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第一の殺人

日常が戻ってきました

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 聡の便器は乾かして、元通り設置された。

 戻ってきた清水が谷本に言う。

「谷本、まだいろいろ事後処理があるから、お前、今日も此処泊めてもらえよ。

 行ったり来たりするの大変だろう。
 信子さんたちもそう言ってるぞ

 っていうか、他の連中、此処に来るのやだって言ってるし。
 お前、一手に引き受けろ、新米」

 ええーっ? と嫌そうな顔をしていた谷本だったが、渋々引き受けたようで、とりあえず、一度、署に戻ってくると言う。

 谷本が出て行こうとしたとき、彩乃は彼を呼び止めた。

「すみませんが、谷本さん、そこの窓から中を覗いてみていただけますか?」

 え? はい、と谷本は彩乃に言われる通り、裏の窓からトイレの中を覗いてみてくれた。

「聡さん、見えますか?」
「いえ」

 そうですか、と彩乃は言い、
「いろいろとありがとうございました」
と頭を下げた。

 谷本を送って出たあと戻ろうとすると、
「彩乃」
と嵩人が声をかけてくる。

「まだ居たの? 嵩人」

 此処は俺の家だ……という顔を嵩人はした。

「なんで、今、聡を谷本さんに見せてみた。
 お前、あれが生霊だと思ってるのか?」

「……確かめてみただけよ」
 そう言い、彩乃はその場を立ち去った。

 あの納戸の奥から聞こえるカリカリという音を聞きながら。



「ようやく日常が戻ってきましたね」

 彩乃は夜、いつものように小窓から聡に話しかけた。

「はい、私も戻れてよかったです。
 やっぱり、此処が落ち着きます」

 いや、しちにんびしゃくの中でも全然気にしていなかったようなんだが……と彩乃が思っていると、
「あそこ、ほんわり温かくて薄暗くて気持ちよかったです」
と聡は言ってきた。

「でも、初めて知りました。
 聡さんは、トイレじゃなくて、便器についてたんですね」

 次朗は便器に聡が乗っているので、便器を退けたら、ついてくだろうと素直に考えたようだが、便器ごと運ばれてく保証などなかったのにな、と思う。

 まあ、動転して、そこまで考えられなかったのかもしれないが。

 窓から覗いてみて、もし、聡が消えてなかったら、トイレごと壊す気だったのだろうかな、と思いながら、彩乃は訊いた。

「けど、この便器って、最近つけ変えましたよね。
 なんで、前の便器についていかなかったんですか?」

 以前から此処に居たと言っていたので、売っていた便器について来たわけではないだろう。
 名前も首藤だし。

「いやいや、新しいのが来て、嬉しかったんですよ~。
 それで執着してたんですかね。

 霊って、執着あるところに出るんでしょうね」

「……そうなんですか」

 峻が言うのが正解だったか、と思いながら、彩乃は訊いていた。

「でも、連れ出せるんですね、聡さんって。
 今度、何処かに連れてってあげますよ」

 お花見とか、と思って彩乃が言うと、
「そうですねえ。
 砂漠とかいいですねえ」
と聡は無邪気に笑う

 便器って、飛行機にのせられるのだろうかな……。
 それとも、船?

「あのー、鳥取砂丘にまけてくれませんか?」
と彩乃は言った。

 何年経っても読み進んでいるようには見えない文庫本を手に、聡が笑う。



 彩乃は夢の中、便器を抱いて、駱駝らくだに乗り、鳥取砂丘を渡っていた。

 そんな彩乃を一緒に駱駝に乗って落ちないよう抱きしめてくれている嵩人。

 うん。
 あんまり、ロマンティックじゃないな、と思いながらも、うとうとしていた彩乃は気配を感じた。

 扉の陰から覗いている霊の気配。
 いつもと同じだ。

「……入って来ないの?」
 彩乃はその霊に向かい言ったが、今日もその霊はそこから引き返し、下りていった。

 彩乃は薄手のカーディガンを羽織り、廊下に出る。
 今居た霊の気配はもうない。

 黙って階段の下を見ていると、いつもの霊が言ってきた。

「あれ、落としといた方がいいか」
 あれ、とは、今下りていった霊のことのようだった。

「別に。おやすみなさい」
と言って、彩乃は部屋へと戻る。

 夢のつづきでも見よっと、と思って目を閉じたが。

 砂漠に今度は嵩人も駱駝もおらず、彩乃はひとり、便器を引きずって水を求めて歩いていた。

 ああ、夢も現実もしまらない、と思ったとき、きい……ばたん、という微かな音が聞こえてきた。

 聡さんのトイレかな、と思う。

 あの自動開閉トイレ、蓋が落ちてくるときに、すごい音がするので、静かな夜は此処まで響くのだ。

 あそこに聡さんが居ることがバレたから、更に人が入らなくなったのに、と思いながら、また、眠りに落ちた。



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