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遥人の結婚式 ―千夜一夜の物語―
貴方が何者でも……
しおりを挟む遥人の許を去った那智は寝室に閉じこもり、ぬいぐるみの群れに顔を埋める。
あらかじめ作っておいた自分を守るための砦だ。
『桜田さん』が、『お父さん』がくれたぬいぐるみだ。
大好きだったお父さんが出て行って、その理由が彼の浮気だったこともあり、決別の意味を込めて、『桜田さん』と呼ぶようになった。
養子だったお父さんは名字も変わってしまったことだし。
だが、大人になった今ならわかる。
桜田だけが悪かったわけではないのだと。
那智は目を閉じ、鼻をくすぐるぬいぐみの毛先に顔をこすりつける。
その懐かしい匂いを嗅ぎなから、昔、よくこうして眠ったな、と思った。
若くしてうっかり父親になってしまった桜田はどうしていいかわからず、お小遣いを貯めてはせっせとぬいぐるみを買い、那智の許に運んできていた。
そんな中学生の桜田を思い出し、笑ってしまう。
きっとこれがあの人の精一杯の愛情だったのだ。
だが、疲れたり、不安になったりしたとき、無性にこのぬいぐるみの海で眠りたくなる。
まだ幼い顔をしていた桜田だったが、那智にとって、彼は立派な「お父さん」だった。
『那智は辰巳遥人が俺に似てるから好きなんだろう』
自信満々に桜田は言う。
ちょっと当たっているかもと思った。
娘は父親に似た相手を連れてきがちだと言うから。
そのとき、誰かがチャイムを鳴らした。
しばらく出ないでいたが、那智はぬいぐるみの群れから、むっくり起き上がり、インターフォンへと向かう。
「『勝手に開けて入れ』って、貴方、よく私には言いますよね」
そう言ってやると、遥人はようやく、ああ、と気づいたように、鍵を探し始めた。
どうやら、鍵を持っていることを忘れていたらしい。
まあ、覚えていたとしても、彼の性格からして、鳴らしたことだろうが。
すぐに見つからなかったらしい遥人に苦笑し、
やはり似ている。
肝心なところで、ちょっと抜けてるところが……と思っていた。
つい、手を貸したくなるのだ。
そして、いつの間にか、見捨てられなくなる。
ドアを開けた遥人は、那智の顔を見た途端、なにを言おうとしたのか忘れたように戸惑う。
「那智……」
「はい」
「……ありがとう」
「いえ」
と那智は言った。
「情けない王様を助けるのは私の役目ですから」
と言ってやると、誰が情けないだ、と言い返そうとしたようだが、遥人は、その言葉を途中で引っ込めてしまう。
「入ったらどうですか?」
と腰に手をやり、那智は言った。
後ろをついて来ながら、遥人は言った。
「桜田さんはお前の実の父親だったんだな」
那智は振り返らずに言う。
「表向きは違いますけどね。
私は母方の祖母の戸籍に入れられているので」
ま、犯罪ですからね、と言いながら、那智は今まで自分が居た寝室を開けて見せた。
ベッドからはみ出し、部屋を埋め尽くすぬいぐるみに遥人は圧倒されたようだった。
「これ、全部、桜田さんからのプレゼントです。
私が生まれたとき、中学生だった彼は、どうしていいかわからずに、おっかなびっくり、ぬいぐるみを運んできてくれていました。
まるで、親鳥が餌をやるように。
ともかく、大きければいいと思ってたみたいで、この有様です」
と巨大ぬいぐるみの山に苦笑する。
「でも、自分が大きくなるに連れて、そんな『お父さん』の必死さがよく伝わってきて。
そんなに年の離れていないあの父親を私は、より好きになりました。
最初の頃、専務に言ったじゃないですか。
私の初恋はお父さんだって。
ああ見えて、昔は格好よかったんですよって」
「……ああ見えても、こう見えても、今でも相当格好いいぞ」
「専務ほどじゃありませんよ」
としれっと言ってやる。
「若くして父親になったのに、子供を見捨てることなく、可愛がり、養おうとした姿がとても格好よかったんです。
大人になった彼は母を追って警察に入ったので、少し祖母の信用を得られて、一緒に暮らすことを許されました」
えっ? 警察? と遥人は訊き返す。
たぶん、母も警察に居るというところは意外だったのだろう。
「そもそも、母は、桜田さんを補導しようとしていたはずだったんですが。
桜田さん、昔はちょっとヤンチャが過ぎていたようなので」
「そういえば、父親は警察官だった、と言っていたな」
「はい。
警察官だったんです。
公安に移動になって、潜入捜査のために、警察を辞めて、一般企業に就職を」
公安の人間はそれと知られるわけにはいかないので、よくそういう手法を使う。
だから、家族でさえも、本当に父親は警察を辞めたと思っていることも多い。
「親の愛情って、いろいろですよね」
とぬいぐるみを眺めながら那智は言う。
「川村政臣は、貴方がなにをしようとしているのか知っていたと思いますが。
自分を憎むことが貴方の生きる活力になるのならと思って、黙っていたんでしょうね」
