約者から断罪されることを知ったので、ささやかな抵抗をしてみた結果……。

水上
恋愛
バーンズ学園に通う伯爵令嬢である私、マリア・マクベインはある日、とあるトラブルに巻き込まれた。 その際、婚約者である伯爵令息スティーヴ・バークが、理不尽な理由で私のことを断罪するつもりだということを知った。 そこで、ささやかな抵抗をすることにしたのだけれど、その結果……。

【完結】こんな所で言う事!?まぁいいですけどね。私はあなたに気持ちはありませんもの。

まりぃべる
恋愛
私はアイリーン=トゥブァルクと申します。お父様は辺境伯爵を賜っておりますわ。 私には、14歳の時に決められた、婚約者がおりますの。 お相手は、ガブリエル=ドミニク伯爵令息。彼も同じ歳ですわ。 けれど、彼に言われましたの。 「泥臭いお前とはこれ以上一緒に居たくない。婚約破棄だ!俺は、伯爵令息だぞ!ソニア男爵令嬢と結婚する!」 そうですか。男に二言はありませんね? 読んでいただけたら嬉しいです。

二度目の婚約者には、もう何も期待しません!……そう思っていたのに、待っていたのは年下領主からの溺愛でした。

当麻月菜
恋愛
フェルベラ・ウィステリアは12歳の時に親が決めた婚約者ロジャードに相応しい女性になるため、これまで必死に努力を重ねてきた。 しかし婚約者であるロジャードはあっさり妹に心変わりした。 最後に人間性を疑うような捨て台詞を吐かれたフェルベラは、プツンと何かが切れてロジャードを回し蹴りしをかまして、6年という長い婚約期間に終止符を打った。 それから三ヶ月後。島流し扱いでフェルベラは岩山ばかりの僻地ルグ領の領主の元に嫁ぐ。愛人として。 婚約者に心変わりをされ、若い身空で愛人になるなんて不幸だと泣き崩れるかと思いきや、フェルベラの心は穏やかだった。 だって二度目の婚約者には、もう何も期待していないから。全然平気。 これからの人生は好きにさせてもらおう。そう決めてルグ領の領主に出会った瞬間、期待は良い意味で裏切られた。

処理中です...