憑代の柩

菱沼あゆ

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顔の女

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 一人ならいい、と言われたので、

 一人でいいですよ、と私は返した。



「ご存知でしょうが、私は頭がいいので、一人でやっていけます」

 どんな思い上がった台詞だと自分で思ったが、それが一番、彼らにとって、わかりやすい言葉だと知っていた。

 最後に両親に作ってもらった着物を着てきていた。

 両手をつき、深く頭を下げる。

「よろしくお願いします」

 叔父は頭を下げ返して来た。

「……すまん」

 思えば、あのときから既に、叔父の会社の状態は思わしくなかったのだ。

 あそこで手を引いておけばよかったのに、社員たちの生活を考え、叔父は最後まで突っ走ってしまった。

 塀に沿いながら、坂道を少し降りると、道端に無造作に置かれたかめの上に猫が乗っていた。

「にゃあ」
と話しかけると、

「なにやってるんだ」
という声がする。

 見ると、高等部の先輩が立っていた。

「こんにちは」

 軽く頭を下げ、通り過ぎた。

「この着物も質屋にでも出すかな」
と呟きながら。

 それから長くその先輩とは会わなかった。



「あれっ? 本田さん」

 アパートのチャイムを鳴らした人間に、私は目をしばたたく。

「すみません。
 ちょっとお話が」
と玄関先に立つ本田は、中を軽く窺った。

「ああ、衛さんなら居ませんよ。どうぞ」
と中に通す。

 本田は、落ち着かなげに部屋の中を見回していた。

 家具も何も変わってはいないはずだが、住む人間が違うと、まるでリフォームしたように、がらりと雰囲気が変わったりする。

 小物や、衣服の置き場のせいかもしれないが。

 今がまさに、その状態のようだった。

「どうかしたんですか?」

「訊きたいことがあるんです。

 貴方は此処に何体かの霊が出るとおっしゃっていた。

 その中に、あづさの霊も居るんですか?」

 私は無言で洗面所を指差す。

「此処にいつも出るんです。

 私に気づかず、ポーチの中を覗いてる」

 本田は唇を噛み締める。

 洗面所を無言で見つめ、

「今も居るんですか?」
と訊いてくる。

「今は居ませんが、夜になったら現れますよ。

 ……たぶん。

 どうぞ、ゆっくりしていってください。

 玄関に水滴落としてく霊とか出ますけど」

 お茶でも淹れようと奥に向かいかけた背に本田が言った。

「おかしいんです」

 おかしいと言えば、今更だが、本田が私に敬語なのはおかしいが、深刻な顔をしているので突っ込めなかった。

「僕、消防士の友人と会ってきました。

 事故の時点では、あづさは生きていたらしいんです。

 おかしいじゃないですか」
という本田の声は震えている。

「あの時点であづさが生きていたのなら、あづさは、いつ、死んだんです?

 要先生が生きたあづさを連れていったのに!」

 途中から興奮気味になった本田の手に、自らの手を重ねる。

 叫ぶのを止めた本田はひとつ息をついて、こちらを見た。

「教えてください。
 あづさは誰に殺されたんですか?」

 私は彼の肩を叩いた。

「本田さん、佐野あづさは恐らく――

 自殺するつもりだったんです」

 本田の顔が強張る。

「何か思い当たる節があるんですね?」

「少し、様子がおかしくて。

 いえ、結婚が決まってからずっとだったですけど。

 特に最近。

 それで、あの日」

 本田はかなり言うのを迷っているようだった。

「もしかして、此処に来るように言われました?

 前撮りの前の晩」

 本田は、びくり、として、手を離そうとする。

 だが、彼の、衛より小さな手を離さずに言った。

「でも、貴方は来なかったんですね」

 ちらと洗面所の方を見ながら言った。

 いつの間にかそこに女が立っていた。

 現れるたび、一心不乱に漁っていたポーチには見向きもせずに、初めてこちらを向き、自分ではなく、本田を見ている。

 私は俯いている彼に訊いた。

「どうして来なかったんですか?

 そこに、あづささんが居ます」

 振り返ろうとする本田を止める。

「あづさは本当は貴方に感謝していて。

 その想いに応えたいと思ってた。

 どうして呼んだとき、来なかったのかと言っていますよ」

 本田は目を閉じ、

「君が何をしてくれようとしているのかわかっていたから。

 でも、君は僕を好きなわけじゃない。

 そのことも知っていたから」

 君のためでもあるし、僕のためでもある、と言う。

「僕が――

 君を忘れられなくなるから」

 あづさが見えていない彼は、あづさに語りかけるように、自分に話す。

 その瞳に見つめられた。

 本田は同じ顔の自分を抱き寄せる。

 頬に触れて来た彼に言った。

「大丈夫ですよ。
 私、何も感じないんです。

 もう随分前に、そういう感情なくしてしまって」

 でも、頭に浮かんだ。

 川原で少年のように笑っている御剣衛の夢。

 本田の手が頬を撫で、もう片方の手に力がこもった。

 本田の唇が自分に触れた。

 いつか感じたのと同じ、柔らかい感触がする。

 あの日、あの車の中で。

 それを思い出しながら、目を閉じた。

 ふっと大きく息を吐く。

 自分の上で、こちらを見た本田に言う。

「あづさが自分の代わりをしろと言ってるんですよ」

「貴方はそれでいいんですか?」

「よくはないですけど。
 罰ですから」

「なんの?」

 そう言いながら、本田にはわかっているようだった。

 この部屋には、あづさの魂が残っているのはわかっていた。

 例え、こちらを振り向くことはなくとも。

 それでも、私は此処に衛を招いた――。

 そのとき、何かの気配を感じた。

 思った位置とは違う場所に誰かが立っている。

 おや? と思った。

 衛が立っているのが逆さに見える。

 なんだか死ぬ程、怖いな、と思いながら、それを眺めていた。



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