「那智」
と遥人は迷うように呼びかけてくる。
「俺は父親と慕っていた人を逆恨みで殺そうとしていた人間だ。
そんな俺がお前と居ていいとも思えない」
「大丈夫ですよ。
最初から、女を惨殺する王様だと思って仕えてますから。
むしろ、罪が軽いくらいです」
と言うと、父親殺しが罪が軽いか!? という顔をされた。
「……それでもお前がいいと言ってくれるのなら」
と遥人は那智の前にひざまずき、懇願するように那智の手を取る。
那智は遥人を見下ろし、笑って見せた。
「前も言いましたけど。
そうしてると、王子様みたいなんですけどね」
けど、なんだ? という顔を遥人はする。
「いいですよ。
貴方が何者でも。
人殺しでも。
結局は親に甘えてるだけのヘタレでも」
「おい……」
「職を失った貧乏人でも、私が養ってみせます」
遥人はそこで真顔になった。
結局は、路頭に迷ってしまった母のことが頭をよぎったのだろう。
「でも、……もう専務じゃないですね」
那智は自分もその場に膝をつき、言った。
「遥人さん。
もう一度、言ってみてください」
「え?」
と遥人がこちらを見上げてくる。
「最初の日、貴方の部屋で言ってくれたじゃないですか」
と言うと、遥人はすぐにわかったらしく、赤くなって咳払いをする。
そのままなにも言わないので、
「あっ、あのときはあっさり言ったのにっ」
と言うと、
「あれはなんとも思ってなかったからだっ」
と言ってくる。
「今回、私、結構貴方に振り回されましたよね。
このあと、どうやって生きていこう。
貴方みたいに恨みをぶつける相手も居ないし。
誰と縁側で老後、お茶を飲んだらいいんだ、とかろいろ悩んだんですよ」
と言って、
「長生きする気満々じゃないか」
と呆れられた。
「だからね。
少しくらいご褒美があってもいいと思うんですよ。
この動きの遅いカピバラが貴方のために駆け回ったんですから。
お父さんに下げたくない頭まで下げて」
遥人は一瞬、目をそらしたあとで、那智の手をつかんだまま、真正面から見つめ直して言った。
「俺にはお前だけだ。
結婚してくれ」
そのまま遥人が離さないでいる手を見下ろし、
「これでいいかって、今日は言わないんですね」
と言ってやる。
もう勘弁してくれ、という顔を遥人はしていた。
だが、彼は俯いたあとで、ふっと笑う。
「……信じられないな、と思うんだ」
「なにがですか?」
「自分が今、此処にこうしていることが」
「それは私もですよ」
「まだ、お前とこうして居られて。
自分の中に、長年しこっていた恨みもない。
不思議な解放感に、怖いくらい幸せなんだ」
那智は微笑む。
それはよかったです、と。
人を恨み続けるのは辛いから。
ましてや、相手が大好きだった人なら。
「あのとき、お前と出会わなければ、きっとこんな未来はなかった」
真っ直ぐに遥人は那智を見つめてくる。
「じゃあ、あのとき、あそこでキスしてた、桜田さんと梨花さんに感謝ですね」
と言うと、それはどうだかな、という顔をしていたが。
手を放した遥人は、床に手をつくと、身を乗り出してきた。
そのまま、口づける。
しばらくして離れた彼は言った。
「那智。
その……この部屋は出ないか?」
「なんでですか?」
遥人は、ちら、と那智の後ろを見、
「お前の父親に見張られてるみたいだからだ」
と言った。
この大量のぬいぐるみは、このときのためだったのかな、と思いながら、那智は笑い、
「いいですよ」
と言った。
ドアの外、耳を澄まして中の様子を伺っていた桜田はいきなり、肩を叩かれ、ひっ、と声を上げかける。
その様子に叩いた方が驚いていた。
「あー、びっくりした。
どうしたの。
貴方が隙だらけなんて」
洋人が立っていた。
「なにやってんだ。
学校はどうした」
と言うと、
「今日、日曜だよ」
という答えが返ってきた。
ああ、そりゃそうか。
ちっ、と舌打ちをし、
「お前、いつも制服着てるから紛らわしいんだよ」
と言う。
それは恐らく、自分を弱い一高校生として、人の中に埋没させるための彼の戦略なのだろうが。
「耳を当ててても、このマンション、そんなに壁薄くないよ」
と言われ、わかってるっ、と返す。
「じゃあな。
もう一段落したことだし、那智たちの周りをうろつくなよっ。
……とあいつにも言っておけっ」
と言い、行こうとすると、
「でも、あれでも、あの人も母親だしねえ」
と言ってくる。
「桜田さん」
「なんだ」
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「僕だって幸せになれるだなんて思ってないよ。
でも引かない。
負けないよ」
言い切る洋人に、かつての自分にあって、今の自分にないものを見た。
眩しく彼を見ながらも、素っ気なく、
「まあ、せいぜい頑張れ」
と言い、手を挙げた。
そのまま、そこを去る。
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