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第三章 のっぺらぼう
桧山の秘密
しおりを挟む「また面倒くさいことを言うだんすねえ」
と桧山は眉をひそめる。
「此処に覗き女が現れようが。
生きた女だろうが。
那津様には関係ないだんしょうに」
「……すまない」
そう言ったとき、突然、桧山が那津の膝に手を置いた。
「那津様」
なんなんだ。
「そういえば、那津様はもう三度は此処に来てらっしゃるだんすね」
初めて吉原を訪れたときには、花魁は客につれなくし。
二度目で少し気心が知れた感じになり、三度目で肌を許す……という伝説がある。
本当にそうなわけではないと、いつもの煮売り酒屋の男たちが言っていたが。
「三度来ても関係ないだろうが。
俺がお前のところに来るのに、金を払ったのは、一度だけだ」
那津の膝に手を触れたまま、桧山は笑う。
「そうだんすね。
私が幽霊花魁を退治しろと雇ってるだんすから。
むしろ、私が貴方を囲ってるようなものだんすね」
そんないつもと違う様子の桧山を見ていて、ふと思った。
「……あんたにも好きな男とか居るのか」
言ったあとで、遊女にそんなことを訊くのは無神経だったな、と思ったとき、桧山がいきなり口づけてきた。
間近に顔を見上げ、
「居ると言ったら……?」
と囁いてくる。
俺にもどうにもしてやれないが、それは不幸なことだと那津は思った。
「離……」
離してくれと言うのをやめる。
桧山が何故、そんなことをしたかわかったからだ。
開きかけた障子が閉まったようだった。
そのまま、ぎしりぎしりと音を立て、誰かが遠ざかっていった。
すぐに自分から離れた桧山の視線は、人影の消えた障子を見つめていた。
「……わかったよ」
那津もその影を見ながら小さく言った。
「なんであんたが咲夜を消したいのか」
「消さなくてもいいだんす」
そう言い、桧山は立ち上がる。
先程までの情熱的な様子は何処へやら、冷ややかに那津を見下ろして言う。
「那津様が、咲夜を身請けしてくださったのでもいいだんすよ」
「無理だ」
何処にそんな金があるんだ、と思う那津に、ふっと笑って、桧山は言った。
「そうだんすね。
周五郎様が張り合って値を釣り上げてくるだんしょうからね。
人のいい周五郎様。
最初は私たちに協力してくれ、咲夜が現れてからは、あの子を哀れに思って買ってくれてただけだったんだんすけどね……」
桧山は覗き女も男の影もない障子を見ながら呟くように言う。
「本当の吉原一の花魁は、咲夜だんすよ。
身体を使うことなく、周五郎様を虜にした。
遊女の鑑だんすよ。
明野は言っていましただんす。
此処に来た自分が惨めではなかったと証明するために、吉原一の遊女になろうとしているのだと。
だけど、結局、そうなったのは、咲夜の方だっただんすね」
驚いていた。
明野がそんな打ち明け話を桧山にしていたことに。
霊になった状態でもわかる。
咲夜とは真逆な明野の気性。
勝ち気で負けず嫌いな明野はおそらく他人に弱みを見せることを嫌っていただろうに。
同じ道を競うものとして、それなりに、桧山には心を開いていたということなのか。
「咲夜が此処を出て行かないのなら、誰かが私を此処から連れ出してくれてもいいだんす」
那津様、と桧山はまるで惚れた男を見るように、目を細めて自分を見、胸に触れてくる。
だが、どんなに桧山が表情を取り繕おうと、彼女が自分をなんとも思っていないことくらい、先程、自分を見下ろしていた瞳でわかっていた。
桧山は手を離し、ふっと笑う。
「ほら、そうやって私の技にも引っかからないから。
貴方なら、尊敬してついていけそうだと思っただんす」
ねえ、那津様、と突き放した口調で媚びる様子もないのに、先程よりも気を許しているように見える顔をして、桧山は言った。
「私には未来が見えるだんすよ。
こうして暮らしていると、なんとなく先のことがわかるんだんす。
それは経験から推測して、先が読めているだけのことかもしれないだんすけどね」
だから―― と桧山は言った。
「私は知っていただんす。
私が明野を殺してしまうことを――」
そう桧山は白状した。
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