上 下
15 / 30

#6-②

しおりを挟む
「もうひとつ、言うことがあるのではなくて?」
「言うこと…」
「あら。わたくしの勘違いなのでしょうか。それは寂しいですわ」

 初めて出会ったときのカミールも、酒場で思いかけず顔を合わせたときも、来店するたびにばれるかばれないかの際どいところでからかわれたときも、そのすべてにそもそも心遣いがあった。

 もちろん、どこの馬の骨ともわからない令嬢を探るという意図も少なからずあっただろう。それでも一介の令嬢に過ぎないアーシェンは、公爵令嬢として教育を受けてきたとはいえ市井での生活が確実に安全に過ごすことは困難であるにもかかわらず、これまで危ない目に遭ったことはない。お忍びだからと護衛のひとりもつれていない令嬢、もとい女性がである。

 まだ陽が落ちきっていない夕べは後方10m。陽の半分以上が山の端に隠れて辺りが薄暗くなった宵口は後方8m。護身術も習得済みのアーシェンが気づかないわけがなかった。

「殿下でございましょう。わたくしを陰ながら護衛してくださったのは」
「し、知ってたのか…」
「ふふ、わたくしはただの令嬢ではございませんわ。帝国一の公爵家次期当主です。これくらい造作もないことですの。…さて、そのお心、聞かせて頂いても?」

 カミールは息をのんだ。この世の人であることを疑ってしまうほどに美しい女性にこれを言わなければならないのかと、心臓は時がたつほどにうるさくなっていく。でも、伝えておきたい。伝えなければ、もう機会はないだろう。

カミールの言葉を、穏やかにほほ笑んで待っているアーシェンの手を、そっと、震える手で取り口づけた。

「名実ともに俺の婚約者でいて欲しい。俺は君が好きだ。ずっと君を守ると誓おう。そばにいてくれないか」
「その言葉を待っておりました。嬉しいですわ。わたくしも殿下を好ましく思っておりますもの。…ええ、いますとも。少し早いですが誓いましょう。殿下のそばに置いてくださいな」
「ありがとう…! 三か月なのが恨めしいよ」
「殿下。あと二か月ですわ。時間もあまりありませんし、計画とやら、お聞かせくださいませ」
「ああ、もちろんだ。まずは重臣たちの思惑だが…」

 何年もかけて王宮内外に配置した情報網から得られた信ぴょう性の高い情報を、惜しげもなくカミールはアーシェンに伝える。知りえてはいけない情報も入っているのではと問えば、そんなものがあるはずもないと一蹴された。

「え、これは…」
「ああ。彼らはとことんこの国を潰す気らしい。情勢を読めず、過去にパルテンが何をしでかしたかも正しく把握せず己の欲だけで行動しているとしか思えないほどの愚行だ」
「そうですね…自分たちの首を絞めていることがわからないのでしょうか…」
「この計画でこの国は終わるだろう。そこで君の力を借りたい」
「もしや帝国に属する、と?」
「その通りだ」

 強い決心を滲ませる瞳でカミールは言う。迷いは一寸ともなかった。カミールにとってパルテン国は故郷であると同時に忌まわしい記憶となおも続く危険の巣窟とも言える場所である。国王一家とその周りに集る虫のような貴族が欲望に忠実に動き続けた結果、被害を被るのはいつも平民であった。平民を同じ人間として見ない為政者など、王国には必要ない。

「君にはその先導と、第七妃とキールの安全を保障してもらいたい」
「…わかりました。第七王妃様の方は同意をとらねばなりませんが、お受けいたしましょう。もとより、この国は帝国の一部にすることが今回の目標でしたので」
「なんのうまみもないこの国を?」
「あら、そうでもないですよ? それより大義名分が欲しいところですね。パルテン国を属国にできるほどの」
「それなら向こうが勝手に作ってくれるさ。君も気づいているんだろう? 帝国に対して不遜な態度をとれるパルテン国の後ろ盾がどこか」

 アーシェンの唇はきれいな弧を描いて、その間から真っ白な歯が見えた。「もちろんですわ」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

追放された悪役令嬢はシングルマザー

ララ
恋愛
神様の手違いで死んでしまった主人公。第二の人生を幸せに生きてほしいと言われ転生するも何と転生先は悪役令嬢。 断罪回避に奮闘するも失敗。 国外追放先で国王の子を孕んでいることに気がつく。 この子は私の子よ!守ってみせるわ。 1人、子を育てる決心をする。 そんな彼女を暖かく見守る人たち。彼女を愛するもの。 さまざまな思惑が蠢く中彼女の掴み取る未来はいかに‥‥ ーーーー 完結確約 9話完結です。 短編のくくりですが10000字ちょっとで少し短いです。

貧乏男爵家の末っ子が眠り姫になるまでとその後

空月
恋愛
貧乏男爵家の末っ子・アルティアの婚約者は、何故か公爵家嫡男で非の打ち所のない男・キースである。 魔術学院の二年生に進学して少し経った頃、「君と俺とでは釣り合わないと思わないか」と言われる。 そのときは曖昧な笑みで流したアルティアだったが、その数日後、倒れて眠ったままの状態になってしまう。 すると、キースの態度が豹変して……?

『絶対に許さないわ』 嵌められた公爵令嬢は自らの力を使って陰湿に復讐を遂げる

黒木  鳴
ファンタジー
タイトルそのまんまです。殿下の婚約者だった公爵令嬢がありがち展開で冤罪での断罪を受けたところからお話しスタート。将来王族の一員となる者として清く正しく生きてきたのに悪役令嬢呼ばわりされ、復讐を決意して行動した結果悲劇の令嬢扱いされるお話し。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

非常識な男にざまぁみろってお話

下菊みこと
恋愛
主人公の男がドクズです、ご注意下さい。ざまぁというか因果応報です。一応主人公以外は落ち着くところに落ち着いて、穏やかな人生に戻っていきますので主人公以外はハッピーエンドのはずです。 主人公は、幼馴染が初恋の相手だった。ある時妻が我が子を出産する時期と、幼馴染の病気が重なった。主人公は初恋の幼馴染を看取ることを選んだ。 小説家になろう様でも投稿しています。

【短編完結】婚約破棄なら私の呪いを解いてからにしてください

未知香
恋愛
婚約破棄を告げられたミレーナは、冷静にそれを受け入れた。 「ただ、正式な婚約破棄は呪いを解いてからにしてもらえますか」 婚約破棄から始まる自由と新たな恋の予感を手に入れる話。 全4話で短いお話です!

お姉様は嘘つきです! ~信じてくれない毒親に期待するのをやめて、私は新しい場所で生きていく! と思ったら、黒の王太子様がお呼びです?

朱音ゆうひ
恋愛
男爵家の令嬢アリシアは、姉ルーミアに「悪魔憑き」のレッテルをはられて家を追い出されようとしていた。 何を言っても信じてくれない毒親には、もう期待しない。私は家族のいない新しい場所で生きていく!   と思ったら、黒の王太子様からの招待状が届いたのだけど? 別サイトにも投稿してます(https://ncode.syosetu.com/n0606ip/)

処理中です...