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#3-②

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 馬車だけは一級品だった。装飾は最低限ながらも品が感じられ、御者も申し分なく、大きな揺れはない。道中盗賊でも襲ってきてはくれないかと、そんなことを考えるまでにアーシェンは退屈を極めていた。 

「期待を裏切られた気分だわ。さすがに侮りすぎていたようね」
「お嬢様…安全に越したことはないでしょう。俺は愛刀が血に濡れるのはあまり好きではありません」
「そうだったわね。…それにしても何もなさすぎるわ」

 そういえば、とシュートはそっとアーシェンの隣に腰を下ろす。そして覗き込むようにして婚約者のことについて聞いた。

「第二王子のことはご存じなんでしょう? なぜ、この婚約を受けたのですか? そもそも皇女に来た話ではないですか」
「利益があるからに決まってるわ。大陸のどこを探してもわたくしほど欲深い令嬢はいないでしょうね。おそらく帝国の重鎮たちにはわたくしが宝石欲しさのために嫁ぐ利己主義な人間に見えていることでしょう」
「まさか。情勢を正しく読める臣下なら、お嬢様がやってらっしゃることにどんな目的があるのかも正しく読んでいるはずです」
「あら、シュートも含めて?」
「もちろんです。ですがそれでも、なぜこのような手を取られたのか…。まるで捨て身ではありませんか」
「そんなことはないわ。わたくし、一度でいいから旅行したかったの。いい機会じゃない?」

 にっこりと笑ったアーシェンは静かに息をついて目を閉じる。カタカタと心地よい揺れの中、シュートの肩に頭を預けていつの間にかすうすうと寝息を立てていた。

 三つの夜を超えて、安全路を悠々と通ってきた一行は、ようやくパルテン王国の辺境の街を横切り、その日の夕方に王都に到着した。朱赤のレンガの家が並び、街路も同じテイストで統一感のある街並みが大きく一本に伸びている。その果てには大きな噴水が水しぶきを上げ、どうやらそこから王都の端までそれぞれに道が引かれているようだった。さすがに農産物と鉱産物の国だ。運搬における効率を最優先させたのだろう。

 入国は内密にしてくれと、パルテン王国の要求をのむ際に条件とした。馬車も豪華すぎず、護衛の数もさしずめ下級貴族家の馬車を思わせる数だろう。家紋のない、お忍びのものではあるが、そのおかげで市場のにぎやかな雰囲気が耳に入ってきた。

 朝どれの野菜を買う夫人の声、なんとか値切ろうとしている男、それを頑として譲らない商人、「最近の景気は、」などと世間話に花を咲かせている若者。厚顔無恥な要望を送ってくる王族の治める国だとは到底思えないほどだ。水面下でトレードされる情報や、先の文書よりも先にこの風景を見ていたならば、きっとこの国は発展している素晴らしい国だと一度は思えたはずだ。だが、そうもいかない。

 アーシェンは分厚いファイルを開き、ここ数年のパルテン王国を指で追いかける。何度も読んだせいで、少しだけ紙がよれてしまっていた。

「こんなところでまで読まなくても…」

 シュートはそう言うけれど、心配性のアーシェンは気にも留めず目を走らせた。数十年前の、今のパルテン王から数えて二代前の国王の世までは何もかもがうまくいっていた。交易は盛んにおこなわれ、その資源も潤沢。パルテン王国の一部の地域でしか取れない鉱物、カーン鉱石と特産物のケルア地域の織物を武器に世界を相手に強気な外交を繰り広げていた。

 しかし、次の国王の代になってカーン鉱石の埋蔵量が研究者によって明らかにされ、残り数十年のうちに枯渇するという情報が出回り、市場には激震が走った。カーン鉱石で作られた装飾品はたちまち高騰に高騰を重ね、今ではほとんど出回っていない。前国王はその対策を大臣たちと知恵を絞ったらしいが出てこなかった。それに追い打ちをかけるように特産物の織物を作れる人がいなくなったと報告が上がる。何も消滅したのではない。特産物にまでなれるほどの織物ということはそれなりに職人はいた。その全員がさきの戦争で戦死したのだ。

『な、なんだと? 誠か?!』

 録画宝石が映し出す動画を見る。会ったこともないパルテン王国の前国王がそこにはいた。せっかくだからと皇帝が譲ってくれたのだ。

『はい…! 此度の戦争、彼らに兵役は課しませんでした。ですのでそのためではございません。…ケルア地域が、陥落しました。ただいま占領地になっていると早馬が来ております』

『帝国め…姑息な真似をっ!』

 国王は憤慨し、大臣たちにこう呼びかける。

『帝国民は血も涙もない冷血非道な奴らだ。特に女は信用ならない!』

 その通りです、まったくもって。その言葉を聞いていた大臣たちは各々肯定を口にする。

 女が信用ならないというのは確か五番目の妃のことだったかしら、とアーシェンは額を掻く。五番目の妃、マリアンヌは帝国から和平の為に嫁いだ末の皇女だった。帝国とパルテン王国の国境をマリアンヌとその想い人である傭兵は戦いながら超え、ついに帝国の辺境伯の領地に足を踏み入れた。五番目の妃がいなくなったと報告が上がった、たった二日後のことだった。

 追手はなかったのか。いや、当然あった。王国騎士団末端の三人の騎士が彼女らを追っていた。しかし、騎士団が名誉を重視すれば傭兵団は実力を重視する集団だ。戦争ともなれば真っ先に戦線に派遣される傭兵に、騎士団の末端ごときが敵うわけもなかった。一太刀でさえ入れることが出来なかったと、アーシェンは伝え聞いている。

 問題はそのあとだった。

 ヒヒーンと馬が声をあげ、馬車が止まる。文字をなぞっていた指を止め、ファイルをトランクの中に仕舞った。御者は城の門兵に到着を伝える。

やがて跳ね橋が降りて馬車は王宮に入る。しばらくして再び馬車は止まり、シュートが先に降りて様子を見に行った。馬車の扉が開かれると、黄昏の冷たい風が頬を撫でる。深呼吸をそっとして見れば、先に降りたシュートが手を差し伸べていた。はて、とアーシェンは思う。

 婚約者はどこにいる?
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