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第三章 のっぺらぼう
宴のあとで――
しおりを挟む私は知っていた。
自分の未来を知っていた。
私は――
いつか明野を殺すと知っていた。
「ありがとうございました、若旦那」
引手茶屋から引き上げ、扇花屋に帰ったところで、咲夜は深々と頭を下げた。
いやいや、と周五郎は手を振る。
「まともな方法で吉原に来たの、初めてだから緊張したよ」
そう彼は笑っていた。
ついて歩いてくれた桂もほっとしたように微笑んでいる。
愉楽が目を剥いてこちらを見ていたのが、彼女にはツボだったらしい。
いつまでも繰り返し言い、笑っていた。
「明野」
はい、と振り向いた咲夜は左衛門の姿を見る。
よくやった、という表情をしている彼に言った。
「このためだったんですよね」
うん? と左衛門は笑ったまま訊き返してきた。
「このために私をずっと隠していたんですよね」
冷酷な楼主は何も言わずに微笑んでいる。
明野が殺されたあと、程よく彼女を頼って私が現れた。
でも、私はまだ子どもだったから、大人になるまで隠していたのだ。
明野の身代わりをしてもおかしくない歳になるまで。
そう。
見世の稼ぎ頭である桧山の不名誉な噂を打ち消すために、私は今まで此処に閉じ込められていたのだ――。
再び、二階で催された宴会の席には、若旦那が那津たちも呼んでくれていた。
気心の知れた人間しか此処には居ない。
「あーあ、顔晒しちゃったから、もう外を歩けないかも」
そんなことを言った咲夜に、那津と隆次が揃って言う。
「大丈夫だ」
「……なんでよ」
すぐにわかる、と隆次は言った。
誰もが酒宴に興じる中、真っ先に騒ぎそうな小平が今日は静かだった。
咲夜は自分が、はばかりに立ったとき、すっと小平が立ち上がるのを見た。
廊下に出ると、側に来ようとしたので早足で角まで行く。
慌てて追いかけてきた小平を袖で顔を隠して振り返り、言った。
「こんな顔かい?」
小平が立ち止まる。
「どんぶり洗ってたのは、きっと私ですよ」
もう怖くない、と言うように彼に告げると、小平は、ふっと笑ってみせた。
「あんたの姉さんだったんだってな」
小平があの場に居たことは、もう聞いていた。
「……私の姉さんは、桧山姉さんだけです」
何かを謝ろうとした小平の言葉を遮るように、そう言うと、小平は言った。
「あんた、吉原の遊女にはなれないな」
「なんでですか?」
「その言葉遣いだよ」
「これから覚えますよ。
……って、遊女になりたいわけじゃないんですけど」
だが、障子を開けて現れた周五郎を見て、咲夜は呟く。
「もうなってるか」
と。
左衛門の策は功を奏し、自分が周五郎に囲われている理由もなくなった。
これからどうなるのだろうな、と咲夜は、ちょっと不安に思う。
周五郎を見つめていると、彼は側に来て言う。
「帰るよ」
「えっ」
「たまには早く帰らないと、お福がうるさいからね」
お福というのが、彼の女房のようだった。
そんなことを言ってくれるのは初めてだった。
いつも、いいよいいよと言ってくれるばかりで。
愚痴を言われて、初めて少し、彼に近づいた気がした。
「今までありがとうございました」
と咲夜が頭を下げると、
「今まで?」
と彼は笑ってみせる。
「大丈夫だよ。
ずっとお前を買い続けるよ。
お金が続く限りはね」
「でも――」
「左衛門の考えとは別に、私は私の道楽でお前を買っていたんだから」
また来る、と周五郎は肩を叩いてきた。
「また碁の相手をしてもらうから、腕を上げて待っておいで」
はいっ、と咲夜は答えた。
「こてんぱんにしますから、待っていてくださいっ」
「いや、そうじゃねえだろ……」
どんな花魁だ、と小平が突っ込み、周五郎も笑う。
帰っていく彼を見送る準備をしながら、
「よかった」
と咲夜は呟いたが、まだ側に居た小平が、何故か、
「わかってねえなあ」
と呟いていた。
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