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大食堂フロア

それぞれの最後の晩餐

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「うむ。
 これこそ、最後の晩餐に相応しいな」

 あげはがチョコのたっぷりかかったパフェを持っていくと、しみじみ食べながら、青年将校はそう言った。

 ……晩餐って、パフェですけど。

「人生最後の晩餐にはなにを選ぶかと問われるたび、つゆだくの牛丼に生卵と答えていたんだが。
 こういうのもいいな」

 ……それは早かったり安かったり、美味かったりするようなチェーン店の牛丼ですかね?

 あなた、やっばり現代まで生きてらっしゃいましたよね、とあげはは思う。

「いや、美味かった。
 普段、このような物は食べないのだが、一度食べてみたかったのだ」

 ただ厳しいだけに見えた瞳をあげはに向け、彼は言う。

「満足した。
 生まれ変わったら、また来よう、この百貨店に。

 そして、お前に会いに――」
と熱い瞳であげはを見つめてくる。

 あるのだろうか、そのとき、この百貨店が……。

 あと生まれ変わって生者になったら、なかなか来られない気がするんだが。

 ――生者がここに迷い込むのは、なにかしらの迷いが生じたとき。

 できれば、ここに来ることのない人生を送って欲しいな、とあげはは願う。

「……でももし、生まれ変わって、なにかで道に迷ったら。
 この百貨店のことはを思い出して、覗いてみてくださいね」

 そのとき、ここはどうなっているのだろう。

 自分たちやエンはまだ働いているのか。

 ちゃんと完成しているのか。

 今はまだ、わからないが、あの老婦人たちが思い描いていたような。

 訪れた人たちが、ただ来るだけでワクワクするような場所になっているといいなと思う。

「ありがとう。
 私はこれから可愛い赤子になるが、何処かで会ったら声をかけてくれ」

 会ってわかるといいんだが……。

 もしや、このまま目の据わった赤ちゃんになるとかっ?

 それは、ママ、怖いな、と思いながら、あげはは、はは……と笑う。

「そ、そうですね。
 では、またいつか何処かで――」

 ご利用ありがとうございました、と頭を下げると、将校は初めて、ちょっとだけ微笑んだ。

 その笑顔に、どきりとする間もなく、彼は消えてしまった。

「さすが、決断早いな」

 さっきまで、将校の顔があった空間を眺め、あげはは呟く。

 お客様が帰ってしまうのを寂しいと感じてしまうのは、満足して去ってしまったら、二度と訪れないだろうお客様ばかりだからだろうか。

 彼がいた場所には、テーブルと椅子とカラになったグラスだけが残っていた。

 こうして、テーブルが増えていって、いつか大食堂になるのだろうかな――。

 そんなことを考えながら、あげはがグラスを下げようとしたとき、

「うーん。
 いいね、クリームソーダ」
という声が後ろからした。

 振り向くと、ループタイのおじいさんがニコニコしながら言ってくる。

「久しぶりに飲んだよ、クリームソーダ。
 甘さが疲れた身体にしみ渡るようだ。

 いや、身体はもうないんだけどね」

 はは、と笑ったあとで、
「なにより、この色合いがいいよね」
と言う。

「そうですよね」
とあげはも微笑んだ。

 クリームソーダはやはり、味がどうとか言うより、見た目の可愛らしさが重要な気がする。

 ちょっところんとしたグラス。

 透けるような緑色のソーダに真っ白なアイス。

 真っ赤なさくらんぼと、ぽこぽこソーダに浮かび上がってくる泡。

 絶妙のコントラストだ。

 最初に考えた人、すごいな、と思っていた。

 結局、クリームソーダは佃に聞いて、エンが作った。

 クリームソーダ、かき氷のシロップでも作れるとは知らなかったな……と思ったとき、

「うん、美味しかった」
とおじいさんは丁寧に手を合わせ、立ち上がる。

 あげはたちに向かい、ホッとするような笑顔を向けてくれて嬉しかったが。

 これで空のテーブルが増えるのかと思うと、寂しくもある。

 しんみりしながら、みんなで見送ろうとしたとき、素敵な笑顔でおじいさんは言った。

「ありがとう。
 また来るよ」

 えっ?

