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黄昏の記憶

悪い夢を見たようだ

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 黄昏の光に輝く三機の戦闘機が空を横切る。

 あの曲を弾きはじめてから、時折、ふっと脳裏に浮かぶ光景だ。

 まるで、誰かの心に焼きついたものを見ているかのようなそんな感じ――。


 如月真生きさらぎ まおは、ふっと目を覚ました。

 だが、まだ夢の世界から抜け切っておらず、ぼんやりする。

 目の前に、ひとりの男が立っていた。

 腕を組み、こちらを見下ろしている。

 幼なじみの弓削斗真ゆげ とうまだ。

 やたら整った顔立ちをしているが。

 逆らったら斬る、といった感じの武士的な雰囲気をかもし出しているせいか、あまり女子に言い寄られているところを見たことがなかった。

「……なに渋い顔してんの?」

 真生は黙って自分を見下ろしている斗真にそういた。

 どうやら、ここは昼休みの図書室のようだった。

 窓からの風に、タッセルの外れた古びたカーテンが舞い上がり、埃が舞う。

 鼻がむずむずして、くしゃみが出た瞬間、かなり意識が現実に帰ってきた気がした。

 少し距離をとるようにして真生を見ていた斗真が言ってきた。

「……お前、当直だろうが」

 あー、そうだった、そうだった、と言いながら、真生は立ち上がる。

「地理だからなー。
 また運ぶものがあるかもね。

 ありがと、斗真」

 そう言いながら、真生は枕にしていた本を手に立ち上がる。
 行きかけて戻り、もう一度、訊いてみた。

「だからなに渋い顔してんの?」

「……渋い顔などしていない」

 そうこれ以上ないくらい渋い顔で言ってくる斗真に肩をすくめて見せたあと、真生は本を戻し、廊下に出た。

 すると、クラスメイトの夏海なつみが足に包帯を巻いた兵士とともに、こちらに向かい、歩いてきた。

 旧日本陸軍の軍服を着たその男は、埃まみれの身体で足を引きずり、いつも、この廊下を行ったり来たりしているのだ。

 ちょうど夏海が歩いてくるのと一緒になったようだが、霊が見えない夏海はもちろん、気づいてもいない。

 この軍人さんに側を通られると、鼻先にカビと埃の入りまじったような匂いがプンとし、咳き込みそうになるのだが、真生はなんとかこらえた。

 みんなには彼の姿が見えていないからだ。

 ここは昔、病院の敷地内だったらしく、時折、負傷した兵士や民間人、そして、忙しげな看護師たちが横切って行く。

 見える生徒たちが学園七不思議みたいなものを語っていたが。

 こんな場所だ。

 もちろん、七では収まらない。

 地下の階段を歩く白い服の女の霊。

 死体を引きずる女の霊。

 お前に殺されたと言いながら這ってくる男の霊。

 男の霊はたまに足をつかんできたりするが。

 他は特に害はないので、無視するのが一番だと言われていた。

 学校でこれだけ出るんだから、隣の病院はもっと出そうだなあ、と真生は同じ敷地内にある病院を見る。

 かつて、この場所にあった病院は、今は小さな林の向こうに移転し、ヘリポートも有した近代的な建物になっていて、救急救命センターもある。

 同じ敷地内にあるのは、病院とこの学園の理事長が同じだからだ。

 なので、学園には看護科もあるのだが、看護科の建物は、病院の方に併設されていた。

 夏海と兵士の霊が行ってしまったあと、真生は社会科準備室に行こうとしたが、なんとなく図書室の方を振り返る。

 小学五年生のとき、真生は図書委員だった。

 放課後、廊下の突き当たりにある図書室に鍵をかけた真生は、自分の借りた本を胸に抱いて、廊下に出た。

 ふと、背後に何かの気配を感じて振り返ったが、そこには誰もおらず、射し込んだ夕陽が図書室の扉を照らしているだけだった。

 だが、その扉の前に何か赤いものがあるように見え、本を抱いたまま、それに近づいた。

 自分の白い上靴の先。

 床に赤いしずくが二、三滴落ちていた。

 血のように見えるそれは、まだ濡れていた。

 まるで今、落ちたかのように。

 だが、そこには誰も居なかった。

 図書室が誰かを呑み込んだのだと、そのとき真生は思った。

 そんなことを思い出していたとき、
「如月」
と声がした。

 地理の教師がこちらに向かい、歩いてくるところだった。

「ちょうどよかった。
 先週使った地図、持って来といてくれ」

 簡単に言ってくれるが、普通の地図ではない。

 ロールカーテンのように天井に紐で引っ掛けて下げる、厚く、重みのある地図だ。

「あれ、重くないですか?」
と真生は顔をしかめてみせたが、教師は、

「重いな」
と笑ったあとで、

「お前ならヨロヨロ運んでれば、誰か男が抱えてくれるんじゃないか? 斗真とか」
と軽く言い、行ってしまう。

 その斗真は図書室なんだが、と思いはしたが。

 引き返すのもめんどくさく、抱えてくれそうな別の男子を捜すのも、やはりめんどうくさかったので、真生はひとり、備品がしまってある地下資料室へと下りた。

 こんな場所じゃ、妖怪以外、助けてくれてくれるモノなんて居そうにもないけどな、と思いながら。





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