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とんだ不運のはじまりです ~ペペロミア・ジェイド~

じゃあ、彼女にします

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 三日後、葉名は秘書室長の印鑑をもらいに、社長室のあるフロアに上がっていた。

 此処、緊張するんだよなー、と思いながら、社長室とつながる秘書室のドアをノックする。

「失礼します」
と入ると、定年間際の秘書室長、浅田と秘書の三浦涼子みうら りょうこがこちらを見た。

 涼子は、ぱっと見、しとやかな美人、と言った風情の先輩なのだが。

 学生時代は、バスケで特待生だったという、実は体育会系の人だ。

「ナイス、桐島っ」
 声を抑えて涼子が叫んだ。

 は? なにがナイス? と思う葉名に、涼子は、
「お茶っ、社長室。
 会長っ。

 お茶っ」
とキーボードを叩きながら、単語でしゃべってくる。

 なんだかわからないが、相当急いでいるようだ。

 涼子はノートパソコンを打ちながら、プリンターからなにかを刷り出し、それを恐れ多くも浅田室長が自らステープラーで止めている。

 大きめの文字で刷り出されたそれを見た葉名は、ははあ、会長用の資料だな、と気がついた。

「いきなり来て、すぐなのよっ」
と涼子はパソコンの画面を見たまま、言ってくる。

 どうやら、いきなり来た会長が、此処へ来るなり、なにかの資料を出せ、と言ってきたらしい。

 昔気質むかしかたぎな人なので、データで渡すので、見てください、という訳にもいかないようだ。

 今、秘書に他の人は居ないし、涼子は手が離せない。

 浅田室長にお茶を出させるわけにもいかないので、葉名にお茶出しを頼もうとしたようだ。

「あんた、いつも、スーツ。
 ラッキー」
と忙しい涼子は、またも単語でしゃべる。

 そして、そのまま、もう口は聞かずに、お茶セットがある窓際の棚を一瞬、指差してきた。

 たまに秘書の手伝いをするので、だいたいの勝手はわかっている。

「了解です」
と言って、葉名はお茶を淹れ始めた。

 総務とは言っても、ブラウスにスカートくらいの軽装の人も居るが、新入社員の葉名は何処まで着崩していいのか、判断がつかないので、入社するとき買った五着のスーツを着回していた。

 そんないつもスーツ姿の葉名が来たので、会長の前にも出せる、ラッキー、と涼子は言いたいようだった。

 お盆を手に社長室の重厚なドアを叩こうとすると、プリンターから落ちた印刷物を拾いながら、涼子が、

「桐島、転ばないでよっ」
と幼児に言うようなことを言ってくる。

 浅田も慣れない作業の手を止め、振り返ると、
「なにかしでかしたら、自分でどうにかしようとせずに、すぐに言ってくるんですよ」
と言ってきた。

 ……ありがたいけど、むちゃくちゃ信用ないですね、私、と思いながら、葉名は、ドアをノックする。

「入れ」
と悪王子、じゅんの声がして、どきりとした。

 そうか。
 社長も居るよな、当たり前だけど、と思いながら、失礼します、と頭を下げて葉名は入る。

 広い社長室に入ると、辛子色の羽織姿の会長が上座のソファに座り、目を閉じていた。

 その前に座る准も難しい顔をしている。

 なんだろうな。

 なにか困った案件でも? と思いながら、壁際にある細長いテーブルにお盆を置く。

 だが、お茶をお出ししようとして、気がついた。

 准たちが居るガラスのローテーブルの上は物がいっぱいで、お茶を置く場所がない。

 困ったな。

 此処には置けないな。

 ……濡らすとまずいだろうし、広げてあるの、写真だしな。

 何故かテーブルの上には女性の写真がたくさん並んでいた。

 見合い写真風の物もあるし、普通のスナップもある。

「早く選べ、准」

 まるで、神経衰弱で、どれをめくるか迷っている子どもに言うかのごとく、会長は言う。

 いや、しかし―― と准は渋い顔をして言う。

「誰でもいいんだ、結婚しろ。
 この中のお嬢さんたちなら、間違いはない」

 他人が見て、間違いのない相手だと思う相手は、往々にして間違いなような気がするが、と思いながらも、葉名は黙って、准を見ていた。

 写真を眺めている准が顔を上げたら、お茶をどうするか、指示を仰ごう、と思ったのだ。

 そのとき、ふっと顔を上げた准が、こちらを見た。

 なんだ、お前か、という顔をする。

 はい、お前です、と思いながら、
「社長、お茶を――」
と葉名が言いかけたとき、准が言った。

「誰でもいいんですよね?」

 会長に確認するように准は、そう訊く。

「ああ、此処に居るお嬢さんたちなら誰でもな。

 この間も言われたんだ。
 お前は放っておいたら、結婚しそうにないと。

 血脈の続いていくような人間でなければ、のちのち揉めるから。

 私の跡を継ぐ者は、ちゃんと結婚――」

「じゃあ、彼女にします」
と悪王子は会長の話が終わらないうちに、葉名の腕をつかみ、言ってきた。



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