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ゼロどころか、マイナスからの出発
うがぐるまでこけた
しおりを挟む晩ごはんを食べにおいでと言われ、あかりは実家に行った。
あかりが母だと知っていたらしい日向が走ってくる。
「おねーちゃーんっ」
「あの……幼稚園に行ったときは、おねーちゃんはやめて」
と言ったあかりに日向はセミのように抱きついてきた。
チラと見えた日向の肘に、貼ると早く治る絆創膏が貼られているのに気がついた。
「どうしたの? これ」
「うがぐるまでこけた」
と言って、日向はゲラゲラと笑う。
自分が人形のうがぐるま……乳母車を押していて、こけたのがおかしかったらしい。
「……乳母車。
最近はベビーカーって言わない?」
しかも言えてないし、とあかりが思ったとき、オロオロした様子で、真希絵が廊下に出てきた。
「庭で夕方転んじゃったのよー。
何処からか、寿々花さん見てなかったかしら」
「いや、そんなスパイみたいに、塀の上から覗いてたりしないと思うけど……。
寿々花さんだって、息子を育ててるんだから、男の子なんて、しょっちゅう怪我するもんだって……
……知らない気がするね」
勝手なイメージだが、育てたのは寿々花さんではなく、使用人の方々とか乳母の人のような気がする。
寿々花さんが育てたのは、お腹にいたときだけで。
胎教として、モーツァルトを聴いていたのが、唯一の子育ての記憶なのかもしれない。
まあ、実はちゃんと子育てをしていて。
それで失敗した、と思ったから、自分も私も日向に近づけないようにしたのか。
最初から関わらないようにして、成功だったから、今度もそうしようと思ったのか、謎だが、と思ったとき、真希絵と入れ替わりに来斗が廊下に出てきた。
手招きをする。
いつの間にか、背後に回り込み、首をしめるようにぶら下がっている、おんぶおばけのような日向を引きずって行くと、来斗が言う。
「社長に、俺を殴れと言われたよ」
「えっ?」
「お前との記憶を取り戻したいんだってさ。
お前との一週間の記憶と引き換えに、今までの人生、すべての記憶を失ってもいいとか言ってらしたぞ。
今の俺にはあかりがすべてだ、とまでおっしゃってたな」
ちょっと感動しそうになったが、すぐにそこで来斗が、
「まあ、どちらにしても、仕事に支障のないようにしてくださいと言っておいたが」
と現実的なことを言ってくる。
「それにしても、社長が日向の父親っていうのは、ビックリしたけど。
なんか嬉しくもあるな」
と来斗は笑っていた。
すぐに、おっと、日向がここにいたな、という顔をしていたが。
いや、胎内の記憶まである日向のことだ。
ほんとうは、なにもかも知っていると言われても、驚かないな、とあかりは思っていた。
生命の神秘だ。
日向、お腹にいたときの、あんなことやこんなことも記憶してるのかな。
私がつわりがひどくて、床を這って生活してたとき。
夜中にトイレに行こうとして、廊下を這ってたら、同じくトイレに起きてきた来斗に貞子と間違えられて、ぎゃーっと叫ばれたこととか。
つわりが少しおさまったころ、いつも家に来る移動パン屋のおねえさんに、
「あっ、こんな格好ですみません」
と言ったら、笑顔で、
「大丈夫ですよ。
いつもその格好でしたよ」
と言われたこととか。
……もっといい記憶を残してあげるべきだったか。
あかりは妄想の中、ロッキングチェアに揺られ、目を閉じて、モーツァルトを聴いてみた。
だが、落ち着かなくて、スマホでゲームをはじめてしまう。
……駄目な親だな、と思ったとき、
「おねーちゃん、ジャンケンしようよ」
と日向が言ってきた。
「い~よ~」
「じゃあ、おねーちゃんは、パーね」
出すもの、決まってるんですか……。
「やったあ!
ぼくの勝ち~っ!」
そりゃそうでしょうな。
「おねーちゃん、ぼく、次はグーを出すからね!」
何故、教える……。
私にチョキを出せということか。
はたまた、なにも考えていないのか。
もうすぐ三歳の二歳児よ。
いやいや、人生の厳しさを教えるために、ここで、あえてパーを出すべきかっ!?
「親として試されている気がするっ」
と言って、
「もっと違うところで試されろ」
と来斗に言われてしまった。
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