 またっ?

 ご満足いただけなかったですか?

 成仏しないんですかっ?
と思ったが、そうではないようだった。

「もうちょっと百貨店、楽しみたいから、また来るよ」

「あ、ありがとうございますっ」

 あげはたちは笑顔で頭を下げた。

「またのご来店、お待ちしております」



 一方、源氏物語はまだ、しみじみとお子様ランチを食べていた。

 あと、一、二時間は味わいながら食べていそうだ。

 それを見ながら奪が後ろで歯痒そうに言っていた。

「くそっ。
 俺に名案が浮かんだのに、何故にお子様ランチッ」

「課長、あの方になにをお出しするつもりだったんですか?」

「……くっ。
 お前には教えんっ」

 あっ、八つ当たりやめてくださいっ、と食器の載ったトレーを手に、あげはは戻っていく奪のあとを追いかけた。



 さっきまでの騒々しさのなくなった百貨店。

 香水売り場にエンはいた。

 ひとつの香水を手に眺めている。

「それは、ヘリオトロープじゃないんですね」

 手作りのような不思議な厚みだが、味のある瓶。

 外国の香水のようだった。

「うちのばあさんが好きな香りだ」
「おばあさまの?」

「思い出したよ」

 コト、と瓶を棚に置きながら、エンは言う。

「あの紅茶。
 ばあさんに呼び出されて、ばあさんお気に入りの老舗ホテルに行ったとき、飲まされたやつだ。

 高校受験に失敗して。

 我が一族の恥だと記憶が飛ぶほど怒られた」

 なんなんだ、あのババア、とエンは、まるであげはが彼の祖母であるかのように睨みつけてくる。

「美味しいと思って飲んでた紅茶の味も途中からしなくなった。

 普段は俺の存在なんか気にもしてないくせに。

 ばあさんにゴマする孫たちはたくさんいるからな。

 それなのに、俺が失敗するやいなや、わざわざ呼びつけて怒るとかどうなんだっ」

 腹立ったんで、そのあとはがむしゃらに頑張った、とエンは言う。

「でもまあ、そのときのおばあさまの言葉があるから、今、ここにエンさんいらっしゃるわけですよね?

