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#11-①
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「いやぁよくやった!!」
帝国皇宮、執務室で皇帝は満面の笑みを浮かべていた。不気味なほど機嫌のいい理由にはアーシェンの大きすぎる功績があった。
「恐れ入ります。すべては帝国騎士憲兵団の迅速な対応のおかげですわ」
「何を言う! 歴戦の軍師もかくやというほどの活躍ではないか!」
「そうだぞ、アーシェン。さすがにあの手紙には心臓が止まるかと思ったがな」
アーシェンの隣に座すクルート公爵は胸に手を当て、なでおろした。
「あれはヘルゼンを止めるのには苦労したぞ…」
アーシェンがパルテン王国に行って一ヵ月が経過した日、親書が帝国に届いたという。
『アーシェン公爵令嬢は病に伏している。薬が足りず、看病が満足にできていない状況。支援をお願いしたい』
それを見るやいなや、私兵を率いてパルテン王国に攻め入らんばかりの勢いだったという。皇帝が身を挺して止めたというのだから驚きである。
「アーシェン嬢の密書がなければ、何か月も寝込むことになりかねんかったわい。歳を考えろ、歳を」
「その折は申し訳なく…。なにはともあれ、アーシェンが無事に帰ってきただけで僥倖だというのに土産もあるとは。さすが私の娘と思いませんか!」
「そうじゃった! そうじゃった! なんでも褒美をとらせよう。何を望む?」
用意された紅茶を飲み、呼吸を整えてアーシェンは皇帝を見据えた。何を望むか、もう決まっている。
「カミール・パルテン改め、カミール・カイアルト様との婚姻を皇帝陛下の御名のもと、お認めくださいませ。これがわたくしの望みでございます」
クルート公爵をはじめ、皇帝とその横に控える宰相までもが黙りこくった。まさか一番の功労者であるアーシェンの望みがそんなささやかなものだとは夢にも思わなかったのだ。父親であるクルート公爵の心中はさらに複雑である。
娘には幸せになってほしいのに、究極なまでにアーシェンの言動はクルート公爵家の発展に基づいているのだ。
パルテン王国改めエレイナ公国は今、元首がいない状態だ。周辺国の承認をうわべだけでも得るためには正当な継承者を立てる必要があるが、パルテンの王族で存命なのはカミールと第七王妃の息子、キールだけである。第七王妃とキールは動乱の中で行方不明になっており、必然的にカミールを元首として帝国が認める必要があった。
そのカミールとの婚約を認めて欲しいというのはつまり、エレイナ公国の公妃になると言っているも同然だった。
そしてそのことにようやく気付いた皇帝と宰相は互いの顔を見合わせた。
「アーシェン嬢よ。公爵家はどうするのだ? 継ぐのであろう?」
「陛下。わたくしには出来のいい義妹がおります。わたくしまでとはいかなくとも優秀です。後継者教育に少し時間はかかるでしょうが、お父様はまだお元気でいらっしゃいます。問題ないかと思うのですがどうでしょうか?」
「うむ…」
白く長い口髭を撫でながら、皇帝は背もたれに身を任せる。アーシェンの隣に座るクルート公爵はそっと手を握った。
「それでいいのか? アーシェン。お前には苦労をさせてばかりだった。この前のアリエルの成人の夜会でもそうだ。あんなバカ息子と気づかずお前の婚約者にしてしまった。その後処理さえもお前は完璧にやってのけたな。お前が本当にそう望むなら反対する理由もないが…」
「そうするのが最善…と、わたくしは思っておりました」
アーシェンはぐっとクルート公爵の手を握り返す。
どこか遠い存在だった父親。大好きな母を裏切って婚外子をつくっていたと知った時には父親への情など最低限を残して消えてしまった。子供を駒として考える親がいるのだから親を駒として見る子供がいてもいいだろう。そう考えてアーシェンは自分の立場を確立するために奔走した。
だというのにどうだ。目の前のクルート公爵はほかの誰でもない、アーシェンの父親然としている。それだけではない。アーシェンを娘としてどんなに案じているのか、言葉だけでなくその態度が明晰に語っていた。
ふいに目頭が熱くなった。淑女の意地でぐっとこらえる。
「このような場で言うことではないですが…、アリエルとアメリア夫人が公爵邸の敷居を跨いだ時、そして成人の夜会が無事に終わった時、わたくしはここにいるべきでないと思ったのです」
「そんなことはない!」
アーシェンは静かに首を振る。
「最初はパルテン王国のまま帝国の属国にできぬものかと考えておりました。ですが思ったよりも為政者とその周りが腐っておりました。だからこそ頭のみのすげ替えをおこなったのです。そしてエレイナ公国の領土は、クルート公爵家の領地とするには広すぎます。ほかの貴族たちの反発は火を見るよりも明らかでしょう。と、なれば正当な後継者であるカミール様に公王として就いていただき、その妃としてわたくしが収まれば帝国が後ろ盾でいてくれましょう。そうしてくださいますよね? 陛下」
「ふむ、いくつか条件を付けて許可しよう」
「ありがとうございます。…お父様。この考えは変えません。ですがそうする理由は今話した通りで、何もわたくしの居場所がここにないからではないと、覚えておいてくださいな」
「アーシェン…」
「帰省した時はもてなしてくれないと嫌ですよ?」
「もちろんだ」
「大好きです。お父様」
「ああ。愛してる、わが娘よ」
ひしと抱き合う親子を前に、皇帝は宰相に耳打ちをした。書類を準備しろ、と。