 エンさんを心配するおばあさまの思いが、あなたをこの百貨店に運んだんですよ」

「……いいようにまとめようとするなよ。

 つまりは、そのときのばあさんの言葉のおかげで、俺は勤める予定だった百貨店を間違え、霊か人生に迷ったやつばかりが訪れる謎の百貨店で働くことになったわけだろ」

 それはいいことなのか、とエンはその綺麗な顔を近づけ、脅すように言ってくる。

 ちょっと身を引きながら、あげはは言った。

「いや~、いいことなのかはわからないですけど。
 少なくとも、今のエンさん、楽しそうに見えますよ。

 あまり笑わないし、文句も多いけど」
と言って、

「……それはほんとうに楽しそうなのか?」
とかえって疑問を持たれてしまう。

 だが、エンはなにかの呪いでここに縛り付けられているわけではない。

 ここの管理者に頼まれたとは言っても、ここで働くことを選んだのはエン自身だ。

 彼こそが、たった一度だけ見た、開店しなかった百貨店の幻に心を奪われ――

 それを現実のものとしたいのだ。

「でも、おばあさまのお好きな香水まで、ここに出現してるではないですか。
 エンさんがおばあさまのことを大事に思っている証拠ですよ」

「……まあ、いい思い出もなくはないが。
 進んで会いたくはないな。

 ここに来たときは、俺の紅茶をまずいと吐き捨てて帰っていったし……」

 やはり、いい話とかないな。

 ロクな記憶がない、とエンは言う。

「見てろよ。
 いつか、あのババアをぎゃふんと言わせる紅茶を淹れてやるっ」

 匂わないし、味もしないんだが――
と言うエンに前途多難そうだな、と思ったとき、こちらを振り返り、エンが言った。

「逃げるなよ」

「えっ?」

「これで終わりじゃないからな。

 付き合えよ、この先も――」

 ……はい、と頷き、あげはは笑う。

「俺も付き合う」

 いつの間にか、課長がエスカレーターの方からやってきていた。

「俺の考えたメニューを出せる客が来る、その日までっ」

 源氏物語の人は、まだまだゆっくり食べているようだった。

「俺のメニューを頼みそうな、それっぽい客が来たら呼べっ」

 ……なんだそれっぽい客って、とあげはは苦笑いする。



「遅くなったな。
 早く帰って寝ろよ」

 明日の仕事に響くとか許さないからな、と帰る道々、奪が言う。

 月はもう高く昇っている。

 表通りからは車が走る音が聞こえるが、中通りはもう、人気がなく、たまに猫が横切るくらいだった。

「大変だけど、楽しいですね、百貨店の仕事」

 ふーん、と言った奪だったが、ぴたりと足を止める。

「帰り、コンビニにでも寄ってくか」

「あ、なにか買います?」

 おでんとか? と欲望のままに言ったが、奪は、

「メモ帳を買ってやろう」
と言う。

「え?」

「さっき見てたお前のメモ帳、百貨店のことだけでいっぱいだったな。

 ……本来の仕事はどうした?」

「い、いや~、あんまりすることないんで。
 あ~、いやいや」

 失言を誤魔化す言葉も聞かず、奪は一人、さっさと歩き出す。

「新しいの買ってやるから、ちゃんと仕事のことも書け」

 奪は、あげはが百貨店の仕事の方が楽しくて、会社を辞めてしまうかも、とちょっと心配していたのだが、それはあげはには伝わらなかった。

 振り向きもせず、奪は言う。

「俺の当面の目標は、このマヌケな部下を社会人として、ちゃんと使えるよう、鍛えることだな」

「変なスイッチ入らないでくださいよ~」

 怖いな~、もう、と言いながらも、あげはは大股に歩き出した奪に合わせ、小走りに走り出す。

 大通りに出る前、ふと、振り返ってみた。

 廃墟な建物の一角だけ、灯りがともっている。

 喫茶室はまだ営業中のようだった。

 エンはひとり紅茶を淹れながら、いつ来るとも知れない客と――

 もしかしたら、彼の祖母を待っているのかもしれない。

 あげはの脳裏にも、エンが見たという、楽しげにみんなが働く百貨店の幻が見えた。

「明日もまた人増えてますかね~? 大食堂」

「さあな。
 あいつはまだ食ってそうだけどな」
と源氏物語な人のことを言う。

「……武則天のケーキ注文してくれないかな」

 ぼそりともらした奪の言葉に、

「なんですか、それ」
と食いつきながら、ついて行く――。



 本日ノゴ利用 アリガトウ ゴザイマシタ。

 マタノ オ越シヲ オ待シテオリ〼 。




                                        完

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みんなの感想(2件)

坂本 光陽
2024.01.20 坂本 光陽

百貨店という舞台設定がユニークですし、とても面白いですね。楽しく読ませてもらっています。

菱沼あゆ
2024.01.20 菱沼あゆ

坂本 光陽さん、
ありがとうございます(⌒▽⌒)
嬉しいです。

これからも頑張りますね~。

解除
橘花やよい
2024.01.06 橘花やよい

縁エンって面白い名前ですね。物凄くいいご縁を結んでくれそうな名前です。不思議な百貨店の雰囲気もいい感じで、引き込まれます!

菱沼あゆ
2024.01.06 菱沼あゆ

橘花やよいさん、
ありがとうございますっ(⌒▽⌒)

ちょっとくどい名前ですけどね(^^;

ありがとうございます~(^^)

解除

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