「さて、アーシェン嬢。その手腕、見せてもらおうかの」
「望むところですわ」
帝国皇宮、執務室で皇帝は満面の笑みを浮かべていた。不気味なほど機嫌のいい理由にはアーシェンの大きすぎる功績があった。
「恐れ入ります。すべては帝国騎士憲兵団の迅速な対応のおかげですわ」
「何を言う! 歴戦の軍師もかくやというほどの活躍ではないか!」
「そうだぞ、アーシェン。さすがにあの手紙には心臓が止まるかと思ったがな」
アーシェンの隣に座すクルート公爵は胸に手を当て、なでおろした。
「あれはヘルゼンを止めるのには苦労したぞ…」
アーシェンがパルテン王国に行って一ヵ月が経過した日、親書が帝国に届いたという。
『アーシェン公爵令嬢は病に伏している。薬が足りず、看病が満足にできていない状況。支援をお願いしたい』
それを見るやいなや、私兵を率いてパルテン王国に攻め入らんばかりの勢いだったという。皇帝が身を挺して止めたというのだから驚きである。
「アーシェン嬢の密書がなければ、何か月も寝込むことになりかねんかったわい。歳を考えろ、歳を」
「その折は申し訳なく…。なにはともあれ、アーシェンが無事に帰ってきただけで僥倖だというのに土産もあるとは。さすが私の娘と思いませんか!」
「そうじゃった! そうじゃった! なんでも褒美をとらせよう。何を望む?」
用意された紅茶を飲み、呼吸を整えてアーシェンは皇帝を見据えた。何を望むか、もう決まっている。
「カミール・パルテン改め、カミール・カイアルト様との婚姻を皇帝陛下の御名のもと、お認めくださいませ。これがわたくしの望みでございます」
クルート公爵をはじめ、皇帝とその横に控える宰相までもが黙りこくった。まさか一番の功労者であるアーシェンの望みがそんなささやかなものだとは夢にも思わなかったのだ。父親であるクルート公爵の心中はさらに複雑である。
娘には幸せになってほしいのに、究極なまでにアーシェンの言動はクルート公爵家の発展に基づいているのだ。
パルテン王国改めエレイナ公国は今、元首がいない状態だ。周辺国の承認をうわべだけでも得るためには正当な継承者を立てる必要があるが、パルテンの王族で存命なのはカミールと第七王妃の息子、キールだけである。第七王妃とキールは動乱の中で行方不明になっており、必然的にカミールを元首として帝国が認める必要があった。
そのカミールとの婚約を認めて欲しいというのはつまり、エレイナ公国の公妃になると言っているも同然だった。
そしてそのことにようやく気付いた皇帝と宰相は互いの顔を見合わせた。
「アーシェン嬢よ。公爵家はどうするのだ? 継ぐのであろう?」
「陛下。わたくしには出来のいい義妹がおります。わたくしまでとはいかなくとも優秀です。後継者教育に少し時間はかかるでしょうが、お父様はまだお元気でいらっしゃいます。問題ないかと思うのですがどうでしょうか?」
「うむ…」
白く長い口髭を撫でながら、皇帝は背もたれに身を任せる。アーシェンの隣に座るクルート公爵はそっと手を握った。
「それでいいのか? アーシェン。お前には苦労をさせてばかりだった。この前のアリエルの成人の夜会でもそうだ。あんなバカ息子と気づかずお前の婚約者にしてしまった。その後処理さえもお前は完璧にやってのけたな。お前が本当にそう望むなら反対する理由もないが…」
「そうするのが最善…と、わたくしは思っておりました」
アーシェンはぐっとクルート公爵の手を握り返す。
どこか遠い存在だった父親。大好きな母を裏切って婚外子をつくっていたと知った時には父親への情など最低限を残して消えてしまった。子供を駒として考える親がいるのだから親を駒として見る子供がいてもいいだろう。そう考えてアーシェンは自分の立場を確立するために奔走した。
だというのにどうだ。目の前のクルート公爵はほかの誰でもない、アーシェンの父親然としている。それだけではない。アーシェンを娘としてどんなに案じているのか、言葉だけでなくその態度が明晰に語っていた。
ふいに目頭が熱くなった。淑女の意地でぐっとこらえる。
「このような場で言うことではないですが…、アリエルとアメリア夫人が公爵邸の敷居を跨いだ時、そして成人の夜会が無事に終わった時、わたくしはここにいるべきでないと思ったのです」
「そんなことはない!」
アーシェンは静かに首を振る。
「最初はパルテン王国のまま帝国の属国にできぬものかと考えておりました。ですが思ったよりも為政者とその周りが腐っておりました。だからこそ頭のみのすげ替えをおこなったのです。そしてエレイナ公国の領土は、クルート公爵家の領地とするには広すぎます。ほかの貴族たちの反発は火を見るよりも明らかでしょう。と、なれば正当な後継者であるカミール様に公王として就いていただき、その妃としてわたくしが収まれば帝国が後ろ盾でいてくれましょう。そうしてくださいますよね? 陛下」
「ふむ、いくつか条件を付けて許可しよう」
「ありがとうございます。…お父様。この考えは変えません。ですがそうする理由は今話した通りで、何もわたくしの居場所がここにないからではないと、覚えておいてくださいな」
「アーシェン…」
「帰省した時はもてなしてくれないと嫌ですよ?」
「もちろんだ」
「大好きです。お父様」
「ああ。愛してる、わが娘よ」
ひしと抱き合う親子を前に、皇帝は宰相に耳打ちをした。書類を準備しろ、と。
「さて、アーシェン嬢。その手腕、見せてもらおうかの」
「望むところですわ」
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